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少し前に、僕の中で約30年封印していた「くちびるネットワーク」を聞いたら涙が出そうになった。確か沢口靖子さんが出ている、カネボウのCMソングでしたね。これはお墓参りに行くしかない・・・と、鈴鹿の帰りに寄ってきました。場所等はネットで公表してる通りです。東名阪自動車道の弥富インターを下りて、約5分の成満寺にあります。(お墓等の写真を載せるので、気分を害される方はココでストップを・・・)この日は、僕の前に少し年上の男性が一人、僕が帰るころには少し年上のご夫婦が有希子さんの墓参
【真田太平記】…NHK総合テレビの「新大型時代劇」枠で1985年(昭和60年)から1986年(昭和61年)に放送された連続テレビドラマ。「新大型時代劇」の第2作。放送期間は1985年(昭和60年)4月3日ー1986年(昭和61年)3月19日。全45話。放送時間:毎週水曜日20:00~20:45放送全45話原作:池波正太郎脚本:金子成人音楽:林光制作:日本放送協会(NHK総合テレビ)(出典:Wikipedia)NHK新大型時代劇「真田太平記」撮影&記者会見
スター誕生の決戦大会出場を認めてもらえず、ハンストを起こした中学3年生のユッコさん、いや、佳代さん。家族と口もきかず、食事もとらずに部屋へ閉じこもる日を続けましたが、「このままじゃどうにもならない」と、4日目にお母さん宛てに手紙を書きました。(BOMB!1986年6月号より)字が小さくて見づらいと思いますが佳代さんの本気度が伝わると思い、直筆の手紙をあえてそのまま載せさせて頂きました。もしよければ拡大して見て頂ければと思います。本当に芯が強く一途な性格が伝わってきて、むしろ危うさすら感
1984年4月21日、君はついに夢を叶えた。人知れず、強く願った夢。歌手になること。芸能界で美を表現すること。そして君は、デビューからたった2年後の1986年4月8日、所属事務所の屋上からその身を宙に投げ出し、短い人生を終えた。岡田有希子、本名佐藤佳代。1967年8月22日生まれ。筆者は1975年生まれ。ユッコが自殺した時は、小学5年生に進級したばかりだった。30年前の出来事だが、アイドル歌手の自殺というショッキングなニュースは今でも強く印象に残っている。各テレビ局
今年も4月8日を迎えました。岡田有希子ちゃんが亡くなって38年。私がこのブログを始めて丸3年となります。有希子ちゃんのあまりにも若すぎる死を決して忘れてはならないのは言うまでもありません。一方で有希子ちゃんのことについて、残念ながら誤解されていることや、あり得ない噂話などが未だに付いて回っているのも現実としてあります。まず何より、有希子ちゃんの直接的な死因が飛び降り自殺であるということが既成事実となっていることが非常に残念ですし納得がいきません。数時間前に自殺未遂をしたからといって、自
数か月前から、ご縁あって可愛かずみさんのファンの方が書いておられるブログを読ませて頂くようになりました。その節はご訪問頂きありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。“可愛かずみ"だけに、可愛らしい方ですよね。っておばはんジョークでごめんなさいm(__)mでも、どちらかというと「キュート」とか「チャーミング」ってカタカナの形容詞が何となくしっくりくるイメージです。かずみさんに関して、私の記憶の中で一番印象に残っているのは「オレたちひょうきん族」の『ひょうきんベストテン
岡田有希子さんが亡くなって2年後の1988年に出版された「愛をください」。ユッコ好きの方達の間では有名な書籍であろうかと思います。幼少期から中学時代にかけて残した絵や習字といった作品や、芸能界デビュー前後に書き綴った日記や詩、そして有希子さんのお母さんが寄せた手記が掲載されています。娘・佐藤佳代としてこの世に生を受けた喜びから、18歳という若さで突然先立たれた悲しみまでが細かく綴られています。そしてこの本を読んだ事により、性格や気質を窺い知ることができ、ユッコさんを好きになる加速度が急激
聴いて来るGoogleの話です。岡田有希子が好きな事もバレています。キーボードのテストで適当に売ったのに・・・。満足する訳が無いよね。多分!それが問題。マイクの位置が?39円なら許すか?もうすぐ2000円!
本日2回目の晩酌タイム!何か飲みたくて!因みに晩メシで半分戻りました。で、アルコールを摂取したら、感覚が鈍るので、絵は描いたらあかんのですが、納期が5月9日と迫っているので、やるかって感じ。で、1時間くらい掛けて下半身を描き上げて保存しました。そして、服の部分を岡田有希子の方にコピーして貼り付けるかと思って、保存したから良いなと思って、変更を破棄って押したら、消えました!えっ、保存したやろ?でも、作業前に戻っているし・・・。あ~、悪夢ですね!やはり、アルコールがあかんかったか・
今年で38回忌を迎える「岡田有希子さんの命日」。★誰からも愛された岡田有希子さん。本日4月8日は歌手・女優の岡田有希子さん38回のご命日。いつも明るい笑顔で誰にでも分け隔てなく気遣いの出来る素敵な女性でした。いつまでも色褪せないユッコの歌声はいつまでも私たちの心を魅了します。今回はお墓参りはできないので静かに偲びたいと思います。いつの日かユッコと出逢える日まで。『BelieveInYou』『佳桜忌』とは…1986年4月8日は岡田有
岡田有希子デビュー40周年☆友情企画奏者&歌手で繋ぐユッコSongトリビュートvol.4は、5月5日(日)新宿新巴里にてピアニスト鳴海周平さんに「二人だけのセレモニー」をピアノ演奏して頂きました。鳴海さんは、筆者が撮影で関わったMusicalミス・サイゴン日本キャストのLIVE演奏もなさった繊細なタッチの素晴らしいピアニストさんなのであります。今回まで、三名のベテランピアニストさんと歌い手さんにユッコちゃんSongの演奏と歌唱(弾き語り
7月18日に亡くなった三浦春馬さん。享年30歳俳優の三浦春馬さん死去のニュースにはえ?!ウソ!と、驚いてしまいました。居室から遺書のようなものが見つかっており、自殺とみられています。とても残念です。1990年4月、茨城県土浦市出身。子役から芸能界でキャリアを積み重ねて、CM、ドラマ、映画等で活躍してきました。前日までドラマの撮影に来ていましたが7/18、予定していた撮影現場に姿を見せず、担当マネージャーが三浦さんの自宅マンションを訪ねて所在を確認したところ、クローゼット
こちらもネットで見かけた1986年4月の週刊誌記事の一部より。右上の写真は岡田有希子ちゃんが大木戸ビルの屋上から飛び降りる際、階段の踊り場にスリッパを脱ぎ捨てたというものだが・・・。この不自然な写真に、これは誰かが意図的にスリッパを並べたものではないかと私は思います。まず、サンミュージックが主張するのは、スタッフが目を離した隙に有希子ちゃんが一気に屋上まで駆け上がったということだが、物凄く切羽詰まった、無我夢中だった、その割にスリッパの脱ぎ方が丁寧である。これはおかしいです。人の目を盗む
こっちは頭に来たので・・・。札幌のしぶちんから配給された岡田有希子の番組を聴いている訳。あと10分くらいで終わってしまうな!札幌のしぶちんからそんなに良かったのか?
★くちびるNetworkは、岡田有希子さんにとって最後のシングル曲であり、ファンの人達にとっても思い入れの詰まった楽曲であることは言うまでもない。この、「くちびるNetwork」はどこか宇宙を想像させ、何となく夢で語っているかのような雰囲気と遠ざかって行くような感じにも思える。そして、最後の収録番組で歌った「くちびるNetwork」は他の動画よりも、きれいで可愛いく見え、一番輝いている姿にみえる。見方によっては最後は佐藤佳代として楽曲を歌っているように思えてしまう。最後の収録番
この時期になると彼女についていつも考える事があるんですよね。(というか割と年中考えてたりして)「進学、したかっただろうな」いや、「したかっただろうな」なんかじゃなくて、「したかった」のよ。雑誌のインタビューで明言しているんだもの。この文章を読むと、仕事への意欲を語る一方、仕事と学業の板挟みで悩みを抱えていた事がうかがえますね。結果としては高校卒業後は仕事一本に絞り社会人へとなったわけですが…もちろん、1年後でも2年後でも進学のチャンスはあるのだけど、その辺はどう考えていたのかな。こ
44年前に松田聖子(以下聖子さん)を担当していらした集英社明星のカメラマン林秀次郎氏に芸能写真家としてやっていけるか?を見極めて頂き聖子さんと同期に事務所入社した筆者は、後に林氏と武藤義氏のお二方が師匠という極めて恵まれた環境だったのだ。林氏も武藤氏も撮影の打ち合わせで、頻繁に当時の事務所にご足労くださっていたのだった。特に林氏は、打ち合わせ後に仕事が入ってないと聖子さんとマネージャーと筆者を食事にお誘いくださった。「僕がビール飲みたいからさ」と林氏は、事務所から近い
こんばんは。私の中で勝手に毎年夏の恒例行事?としている麗しのユッコ水着編を今回投稿いたします。長い話(笑)はあとがきとさせて頂くとして、さっそく岡田有希子さんの瑞々しい水着姿をご覧下さい。〜長ーいあとがき〜お付き合い頂きありがとうございます。もう、毎回同じ事ばかり言ってますけど、均整のとれた抜群の完璧ボディーですわ・・・グラビアアイドルを本業としている方たちと比べたって、全く引けを取らない美しい水着姿。昔は芸能人水泳大会というものがあり、アイドル雑誌も多数出ていて、昭和のアイドルっ
仕事が休みなのをいい事に遅くまで起きているオバハン・・・ちょっと小腹が空いてしまったのでバナナでも食べようかと持ち出すしかし、時間はもう午前4時。なんとも言えぬ半端な時間そういえば、こんな映画があったっけね。ん〜、午前4時は夜更けというより夜明けに近いかな。ていうか、三浦春馬くん出演していたんだよね・・・こんな夜更けにバナナかよ・・バナナかよ・・かよ・・??・・佳代ちゃん!!岡田有希子ちゃんこと佳代ちゃ〜ん(TдT)カヨチャン…(´Д`)
岡田有希子さんの命日であった4月8日、今年も大勢の方が四谷の大木戸ビル前に集いました。プログフォローをさせて頂いている円さんが昨年に引き続き今年も四谷へ出向いて下さり、現場の様子を撮影した写真をご提供頂きましたので、円さんからご報告下さった当時の状況、そして私自身の思いを合わせて綴りたいと思います。可愛かずみさんのファンである円さんは、この日の朝、かずみさんの墓前に伺いご挨拶をされてから四谷に向かいました。円さんはこの駅で降りてビルへ向かったそうです。駅から左前方に小さく見えるビル。もちろ
1984年4月30日は岡田有希子さんのNHK総合テレビ初の収録番組となるレッツゴーヤングの収録の日。この頃のNHK総合テレビレッツゴーヤングでは春ごろにデビューを飾るアイドル歌手に焦点を当てて普段はA面曲しか聴けないデビュー曲ですがレッツゴーヤングではデビュー曲のB面曲を披露することが多かった。デビュー曲が1984年4月21日に『ファースト・デイト』でリリースされる。シングル曲『ファースト・デイト』のB面曲『そよ風はペパーミント』。『そよ風はペパーミント』ーレッツゴーヤ
今日は菊池桃子さんの話題から始めます菊池桃子さんの9枚目のシングル「SayYes!」1986年9月3日リリースでした。高校3年の秋、この曲が流行っていて、(オリコン1位にもなったのですね)テレビで歌う桃子さんの姿をよく見ていたという印象があります。ユッコさんが亡くなって半年が経とうとしていた頃でした。そして今年に入ってから、この歌の持つ意味を知る事になりました。ユッコさんの死後、多くの若者達が誘発されるように自ら命を断ってしまうという悲しい出来事が起きてしまいました。社会問題に発展
今回はややネガティブな話になってしまうかも知れません。岡田有希子さんと峰岸徹さんに関する当時の私の記憶に基づいたうだうだ話ですので、読むのが大丈夫な方のみお願いしますm(__)m最近、テレビ番組でほんのチラッと峰岸さんの姿を見た事をきっかけに自分の中に溜めていた思いを吐き出したくなってしまいました今から15年近く前、2008年10月の事です。ある俳優の訃報をネットニュースで知りました。久しぶりに目にする名前「峰岸徹」さん。名前を見た瞬間、頭に浮かんだのは岡田有希子さんの事。無論、2
昭和の水着美人(#^.^#)山口百恵さん風吹ジュンさん松田聖子さん岡田有希子さん寺尾友美さん新垣結衣さん中山美穂さん斉藤由貴さん森尾由美さん河合奈保子さん松本伊代さん青木優子さん木之内みどりさん大場久美子さんアグネスチャンさん田村英里子さん伊藤美紀さんいとうまい子さん森尾由美さん三原じゅん子さん山口百恵/いい日旅立ちYouTube从*´ヮ`)ノ
今日は、4月21日。岡田有希子さんがデビューして40年を迎えました。しかしひと口に40年と言っても、色々と振り返ってみるとやはりとてつもない年月が流れたなあと感じます。いい歳になってからユッコさんにハマり、日々こうしてメロメロブログ(笑)を書いているなんて彼女がデビューした当時は想像すらしてなかったですよ。でも、どうしてもいつも思ってしまう事。リアルタイムで彼女を感じてみたかった。リアルタイムで彼女を応援してみたかった。あんなにキラキラしていたユッコさんに当時気付かなかったのは本当
1960年代後半、数多のGS(グループサウンズ)がデビューしました。その中に「ザ・クーガーズ」というスカートを身にまとった一風変わったバンドが存在していました。ザ・クーガーズ-Wikipediaja.m.wikipedia.org1966年に結成され、1967年10月に日本クラウンより「テクテク天国」「あこがれ」の2枚同時発売でレコードデビュー。グループサウンズといえばブルー・コメッツのスーツ姿とかザ・タイガース、ザ・テンプターズ、オックスなどの王子様チックな衣装が思い浮かびますが、こ
38年前、まだLPレコードだった時代にサンプル盤で受け取っていたこのアルバムが、歴史的な名盤になるとは…正直思っていなかった。筆者の写真家時代の師匠であり悩み事も相談していた写真家武藤義氏撮影のこの素晴らしきジャケ写を見ながら良き昭和の歴史を繙こうと思う。令和のCDを聴きながら・・・確かに岡田有希子の歌唱力は、女性アイドルの中でも当時、群を抜いていたと思う。それは、デビュー前から古巣での岡田有希子を知る筆者とて忖度無しに言い切れるのだ。だからこそ完成度の高いサードアルバ
【ザ・ベストテン追悼番組/岡田有希子】…1986年4月10日は音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のエンディングで黒柳徹子さんが視聴者に向けて急逝を惜しむコメントを涙ながらに語った。動揺が続く中、4月10日のザ・ベストテンは、司会の黒柳徹子さんも小西博之さんも黒い衣装を着て登場。番組は通常どおり明るく進行したが、「DESIRE」を歌う中森明菜さんの衣装は黒と白のシックなもので、どこか喪服のよう。トークも心ここにあらずといった様子であった。1位の少年隊が歌い終え、いつものようにスタジオで記念撮
1986年4月4日。岡田有希子さんが生前最後のテレビ番組(収録)に出演された日です。2年ぶりにブログに取り上げます。ブログを始めてから2021年、2022年と4月4日の日付に合わせて投稿をしていましたが、昨年は飛ばしてしまいました。もちろん忘れていたわけではなかったのですが、今思えばその史実に少し目を背けてしまったというか、避けたような気がします。というのも、ファンになって以降は気持ちが入りすぎるとやや情緒不安定といいますか(表現がちょっと大げさですが)、心が揺さぶられザワザワするような
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・前から欲しかった、ユッコちゃんの写真集「岡田有希子special」を買いました🥰今から40年前の写真集です(,,>᎑<,,)♡中古なので、表紙の端に線がありますが中の写真と記事は綺麗です手元に有るだけで満足♥️☺️デビューして3ヶ月の頃に発売したので、ユッコちゃんの魅力を多くの人に知ってもらいたくてかな?(*^^*)数々の写真、ご家族の事、故郷の事など見どころ満載です