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お待たせしました!、東日本の小野小町伝承を網羅してみたので(まだ、漏れている伝承もあるかも知れませんが、全体像を掴むには十分だと思います。)、興味のある方は見てみて下さい。いかに東北方面に行くにつれて、伝承が増えていくかが分かると思います。県別にカウントしてみると、青森県1件岩手県1件秋田県12件山形県14件宮城県10件福島県6件この時点で、これの意味が分かった人は「天才です!」では、ご覧下さい。------------------
最後は宮城県の小野小町伝承です、宮城県には「玉造」の地名もあって、「陸奥の・・・」と詠まれた和歌もあり、玉造小町が居たとする説もある地です。私の解釈では「玉造小町」は居ない!と思っていまして、これまで得られた情報から得た印象を言葉にすると、1.『玉造小町子壮衰書』は具体的個人を表現した内容の本では無い事。2.「玉造江・・・」の和歌は陸奥(みちのく)の玉造では無い可能性が高い事。※陸奥の言葉を足した人がいると思っています。3.「小町」という名前(采女としての)は初代の小町
京都一の繁華街「四条河原町」には新京極と並んで寺町京極があり、両アーケード街はいつも観光客でにぎわっています。食べ物屋さん通りである錦小路とつながっていることもあり、修学旅行生よりも、外国人観光客の姿を多く見かけるのが普通になりました。今回は、寺町京極の古いお寺「矢田寺」(やたでら)のお話です。矢田地蔵の名で知られるこのお寺は、奈良の矢田寺の別院として、796年に創建されたとも、822年に創建されたとも言われています。開山(寺を開いた人)は、満慶(まんけい)という僧ですが、小野篁(
「おいしい!」京都巡りでは京菓子の「おいしい!」という楽しみがありますが、ちょっと怖い伝説がからんでいるお菓子は、これまた風味が増すようで。幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)の名前の由来は、ちょっと不気味なお話。『昔夜な夜な飴を買いに来る女性がおり、調べると、身重のまま死んだ人が死後出産し、幽霊となって赤子になめさせる飴を買いに来ていたという』昨年11月、シルバー女子2名は、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の一遍上人像を見に行くところでした。バス停「清水道」で降りて、西に向かっ
前回に引き続き調べていると、クナト王と出雲族とは関連付けられて情報が出てくる事が分かりました。ここで少し頭を整理すると、倭人には二系統あり、3500年前にインドから渡来した出雲族(クナト王の率いるクナ国人のこと)と紀元前300年頃に渡来したクニサツチに始まる大山積王家とです。読んでいると、出雲族は北から入ってきて出雲へ土着した事が書かれているので、出雲の王家は倭人扱いで、一緒にきていた人達は倭種扱いされているのが理解としては正しい様です。で、一番の問題点は「意識」だと思います。
前回、「先々の現地イベント情報」と題して、先々の現地イベントの“予定がない”という残念告知をさせてもらいました;∀;)アプリ歴の長い方ならご存知の通り、これまで各地で実施してきた現地イベントでは、ガラポンや輪投げなどで、過去の限定武将や限定異名が当たる参加特典がありました。現地イベントの予定がないということは、当面、この手の参加特典もないということになります。ただ、それだと夢も希望もないので、いつか来るその日に向けての予習ということで、限定武将・限定異名の“レア度”をそれぞれ調べてみ
小野小町の歌に思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましをという有名な作品がある。自己流で勝手に解釈すると「あの人の事を想いながら寝たので夢の中に出て来てくれたのかしら。ああ、これが夢だと分かっていたら目を覚まさずにいたのに」てな感じ?この歌について私の高校時代の古典の教師はこう教えてくれた。「これ、自分が相手の事を想っているからその人の夢を見たのではなくて、相手が自分の事を恋しく想っているから夢に出て来たのだと解釈
京都の華やかな祇園祭の奥底に流れる歴史の帯は、古代地球という大舞台を旅した先人のロマンを感じさせてくれます。藤原直哉先生の書かれる小野氏関連のお話からは、歴史の息遣いが聞こえてきます。京都祇園にある六道珍皇寺にある小野篁像のあたかも生きているような気配。彼が、夜に通ったという井戸は、入り口と出口の二つの井戸があり、観光客が大勢訪れる以前は、出口の井戸からはこれほど清らかな光の気配があろうかと思うほどの清冽な気配がありました。小野篁の娘が小野小町だったという衝撃的な逸話は、小野
こんばんは。父と昼休みの散歩をしました。2代目大工の三島です。今日の現場は自宅から近い。場所は岐阜市岩井の団地。頑張って床を張った休み時間。空を見るとキレイな快晴。うーん、気持ち良い!春の暖かさと青空。ちょこっとだけ散歩に出かけることにしました。山へ向かって歩く父。山登り、魚釣り。父は超アウトドア派。晴れた日は山に行きたくなるのです。向かうのは小町滝。平安時代の超絶美人、小野小町(おののこまち)。その人が皮膚病(かさ)の治療にやってきたのがこの近くにある岩井山延算
天気が良い日でした桜を求めて土浦市へ小野小町の墓があるのよ小町ゆかりの地小町の館に来ました脇にパラグライダーのランディング場があります着地してくるの今日は風が良いのでたくさんのパラグライダーが滑空しています色とりどりの機体が降りてきます水車が回る梅がまだ咲いていました機体がきれいだなぁ気持ちよさそうに飛んで
【京都】京都市山科区小野御霊町の真言宗善通寺派大本山随心院【随心院御朱印帳】(大判サイズ)令和3年3月下旬よりいただけます極彩色梅匂小町絵図がモチーフ種類は2種類楽しみにしていました『【京都】小野小町ゆかりのお寺「随心院」でいただいたステキな【限定和歌御朱印】』【京都】京都市山科区小野御霊町の真言宗善通寺派大本山随心院御本尊公開に合わせ令和3年3月8日(月)~3月31日(水)まで…ameblo.jp【随心院御
メルカリでサボテン「月下美人」と「小野小町」を買ったが、主な目的は地震の前の「開花前兆」の可能性の検証で、調べてみると過去事例があるようだ。続きは下記の画像をクリックで、探求三昧ブログ本部へジャンプ。【レア植物】サボテン「月下美人」と「小野小町」~地震の前に開花する事例あり地震前兆/超常現象研究家・ライター・ブロガーの百瀬直也が様々な分野を熟考するブログwww.mukyu3.com
目貫・「草紙洗小町」について(日本刀の拵え)日本刀は地金の美しさと刃文の美だけではありません日本刀を入れる拵にも日本人の美意識があるのですそんな日本人の美意識を観てみましよう今回は伯耆国廣賀作の鎧通し短刀の拵えに使われている目貫(草紙洗小町)を紹介してみました謡曲[草紙洗小町]を画にしたもの小町は平安朝の女流歌人として六歌仙の一人また美人代表でもある今日でも美女、美男のたとえに「小野小町か業平か」と言われるその小町の歌の上
目貫草紙洗小町今回は伯耆国廣賀作の鎧通し短刀の拵えに使われている目貫(草紙洗小町)を紹介してみましよう。謡曲「草紙洗小町」を画にしたもの。小町は平安朝の女流歌人として六歌仙の一人、また美人代表でもある。今日でも美女、美男のたとえに、「小野小町か業平か」と言われる。その小町の歌の上手振りを讃えてつくられた物語である。ある時、内裏で歌合せがあり、その前夜、小町が「水辺の草」という題でまかなくに何をたねとて深草の波のうねうねおひしげるらんの一首をつくり口誦んでいるのを、歌手
丹後の方言「丹後弁」③〜丹後弁vol.3〜丹後人が「丹後の言葉、方言を継承していくため」に綴るブログです丹後の方言「丹後弁」自分で言うのも何ですが、お年寄りから「久しぶりにきいたわ~」と言われるくらい私は丹後弁を常用してます(笑)なので我が家の子供も常用してます(笑)これからシリーズで丹後弁の使い方をお伝えしたいと思います。「おっとろしゃ~」昔、「○ーツの旅」で丹後に来られたことがあります。第一村人発見!でおばあさん「あんたらどこからきなった?」→「あ
乃木坂界隈の中西アルノ擁護派は、彼女のツイッターアカウント@lien6452に投稿されたパパ活パンツ売りツイート3つは彼女を陥れるために誰かがそのアカウントを乗っ取って投稿したものだと主張し、中西が活動自粛の際に「募集用のアカウントが急に使用できなくなる」ことがあったと述べたのは、そう主張したものだと解釈した。しかし、それら3つはアカウントを登録した直後に投稿してすぐ削除し、被写体モデルとしてカメラマン公募を始めたので、アカウントを誰かが乗っ取ってそれらを投稿した可能性はまずあり得ないことが明ら
徒然草第百七十三段小野小町さんの事は、はっきりとは分かっていません。晩年の年老いた様子は「玉造小町壮衰書」に書かれています。この書物は三好清行さんが書いたという説があるのですが、空海さんの目録にも入っているのです。しかし、空海さんは承和年間の始めに亡くなっています。小野小町さんの美貌の絶頂期はその後ではないでしょうか。全くもってはっきりしません。「小野小町さん?」小野小町さんは女流歌人で六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人です。どちらかと言うとクレオパトラ、
【食育クイズ:Vol.1719】「京都府」の「平安時代の女流歌人」おさらいクイズ!小野小町と同時代に生き、三十六歌仙にも選ばれた女流歌人とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)大豆コーヒードリップパックAmazon(アマゾン)
【温故知新】愛蔵石との縁(えにし)を語る。加茂川石(鴨川石)京都市産。銘「草紙洗い舟」w20・h6・d8㎝この石は、茶人として、また女流愛石家としてご活躍された故・四楓庵(しふうあん)・南部宗石女史の遺愛石になります。愛石趣味の黎明期より、文人墨客など数寄者の間に囁かれた、"愛石趣味家たる者、1石は蔵したいと願う加茂本流(鴨川)産の真黒石"で、清流に育まれた加茂川真黒石特有の石肌は、カラスの濡れ羽色とも称され、特に珍重される石種の1つでもあります。この石、昭和45年頃に京都市
琵琶湖大橋西詰の米プラザからの琵琶湖琵琶湖の沖を北から南へ航行していた観光船MEGUMIが急に向きを変えて、湖岸の私に近づいてきました。乗船するわけでもないのに、なんだかワクワクしてきます。朝、大津港を出発したMEGUMIは、一日かけて琵琶湖の全ての島をめぐり、大津港に帰る前に米プラザに寄港するのだとか。夏の湖風が気持ち良い午後でした。元禄三年十二月末から、大津の乙州の新宅に滞在して越年した芭蕉の第六回大津滞在中の句から。(50)比良三上雪さしわたせ鷺の橋芭蕉1964年にでき
📺でキャンプやっていた。グランピングだと1人12,000円〜3万位「それだったらラブホの方が安いし良いよね❓」に旦那「無言」うっかり返事も出来ないだって🏨一回も行ってないテイだから…前に行かない理由を「0時過ぎたら高くなるから」と言った。🏨料金の事はよく知らないけど、近くの🏨は2980円と書いてある。前を通ったら中の🚗が見えた。ジロジロ見る訳にも行かないので、見ない振りして🚲で通り過ぎた。「あんな真っ昼間から🏨行く人居るんだね、結構🚗入ってたよ」と言うと、「それは昼間
楊貴妃にまつわる山口百恵の話を書きましたが、ネットで見るとやはり今でも当時のネタが表示されて、インタビューにおいて「楊貴妃の末裔」だと言ったこともある事を知りました。母方の姓である「山口」は元々を「楊」という名字だそうです、楊貴妃の伝説のある地の出身だそうで、楊貴妃の末裔と思うのも当然かと思います。(家の伝承としてあるかどうかは書かれていませんでした。残念!)では、真相はどうかというと、勿論分かりません。<(__)>可能性を考えると、①楊貴妃が日本に来て子供を授
見た目、30歳!実年齢は50歳!私たちの目指すところです。「四苦八苦」という言葉を聞いたことがあるでしょう。大変苦労したとき、苦しんだとき、「四苦八苦」と言います。「四苦八苦」とは、四つの苦しみ、八つの苦しみということですが、その1つが「老苦」です。「老苦」とは「老いる苦しみ」のことです。絶世の美女といわれた小野小町が、老苦をこう嘆いています。「面影の変わらで年のつもれかしたとい命に限りあるとも」この美貌が、変わらないままで歳を取りたいものだ。たとえ命に限りがあっても、
昔むか〜しのことでした。ありすが、タンクトップにショートパンツで世の中を歩いていた頃のお話です。(そりゃまた恐ろしい話やな…)「ウルトラクイズ選手権」という番組があり、これにありすは出場したことがありました。(もちろん予選ね、予選)このクイズ番組は、歴史や化学などの問題を、司会者(福留功男さんの時代)が読み上げ、マルかバツのスペースに解答者が移動して答えるという方式で・・・中部地区では、夏休み中の高校生を埠頭に集めて、予選大会が開催されました。当日は、ありすも、友