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1985年9月18日にリリースされたアルバム「十月の人魚」は、岡田有希子の短い歌手活動の中で残した傑作のひとつに数えられると思う。1985年と言えば、ユッコは高校3年生。デビュー2年目。髪を短く切り、1年目とは印象もガラリと変えた。アルバムのレコーディングをしていた頃は、堀越高校の修学旅行やスイスでのロケも終えて''一人でいると気が狂うんじゃないか''と思うほど、寂しくて情緒不安定な時期だったと思われる。(85年の夏、ユッコは雑誌のグラビアに寄せた手書きのメッセージで''情緒不安定ぎ
【ユッコ生誕記念日〈前編〉/岡田有希子】1967年(昭和42年)8月22日、愛知県一宮市で佐藤佳代(岡田有希子)さんがこの世に誕生した。岡田有希子(本名佐藤佳代)さんは日本のアイドル、歌手、タレント女優である。愛称はユッコ。名古屋市立向陽高等高校を経て堀越高等学校卒業。サンミュージックに所属していた。キャッチフレーズ:「いつまでも、一緒にいてね。」「ステキの国からやって来たリトル・プリンセス」岡田有希子さんが生存していれば今年55歳の誕生日である。★今回は佐藤佳代(岡田有
こんばんは。私の中で勝手に毎年夏の恒例行事?としている麗しのユッコ水着編を今回投稿いたします。長い話(笑)はあとがきとさせて頂くとして、さっそく岡田有希子さんの瑞々しい水着姿をご覧下さい。〜長ーいあとがき〜お付き合い頂きありがとうございます。もう、毎回同じ事ばかり言ってますけど、均整のとれた抜群の完璧ボディーですわ・・・グラビアアイドルを本業としている方たちと比べたって、全く引けを取らない美しい水着姿。昔は芸能人水泳大会というものがあり、アイドル雑誌も多数出ていて、昭和のアイドルっ
先日、スケバン刑事のブログを書きましたので、これに関し、どうしても書かずにいられないことがあります。スケバン刑事の悪役キャラで海槌亜悠巳という人物が登場します。スケバン刑事より海槌麗巳、亜悠巳、久巳の悪魔の三姉妹で次女が亜悠巳です。麻宮サキを再三にわたって苦しめる憎き人物ですが、この亜悠巳を見事に演じたのが遠藤康子さんという女優さんです。その康子さんですが、残念なことに翌年の昭和61年3月30日に飛び降り自殺してしまいます。そう、岡田有希子ちゃんが亡くなる9日前に康子さんが亡くなった
★デビュー40周年記念日を迎えた岡田有希子さん。デビューおめでとうございます🎉今回は、2024年で40周年を迎える岡田有希子さんは1984年、1stシングル「ファースト・デイト」でデビュー。「ファースト・デイト」の発売日にあたる4月21日に岡田有希子『7インチシングル・コンプリートBOX』が発売されることが発表され、SNSでも話題となっています。岡田有希子『7インチシングル・コンプリートBOX』は2024年8月22日発売。岡田有希子さんの誕生日の日が発売日となります。
✨️യꕤ𓂃𓈒𓏸𓋜.*✨️യꕤ𓂃𓈒𓏸𓋜.*✨️今回の投票は平成14年3月1日~3月31日までの1ヶ月間ポニーキャニオンのホームページ内で行われました。その結果1位に選ばれたのはデビュー曲の「ファースト・デイト」でした。彼女のオリジナル中でいちばん長い期間、皆さんと過ごした歌だからでしょう。(上記は歌詞カードの11ページに記載してあります)昨日、5月15日は「ALLSONGSREQUEST」が、発売から22年でしたね(2002.5.15日)新潟に住んで
ユッコのお母さんは、娘の死後に出版された遺稿集「愛をください」に手記を寄せている。これを読むと、お母さんが娘の才能に早くから気付いており、娘の気質や性格もよく理解していたことが分かる。この本にも掲載されている一枚の写真。ネット上でも、''岡田有希子お母さん''で画像検索すると出てくるが、赤ん坊のユッコを抱いて、やや俯き加減のお母さんの表情にはどこか影がある。(余談だが、お母さんに抱かれた赤ちゃんユッコの可愛いこと。まるでお人形さん。大きなお耳と、クリクリの目が特徴的だ。)写真が
かつてある雑誌のインタビューで岡田有希子さんが「アイドルという存在」について語っていました。大好きな河合奈保子さんの名前を出しながら繰り広げる話はユッコさん流の“アイドル論”とも言えるのではないでしょうか。その部分を抜粋しました。「写真を見て“ニタッ“とするんですけどね」のくだりに現在の自分はものすごく共感できます。アイドルに関心があった中高生の頃は「広く、浅く」興味を持ち続けていました。そのうちアイドルへの関心もかなり薄れ、30年以上眠っていたオバさんが突然ひとりのア
峰岸徹。本名峰岸知夫。1943年7月、東京の銀座で生まれ、日本橋で育つ。私の世代だと、印象に残っている役は、TBSドラマ「高校教師」(1993年放送)で主人公である女子高生の父親…なのだが、娘と肉体関係を持つ歪んだ役だ。あとは、フジテレビのドラマ「古畑任三郎」で、古畑の上司役だったような。バラエティ番組にも、ちょいちょい出ていたような気がする。岡田有希子との仕事上の接点は、1985年11月から1986年1月まで放送されたドラマ「禁じられたマリコ」での共演ぐらいだろうか。ユッ
今年で38回忌を迎える「岡田有希子さんの命日」。★誰からも愛された岡田有希子さん。本日4月8日は歌手・女優の岡田有希子さん38回のご命日。いつも明るい笑顔で誰にでも分け隔てなく気遣いの出来る素敵な女性でした。いつまでも色褪せないユッコの歌声はいつまでも私たちの心を魅了します。今回はお墓参りはできないので静かに偲びたいと思います。いつの日かユッコと出逢える日まで。『BelieveInYou』『佳桜忌』とは…1986年4月8日は岡田有
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。猛暑の昼下がり。新宿大ガード下で偶然目に入った、「四谷大木戸交差点」の白い文字。あの場所の古い写真に思ったことを、もう少し続けます。この写真のおそらく画面左手前のあたりに、現在の大木戸ビルが竣工したのは1975年のこと。ビルの窓の形状が交差点側(東南側)と裏側(西側)とで全く異なるのは、5年後の1980年に裏側に新たに建てたビルと
1981年8月『ニコンフレッシュギャルコンテスト』オーディションに応募した佐藤佳代さん(岡田有希子)。翌年1982(昭和57)年3月7日、東京・池袋西武屋上特設イベント会場にて「ニコンフラッシュギャルコンテスト」が行われ岡田有希子さんは準グランプリ受賞を獲得しました。副賞としてグアム旅行。★ユッコデビュー前のまだ中学2年生14才ニコンフレッシュギャルコンテストで準グランプリに選ばれた時の写真です。ご存知の通り、写真雑誌「写楽」1982年3月号『立木義浩が撮った佳代、14才』のタ
岡田有希子をデジタルコピーしようと思ったら・・・。早くメシを食えと!サッポロ一番塩ら~めんでした。富士山の天然水は10日持ちました。
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。この間、卒業試験が終わりました結果はどうでるかまだわからないけど、もうすぐ卒業なんだなあってことを実感してしまいましたでもちょっと前まで学校にあまり行けなくて、最近出席日数を増やそうとガンバリの毎日なんですで、ここのとこ毎日学校へ通ってるんだけど、今になって毎日行ってるなんて、何だかちょっと変ですね今思うと私のホントの意味の
1986年、岡田有希子さんの事件に関して特集が組まれた週刊誌です。その中には、ユッコさんの担当マネージャー溝口伸郎氏(故人)のインタビューが掲載されています。このインタビューの中には、出会いから最期、マネージャー目線から見た努力家・岡田有希子、そして彼女の性格や人間性なども語られています。全文を引用させて頂きますので、よろしかったらお読みになってみて下さい。一部、リアルな描写もありますので苦手な方はスルーして頂きますようお願い致します。4月8日は、私は子供の入学式に出席していました。有
本日は岡田有希子さんの祥月命日です。1986年4月8日、有希子さんが突然遠い星へ旅立ってから38年になります。38年も経つと記憶なんてものはどんどん薄れて曖昧になってしまっていますが、やはりこの日の出来事だけは脳裏に焼き付いて離れません。岡田有希子さんというアイドル歌手の存在は当然知っていたし、テレビでもよく見ていました。そんな方の突然過ぎる訃報を聞いた時は驚きましたし、悲しくなりました。その時はただ「なんで?」だけが頭の中でぐるぐる回り、思考が止まっていたような感じになっていたと思います
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。わたしは昔、ある人から〝人を怒らせる天才〟とよばれた。ちょっとした言葉の選び方にセンスがない、だから相手を無駄に怒らせてしまう。こちらもイラっとしているからか、相手がムカつくひと言をつい選んでしまうのだ。わたしへの怒りの沸点が異常に低い人…天敵が職場にいる。それが絡んでくるのはメンドクサイけど別にいい。心に少々傷を負うだけで済む。
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。不覚にも、つい先日まで気付かなかった。ユッコこと岡田有希子さんの「生成AI音声」による、さまざまなカバー曲がYouTubeにアップされていることに。たとえば竹内まりやさん作品の「色・ホワイトブレンド」。1986年春の資生堂キャンペーンソング、もしユッコさんがうたったなら…それはまさに、見果てぬ夢だった。そしてユッコさんが向陽高校の
私、ふと思った事が有るそれは私はお酒も飲まないし煙草も吸わないだから気が紛れることが出来ないと思いましたお酒を飲める人だったら少しは違ってたのかもしれないと思った。この連休初めて出掛けてみたえっちゃんのお花を買いにこのお花はホームセンターで買いましたこのホームセンターの近くに川崎大師があるんです生前えっちゃんが「私(えっちゃん)が元気なったら川崎大師に行きたい」と言っていたのを思い出したので行ってみることにしました。この川崎大師には初詣でよく
B363【芸能界を支配する闇の組織とは?】神田沙也加さんは暗殺されていた・・・?<神田沙也加さん>阿山>もしかして神田沙也加さんはどうですか?巫女>神田沙也加さんについては娘なんで、それはやらせてなかったみたいなんですけど、逆に母親がそういう他のタレントさんとか売春斡旋じゃないですけどそういうことに手を貸していたのを全部知ってたみたいですね阿山>X田聖子さんが斡旋をしていた?誰に斡旋してたんですか?巫女>富裕層というか、出てくるのはリストみたいなものが
日常で役立つ哲学の教えは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようこの歳になってからでも、アイドルを好きになるということ。そして、その対象のアイドルから癒やしや日々の活力、さらには妄想する力を享受しているということ。byangelyuki18岡田有希子嬢
▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようハワイと聞けば、昭和中期の日本人の憧れの地とも言えますね。貴重映像お借りします!あこがれのハワイ航路/岡晴夫(本人ステージ)この曲が当時ヒットしたため、同名の映画まで作られましたが、その映画では当時は占領下で外国のハワイはおろか、外国航路も占領軍から認められておらず、そのため、その映画では「横浜を出港する外航船」ということにして、港で舷側から手を振って、テープを切っているのが映画のシーンで終わりでした。youtu.be「トリスを
こんばんは。5月に入り早くも6日になりました。今月初めての投稿です。仕事が忙しかったり何だりラジバンダリと色々ありまして更新をサボって空けてしまいました。きっと誰も気づいていないと思うけどね!(*゚∀゚)アハハー!先月は岡田有希子さんのメモリアル月ということで、喜びと悲しみの入り交じった4月でありました。そしてこの5月は!そう、「花のイマージュ月間」でございます。ユッコさんがご存命であれば1986年5月14日に発売される予定でした。発売予定から13年後にようやく世に出る事ができた訳で
この時期は入学・進学シーズンということで、この春に小・中・高、大学に入進学の新一年生たちは新しい環境に毎日DOKIDOKI、SOWASOWAのことかと思います。そこで今日のユッコレは、今の季節にちなんだ品をご紹介いたしたいと思います。旺文社発行の86年版「中学進学ガイド」です。新中一生に向けて作成され書店等で配布された非売品の小冊子です。超ざっくり言うと、中学生になると授業や生活などがこんな感じに変わりますよーといった内容です。(ざっくり過ぎ)岡田有希子さんが旺文社のイメージキャラクター
XJAPANのhideさんが亡くなって26年が経ちました。当時ニュースで知って、信じられないという気持ちでいっぱいでした。後追い自殺をしたファンが多くいたことでもショッキングな出来事であり、その12年前に起きた岡田有希子ちゃんの悲劇とどうしても重なってしまうのです。ご存知のとおり、hideさんの死因についても有希子ちゃんと同様、自殺であることが既成事実となっています。が、首を引っ張るような運動だったのを、誤って吊った状態になったことで起きた事故死だったのでは?といった見方も多くあり、h
確か消していなかったはず、とビデオデッキの録画リストを調べていたら、あった!(嬉)2013年12月10日放送フジテレビカスペ!独占!昭和芸能界の真実アイドル発掘王相澤秀禎この年の5月に亡くなったサンミュージックの相澤秀禎会長のアイドル発掘から育成、戦略秘話などを取り上げた内容となっています。都はるみ、桜田淳子、松田聖子などなどそうそうたるメンバーの秘話が語られる中で、岡田有希子さんも番組中に登場します。久しぶりに見たので内容も忘れていたのですが、一人暮らしを始めた後に社長の自宅を
最近ありがたいことに岡田有希子さんのグラビアがある雑誌をお売りいただくことが多くなっています。LINE公式アカウント始めました「友だち追加」していただきますと毎週金曜日ホームページ商品追加情報ヤフオク出品おすすめ情報などを配信ご質問などもLine感覚で可能ですQRコードをお読みただくか下記ID検索で「友だち追加」をお願いします。@614bblcx<写真集・雑誌・切り抜きなどの買い取りついて>-------------写真集買取のお申し込み雑誌買取のお
1986年4月5日・東京、1986年4月6日・名古屋において岡田有希子さんのコンサート『HeartJack』が開催されました。結果的に最後のコンサートとなってしまいましたが、当時参加された方はきっと心に深く刻み込まれていることと思います。HeartJackのコンサートパンフレットです。私が唯一所有しているユッコさんのコンサートパンフになります。ぐんと大人っぽくなったユッコさんの写真がふんだんに掲載されていて、まるで写真集でも見ているような気分になります。ほんの一部ですが載せておきます
こちらもネットで見かけた1986年4月の週刊誌記事の一部より。右上の写真は岡田有希子ちゃんが大木戸ビルの屋上から飛び降りる際、階段の踊り場にスリッパを脱ぎ捨てたというものだが・・・。この不自然な写真に、これは誰かが意図的にスリッパを並べたものではないかと私は思います。まず、サンミュージックが主張するのは、スタッフが目を離した隙に有希子ちゃんが一気に屋上まで駆け上がったということだが、物凄く切羽詰まった、無我夢中だった、その割にスリッパの脱ぎ方が丁寧である。これはおかしいです。人の目を盗む
佳桜忌の次の日4月9日に大沢逸美さんに会いに行って来ました。四ッ谷での岡田有希子さんの佳桜忌で数えきれないくらいの多くの花束やグラビアや写真や手紙、思い思いのユッコフレンズさん達の今も変わらない多くの愛を見せて頂いたことを佳桜忌の次の日逸美さんに伝えて来ました。いつも可愛かずみさんを見守ってきていつもかずみさんの墓前で手を合わせている自分だから伝えることが出来る表現や言葉があったのかもしれません。83年組の逸美さんの芸能生活の中での歌手として、1人の女優として