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系譜と御所・御陵の名前ばかりが並んで、実績がほぼ記述されていない、いわゆる「欠史八代」。長過ぎて区切ることになってしまった、前回の続きの「後編」。今回は6代~9代をお届けします。「欠史八代」に会いに行こう!(前編)(関連)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12973331187.html一応、前回をおさらいすると、天皇家の御所は「橿原(神武)」→「葛城(綏靖)」→「葛城(安寧)」→「軽(懿徳)」→「葛城(孝昭)」と移り変わっています。
「葛城」と「日向襲津彦王」との関係について葛城と言えば、「日向襲津彦王」との関係も深くあります。「襲津彦王」とは、「武内大田根命」の子孫で、神功皇后の三韓征討において最も功績のあった豪族になります。元々は、孝元天皇の子である「彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)」と、高倉下命の流れである紀国造家の「山下陰命」との子である「武内大田根命」が、物部氏の「御間城入彦王」(崇神天皇)に仕えており、やがて、「御間城入彦王」は、豊国の「豊玉姫命」(卑弥呼)と同盟婚を行い、大和への東征