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初めての入院生活での出来事や思ったこと。息子の入院している病院の血液腫瘍内科では、病棟自体がクリーンルームと同等くらいの綺麗な環境に整えられていて、そこに入院している子たちはみんな何かしらの小児がんの子供たちです。部屋は大部屋が数部屋と個室が2部屋、特に空気の綺麗ないわゆる無菌室(バイオクリーンルーム)があり、その中に4床あります。ここに入院しているほとんど子たちは、治療の過程で血球が著しく下がります。(特に白血病が一番多い。)入院前の私のイメージは、抗がん剤治療って聞いただけで辛いだろ
こんばんは。最近はTwitterの方にすぐ報告しちゃうから何から書けば良いのか………。とりあえずご報告としては予想通り脊髄に播種がありました。でも予想よりかなり悪く広範囲に腫瘍があってこの増大スピードは厳しいです…と涙目でおっしゃった主治医。そっか、そっかぁ…宣告された時から残された時間についてはずっと頭から離れることはなくてでも大丈夫、まだ大丈夫まだ一緒にいられる。そう思って今日までやってきた。
ちゃーこがお空に帰ってから、私は写真と疎遠になりました。前の写真もひらかなくなったし、写真を撮らなくなりました。もっとペキズ🐾の写真、家族の写真を残しておこう!!って思うけどね...なんだか「撮る気持ちにならない」もちろん今は今しかなくて思い出を残そう!!って思うけど。写真をみて、あの時のことを鮮明に思い出せない自分がイヤあの時の写真がない!なんで写真撮っておかなかったんだろうと、後悔してしまう自分が怖い。何より、ちゃーこの新しい写真が増えないことが悲しくて
「明日試合に行くから。」と息子が言った。「??何の試合?」「サッカーに決まってるでしょ。出るから。」「??!!」2日前から、サッカー部に体験入部していた。体力的にはキツそうだが、久しぶりにプレー出来て楽しそうにしていた。でも試合って…2年ぶりにボールを蹴り始めたばかりなのに何を言っている?「明日の試合に来れる1年生は、試合に出してくれるんだって。1年生は6人くらい行くみたい。」いやいや、そうは言ってもあなた。体育の授業が精一杯な状態で、試合に出るって…。試合会場
昨日のダリア奥の隠れ気味のダリアは、咲ききれていなかったけど、朝にはまん丸になっていた始めて買ったダリアまん丸だと、ガーベラが多かった我が家ダリアの茎は、ガーベラと違ってしっかり堅め保水スプレー剤も購入してしまったわ少し気温がさがってきたから、長持ちするといいな鉢植えも枯らしてしまう私土いじりも苦手だし、そもそも虫が苦手だから植物の扱いが苦手フラワーベースもなかった我が家娘がいなくなって、たくさんのフラワーアレンジメントをいただいた数日経って、元気なまま
たまに気になって見てしまうけど、かなり心が疲れる。動揺しているときは特に、絶対やめた方がいいなと思う。病気が発覚したとき、B大学病院の先生からあまりインターネットで検索しすぎないことを勧められた。「ブログとかは病状がひどい子が目について不安になるからあんまり見ないで」「がんについては正しくない情報も多く出回っている」「調べるならここを見て」↓ここなら見ていいと言われた神経芽腫Q&A|国立成育医療研究センター「神経芽腫」についての一般的な内容と、保護者のみなさまからいただくこ
こんにちは。少し遅くなりましたが春休みに叶えた夢について書いていこうかな、と思います実はこの春休み中はまだ脊髄への照射は終わってませんでした。ただ、採血の結果が問題なかったことそしてもう時間がないこと主治医からは今が一番お出かけできるときだと思いますと言われていたのでなーちゃんの体調を考慮しつつ行けるなら行くぞ!と県内の遊園地へ向けて出発しました。その日は春休み入ってすぐで県外に住む妹家族(共働き)も繁忙期なのに無理して遊び
あっというまに1週間毎日バタバタと過ぎ更新あいてしまいました月曜日から娘は入院しています前回のブログで触れましたが在宅医療を進めることにしたので、その練習のための入院です先々週金曜日からスピードを上げて症状があらわれ、戸惑い、どうしようかといっぱいいっぱいで先週火曜日に主治医に電話水曜日に受診と今後の話月曜日から入院となりました娘はというと相変わらず固形物はほぼ食べず戻すこともあり寝る時間も増えています月曜日の入院時までは先週辺りからの症状とはほぼ変わらず緩やかになった
ちょっと感情が大荒れしてXではボロボロ呟いてる私ですがアルバムの整理始めました。基本的にはしまうまプリントさんでフォトアルバム作るんですがiPhoneでも画質の良いスマホでもないので旅行した時やイベントの時はデジカメを持参しています。・・・といってももうだいぶ古いSONYサイバーショットDSC-WX350なんですがスマホで撮るよりかは良いです。いい加減買い換えた方が良いのだろうか特にこだわりも不満も無いので家電はわりと長く使うタイプですただ
昔々、春に逝った長男のことを桜の季節になると、日頃以上に思い出します。少し寂しい気持ちの1ヶ月を乗り切って、命日が過ぎると新たな気持ちで1年が始まるというのが恒例です。私が逝くときには、迎えにきてくれるかな。記憶が薄れそうになりますが、春、何年経っても、「ボク、一回でいいからお花見をしたかった」という言葉が心にズシーン。2005年、NPO活動中に出した、本当にプライベートな冊子です。こんなことがあった、と忘れていたことを思い出します。
本日、午後5時52分なーちゃんこと「渚(なぎさ)」は苦しみから解き放たれお空へと旅立ちました。闘病生活9ヶ月。5歳9ヶ月という短い生涯でした。治療法もなく診断と共に余命宣告される恐ろしい病気脳幹神経膠腫(脳幹グリオーマ)に罹患し少しでも救う方法はないか?小児がんへの支援の輪を広げたい一身でやりはじめたブログで皆様から暖かいご支援いただきまして本当にありがとうございました。最後の闘いはできずにお話しすることもできずにお別れすることになり悔しく寂しく今は本
※アメトピ掲載されたようでたくさんの方に「(小児)脳幹グリオーマ」という病気を知ってもらうことができました。ありがとうございます。また、たくさんの励ましやコメント、メッセージありがとうございます。現在まだ24時間付きっきりで入院中の為、娘が寝てからブログに書き溜め清書して投稿しております。なかなかお返事ができませんが時間ができたら順次お返ししたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願いします※悪夢のようなあの日から眠れない日が多くなり宣告された日も眠れないま
その後、外来で夫と主治医と今後の話し合いが行われました。治療方針が決まり頭痛や嘔吐などその他異常が無いことで主治医は退院を早めてくれた。退院日が週末だったこともあり往診医さんに来ていただいて変わりがないか診察が可能であればという条件付きだったが往診医さんは快く引き受けてくださった。結果、日曜に来ていただいたが特に問題なし。本当に良かった。そして、この日の夜なーちゃんが寝た後長女への告知をすることを夫婦で決めていた。
2022年4月6日本日のMRI結果を踏まえて主治医OよりIC・所見は脳幹グリオーマで間違いないと思う・一刻も早く治療すべき・治療は放射線治療(30回)ラジエーションのみでいくのがスタンダードで週5日×6W(土日休み)・生検はやらない(調べたら確定診断できるけどリスク。そんなことやってたらオペの準備で放射線治療開始が2〜3Wとか遅れてしまうし)・放射線で一旦症状が改善するが、必ずまた悪くなる。→その時に化学療法(点滴でアバスチンや内服のテモダールをやっていくかも。・明日放射
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================翌日の朝、変わらず歩き方がぎこちない娘。この日は日曜日でしたが、夫も私も仕事のため夫の実家に子供をお願いすることになっていました。娘と息子と私、3人で朝ご飯。フリフリして小さな丸いおにぎりを作るキッチングッズで
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================6月に入ってもグズグズが続いていた娘。進級当初の4月は、クラスのママと話すと「うちもだよ!」が多かったのですが、この頃になるとそんな感じなのは娘だけになりました。情緒不安定なのかな?と思って、娘の楽しみを見つけ
外来記録です。もっちゃんは早々インフルから復活し2週間休薬後は35w、37wと順調に維持療法再開しています。35wは白血球2,100ぐらいで始まったので次は休薬を覚悟してましたが37wの採血結果↓WBC2,800Hgb13PLT204,000好中球1,180白血球上がってる熱は出なかったものの、血球下がったのはインフル由来だったんかな。止まらなくて良かったです。花粉で目が痒そうだったので点眼薬を処方してもらいました。インフル明けてからはとーっても元気な
久しぶりに家族揃って買い物に。最近は高校生になった弟君は親と一緒に行動をしてくれなくなっています。当然だし、自然な事なので特に悲しいという事はありませんが、奥様にとっては寂しいでしょうね。ただ弟君が必要なようで近所のニトリに棚や鏡を買いに出掛けました。何気ない親子の買い物なんですけど大きくなった息子と奥様との買い物姿が見れるのは嬉しい事なんですよね。他のお客さんが来望と同じぐらいの娘さんと楽しそうに買い物している姿を見ると複雑な気持ちにもなりますが、
今後のこと。①抗がん剤再開して放射線と併用②放射線のみやる③治療はしないで退院するこの3択。②③は完治は目指せない。①で頑張ったとしても効く可能性は数%の奇跡みたいな確率。もう抗がん剤は頑張れそうにない。俺にはこれ以上耐えられない。生きること諦めたわけじゃないし、どうでも良いって思ってるわけじゃないんだよ。投げやりになってた時もあったけど外泊してもっと生きたいって思ったし。でも、1週間以上何も食べれなくて毎日めっちゃ吐いて、頭もお腹も全部痛くて、色々感染して40度以上熱出て…今
すっかりご無沙汰しております💦一ヶ月以上も空いてしまった前回書いていたゴールドリボンウォーキング2024が、先週4/20に無事開催されました今年は昨年と違い、天候に恵まれたこともあり昨年を500名以上上回る大盛況な会となりましたご縁があって今回もボランティアスタッフとしての参加ですお手伝いする中でゴールドリボン・ネットワークの方とお話しする機会があり、「実は、私もユーイング肉腫の罹患経験があるんですよ。4年前に発症したので小児ではないですけど」とお話ししたところ、大変驚かれ
リブログがうまく反映できなかったので直接リンク張りますが悪夢の日―1―今日は渚の病気が発覚したあの悪夢の日でした。重複する箇所があるかと思いますが自分の気持ちの整理と振り返りの為にしばらく去年の事を今の私が書いてみようと思います。2022年8月1日コロナが猛威を振るっていてどこもかしこもコロナコロナで家に籠っていた気がします。私自身がコロナ禍に滅入っており(元々心配性+神経質な性格)当時は自律神経失調症と言われていて軽めの抗不安薬を頓服と
〜CVカテーテルカバー【裁縫大嫌いな私でも作れた手作りケース】〜①カテーテルカバーはいつから必要?→CVカテーテルが入ったらすぐ必要。2箇所の病院でカテーテルを入れましたが、どちらの病院もカテーテルを入れた後に、「うちではこんなケースを使っていて、こんなのが必要になります」と言われました。カテーテル入れるのだいぶ前に決まってるんだから、早く言ってよ!!病院出て、布探しに行くのも大変やん!(心の叫び)とは言え、どちらの病院も手持ちの物が準備できるまでサンプルを貸してくれました。ず
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================娘のもとに戻り、すぐさま入院の説明です。必要な物を聞いて夫に連絡。娘の病室までの移動は車椅子です。なるべく楽しくしたいと思い「車椅子、鮎川くんと同じだね~♪」と笑いながら向かいました。鮎川くんとは娘と
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================情緒面以外の変化として、時期も含めてはっきり覚えているのはお菓子のグミを食べなくなったことです。4月初旬の出張のお土産に、ご当地グミを買ってきました。グミは以前から好きでしたし、パッケージが可愛くて娘も大喜び!
なんだかすごく表現の悪い言葉ですが、今日4月13日は、息子が初めて病気だと分かった日です。今日からちょうど2年前です。去年もこの日はなんだか身の引き締まる気持ちで迎えました。はじめの方のブログにも書きましたが、この日を堺にこれまでの日常が日常ではなくなりました。2年前の今日、息子は当たり前に保育園に行っていましたし、私も何の気なしに喘息の定期受診で病院に行っただけです。今でも絶対に忘れない大切な1日です。その日から長い闘病生活を送ることになるのですが、その中でもたくさんの記念日が生
今日で一ヶ月経ちました。最初の月命日お姉ちゃんは毎日泣いていたけれど少しずつ減ってきているよ。それでも泣いてしまう日はあるし校門まで付き添い登校しないと寂しさと不安で仕方ないみたい。でも少しずつ私の手を放す時間は増えてきて妹がいなくなったこともまだ7歳(小2)だけどちゃんと理解して自分なりに受け入れようと頑張っています。私や夫もそれぞれ寂しいな~抱きしめたいな~こんなことあったねあんなこともあったねあれが好きだ
ようやく副作用治ってきて復活しました!ゼリーだけだけど食べれるようになって吐き気もちょっと落ちついた!身体拭いて頭洗ってもらってさっぱりした!1クール目超簡単にまとめるとこんな感じ。1日目抗がん剤入れ始めた日はまだなんとか余裕あった。お昼も半分くらい食べてたし水いっぱい飲んで身体から出す作戦で乗り切れるんじゃって謎の余裕w2〜3日目で抗がん剤投与は終わり。吐き気とだるさと色々きて”ああ…やっぱこの感じくるか…”みたいな。結構キツかったけど今思えばこの時は全然マシだったかも。まあキツかったけ
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================私の仕事は土日祝もあり、子供たちがお休みの時に仕事に出ることもよくありました。基本は夫がみてくれますが、2人とも仕事の時はどちらかの実家にお願いすることもありました。娘は生まれた頃からほぼ人見知りなく、ママへの後
※闘病記5の続きです。この頃、本来はコロナ禍で付き添い入院の交代は禁止されていました。長期入院になることや私の精神状態を考慮して病院側がPCR検査をして陰性であれば月に1回のみ交代を許可してもらえるようにしていただけました。夫がなーちゃんと直接触れ合ったのは転院前の病院の時でした。余命宣告をされた時でさえコロナ予防の為に夫は転院先では会えていません。つまり10日間ほど夫は余命宣告された娘を抱きしめることさえできていませんでした。
Rの低身長の原因はは成長ホルモン分泌不全の可能性があります。成長ホルモンの分泌は1日の中で一定ではなく血中濃度が高い時間帯と低い時間帯があるので、昼間に1回採血しただけでは正常に分泌されているのか評価できないので、負荷試験をする事になりました。負荷試験は3種類あり、取り敢えず外来で出来る負荷試験2種類をして、必要であれば入院が必要な検査を追加で行う事にしました。2020.3.13〜1回目の検査(クロニジン負荷試験)。前日の21時から絶飲食で、9時に病院につきました。9時半から検査スタート