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小倉を観光したいけれど、「車なしで本当に回れる?」「駅から遠い場所ばかりだったら困る」と不安になりますよね。小倉の中心部は、JR小倉駅から小倉城、魚町銀天街、旦過市場まで徒歩でつなげやすく、車がなくても十分に楽しめます。ホテルに荷物を預けて身軽になれば、城下町の歴史、北九州グルメ、川沿いの景色を一日で無理なく満喫できます。小倉だけなら日帰りも可能ですが、門司港レトロまで巡るなら小倉駅周辺に1泊するのがおすすめ。帰りの時間を気にせず、夕食や夜の街歩きまで楽しめます。車なしで巡る小倉観光モデル
8月の営業お店は8月1日.8日.15日.22日.29日土曜日9:00~11:00小倉城移動販売は8月5日.12日.19日.26日通常水曜日11:30~13:00東田のテレコムセンター8月3日.17日月曜日11:00~14:30毎週木曜日は戸畑区の江崎ストアで委託販売しています。
子どもとの北九州旅行では、「観光しやすい場所に泊まりたい」と思う一方で、ホテルに戻ってからくらいは靴を脱いでゆっくりしたいですよね。小さな子どもがいると、ベッドから落ちないか気になったり、部屋の中で遊ばせる場所に困ったりすることも。そんな家族旅行では、畳に座ったり、布団で川の字になったりできる和室がやっぱり便利です。北九州市内には和室のあるホテルがそれほど多くありませんが、小倉・八幡・若松まで範囲を広げると、料金を抑えやすいホテルから、18畳の広い和室、温泉を楽しめるオール
※2025年10月18日訪問※上台所跡の側からは水堀越しに小倉城の【天守】が見えて来ます▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼細川忠興によって建てられた天守は、4重5階の大天守と1重の小天守からなる連結式層塔型天守で、内部の一階には、天守としては珍しい湯殿が設けられて、大天守は最上層の入母屋破風以外に破風が無い簡素な外観を大きな特徴としていた。最上階は、3間四方の御上段を取り囲むように東西に2間×5間と南北に1間×3間の縁側をめぐらせ、外側には戸板で覆った半間幅の内縁がせり出しており、「唐
今日は前々から気になっていた北九州市小倉北区「焼肉ライク小倉魚町店」へ行ってきました~このお店は1人焼肉のお店でカウンターに1人1台のロースターが設置されています夫はライクカルビ&ハラミセット(M)私は5種盛りランチを注文とても美味しくて、コスパも良く、人目を気にせず自分のペースで気軽に焼肉を楽しめるお店ですご飯もおかわり無料でした1人焼肉最高~すぐ近くに小倉城がありお天気が良くとても綺麗に見えましたお腹いっぱいになりすぎたのでウォーキング小倉城を見ながら散歩して楽
気付くと2026年になって2か月が過ぎようとしています(**)!歳をとると時間が過ぎるのを早く感じるもので、ジャネーの法則といいます。ただこれは主観的な感覚であり、そもそもジャネーは19世紀の哲学者ですから科学的に立証はされておりません。それでも事実だよなと感じてしまいます。まあ御託はいいから始めましょう(笑)何とか2月のお話が2月の上梓に間に合いました。ただメインのお話は最後にということで、前座に2月前半のアレコレの報告から。2月1日、小倉城では豆まきが行われました。小麦の散歩と合
バーガーキングに行った帰り、毎度のようにボケっと歩いてたら何やら写真を撮ってる人が何人もいて。。こんなところで何を撮るものがあるんだろうと見たらどうやらを撮ってたっぽい。「KOKURA」の下に「KOKURAイルミネーション」の文字。細工された竹に灯りが入ってイルミネーションが見れるみたい。ここから撮ったら木の間に小倉城が映り込むってわけね。この前を流れる紫川の岸にもイルミネーションの仕掛けがありました。夜の様子も見てみたいな~↓は、お気に入りのアップルパイのお店「ローズマリー」
小倉でデートしたいけれど、「定番だけでは物足りない」「雨が降っても困らないコースにしたい」と迷っていませんか。小倉は、お城や庭園、市場、カフェ、ショッピング施設が徒歩圏に集まり、少し足を延ばせば美しい夜景にも出会える街です。昼だけで帰るより、夜景や地元グルメを楽しんでホテルに泊まると、デートの満足度はぐっと高まります。目的別のスポットと、そのまま使えるモデルコースを紹介します。迷ったらこの組み合わせ小倉城・庭園で散策→リバーウォーク北九州でカフェ→夕食→ホテル。夜景を重視する
※2025年10月18日訪問※引き続き天守の2階部分を見学して行きます初代小倉藩主細川忠興の具足(複製)を堪能し、次に見学させて頂いたのは、【小倉城天守1/30復元模型】です🏯▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼復元模型では、1837(天保8)年9月に記された「御天守内覧」を基本的な資料とし、外観については「豊前国小倉城絵図(正保城絵図)」、柱寸法や窓内法高などの細部については、「作州津山御城内之記」、その他壁の厚みや垂木の寸法といった史料に記載が見られない細かな部分については、慶長年