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⁷ご訪問ありがとうございます。大阪公立大学が1gで地球を破壊してしまうほどの宇宙線(粒子)を発見し、「アマテラス粒子」と名付けたそうです(◎o◎)そんなにすごいなら、どっちかというと破壊神シヴァかスサノオの方がかっこいいような気もwさて、いよいよ崇神天皇ですが、神様に祟られまくるので、めちゃくちゃ神様をお祀りします。それで崇神天皇なんですよね。おまけに天皇の御殿にお祀りしていた天照大神も、御神威が強くていっしょに居れなくなり、例の倭姫巡幸になるので、そこはアマテラス粒子で良かったのかも
今回は、大和国一之宮・大神神社の境内に隣接する境外社2社をご紹介します。大神神社・境外摂社①神宝神社(かんだから)当社は、熊野三山の神々を祀る神社です。◇鎮座地:大神神社境内・字大宮川上◇御祭神1:家都御子神(けつみこのかみ)◇御祭神2:熊野夫須美神(くまのふすみのかみ)◇御祭神3:御子速玉神(みこはやたまのかみ)◇御朱印:なし◆手水舎まずは。大神神社の手水舎にて禊です。この日は小雨模様のため、時折フラッシュが自動発光します。◆境外
今週(20日)は滋賀県に石山寺御開帳皿そば渚庵次の目的地は、今年のテーマ「天皇陵巡り&神宮巡り」にもどります。京都市上京区にある【白峰神宮】に到着御祭神は配流されてその地で歿した第75代崇徳天皇第47代淳仁天皇を祀る。幕末、121代孝明天皇は、保元の乱(1156)によって悲運の運命を辿られた第75代崇徳天皇の御霊を慰め、かつ未曾有の国難にご加護を祈らうとされ、幕府に御下命になり四国・坂出の「白峰山陵」から京都にお迎えして、これを祀らうとされ
続きです。フォートレスの撮影場所である「昇仙峡の仙娥は月神」という部分と、阿波の秘史は関係していますので合わせて綴ります。特にお伝えしておきたいのは、崇神天皇と神武天皇は同時代ということです。●昇仙峡の仙娥は月神(★撮影場所(昇仙峡))→かぐや姫物語へ(新・竹取物語)阿波の秘史と合わせて綴ります。「フォートレスー護りし者たちー」の撮影場所は、昇仙峡です。嫦娥は元々、姮娥と呼ばれていて、「姮」は「令嬢・お嬢様」、「娥」は美女なので、美しい姫なんですよね。
【真・日本史①】宇宙神霊の警告と五度の岩戸閉め日本は世界的にも裕福な国だが「自殺大国」とも呼ばれ、若者の自殺率に至っては世界1位となっている。自殺の動機は人それぞれだが、この問題の根底には「日本人としてのアイデンティティの欠如」があると思われる。日本人全体の自殺率は減少していると言われているが、それは数字のトリックに過ぎない。「自殺」と判断される死体は減っている一方で、「変死体」が増加しているという。変死体の中には殺人もあるだろうが、自殺と断定できる証拠がない場合は、自殺の可能性が高く
前回の記事「邪馬台国畿内説の都・纒向遺跡から出土した桃の種の年代報道について」のなかで「崇神天皇が4世紀初頭あたり」と書いたことについて、年代観に関するコメントをいただいておりましたので、今回はいま私が用いている年代復元法について改めてまとめてみました。私が色々なギミックでもって意図的に「崇神天皇を4世紀初頭あたり」に位置づけているのではないということはお分りいただけるかと思います。もちろん、それによって得られた実年代を他者に押しつける気はありません。さまざまな人が考える実にさまざまな年代観と
ご訪問ありがとうございます。さて、いよいよ4年目から、崇神天皇の物語が始まります。少し長いので、まずは現代語訳で、何が書いてあるのかを読んでみましょう。途中チャチャ入れあり(崇神天皇)4年冬10月23日、(天皇は)詔ミコトノリして「これ我が皇祖ミオヤ・諸々の天皇たちには、天皇の位を継ぎ、天下を治めたのはのは、どうして自分ひとりのためであろうか?おそらく人びとが増えるように養い、天下を治めるためである。それゆえに私も奥の深い仕事をして、時に徳を敷くようにしよう。今、私は天皇の位を受け
阿良須神社(東舞鶴)◆丹後の原像【19.失われた大王「玖賀耳之御笠」~1】《過去記事は最下部に移動しました》丹後を巡っていると折に触れ登場するのが「玖賀耳之御笠」(クガミミノミカサ)。「陸耳御笠」という表記も。敗者の歴史として、今回はこの人物(神)に焦点を当ててみたいと思います。記の御真木入日子印惠命(崇神天皇)の状に、「また日子坐王をば旦波國に遣はして玖賀耳之御笠を殺さしめ給ひき」とあります。これは四道将軍派遣の中の一行。紀には記されません。「勘注系図」にも、土蜘蛛である
本日は大きな国難を乗り越えた天皇の祭日が重なっています。★第十代崇神天皇は、纒向時代の天皇で三世紀に活躍したといわれています。奈良県桜井市には纒向遺跡がありますが、ここは崇神天皇が遷都された磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)の近くであり、その規模の大きいことからいかにこの時代から繁栄されたかを物語っており、崇神天皇の御事績とも当てはまっています。古事記では「所知初国之御真木天皇(はつくにしらししみまきすめらみこと)」日本書紀では「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」とあり、ま
石上神宮:奈良県天理市布留町384当社を再訪したのはあるサイトで拝殿裏の禁足地を見学できると知ったからだ。初めて訪れた時の印象は専らニワトリで、国宝の拝殿や重文の楼門はあるものの、日本有数の古社とされる割にそれほど目に止まるものがなかった。禁足地があることは知っていたが、拝殿前からは窺えず、周囲は森で囲まれているためにその様子はさっぱりわからなかった。楼門拝殿定刻の午後1時に社務所前に集合する。集まったのは20人程だろうか。授与品を受け取り、境内で整列させられた後、二手に分かれて神職から
御座峰(龍田大神降臨地)河内国大県郡大阪府柏原市雁多尾畑(P無し、いつも停め置きしています)「龍田大神」が降臨したとされる推定地、伝説の「龍田山」であるとも。大和国平群郡と河内国大県郡との境。標高は300mほど、山頂近くに鎮座します。地名は「雁多尾畑(かりんどおばた)」。すぐ側を古代の主要道路「龍田古道」が通っています。◎「龍田大神」とは文字通り龍田比古神・龍田比売神のことではないかと考えています。龍田大社に鎮まる天御柱命・国御柱命(風神)とは異なり、龍田神社の配祀神として鎮まる龍田
17日(日)は毎年恒例行事の大和三社詣で大和三社は私が勝手にそう呼んでいまして(;´∀`)大神神社大和神社石上神宮の三社を指します。この三社、特に大神神社と石上神宮は初めて訪れてから35億、じゃなくて(^O^;)35年くらい前に、山の辺の道を歩いて訪れて以来。そして、今の様に?真剣に神仏に向き合うきっかけもこの2社。一時期は月参りもしていましたが、もう15年。途中に参拝できない時期を越えて、今年も額づく事ができました。11月、12月、1月は、私にとって最重要のお宮をお詣りする月
(向かって右の左殿が齋宮神社)■表記紀…彦坐王記…日子坐王他に彦坐命など■概要第9代開化天皇の第3皇子。和珥氏の遠祖である姥都媛命(ハハツヒメノミコト、記では意祁都比売命)との間に生まれています。◎崇神天皇十年、丹波国(当時は丹後国と但馬国が分割前)に派遣され、在地豪族(土蜘蛛)である陸耳御笠(クガミミノミカサ)を討ち平定したとされています。御子神である丹波道主命は「四道将軍」として丹波国に派遣されたことになっていますが、丹波国で出生したとされるので、彦坐王が四道将軍とし
越後国一ノ宮彌彦神社(写真は2013年撮影)◆「土蜘蛛」十五顧(越後国八掬脛)紀記に登場する「土蜘蛛」を一通り終え、各地の風土記に登場する「土蜘蛛」を記事にしています。ここで重要なことに気付きました。紀にまだ残していた「土蜘蛛」がいた…。どこか区切りよいタイミングで、何とか挟み込むことにします。今回は「越後国風土記」逸文。「釈日本紀」に引用されている一文です。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~前田家本「釋日本紀」卷十「以七掬脛為膳夫」條━━越後國風土記曰御
以前、「三種の神器」の歴史について、語ってみたことがありました。流転の神器(関連)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12744391887.html大河ドラマ『光る君へ』関連で、最近そのページを読み返したのですが。そういえばアレをやってなかったなーと、その時になって気づきまして…。「元伊勢伝承」←これです。おかげで、『光る君へ』感想本文でやりたかったことを、1つ飛ばしていたりして…。そこで、今回は「元伊勢」の伝承について
崇神天皇の時代、この地に大蛇が多く出没し農民を悩ましたので天皇は「これは大国主神の荒御魂の荒ぶなり。よろしく祀るべし」と建てられた神社美具久留御魂神社「みぐくるみたま」という名は、「水泳御魂(みくくるみたま)」、つまり水を司り山からの水を土地に配分する神を祭るということに由来しています。祭神は大国主命の荒御魂神社本殿の裏山には4基からなる古墳群があり、神体山となっている。清々しい朝のお詣りになりました。下拝殿に注がれる神聖な氣その氣の元になる方角へ階段を登ると上
[和泉国]陶荒田神社■表記紀…陶津耳(スヱツミミ)、奇日方天日方武茅渟祇(クシヒカタアマツヒカタタケチヌツミ)記…陶津耳命「三輪高宮家系」等…大陶祇命(オホスヱツミノミコト)■概要大物主神の妻となった活玉依姫の父として記紀等に記される神。事蹟等の記述は無し。◎崇神天皇紀の記述疫病の蔓延で国家の先行きを憂い案じる天皇に、大物主神から大田田根子に吾(私)を祭らせるようにと神託があり、大田田根子を探し出すことになった。━━大田田根子は茅渟縣(ちぬのあがた)の「陶邑(すえ
神御前神社(大神神社境外摂社)(かみのごぜんじんじゃ)大和国城上郡奈良県桜井市茅原字神御前(北側すぐに大神神社末社富士神社・厳島神社があり、その駐車場に停めて併せて参拝がおすすめ)■祭神倭迹迹日百襲姫命箸墓古墳に眠るとされる百襲姫神を祀る社、「三輪山」山頂からほぼ西に鎮座します(若干のズレは写真参照)。◎倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)は第7代孝霊天皇の皇女であり、大物主神との神婚者(巫女)。第10代崇神天皇の御代、疫病が大流行したため八百万の神々を集めて
聴部神社丹後国熊野郡京都府京丹後市久美浜町大字友重字式ノ谷(一の鳥居前に寄せて停めました)■延喜式神名帳聞部神社の比定社■旧社格村社■祭神菊理比賣命久美浜町の外れ長閑な農村地帯、山裾に一の鳥居、社殿は中腹に鎮座します。◎社伝によると崇神天皇の御宇、河上摩須神による勧請とされています。「熊野郡誌」には「神名帳考証」を引き、菊理比賣と水分神としています。菊理比賣から「クリのキとなり媛のヘととなりキキベと称するに至れるなり」として、ご祭神を菊理比賣神とするのは当然の帰結であると断