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花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまにかの絶世の美女と言われる小野小町がこう詠んだ…ちなみに…美女っていうても今の美人とは全然ちゃうンやろな。当時の基準は、引目、かぎ鼻、下ぶくれ…ひょっとすると今の基準ではいわゆるブッチャイク系?シュッとした美人ではなかったのかも知れません。ま、容姿のことは今の時代、あ~やこ~やというと問題となることが多いので、置いときましょう。そんなこんなで美女、小野小町チャンの先ほどの歌
これまで得られた情報を整理すると、①伏羲・女媧は蓬莱山からきた日本人であること②時代は紀元前2000年より前の人物であること③中国へ行った理由は洪水(津波)に遭い、仲間が多く居る大陸へと逃れた(他の縄文人たちとは仲が良くなかった?)このように紀元前2000年の行動から大陸には既に古代の日本人が進出している様子があるのです。この伏羲という人物は神皇記の記述をみるかぎり、「天御中主神」と同一人物だと思われますから、伏羲(中国名)=天御中主神(日本名)となります。
小野小町これは怖い日本史のカテゴリに入る話です。登場するのは小野小町ですが、この人もなかなかやっかいな人物で、歌は残っていて六歌仙の一人とされているものの、実在の確証があまりないんですね。9世紀頃の人ですが、生没年不明です。歌人・漢詩人であり従三位まで昇った小野篁の子、あるいは孫とされます。小野篁自身が、昼は朝廷で執務し、夜になると六道珍皇寺の井戸から地獄に降りて、閻魔大王の秘書官をやっていたといわれる、怖いところのある人です。この篁の孫であるとする場合、父親は出羽の郡司を務め
【京都】京都市山科区小野御霊町の真言宗善通寺派大本山随心院【随心院御朱印帳】(大判サイズ)令和3年3月下旬よりいただけます極彩色梅匂小町絵図がモチーフ種類は2種類楽しみにしていました『【京都】小野小町ゆかりのお寺「随心院」でいただいたステキな【限定和歌御朱印】』【京都】京都市山科区小野御霊町の真言宗善通寺派大本山随心院御本尊公開に合わせ令和3年3月8日(月)~3月31日(水)まで…ameblo.jp【随心院御
府中市美術館の春の風物詩“春の江戸絵画まつり”。通算21回目となる今回は、“ほとけの国の美術”と題して、「仏教」という切り口で、江戸を中心とした日本美術を紹介しています。仏教がテーマですから、当然、仏画は展示されています。中でも目玉となるのが、京都の二尊院が所蔵する土佐行広の《二十五菩薩来迎図》。昨年修理を終えたばかりの室町時代の大作です。一般的な来迎図は阿弥陀如来を中心に、それに従う菩薩たちが、にぎやかしのように描かれますが。二尊院の《二十五菩薩来迎図》には、阿弥陀
前回に引き続き調べていると、クナト王と出雲族とは関連付けられて情報が出てくる事が分かりました。ここで少し頭を整理すると、倭人には二系統あり、3500年前にインドから渡来した出雲族(クナト王の率いるクナ国人のこと)と紀元前300年頃に渡来したクニサツチに始まる大山積王家とです。読んでいると、出雲族は北から入ってきて出雲へ土着した事が書かれているので、出雲の王家は倭人扱いで、一緒にきていた人達は倭種扱いされているのが理解としては正しい様です。で、一番の問題点は「意識」だと思います。
飛行機のエンジン部分に乗ってる春馬くん…今日書く内容は、もしかしたら、前世というものを信じない人には面白くないと思うのでスルーしてくださいね。こんなに気分が高揚したのは久しぶりです。春馬くん、himikochannelさん、九頭龍様ありがとうございました。春馬くん、あんじゅ様をはじめとするいつもこのブログに参加してくださる読者の皆様のおかげで前世を鑑定していただけました。前世は人間でなく植物…春馬くんが歩く道端に咲く花でも良いと思っていた私ですが…なんと…1.応神天皇の息子で
「旧東海道本線の大谷~稲荷を歩く」の最終回です。旧山科駅跡から藤森まで歩きました。旧東海道本線の山科駅跡です。現在の京都市営地下鉄東西線の小野駅の近くにあります。今は名神高速道路になっている場所に大きな築堤があり、その上に昔の山科駅がありました。旧東海道本線の跡地が名神高速道路に転用され、「名神起工の地」になりました。現地にある説明板です。山科川を渡って稲荷駅方面に向かいました。真言宗の門跡寺院である勧修寺(かじゅうじ)です。寺の名の正式な読み方は「かじゅうじ」ですが
前代未聞のステイホームGWでしたが、この人たちは日本全国を動き回っております。廻国異能の者!私もステイホームしながら登用しました!風魔小太郎出現!なんか物騒だな。能力15破格の無能さ!逸材なのか?それでも迷わず登用!そして廻国異能の者は27人になりました!現在動いていない小野小町以外の全員の登用が完了しました!2018年1月1日に最初のノ貫さんを登用して約2年4ヶ月。ついにほぼコンプリートです!皆さんが外に出られず新しい武将の登用が難しい今
「おいしい!」京都巡りでは京菓子の「おいしい!」という楽しみがありますが、ちょっと怖い伝説がからんでいるお菓子は、これまた風味が増すようで。幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)の名前の由来は、ちょっと不気味なお話。『昔夜な夜な飴を買いに来る女性がおり、調べると、身重のまま死んだ人が死後出産し、幽霊となって赤子になめさせる飴を買いに来ていたという』昨年11月、シルバー女子2名は、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の一遍上人像を見に行くところでした。バス停「清水道」で降りて、西に向かっ
普段、大河ドラマを全く見ない僕が、珍しく今回の『光る君へ』だけは1話からずっと見ている。この先も見るだろう。僕は百人一首が好きで、中でも、「むすめふさほせ」の歌はどれも好きで、やはり、地元住吉の歌を歌った、「すみのえの岸によるなみよるさへや夢の通ひ路ひとめよくらむ」は特に好きだが、その次ぐらいに「めぐりあひて」の紫式部の歌が好きで(むすめふさほせ以外でも、小野小町の歌も好きだけど)、紫式部が書いた源氏物語は光源氏が出てきて、光GENJIが好きな僕としては好きな作品で、かといって全部読
眠い〜〜めちゃ早く寝落ちしたのに(え)どんだけ寝ても眠いのだ〜でも〜仕事なのだ〜頑張るのんだ〜〜おはようございます〜〜〜昨日は英会話で〜HappyBirthdayを高らかに歌っていただきましてThankyousomuchでした〜〜妹との京都旅の続きです〜〜や〜〜っと乗れた十石舟に満足して〜急いでこちらへ〜〜小野小町ゆかりのお寺随心院で〜す桜も綺麗に咲いてたよ〜〜🌸私は何度もお参りしてるのですが〜おひめさ
天気が良い日でした桜を求めて土浦市へ小野小町の墓があるのよ小町ゆかりの地小町の館に来ました脇にパラグライダーのランディング場があります着地してくるの今日は風が良いのでたくさんのパラグライダーが滑空しています色とりどりの機体が降りてきます水車が回る梅がまだ咲いていました機体がきれいだなぁ気持ちよさそうに飛んで
目貫草紙洗小町今回は伯耆国廣賀作の鎧通し短刀の拵え目貫「草紙洗小町」の紹介です謡曲「草紙洗小町」を画にしたもの小町は平安朝の女流歌人として六歌仙の一人また美人代表でもあります今日でも美女、美男のたとえに「小野小町か業平か」と言われるその小町の歌の上手振りを讃えてつくられた物語ですある時、内裏で歌合せがありその前夜、小町が「水辺の草」という題で「まかなくに何をたねとて深草の
今回は小町算です。(私のクラスの授業は木曜日のためアップが遅めになります)wikiによると、小町算(こまちざん)は数の遊びである数学パズルの一種。1□2□3□4□5□6□7□8□9=100という数式の□の中に、+,-,×,÷,空白のいずれかを一つずつ入れて正しい数式を完成させるというものである。方程式などは解法が研究されており、虫食い算、覆面算も繰り上がりなどを手がかりに答えを絞り込んでいけるが、小町算はそのような解法はなく、ひたすらトライ&エラーで答えを探すしかない。となっていま
JR奈良線の玉水駅下車。歩いて数分。京都府綴喜郡井手町。玉川沿いに1.5km、500本の桜が植っています。ほぼ満開です川沿いには桜が植ってる人を集めて、堤を強化するのに役立ちます。そう、井手町は、昭和28年台風13号直前の南山城水害で上流の大正池が決壊、大被害を受けました桜のトンネルこんなにもすばらしいとは思ってませんでした。穴場だと思ってたら、人が結構いました桜が溢れてる源頼政鎌倉殿の13人後
ラカグで、展覧会を見て書籍も購入して読みました。バイロン~。涙がほろほろ止まらない詩もあります。古典が現代に蘇って、現代的に訳されてしみじみと体に染み込んでいく感覚も味わえます。菅原さん訳のセンスがいい。今も昔も人の心って変わらなくて普遍的ということを、改めて詩集を通して感じられる。好きな作家の詩も多く楽しかったです。新しい発見もありました。バイロンは詩集を購入しました。いいなぁと思った詩を幾つか。「いくつかの答え」クリスティーナ・ロセッティ重いものは海の砂と悲しみ短
丹後の方言「丹後弁」③〜丹後弁vol.3〜丹後人が「丹後の言葉、方言を継承していくため」に綴るブログです丹後の方言「丹後弁」自分で言うのも何ですが、お年寄りから「久しぶりにきいたわ~」と言われるくらい私は丹後弁を常用してます(笑)なので我が家の子供も常用してます(笑)これからシリーズで丹後弁の使い方をお伝えしたいと思います。「おっとろしゃ~」昔、「○ーツの旅」で丹後に来られたことがあります。第一村人発見!でおばあさん「あんたらどこからきなった?」→「あ
小野小町(生没年不詳)は平安時代の女性で、六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙のひとりで、絶世の美女だったと言われている女性です。そのせいか、現在でもきれいな女性のことを「○○小町」と呼ぶのは小野小町に由来しいると言われています。小野小町は、出生地も多く伝えられていて真の出生地は不明で、誰の娘なのかはっきりとはわかっていません。また、小野小町は「穴なし小町」という異名もあり、これは彼女が男性になびかなかったことから、「穴(膣)なし」という意味が含まれていますが、本当に膣がなかったかどうかはわ
呪術廻戦U-NEXT【入荷予約】【新品】呪術廻戦(0-15巻最新刊)全巻セット【5月中旬より発送予定】楽天市場7,744円呪術廻戦1-15巻新品セットAmazon(アマゾン)7,260円主人公「虎杖悠仁(いたどりゆうじ)」らの敵として現れた「受胎九相図(じゅたいくそうず)」から産まれたとされる呪霊三兄弟「脹相(ちょうそう)」「壊相(えそう)」「血塗(けちず)」。中々の強敵で「虎杖悠仁」や「釘崎野薔薇(くぎさきのばら)」を苦しめていました。そもそも「受胎九相図」とは、明
内湖の芽吹く木々元禄三年三月中下旬の頃から九月末までの六か月余りの芭蕉の第五回目の大津滞在中の句から。(37)明月や座に美しき顔もなし芭蕉元禄三年八月十五日の義仲寺の無名庵で催した月見の会に、芭蕉は、持病の痔疾が不調で病床に臥せりながらの参加となりました。現在は町中にある義仲寺ですが、埋め立て前の当時は、湖岸にあったと言われています。まさに、琵琶湖から昇る月を眺めた芭蕉達でした。芭蕉は、その夜の即吟で、名月や児立ち並ぶ堂の縁(月光の中の幼い寺の稚児達)、名月や海に向へば七小町(月が琵
何日も書かなかったと思ったら連日でアップするんかーいΣ(゚д゚lll)パッケージプラザスギモトの店長ぱけちょ~♪です。こんばんは(⌒-⌒;)こちらは3月20日の出来事…春の野点茶会ということで企画いただいたのですが春分の日はあいにくのお天気外は雨風に時折あられまで降ってました。野点はとても楽しみではありましたがお天気には勝てずで先生宅にお伺いすることになりました。また気の合
小野小町の歌に思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましをという有名な作品がある。自己流で勝手に解釈すると「あの人の事を想いながら寝たので夢の中に出て来てくれたのかしら。ああ、これが夢だと分かっていたら目を覚まさずにいたのに」てな感じ?この歌について私の高校時代の古典の教師はこう教えてくれた。「これ、自分が相手の事を想っているからその人の夢を見たのではなくて、相手が自分の事を恋しく想っているから夢に出て来たのだと解釈
画質が…………。二代目、小野小町の兄、弟が改善され、お通さんが追加され、横山党を具体的にしています。最終形はA0用紙横(今はA1縦)に分かった範疇の系図を組み込んで完成でしょうか!?
植物園の桜があまりに綺麗だったので、翌日は相方を誘ってまたまたお花見に出かけた。2日連続お出かけはハードなので、今回はぴゅーっと車で伏見の醍醐寺へ。太閤秀吉さんの花見で有名。激混みが予想されたので早めに出ようと思っていたのに、結局は出発は9時を過ぎてしまった。もちろん私のせい車とめられるかなぁ←やはり早々と満車だった。それならもう一ヶ寺お詣りしようかと、先に随心院へ。小野小町が晩年を過ごしたとされる門跡寺院。実は…初めて訪れたことがない神社仏閣、まだまだいっぱい。桜ではなく梅で