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スターフルーツって…切ってみないとスターつまり星の形だと解らないのだ。日本では、多くの人が、スターフルーツを切った形や味を知らないはずである。星の形をしたアクセサリーが大好きだった岡田有希子(以下ユッコちゃん)撮影武藤義このアメブロやnoteに幾度も寄稿したが、筆者は、松田聖子と同期だった事務所を退社してフリーになってからも頻繁に事務所を訪れていてデビュー前のユッコちゃんと話すようになったのだ。デビューしてからのユッコちゃんとは、当時まだ河田町に
久しく聴いていなかった花のイマージュをこの数日、またまた繰り返し聴いております。時折ボーっと無になり、そして時折考え事をしながら聴いていたら、かしぶち哲郎さんの命日が近づいていることに気がつきました。(12月17日)かしぶちさんについての知識は相変わらず全くもって浅く、聞きかじりの話で恐縮なのですが、かしぶちさんと言えば「バラの花」。彼にとって特別な花であるようです。そんな「バラ」を入れた歌詞の歌をかしぶちさんはいくつか岡田有希子さんへ提供しています。その中でも特に印象深い2曲をここで取
44年前に松田聖子(以下聖子さん)を担当していらした集英社明星のカメラマン林秀次郎氏に芸能写真家としてやっていけるか?を見極めて頂き聖子さんと同期に事務所入社した筆者は、後に林氏と武藤義氏のお二方が師匠という極めて恵まれた環境だったのだ。林氏も武藤氏も撮影の打ち合わせで、頻繁に当時の事務所にご足労くださっていたのだった。特に林氏は、打ち合わせ後に仕事が入ってないと聖子さんとマネージャーと筆者を食事にお誘いくださった。「僕がビール飲みたいからさ」と林氏は、事務所から近い
ユッコちゃん仏像喫茶に行って来ました。ロンサムロード「ユッコちゃんの日22日にするの5月からじゃなかった?今月は8日で、もう終わったよ」ユッコ「あれっ聞いてないよ4月は8日やめて22日、5月からは8日と22日両方じゃなかったの?」ロンサム「1か月に2回もやるほど、ユッコちゃんいないよ、それに今日まだ21日だよ。」ユッコ「なんでジェニーちゃんの日やリカちゃんの日は、1か月に2回もあるのにユッコは、1回しかないの?それに今日は、大事な岡田有希子さんのデビュー曲ファースト・デイトが発売された記
2年前にこんなしょうもない投稿をしていました。『こじつけ祭り』その①先日、定期診察のため病院へ。自動受付機に診察カードを入れて、出てきた受付票の番号は…4と8が絡んでおりました。嗚呼・・・その②店舗用資材を発注したところ…ameblo.jpそしてまた、懲りもせず・・・先日、イオン系のスーパーで開催されていた「広島山陰・山陽フェア」。バラになりたい私にうってつけの商品が・・・!白バラ牛乳、白バラフルーツ、白バラコーヒーの白バラトリオ!こちらは、白バラ牛乳を使用したロールケーキとシュ
岡田有希子デビュー40周年の今年は、筆者の写真家の師匠だった武藤義氏が、撮影されたユッコちゃんの写真を飾った。今年56歳のユッコちゃんに桜の花入の🍷を…武藤氏は、桜田淳子さん、松田聖子さん、早見優さん、ユッコちゃんのジャケ写を撮影されていた写真家なのであります。武藤氏とはユッコちゃんが旅立たれてからどれだけ電話でユッコちゃんの話しをしただろうか…その武藤氏が病に苛まれてユッコちゃんの元に旅立ち今年で10年だ。武藤氏とも話したが、18歳の女の子が、心療内科クリニッ
少し前に、僕の中で約30年封印していた「くちびるネットワーク」を聞いたら涙が出そうになった。確か沢口靖子さんが出ている、カネボウのCMソングでしたね。これはお墓参りに行くしかない・・・と、鈴鹿の帰りに寄ってきました。場所等はネットで公表してる通りです。東名阪自動車道の弥富インターを下りて、約5分の成満寺にあります。(お墓等の写真を載せるので、気分を害される方はココでストップを・・・)この日は、僕の前に少し年上の男性が一人、僕が帰るころには少し年上のご夫婦が有希子さんの墓参
岡田有希子さんの命日であった4月8日、今年も大勢の方が四谷の大木戸ビル前に集いました。プログフォローをさせて頂いている円さんが昨年に引き続き今年も四谷へ出向いて下さり、現場の様子を撮影した写真をご提供頂きましたので、円さんからご報告下さった当時の状況、そして私自身の思いを合わせて綴りたいと思います。可愛かずみさんのファンである円さんは、この日の朝、かずみさんの墓前に伺いご挨拶をされてから四谷に向かいました。円さんはこの駅で降りてビルへ向かったそうです。駅から左前方に小さく見えるビル。もちろ
3時間でココまでなら良いのでは?服が暑苦しいですけど・・・。最初はお化けみたいでしたが、可愛くなって来たかと!おっ、マメな札幌のしぶちんからデータが届きました。うんうん、これなら精度の高い岡田有希子が描けるかもです。かも・・・。
札幌のしぶちんはやはりマメでした。メールが来ました。そうそう、それ!つるさんのお気に入り!何回ファクシミリで送信した事か・・・。赤が課題の良い原稿。スカートが黒になってイヤでした。いいな!岡田有希子って訳です。
かつてある雑誌のインタビューで岡田有希子さんが「アイドルという存在」について語っていました。大好きな河合奈保子さんの名前を出しながら繰り広げる話はユッコさん流の“アイドル論”とも言えるのではないでしょうか。その部分を抜粋しました。「写真を見て“ニタッ“とするんですけどね」のくだりに現在の自分はものすごく共感できます。アイドルに関心があった中高生の頃は「広く、浅く」興味を持ち続けていました。そのうちアイドルへの関心もかなり薄れ、30年以上眠っていたオバさんが突然ひとりのア
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。いまからちょうど40年前。4月21日は土曜日でした。桜の開花がだいぶ遅れたこの年、東京の空模様はいわゆる花曇りだったといいます。この日、ユッコこと岡田有希子さんは「ファースト・デイト」でレコードデビューを果たしました。わたしはその頃、北関東のとある県立高校に進学したばかり。実力よりちょっと上の学校に運良く引っかかったものの、数学が教
デビュー以来、ユッコスマイルと呼ばれた笑顔でファンを魅了したユッコさんですが、ある時期からそんな笑顔も徐々に消えて来たなんて言われていますね。確かに動画なんかを見ても「哀しい予感」あたりから少し変わってきたなって感じがします。もちろんこの曲はニコニコしながら歌う曲ではないのですが、それを差し引いても影を感じるようになったなって思うのです。その頃と前後して、雑誌に「最近、情緒不安定気味の有希子としては今すっごく寂しいって感じる時があるの一人で居ると気が狂うんじゃないかって思って泣いちゃった
【ザ・ベストテン追悼番組/岡田有希子】…1986年4月10日は音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のエンディングで黒柳徹子さんが視聴者に向けて急逝を惜しむコメントを涙ながらに語った。動揺が続く中、4月10日のザ・ベストテンは、司会の黒柳徹子さんも小西博之さんも黒い衣装を着て登場。番組は通常どおり明るく進行したが、「DESIRE」を歌う中森明菜さんの衣装は黒と白のシックなもので、どこか喪服のよう。トークも心ここにあらずといった様子であった。1位の少年隊が歌い終え、いつものようにスタジオで記
「爆報THEフライデー!」2016年12月2日放送の2時間スペシャルにユッコこと岡田有希子が、生前の映像で登場した話の内容と感想です。前編はコチラユッコの死後、ある外国人青年が岡田有希子の面影を求めて来日しました。彼の名はリチャード。オーストラリア人。来日後、上智大学で学んでいる時に同じ大学に通っていた早見優のツテで大好きだった岡田有希子が所属していた、サンミュージックへの入社を果たします。インターネットの無い時代、彼が岡田有希子を知ったきっかけはオーストラリアに留学していた
1986年4月4日。岡田有希子さんが生前最後のテレビ番組(収録)に出演された日です。2年ぶりにブログに取り上げます。ブログを始めてから2021年、2022年と4月4日の日付に合わせて投稿をしていましたが、昨年は飛ばしてしまいました。もちろん忘れていたわけではなかったのですが、今思えばその史実に少し目を背けてしまったというか、避けたような気がします。というのも、ファンになって以降は気持ちが入りすぎるとやや情緒不安定といいますか(表現がちょっと大げさですが)、心が揺さぶられザワザワするような
ぼっちアラフィフ女子、ちひろです。世の中のスピードについていけないです。本当に取り残されて、ひとりぼっち。youtubeで私が大ファンだった岡田有希子ちゃんの歌をみつけました。その歌は、本人が歌っているのでなく、AI音声(ユッコちゃんの声)で歌わせた歌でした。凄いな・・・全然違和感ないんです。ユッコちゃんの綺麗な伸びる声が完全に蘇っております。生きていたらもっと歌いたかったろうな・・・AIがここまで進化しているのが逆に怖くなってきますね。もっと進化が進む
突然ですが、ブログのタイトルを「星になったアイドル岡田有希子」に変更いたしました。星型のアクセサリーが大好きで、たくさん集めていたユッコは18年と7ヶ月と数日の短い一生を終えて、1986年4月に星になってしまいました。堀越高校の夏服(当時)を着たユッコ。晩年の濃いメイクよりも、素顔に近い顔が可愛かった。今日はユッコの誕生日。(1967年8月22日生まれ)生きていれば、49歳。来年は生誕50周年ですね。つくづく、早世が惜しまれます。高校を卒業し、社会人として新たなスタート
オーディション番組''スター誕生''で歌う中学3年生のユッコ。この時はまだ本名の佐藤佳代を名乗っている。貴重な動画です。アップしてくださった方ありがとうございます!昭和57年、1982年のこの日(テレビの字幕は58年となっているが、一年間違えていると思う)中学3年生の佐藤佳代は夢を叶えるため、その第一歩を踏み出した。スター誕生といえば、森昌子、桜田淳子、山口百恵、中森明菜などのスターを発掘した昭和の公開オーディション番組。佳代が出場した頃は既にブームは下火で、番組の晩年期だった。
今日は、4月21日。岡田有希子さんがデビューして40年を迎えました。しかしひと口に40年と言っても、色々と振り返ってみるとやはりとてつもない年月が流れたなあと感じます。いい歳になってからユッコさんにハマり、日々こうしてメロメロブログ(笑)を書いているなんて彼女がデビューした当時は想像すらしてなかったですよ。でも、どうしてもいつも思ってしまう事。リアルタイムで彼女を感じてみたかった。リアルタイムで彼女を応援してみたかった。あんなにキラキラしていたユッコさんに当時気付かなかったのは本当
今朝はユッコさんの耳の話を取り上げましたが、彼女の持つ魅力の一つに「プロポーションの良さ」があります。昔のアイドルは水着姿を披露するのが当たり前といった感じで、明星・平凡をはじめとしたアイドル雑誌にもグラビアがたくさん載っていました。その中でもユッコさんは小柄ながらも均整のとれたスタイル。これは私も当時から認知済みで、わ〜、なんかスゴい!って思っていたものです(笑)当時は、芸能人の水泳大会なんかも放送されていて、ユッコさんも何度か出場してました。会場にはスチール写真を撮るためのカメラマンも集
2024年4月8日。この日はユッコこと岡田有希子さんがいなくなってから、38年目の命日でした。そしてわたしは初めて、当日の四谷四丁目交差点に向かいました。『#276巡る日の心に咲くは君が花』4月8日。あなたのファンになってから、この日が近づくたびに心が騒ぎます。昼下がりの空の色は、あの日あなたが見ていた空と同じでしょうか。『#94YUKIKO…ameblo.jpここに毎年、ファンの方々が集い彼女を偲んでいることは知っていました。だけどわたしはこれまで、命日に訪れたことは
1980年代。「ユッコ」と呼ばれて親しまれたアイドルがいた。岡田有希子。本名佐藤佳代。1967年の8月に生まれて、1986年の4月に自ら命を絶った。18歳と7ヶ月と十数日の短い一生。しかし、ユッコは生前「細く長い人生じゃなくてもいい。短い人生でもいいから、自分の思うことをしたい」と母親に言ったそうだ。歌手としてデビューする前から彼女は絵を描くだけでなく、ものを書くのも好きだったらしい。デビュー後も、毎日ではないが、当時流行っていた丸文字で日記を書いたり時には走り書き
岡田有希子ちゃん、デビュー40周年おめでとう!!40年前のきょう(1984年4月21日)、僕の大好きなアイドル岡田有希子ちゃんが、竹内まりやさん作詞作曲「ファースト・デイト」でデビューしました。アイドルのデビュー曲としては珍しいマイナー調の歌で、有希子ちゃんの儚げなイメージにぴったり。どこかのコーラスで竹内まりやさんの声も聞こえてくるので注目ですそんな有希子ちゃんととても仲が良かったという荻野目洋子ちゃんから、昨年引用コメントをもらってビックリ!https://x.com/oginom
岡田有希子さんの命日を去年に続き今年もファンの方達と一緒に四ッ谷に立たせて頂きました。有希子さんファンの間では命日は佳桜忌と呼ばれていて、いつも多くの方に見守られ愛され続けています。去年の可愛かずみさんの27回忌を家族の方にもお寺の方にも相談をさせて頂いて行うことが出来たことも去年、有希子さんの佳桜忌で見せて頂いたユッコフレンズさん達の変わらない愛を見せて頂き勇気を貰うことが出来ました。ほんとにあの時は背中を押してくれるようなそんな気持ちになっていました。当初、かずみ
岡田有希子(以下ユッコちゃん)デビュー40周年記念日の今日、ある場所で、ユッコちゃんに近い大切な方と🍓ケーキでお祝いをしました。まだ情報解禁前なので詳細は書けなくて恐縮ですが、4月21日佳き日にユッコちゃんの記念すべき40周年イヤーの扉が開かれたのです。🙌今日のユッコちゃんphotoは、筆者の写真家駆け出し時代の師匠だった武藤義氏が撮影されたユッコちゃんです。ユッコちゃん40周年イヤーに筆者が、しれっと😅スタートさせた友情企画「岡田有希子デビュー40周年☆
一日たってしまいましたが、35年前の昨日、1986年3月3日はユッコさんが高校を卒業した日でした。卒業おめでとう!ユッコさんの制服姿を集めてみました。こうして写真を編集していたら、オバさん思わず感極まってしまった年取ると涙腺弱くなって困るわ(笑)当然ながらステージで歌う姿と違い、制服着ていると普通に学生!って感じですね。(それでもかなりハイスペックですが)特にモノクロの一枚は何だかあどけなさが残ってて、ユッコさんというより佳代ちゃんって呼びたくなります。無事に卒業できてよかったとい
北の大地の植物ですが・・・。南国でも元気!ポートレート撮影って訳です。つるさんの生まれる前に決まったのか!Amazonで買ったキウイ!オスの方が元気です。おっ、まもなくバラが咲きます!咲いたら、あの観葉植物の前に立っている岡田有希子にバラを持たせて、バラになりたいってタイトルの絵を描きたいです。カシワバアジサイだって!何となく納得・・・。イチジクはノーサンキュー!ツツジも満開!これって葉なのか花なのか?そもそも名前を直ぐに忘れる!大きくならないイチゴ!ジャム用です。
峰岸徹。本名峰岸知夫。1943年7月、東京の銀座で生まれ、日本橋で育つ。私の世代だと、印象に残っている役は、TBSドラマ「高校教師」(1993年放送)で主人公である女子高生の父親…なのだが、娘と肉体関係を持つ歪んだ役だ。あとは、フジテレビのドラマ「古畑任三郎」で、古畑の上司役だったような。バラエティ番組にも、ちょいちょい出ていたような気がする。岡田有希子との仕事上の接点は、1985年11月から1986年1月まで放送されたドラマ「禁じられたマリコ」での共演ぐらいだろうか。ユッ
ユッコがデビューした頃に受けたインタビューでは、父親について以下のように語っている。・厳しいところもあるけど子供の自主性を尊重する人。・仕事が忙しく帰宅も毎日遅かったので、家では顔を合わせたことがほとんどない。・大きくなるまで(自分が夜更かしをするようになるまで)父親と話したことがほとんど無い。・芸能界に進むことについては、父親と直接話し合っていない。・いつも母親を通して、父親に自分の気持ちを伝えてもらっていた。ちなみに、ユッコの母親は専業主婦。一度働きに出たことがあるらしいが、