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いとこ夫婦とその娘が鹿児島から2泊3日で長崎に遊びに来ていました。午前中から3人で稲佐山へ行き史跡出島を観終わった頃表門橋で待ち合わせ。眼鏡橋は下の中島川に降りて飛び石を渡って真ん中から撮るのが一番いいよ!ハートストーンも降りなきゃ見れないし!なんていうと娘はさっそく降りてヒョイヒョイと飛び石を渡る。追いかける父親の従弟や僕は足元おぼつかなく危なっかしかったけど、真ん中で合流!得意げ!イェ~イ!妻は目が回ると言いながら、へっぴり腰!手を引いてもらってなんとか真ん中へ。娘の母親は私はムリ、ムリ!
(今回、停留場番号は無視。以下の採番は走行順)⑨新地中華街停留場⑩西浜町右折し春雨通りへ⑪観光通右の路地(思案橋横丁)を通過し、戻る⑫思案橋右の路地(思案橋通り)金剛院の坂を登って右、丸山公園(坂本龍馬像)史跡料亭花月丸山花町跡料亭青柳の右路地を抜ける(丸山町はいい感じの坂道階段が多そう、別の機会に歩き回ろう)⑬崇福寺崇福寺、八坂神社、清水寺へ(長崎の京都だ!)以下は別撮り。(寺町通り、弊振坂、近藤長次郎墓碑、龍馬通り
織田信長の命日・本能寺の変(旧暦6月2日)が来ちゃいましたね。しばらくの間、連載中の、武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」はお休みにして織田信長追悼特集「戦乱の旅-本能寺の変~織田信長の首の行方は?」を連載します。炎とともに消えた織田信長の遺骸1582年6月2日、織田信長は明智光秀の謀反に合い、炎に包まれた本能寺とともに果てました。信長の遺骸は本能寺とともに灰燼に帰し、光秀は焼け跡から必死になって信長の遺骸を探しますが、発見する事はできませんでし