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この岡田有希子さんの動画、めちゃくちゃ可愛くて初めて見た時から萌え萌えキュン(きもちわるいな)で、今までずっとこらえていたんですがとうとう我慢できなくなってブログに貼ってしまいました。【HD】岡田有希子ファースト・デイト1984年8月8日OkadaYukiko・FirstDateyoutu.be座った状態での歌唱動画はあまり見た事がないですね。結構珍しいのではないでしょうか?いかがでしょうか?この澄んだ瞳。心の綺麗さがそのまま表れていると私は強く主張したいです。振り付けをし
こちらもネットで見かけた1986年4月の週刊誌記事の一部より。右上の写真は岡田有希子ちゃんが大木戸ビルの屋上から飛び降りる際、階段の踊り場にスリッパを脱ぎ捨てたというものだが・・・。この不自然な写真に、これは誰かが意図的にスリッパを並べたものではないかと私は思います。まず、サンミュージックが主張するのは、スタッフが目を離した隙に有希子ちゃんが一気に屋上まで駆け上がったということだが、物凄く切羽詰まった、無我夢中だった、その割にスリッパの脱ぎ方が丁寧である。これはおかしいです。人の目を盗む
【花のイマージュ】…花のイマージュは、岡田有希子さんの9枚目シングル曲で、1986年5月14日にキャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)からリリースされる予定であった。レコーディングも、ジャケット撮影も完了しており、1986年5月14日発売と予定もされていたが、約一か月前に4月8日、四ツ谷にあるサンミュージック事務所の屋上から投身自〇したとされ、発売を余儀なくされた。初オンエアは、岡田有希子さんが亡くなる前日に、ニッポン放送のラジオ番組『有希子・章子・麻里の夜遊びしナイト!』1986年
✨️യꕤ𓂃𓈒𓏸𓋜.*✨️യꕤ𓂃𓈒𓏸𓋜.*✨️今回の投票は平成14年3月1日~3月31日までの1ヶ月間ポニーキャニオンのホームページ内で行われました。その結果1位に選ばれたのはデビュー曲の「ファースト・デイト」でした。彼女のオリジナル中でいちばん長い期間、皆さんと過ごした歌だからでしょう。(上記は歌詞カードの11ページに記載してあります)昨日、5月15日は「ALLSONGSREQUEST」が、発売から22年でしたね(2002.5.15日)新潟に住んで
早くも12月が半分を過ぎ、今年も残りわずかとなりました。昭和の時代は歌謡曲の賞レースが盛んで、暮れも押し迫ってきたこの時期はいよいよ佳境に差し掛かってきたという感じでしたね。我らが岡田有希子さんも1984年には様々な新人賞を総なめ状態で、今更ながら当時の彼女の頑張りをしみじみと振り返ったりする次第なのです。これまでにも何度か書いていますが、ユッコさんの賞レースシーンで一番脳裏に焼き付いているのは日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞した時。名前を呼ばれた瞬間の何とも複雑そうな表情がいまだ記憶
仕事が休みなのをいい事に遅くまで起きているオバハン・・・ちょっと小腹が空いてしまったのでバナナでも食べようかと持ち出すしかし、時間はもう午前4時。なんとも言えぬ半端な時間そういえば、こんな映画があったっけね。ん〜、午前4時は夜更けというより夜明けに近いかな。ていうか、三浦春馬くん出演していたんだよね・・・こんな夜更けにバナナかよ・・バナナかよ・・かよ・・??・・佳代ちゃん!!岡田有希子ちゃんこと佳代ちゃ〜ん(TдT)カヨチャン…(´Д`)
スター誕生の決戦大会出場を認めてもらえず、ハンストを起こした中学3年生のユッコさん、いや、佳代さん。家族と口もきかず、食事もとらずに部屋へ閉じこもる日を続けましたが、「このままじゃどうにもならない」と、4日目にお母さん宛てに手紙を書きました。(BOMB!1986年6月号より)字が小さくて見づらいと思いますが佳代さんの本気度が伝わると思い、直筆の手紙をあえてそのまま載せさせて頂きました。もしよければ拡大して見て頂ければと思います。本当に芯が強く一途な性格が伝わってきて、むしろ危うさすら感
今年も4月8日を迎えました。岡田有希子ちゃんが亡くなって38年。私がこのブログを始めて丸3年となります。有希子ちゃんのあまりにも若すぎる死を決して忘れてはならないのは言うまでもありません。一方で有希子ちゃんのことについて、残念ながら誤解されていることや、あり得ない噂話などが未だに付いて回っているのも現実としてあります。まず何より、有希子ちゃんの直接的な死因が飛び降り自殺であるということが既成事実となっていることが非常に残念ですし納得がいきません。数時間前に自殺未遂をしたからといって、自
昭和と聞いて思い浮かぶのは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようあっ、これ昭和ネタになるかな!⬇⬇⬇先日、懐かしい飲み物を見つけました。スイートキッスです!皆さん知っているでしょうか?今もあったのね〜。中高生の頃に飲んでました。“Since1982”ということは昭和57年発売ですね。ゲルニカのCMも印象的でして、YouTubeで検索したらアップされていました👍スイートキッスゲルニカだ!戸川純だ!youtu.be当時ももちろん昭和ですが、やけに昭和レ
本日は岡田有希子さんの祥月命日です。1986年4月8日、有希子さんが突然遠い星へ旅立ってから38年になります。38年も経つと記憶なんてものはどんどん薄れて曖昧になってしまっていますが、やはりこの日の出来事だけは脳裏に焼き付いて離れません。岡田有希子さんというアイドル歌手の存在は当然知っていたし、テレビでもよく見ていました。そんな方の突然過ぎる訃報を聞いた時は驚きましたし、悲しくなりました。その時はただ「なんで?」だけが頭の中でぐるぐる回り、思考が止まっていたような感じになっていたと思います
日常で役立つ哲学の教えは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようこの歳になってからでも、アイドルを好きになるということ。そして、その対象のアイドルから癒やしや日々の活力、さらには妄想する力を享受しているということ。byangelyuki18岡田有希子嬢
★3月1日は中山美穂さんのお誕生日です。"愛称ミポリン"で親しまれ、1985年1月8日、TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー。1985年12月14日には、ヒロイン役で初出演した映画『ビーバップ・ハイスクール』が劇場公開されて大ヒット。#世界中の誰よりきっとなどのヒット曲で知られるトップ80年代アイドルで、#アイドル四天王の1人にも名を連ねる、#中山美穂さんの54歳のお誕生日です。中山美穂さんお誕生日おめでとうございます。🎉🎂今回は、姉妹
A019<岡田有希子さんからのメッセージ>2019年歓談あきらめないでいただきたいのです夢は1回限りではなく何度も何度も新しい扉を開けるように諦めずに何度も挑戦することこそが本当の夢を作ると言うことになります。私はまだ愚かで浅はかでした私の中には全てが終わったと思ったので・・・ただあの苦い思い出は今生かされてあの時はどうすることもできなかった私の中でできた最善の方法がそれだったからただ今思えばそれが美しい行為だったとは思えない生き
「さんじゅういち」ではなくて「サーティーワン」です(笑)昨年の7月か8月に地元のイオンでサーティーワンアイスの出張販売がありまして、買って来たっきり食べずに今日に至っておりました。味はキャラメルリボン!かつて岡田有希子さんが堀越高校の購買で売っていたキャラメルマーブルのアイスが好きでよく食べていたという話を意識して買ったという訳です。さて、購入後実に半年以上経過してからの実食でございます!アイスには賞味期限は設けられていないので気にしなーい。とは言ってもかなり日数が経っているので表面の
今年も残すところあとわずかとなりました。年の瀬も押し迫り、私にとって大晦日の風物詩といえばレコード大賞でした。(過去形)あと紅白歌合戦も。レコード大賞は平成以降はほとんど観なくなってしまいました。それに今は放送は30日でしたっけ?日にちも変わってしまいましたね。以前は様々な賞レースが盛んで、中高生くらいまでは夢中になって観ていました。そして我らが岡田有希子さんも1984年に各新人賞をたくさん受賞し、レコード大賞最優秀新人賞という栄誉も手にしました。去年もこのこと書いたけど今年もまた書
7/31投稿記事の続きです。先日、といってももう4月の事ですが、フジテレビ系で木曜夜9時に放送された『私のバカせまい史』という番組で「ものまね芸人vs辛口審査員・淡谷のり子低得点史」というテーマで考察を繰り広げていました。(詳細な内容は割愛します)淡谷先生、懐かしい。1980年代当時の『ものまね王座決定戦』の映像がいくつか流されたのですが、その映像に峰岸徹さんの姿もあったのです。当時番組を観ていてご記憶の方もおられるかも知れませんが、一時期(88年前後)峰岸さんも審査員として出演され
8月22日の岡田有希子さんの誕生日まであと5日となりました。ユッコさんは18歳になる前、「子供でもないし、かと言ってまだ大人とも言えない」とか「“セブンティーン”という響きが好き」と言って18という年齢を素直に迎えられないというような趣旨の発言がありました。例えば私なんかは、のほほんと18の誕生日を迎えてたけど、ユッコさんの場合はどこか哲学的というか、もっともっと奥深いことを考えていたんじゃないかって思うんですね。以前こんな記事も投稿していますので、よろしかったらご覧になってみて下さい。
今日は菊池桃子さんの話題から始めます菊池桃子さんの9枚目のシングル「SayYes!」1986年9月3日リリースでした。高校3年の秋、この曲が流行っていて、(オリコン1位にもなったのですね)テレビで歌う桃子さんの姿をよく見ていたという印象があります。ユッコさんが亡くなって半年が経とうとしていた頃でした。そして今年に入ってから、この歌の持つ意味を知る事になりました。ユッコさんの死後、多くの若者達が誘発されるように自ら命を断ってしまうという悲しい出来事が起きてしまいました。社会問題に発展
麗しのユッコ第8弾です。今回はユッコさんのオール水着姿で攻めていきたいと思います。ただ可愛いだけじゃなく抜群のプロポーション。ユッコさんを語る時、やはりこの事は外せないんじゃないでしょうか。ちょっと俗っぽい表現で申し訳ないのですが、「出るとこ出て、引っ込むとこは引っ込んでいる」(*ノェノ)キャーなんですね。均整のとれたスタイルで何とも羨ましい(-_-;)写真集のフォトが中心となります。では、清涼感いっぱいの水着ユッコ、いきまーす!こちらは、雑誌「DUNK」のグラビアより。この写
【ザ・ベストテン追悼番組/岡田有希子】…1986年4月10日は音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のエンディングで黒柳徹子さんが視聴者に向けて急逝を惜しむコメントを涙ながらに語った。動揺が続く中、4月10日のザ・ベストテンは、司会の黒柳徹子さんも小西博之さんも黒い衣装を着て登場。番組は通常どおり明るく進行したが、「DESIRE」を歌う中森明菜さんの衣装は黒と白のシックなもので、どこか喪服のよう。トークも心ここにあらずといった様子であった。1位の少年隊が歌い終え、いつものようにスタジオで記念撮
プライベートチャート1984年4月前半30位までの赤丸上昇曲は赤字です31位以降は上昇曲と初登場曲を記載してます初登場曲にはコメント(予断と偏見で…)してます…youtubeにあれば…アドレス載っけてますセルフアップした物は埋め込みも有りますセルフアップというのは私がYoutubeにアップしたものです限定公開はここでしか見れません…曲名の後の〇は前回の順位51位以降は数字のみ83年組は😿84年組は🥈銀の84年組始まります…私は新人が好きなので…(笑)61位小椋佳泣かせて
只今CS歌謡ポップスにて✴️80年代アイドル総選挙❗ザ❇️ベスト100✴️絶賛ONAIR中🎵3000票以上の一般投票と、80年代アイドルを愛する選ばれしアンバサダーの投票をポイント化。100人の80年代アイドルをランキング形式で紹介します❗🔥現在30位~1位まで刻々と発表してます😓ほー14位が工藤静香ですか😲へー13位は意外や意外、森高千里ですか😀その2人の上をいくのは浅香唯(゚д゚)ほお、ここに入ってきますか、本田美奈子😮いよいよ第10位❗🥁✨✨✨岡田有希子✨🎊
OhSummerBeachゆうべは“ごめんね”私が少しいけない僕もだいぶんいけない。グラビアしか見ていなかった。SummerBeach岡田有希子1985年(デジタルリマスター2024年)AIで作成した似顔絵(2024)は賛否両論のようだ。CityPopとしてこの曲が最近見直されている。特に海外で人気があり、2023年4月下旬にはSpotifyで200万回再生を突破。(約9割が海外からのアクセスで1位はアメリカ)2024年5月4日現在で289万
今日のユッコレは、自分の中では「珍品」と位置付けているこちらをご紹介します。ファンクラブ会員向けの「岡田有希子ナマ写真申し込み書」です。会員に発送されるファンクラブ会報に同封されていたもので、第1回〜第7回まで行われたようです。私が所有しているのは、第6回と第7回の2枚になります。1枚を大きく写してみました。一組5枚セットでAタイプ・Bタイプがあり、希望の写真と住所・氏名等の必要事項を記入し緑色の部分を切り取って封筒状にして写真代金を添えて送ると、写真をこの封筒に入れてファンの元に返送さ
♪恋したら誰だってきれいになりたい…青と白の組合せのペンションのテラスで…暖炉の煙突の元の部分が煉瓦色なので作り直したのでしょうか?特徴的な青い外壁は経年変化で退色したのか、かなり薄くなりました。屋根もPVでは白く見えますが現在は黒っぽくなっています。ペンションの全景。テラス部分の下は当時は素通しで車庫でしたが今は埋められ、物置になっているのかもしれません。階段部分も手すりは無くなっています。格子状の窓ガラスも玄関のドアとその右側にのみ残っていて、他は普通のサッシに。何
岡田有希子さんが亡くなって2年後の1988年に出版された「愛をください」。ユッコ好きの方達の間では有名な書籍であろうかと思います。幼少期から中学時代にかけて残した絵や習字といった作品や、芸能界デビュー前後に書き綴った日記や詩、そして有希子さんのお母さんが寄せた手記が掲載されています。娘・佐藤佳代としてこの世に生を受けた喜びから、18歳という若さで突然先立たれた悲しみまでが細かく綴られています。そしてこの本を読んだ事により、性格や気質を窺い知ることができ、ユッコさんを好きになる加速度が急激
これは結構頻繁に観てしまう動画なんですけど、個人的には観るたびに色々考えさせられます。※映像お借りしますLoveFairを歌唱のユッコさんです。投稿主様の説明によると、1986年のお正月特番のようです。一言で言うと「ああ、疲れてるな」です。まず表情に生気がない。睡眠不足っぽい目をしている。ちょっと腫れぼったいというか、むくんでいるというか…。声も細いし伸びが無くて、生き生きとLoveFairを歌っていたユッコさんの映像も見ているだけに、色んな思いが湧いてきます。おそらく12月中に
B363【芸能界を支配する闇の組織とは?】神田沙也加さんは暗殺されていた・・・?<神田沙也加さん>阿山>もしかして神田沙也加さんはどうですか?巫女>神田沙也加さんについては娘なんで、それはやらせてなかったみたいなんですけど、逆に母親がそういう他のタレントさんとか売春斡旋じゃないですけどそういうことに手を貸していたのを全部知ってたみたいですね阿山>X田聖子さんが斡旋をしていた?誰に斡旋してたんですか?巫女>富裕層というか、出てくるのはリストみたいなものが
私はファンとしてはまだまだ未熟なひよっこですが、岡田有希子、あるいは佐藤佳代という一人の女性を私なりに見つめてきました。彼女はなぜ死んだのか?なぜ死ななければならなかったのか?そんな事を考えたとき、どうしようもないやるせなさが込み上げてきます。ユッコさんの死については、いまだに都市伝説めいた噂話、陰謀論といった説が出回っています。前にも書きましたが、私はそういう類の話は一切信じることができません。まず、ユッコさんのあの写真については飛び降り直後、報知新聞のカメラマンに撮られています。その
今年の漢字に選ばれた「密」。密といえば岡田有希子さんのスケジュール。密というより過密だ。今回はユッコさんのスケジュールのお話を書きたくなりました。※私はまだまだ人間ができていないので、時折こうしたネガティブな話もしたくなります。でも、これらの事もユッコさんを弱らせてしまった一因と考えているため、この場を借りて私の思いをぶつけさせてもらってます。拙い文章ですがお付き合いいただける方は最後まで読んで頂けると幸いです※ユッコファンの方が作ったHPを見つけまして、(結構前のものですが今も残されて