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おひとりさまの居場所がない・・・にはしたくない!!そんなワタシが作ろうとしているおひとりさま同士の絆コミュニティ一点だけ確認させてください。参加希望者さまについて現時点でひとりである生きづらさ・孤独・不安を抱えながらも幸せになろうとがんばってる方限定(宗教勧誘&商業利用NG)でおねがいします。「頼れる血縁・パートナー・仲間に囲まれてる♡」「老後は、血縁・パートナー・友達が一緒に暮らそうって言ってくれてる♡」↑のような安泰お
ブログを見にきてくださってありがとうございます✨前回の続きブログになります。検査内容としては前回のブログをご参照いただければ幸いです。https://ameblo.jp/arysasikkire57/entry-12637894212.html『初めての発達検査(二歳三ヶ月)』ブログを見にきてくださってありがとうございます✨息子は現在6歳です。2歳3ヶ月の時に療育センターにて発達指数【DQ】を調べる検査をしました。発達指数とは日常生…ameblo.jp現在六歳の息子の二歳三ヶ月
夫は私の実家には帰りたがりません。居場所がないからだそうです。あんなに歓迎されるのにな。お正月でさえ渋々です。そんなに嫌なら私1人で帰ると言うと俺の印象が悪くなるじゃないかと怒鳴ります。自分の実家に帰る時は早起きし私を叩き起こします。そして早いうちに出発します。私の実家の時は昼まで寝ています。ダルそうに起きてきたかと思えば新聞のテレビ欄を見てため息をつきます。あー、こんなに楽しそうな番組を俺は観ることができないのかと毎回毎回つぶやきます。向こうで観ればと言うと聞こえな
どうしてそんなことするの?それは要領悪くない?もっとこうすればいいのになぜ?二度手間になってない?などなど周りの人たちに矛盾や理不尽を感じるのにそう感じる自分の方がきっと変で心が狭いとか意地が悪いんだとか自分のことを責めたり情けなく思っていませんか因縁ひとくくりこのブログに辿り着かれたひとは同じ因縁の人たちあなたにも思い当たることがあるのではないでしょうか小学六年生の子は幼稚園児のアラが見えますしかし幼稚園児からは小学六年生の子のアラは見え
お立ち寄り、ありがとうございます!かあこと申します49㎡1LDKに、夫、息子(中1)、娘(小5)と私の4人で暮らしていました。この度、1LDKより少しだけ広い、築5年の2LDKの中古住宅を買いましたなんとか、1LDKは脱出できました建坪10坪の小さなおうちを家族4人でどう住みこなしていくか、試行錯誤の始まりです!今日も朝は冷え込みましたね〜。家の前の原っぱが霜で真っ白になっていました。冬ですね今日から、夫はお仕事。家でテレワークです。リビングに隣接した、ワー
実家暮らし36歳独身のアラフォーですうまく進まないHさんとの恋愛に楽しかったり、辛かったり自分なりに過ごしてきましたが仕事もストレスフルで正直、いっぱいいっぱいで生活していましたが、うちの母親は心配という名のプレッシャーをかけてくる為。。。同じ屋根の下でも、少し距離を置いていました週末、晩酌を両親としていたら前にデートの日に誰と出掛けたんだと色々聞かれたのでHさんの存在は親も知っていました県外デートの時にお土産なども買ってきてたのでが今日は、慣れない職場の場所でお手伝い業務。。
学校が、予約してくれた(予約させられたと言うべきかな)教育相談に行ってきました。まず、相談員さんの軽い聞き取りがあって、その後、精神科医の先生との面談、という流れでした。精神科医の先生の面談は、まずお姉ちゃんと先生が、そのあと、お姉ちゃんとの面談をふまえて、私と先生が面談をしました。そこで、まず先生から言われたのは。先生「娘さんのリストカット、切ってる場所手首じゃないし、死なないって思ってるでしょ。でもね、娘さんの場合、本当に命にかかわることになりかねませんよ。」
皆さまこんばんは〜最近みんなのブログを読むことにハマってます前は不妊治療のカテゴリーばっかみてたけど最近はジャンル問わず色々ブログってみんなの気持ち、本音が赤裸々だからこそ、すごく共感したり励まされたり気付かされたりすることあるよねーそして、私のブログにもお越しいただきありがとうございます〜イイネやコメントとっても励まされてます感謝さて、、、いま私、元同僚達の集いに参加するか迷ってます今日昼間誘われて、その時はウキウキ楽しい気分で「行く行く〜」って
旦那と話した。継子が気持ち悪いので一緒に洗濯できないこと継子が脱衣場を使ったあとは掃除機をかけないと髪の毛が落ちている気がしてたまらないこと。家のなかたくさん除菌しないと気がすまないこと。私はこんなに嫌な人間じゃなかったはずなのに、継子といるとどんどん嫌な人間になってしまう。それが辛い。ひとしきり話すと継母ちゃんはどうしたいの?と旦那に聞かれた。「普通に暮らしたい。」「俺の望みは家族みんなが笑って暮らすこと。ただそれだけ。」継子は最近鬱傾向らしい。家に居場所がないから。
日曜日は朝から不吉な予感がしていた。的中した!夫が私の職場に来て終わるのを待っていた。私は夫を見た瞬間顔が引きつり身体が拒絶反応を起こした。それを打ち消し戦闘モードに入った。何?夫は何事もなかったように会話をしてきた。まだ許して貰えると期待していたのかその態度に腹が立った。自分から社長の所に行って平社員に降格させてもらってよね!えっ?!別れたから別れた?Mさんと別れたから話し合いしたいんだけど・・・私には関係ない!あんた達がどうしようと私には
どうすれば自分自身と向き合えるのか?そんなことを漠然と考えていた時に、ある講座のタイトルが目につきました。”親孝行ビジネスセミナー”親孝行なんて無縁の僕が、不思議と導かれるようにそのセミナーを申し込んでいました。セミナーの日は大雨。その影響もあってか、セミナーの参加者は僕一人でした。講師の中村さんは、参加者が一人ということは初めてです、と仰っていました。この日の講師だった中村さんとの出会いは、その後の人生を大きく変えていくきっかけになりました。親孝行ビジネスの話はほとんどするこ
茨城から栃木へ引っ越しをしました。小学生の間で引っ越しは5回目となっていました。”幼なじみ”とか、”親友”とか羨ましいな…と心から思っていました。”お母さんが戻ってきて欲しい…””隆が生き返ってほしい…””優しいお父さんとお母さんがいる家庭に生まれたい”色々な事を願っても、叶うことはなにもなくて。考えると悲しくなっていました。色々な事を諦めてしまったこの頃の僕は、なぜ生きているのか?をぼんやりと考えることが増えてきました。そんなある日、父に殴られて目の下が切れて出
中学三年生になった僕は、進路でとても悩みました。早く自分で金を稼ぎたいと思っていた僕は、最初は就職する気でした。施設からも早く出たいとも思っていたので。でも、施設を出ていった先輩達はほぼみんな1年も続かないで仕事を辞めていること行方不明になっている先輩もいるということを知っていました。”高校は出たほうがいいと思う”学校の友達はみんなそう言いますが、勉強する目的がなかった僕は進学も気乗りしませんでした。そもそも授業についていけてないし。選択肢は3つ。①施設から高校に通う
私の友達が5年間続いた不倫が終わった、、、奥さんにバレたそうだ、、、ただ、偽名と偽住所を使っていたから奥さんは彼女に辿り着かなかった。慰謝料等の請求もなかったが、、、愛していた彼との不倫も終わった。男は家庭を取った。5年も続いていて、、、その彼の子はもう大きい。彼のした事をわかっていて、家庭を取っても居場所がないけど、これから償っていくと言ったそうだ、、、5年、、、私の彼がその彼だとしたら、、、子供も小さいから、きっとすんなり家庭に帰るのだろう、、、もし、私が友達の彼の立
今日もありがとうございました❣️❣️冷やし中華、ではなく、stand.fm始めました❣️双極症のヒーリングアーティストユエリア、として発信しています💖https://stand.fm/episodes/627e4a95dc26dd0006af8ff4大変な時こそ自分最優先を意識する✨(やり直し)-ヒーリングアーティスト♡ユエリアのヒーリングトーク💖|stand.fm双極性感情障害I型のゆえりあ(Twitter名:りそ)のお部屋=気軽にお立ち寄りできる、あなたの居場所です
昨日の記事は、久しぶりにアクセス数が100件を超えました!!優待廃止?オリックス?失踪?離職率?みなさん何が気になったのかなところで他のブロガーさんに触発されて八天堂のパンを通販にて購入しましたLINEキャンペーン|くりーむパンの八天堂hattendo.jp八天堂1,000円割引クーポン|EPARKギフト老舗お菓子ブランド「八天堂」の通販サイトで1,000円割引となるクーポンが登場!EPARK会員なら人気の「プレミアムフローズンくりーむパン」や「フレンチトースト」がお得に楽
ずっとある虚無感と、喪失感これって、原因は心の拠り所がないからずっと頼れない安心できる居場所がないからパパに、依存していたそれから心の拠り所だったいつも、聞いてくれる雑談抱きしめてくれる両手これだけで何があっても乗り越えられたありがとう今なら言えるただ、その後は拠り所はなく耐えるしか術がなくときに、壊れてしまう最近は、よその夫婦の姿を見るだけでため息が出るやっぱり1人なんだな私両親ですら、頼れないなんなら羨ましいとすら映る歳をとっても、一緒にいられていいわね
今日の体調は、中という感じです。娘たちが帰省してきています。久しぶりに顔を見て嬉しいが、僕とは話をしたくないらしい。年頃の娘の取り扱いが面倒になってきた。妻と娘がタッグを組んで、ダメ出しをしてくるので、家に居場所がないです。近所をうろついても、他県ナンバーの車がいっぱいなので、どこにも行けず。ゴールデンウィークは、父の仕事の手伝いをすることにします。早く連休が終わってほしい。にほんブログ村
外が暗くなっても夫はオリンピックを見て黙って居間に座っていた。「帰ってきてやった」という感覚でいるのだろうか?夫が出て行った当初は子どももわたしも夫に帰ってきて欲しかったが4ヶ月経った今はもう夫を待っていないことに夫は気が付いていないのだ。いや、もしかしたら感じているのかもしれない。だから怖くて何も言えないのかもしれない。夫は不倫で家族を振り回して傷つけた。わたしたちの心はえぐられて大穴があいた。必死で埋めようとお互いを支え合ってきた結果子ども達とわたしの3人で強い輪が
母と隆と僕の3人での生活が始まりましたが、それは寂しいものではなく平和な毎日でした。母は働きづめでしたが、幸いにも親戚が多かったので周りにサポートされながら僕たちを大切に育ててくれていたと思います。しかし別居してからしばらく経った頃、母は真剣な表情でこう言いました。『お父さんと会うことになったから、一緒に来てくれる?』と。”喧嘩ばかりしていたお父さんと、なんでまた会わなきゃいけないんだろう?なんか嫌だな…。”忙しなく準備をする母をみながら、僕はそう思いました。父との待ち
児童養護施設は、大まかに一日のスケジュールが決まっていました。色々とルールはありましたが、家に比べれば何倍もマシでした。施設では”勉強の時間”というのがあるのですが、勉強を教えてくれる人がいる訳ではないので、基本は自習です。雑談で終わっている勉強の時間は、意味のないものでした。施設に入っている子たちはほとんどが勉強嫌いでした。学校の授業についていけないからです。僕も施設に入るまでの1~2か月は学校に行っていなかったのでその間に授業に全くついていけなくなりました。僕たちは
”今、直面している自分の悩みを解決できるかも”そんな思いで迷うことなく入塾を決めたものの、冷静に考えれば考えるほどこの塾ってかなり胡散臭い。ちょっとでも怪しい塾だったらすぐ辞めよう。そう思いながら半信半疑で通い始めましたが、そんな不安は間もなく吹き飛びました。そこでの講義内容はどれも新鮮で、気が付くと夢中になって学んでいる自分がいました。同じ塾に通う様々な志を持った仲間たちとの出会いもとても貴重でした。塾に通い始めてあっという間に3か月が経ち、カリキュラムも終盤に差し掛かって
心の中で渦巻く色々なモヤモヤや疑問。そしてお金がないと生きていけないという事実。なんとか仕事を続けようと必死になっていたある日、会社からある書類の提出を求められました。『身元保証書』です。親や兄弟などに書いてもらうのが一般的だと思います。僕は上司に聞きました。僕:あの…やっぱりこれって親に書いてもらうものですよね…?上司:当たり前だろ!ご両親は健在なんだろ?僕:………。まぁ…そうですね。ただあまり仲良くなくて…。上司:どんな親でも、親は親。感謝をしなきゃ駄目だぞ!きちんと会
日本で精神疾患で苦しんでいる人は作業所しか居場所がないケースが多い。教会に行きたくても、エネルギーがなくて、教会に行けない人が多い。日本で精神疾患で苦しんでる人が教会に行くには、教会に作業所を作る他ないと思う。にほんブログ村">
子どもたちが保育園に入った年、今住んでいるアパートに引っ越しました。9年前のことです。保育園と小学校に近い、1LDKです。専有面積は49㎡ちょっと少し狭いけど、駅には近いし、新しくてきれいだし、保育園入園も決まり、迷ってる時間はないし、で、決めました。子どもが小さいうちは、保育園や小学校に近いので、助かりました!保育園の送り迎えで消耗しない。小学校への登校時も事故の心配が少ない。本当によかったです!しかし…、保育園時だった子どもたちも、今や中1と小5。おまけに、コロ
ゴールデンウィーク周りの人は・・、・友達と、楽しそうに遊んでいるのに・家族と一緒に、仲良く、穏やかにしてるのに…自分だけ、ひとりやることも、遊ぶ相手もいない。ひとりで家にいる自分が、みじめ。孤独感を感じる…。僕も、離婚し、家族を失ったときGW、お盆、お正月になるたびに、そう感じていたので・・。よーくわかります。だけどな…、孤独感は・ひとりでいるから感じるんじゃないんです・家族や、遊ぶ友達がいないから、感じるものでもないんです孤独感を感じるのは、自分の
新潟から福島へ引っ越しをしました。新潟は住んでいた期間が短かったので、思い出がほとんどありませんでしたが引っ越し先の福島はすぐに馴染んで友達もできました。友達ができるようになると、乱暴な性格は落ち着きコミュニケーションを取ることが少しずつできるようになってきました。しかし僕はこの頃に、『ある事』に気付いて大きなショックを受けることとなりました。ファミコンが大流行していた当時は、友達の家に行くことが多かったのですが、ある友達の家に遊びに行った時、お父さんやお母さんが自分の子ども
施設を退所して、神奈川での新しい生活が始まりました。最初は期待しかありませんでしたが、始まって早々に、色々な現実を思い知らされました。厳しい上下関係…働くことの大変さ…慣れない土地に住むストレス。働きながら学校に通うということを、甘く考えていたことを反省しました。その大変さから、1年生の内に学校を辞めてしまう人も何人もいて、僕も正直何度も辞めたいと思いましたが、辞めたところで僕には帰る場所がありません。一度だけ施設に行ったことがありましたが、特に歓迎されるわけでもなく、『ちょっと
”とにかくバンドをやりたい!”その思いが強すぎたためか、メンバーとの衝突はしょっちゅうありました。なによりもバンド活動を優先していた僕にとって、中途半端な気持ちでバンドやっている人を見るとイラついてしまうのです。でも、そこまでしているのに思うようにいかない。思いが空回りしていた僕はそれに気が付くこともなく焦る気持ちを抱えながらバンドを続けていました。これといった思うような成果を出せなかった24歳の頃、当時組んでいたバンドの解散をきっかけに夢は諦めて、仕事に専念しようと思った
新しいお母さんも一緒に住むことを聞かされて少しした頃、引っ越しをしました。そして間もなく、新しいお母さん、継母が家に来ました。あれだけ楽しみにしていた新しいお母さんだったのですが、一緒に住み始めて、その人をお母さんとは思えない自分の気持ちに戸惑いました。”この人はお母さんなんだ…お母さんなんだ。お母さんと思え!”そう何度も自分に言い聞かせましたが、僕の気持ちが変わることはありませんでした。ある日、継母がボソっと言いました。『このガキ・・・ほんっと可愛くないなぁ。』日に日に