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画質が…………。二代目、小野小町の兄、弟が改善され、お通さんが追加され、横山党を具体的にしています。最終形はA0用紙横(今はA1縦)に分かった範疇の系図を組み込んで完成でしょうか!?
真言宗の開祖、空海と小野一族との関係は誰も研究されていないのですが、私は小野篁を研究する上で、空海との関係が密接なものであった事を認識せざるを得ませんでした。元々、空海の事は好きでしたので、色々と読んではいましたが、空海が密教の灌頂を受ける為に唐へ渡り、すぐに恵果和尚の元へと向かわず、半年後に登山し、一ヶ月後には最高位の灌頂を授かるなど出来すぎの話です。いくら空海が天才でも流石に一ヶ月で密教の全てを修めるなど不可能な話です。そこで出ている仮説が、日本と唐とで手紙の遣り取りをしていた
小野龍海’s歴史塾五代目の小野小町(小野吉子)の末裔が先祖である小野小町の実在性を証明する為に始めた歴史研究の成果を公表する為のホームページになります。ono-no-tatsumi.amebaownd.com↑歴史研究の成果を公表しています。このタイミングで何故、蘇我と物部の話題になるのか?実はしばらく前から気付いていた事ではありましたが、書くのが今日になっただけなんで、深い意味はありませんでした〜。↑生成AI「蘇我氏と物部氏の戦い」蘇我氏は「大臣(おとど)」と呼ばれる
4/24から岡山市の岡山シンフォニーホールにて「春の古本掘り出し市」という古書市が行われているので、都合も良かったので行ってきました。小雨が降っていたので寒さを心配しましたが、風も無くて快適に探す事が出来て良かったです。今回うれしかったのは「町春草」さんが書いた本があり、中に自身のルーツを書いていた事にあります。町春草さんは女流書家として有名ですが、小野猿麻呂と小野道風の子孫ということはあまり知られていないと思います。この二人の先祖が並ぶと私と被るので、親近感は覚え
小野の先祖を調べる上で生まれた、ホツマツタヱに由来する系図です。関係者しか載せておらず古代の様子を思考する為の資料に使ったものなので興味のある方は参考にして下さい。firestorage|標準ロールfirestorage.jp
今日は小野家系図の一部をご紹介します。写真中央に名前があるのが、新居浜にある小野氏の初代となった人物で、小野中務少輔元治と読める事が分かります。家紋が上に描いてあり、下がり藤だと分かりますね。これは平安時代に起因するものらしく、元治さんは天正頃(1573)の人なので、もっと大昔の名残りの様です。何で藤原氏の家紋なの?という疑問は讃岐の歴史と関係していました。讃岐は元々、「綾氏(あやうじ)」というヤマトタケルの子孫が國造をしていました(実質的に讃岐を支配していた訳ですね。)
和邇氏について和邇氏なのか和迩部なのか、よく分からない事を伝える様な書き込みをよく見ますが、これは和邇氏の系図の子孫として有名な人物に「和迩部君手(わにべのきみて)」という人がいるからだろう、というのがよく分かります。系図には、天足彦国押人命→和邇日子押人命→彦姥津命→伊富津久命→彦国葺命→大口納命→大難波宿禰命→難波根子武振熊命→米餅搗大臣命→佐都紀臣→日爪臣→田作臣→磐邊臣→船守臣→船萬侶臣→稚子臣→弓束臣→君手→…………と続いています。ちょうど米餅搗大臣命の時