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今日は小野家系図の一部をご紹介します。写真中央に名前があるのが、新居浜にある小野氏の初代となった人物で、小野中務少輔元治と読める事が分かります。家紋が上に描いてあり、下がり藤だと分かりますね。これは平安時代に起因するものらしく、元治さんは天正頃(1573)の人なので、もっと大昔の名残りの様です。何で藤原氏の家紋なの?という疑問は讃岐の歴史と関係していました。讃岐は元々、「綾氏(あやうじ)」というヤマトタケルの子孫が國造をしていました(実質的に讃岐を支配していた訳ですね。)
(画像の引用元↓)「瀬織津姫に会える場所」鳥取市桜谷の桜谷神社と長慶天皇陵墓に夫婦でお参り-兵庫県新温泉町|熊野山那智院「善住寺」(ぜんじゅうじ)今日は二人だけの時間をもてたので、買い物をしてランチをした後で、桜谷神社に行きました。ここは「瀬織津姫」一神だけを祀っている神社です。鳥取は瀬織津姫が祀られる密度の高い県のようですが、特にここはその瀬織…www.zenjuji.jp今日は瀬織津姫が歴史上から抹殺された訳を考えてみようと思います。いわゆる神話時代
小野一族の家紋は天足彦国押人命以後は「五三の桐」を使っていると思われますが、これの元は「五三の雲」から来ていると思われ、天皇家の十六菊紋も元は「日輪」だと思います。イスラエルに残っているものは、この日輪紋だと思いますが、孝昭天皇の頃には「天」からのモチーフである、「日輪」と「雲(雨?)」から、「地」のモチーフである「桐」と「菊花」へと転じているのは非常に興味深く、この頃には宗教感が少し変わったのかも知れません。桐の花の数は、代を経るほど増えて行く様子が見られますが、大山祇系の天足彦国押
日本で一番「小野さん」が多いのは、大分県です。ネットから簡単に調べるとこんな記述を見つけました、「豊後の小野氏は紀臣長谷雄の後裔巌首の流れといい、子孫は豊後一国に繁衍した。」大分県はむかし豊後国といわれており、平安時代には小野一族でも豊後守(国司)になっている人が居たので、その小野一族が開いた地が「日田市小野地区」だと思われます。他県と同様にここに荘園を開いた人の末裔が土着したにしては、小野さんの人数が多すぎる様な気もするのですが、やはり自分で調べないと本当の姿は見えてこないのは、
前回、新居浜市にある神社の祭神に小野小町があるということをお伝えしましたが、これらの神社は小野氏が家の氏神として祀った神社がその後に村々の神社として残ったもので、元々は家の守り神であった訳です。中世などは神社の建立は厳格に管理されていたと思います、ご先祖ならば社を建てて管理できるのかと問われれば、近代ならば可能だと思います、しかし江戸時代以前は恐らくは申請を出し、許可されて初めて祀る事が可能だったと思っています。でなければ、日本中が神社だらけだったと思われるからです。と
最新の小野氏大家系図v10小野氏大家系図V10|小野龍海小野氏大家系図V10note.comを上記リンクにて公開しました(2024.09.22追記)画質が…………。二代目、小野小町の兄、弟が改善され、お通さんが追加され、横山党を具体的にしています。最終形はA0用紙横(今はA1縦)に分かった範疇の系図を組み込んで完成でしょうか!?
今回の旅行で大山積系に起きている事を確認出来た様に思います。最初の違和感は国宝犬山城に観光しに行った先で、そこに尾張氏の神社の「針綱神社」というのがあって、神社の縁起を見ると、祭神が尾張針名根連命、尾綱根命、建稲種命、建多乎利命、等々、尾張氏の面々の中へ大己貴命や伊邪那岐がなぜか混ざっているのは、その子孫が尾張氏へと嫁ぎ、祖神(先祖の神様)として増えた証だと思います。ここまでは、まあ良いのですが、系図も書いていて伊邪那岐・伊邪那美ー天照大神ー天天忍穂耳と天皇系の系図に連なる系図にな
小野の先祖を調べる上で生まれた、ホツマツタヱに由来する系図です。関係者しか載せておらず古代の様子を思考する為の資料に使ったものなので興味のある方は参考にして下さい。firestorage|標準ロールfirestorage.jp
更級日記かやうに、そこはかなきことを思ひつゞくるを役にて、物詣をわづかにしても、はかばかしく、人のやうならむとも念ぜられず、このころの世の人は十七八よりこそ經よみ、おこなひもすれ、さること思ひかけられず。からうじて思ひよることは、いみじくやむごとなく、かたちありさま、物語にある光る源氏などのやうにおはせむ人を、年に一たびにても通はし奉りて、浮舟の女君のやうに、山里に隠しすゑられて、花、紅葉、月、雪を眺めて、いと心細げにて、めでたからむ御文などを、時々待ち見などこそせめとばかり思ひつゞ
今回は武蔵や相模の小野神社の成り立ちから古代の小野神社の事を炙り出す事にしました。まだ、相模の伝承からは何も見つけられていないのですが、相模や武蔵に残る小野神社をしつこい位、繰り返し調べた結果、一つ気がついた事があります。まず、厚木市小野にある小野神社ですが、この神社は元々の位置が、現在の位置の南西200mの地点、現在秋葉神社の祠がある地点にあったそうです。そして、小野神社の前は「閑香大明神(かんかだいみょうじん)」と呼ばれていた事が分かっています。この「閑香」は「あいこう」と
厚木に小川流復活!かつて棚沢地区に小川流がありましたが、味噌ブラウンにモデルチェンジして以来消滅していました。が!この秋大きくなって妻田地区に復活します!オープンは9月下旬の予定。小川流ファンの皆様お楽しみに♪そして、ミライ堂2号店が厚木に誕生!こちらは、現在の「らーめん専門店小川厚木小野店」をリニューアルしてミライ堂にします。現在オーファスは大型店への移転を進めていて、小野店もその一環で移転対象に。で!空いた店舗をミライ堂の2号店
今日は「讃岐好古小野家」についてご紹介したいと思います。キッカケはこの前の新居浜にあった小野氏の系図なので、目新しくはないかも知れませんが、小野一族が戦国時代から江戸時代をどの様にしていたのかを理解する事が出来る有力な資料でもあります。まずは、おさらいで、「小野好古」というおっちゃんはどんな人なのかですが、最も有名なのは「藤原純友の乱」における総大将として活躍した事です、藤原純友は936年頃には海賊になっていたという説が有力なようで、そこから941年まで戦争を続けたのです。
3試合目はサントリー。こちらも日本代表軍団。相手はキャノン。日本代表フライハーフ田村がNECから移籍。プロ契約のため。田村のパフォーマンスはどうも評価できないんだなー。対するサントリー小野のほうが上とみるが、サンウルブズには加わらなかっただけに、どんな仕上がり化が楽しみ。そう、正フライハーフ争いの試合でもある。右肩を手術したのか、小野。レフェリー、戸田さんも健在。この人好き。流す。ジョー・ウイーラーもマット・ギタウも楽しみ。いきなり小野のジャッカルでわく。前に出る小野、いい。