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〈ロータスラウンジ――法華経への旅〉第14回法師品第十〈下〉自らの喜びを他者にも――歓喜の連鎖の中に滅後の「成仏の道」がある法華経について、皆で学び、深めよう――「ロータスラウンジ――法華経への旅」の第14回は、「法師品(ほっしほん)第十」㊦です。前回(2月18日付)に続き、「法師品」に説かれている内容を追っていきます(原則、月1回掲載)。一切衆生のために日蓮大聖人は、「方便品より人記品に至るまで八品は正(しょう)には二乗作仏を明し傍(ぼう)には菩薩凡夫の作仏を明かす、法師・
〈名字の言〉〈名字の言〉2019年8月20日苦境に陥っていた、戸田先生の事業の業務停止が決定したのは、69年前の8月22日。この日の日記に、池田先生は記した。「私は再び、次の建設に、先生と共に進む。唯これだけだ」給料は遅配が続き、社員の中には「戸田のインチキ野郎」と、口汚く罵る者さえいた。戸田先生は学会の理事長の職を辞任。苦難の嵐が吹き荒れる中で、池田先生は戸田先生に、一首の和歌をささげた。「古の奇しき縁に仕へしを人は変れどわれは変らじ」周
<暗い夜道。一緒に歩く友達の足元を照らそうと明かりをつけると、自分の足元も明るくなる>。今月から、こんな聖教新聞のラジオCMが流れている(文化放送ほか)主題は「人のために火をともせば・我がまへ(=前)あきらかなるがごとし」との日蓮大聖人のお言葉(御書1598ページ)。誰かのために行動することは、自分のためにもなることを説く。「声」も足元を照らす「明かり」になると、先のCMは続ける。<言葉も同じ。「大丈夫。あなたなら、きっとできる」。誰かを元気づけると、自分も元気になる>。
訪問・激励をすると、必ず新しい発見がある。信仰体験、発心動機、師との原点、同志との思い出等、こちらが学ぶことばかりだ。共通の趣味や、思いがけない特技などが分かり、心の距離が縮まることもある。そもそも一人一人の本当の「悩み」は、懇談の中でしか出てこないもの。大勢で集まった時の元気な様子しか知らずにいたことに、反省することも少なくない。やはり時間を取って、話を聞いてみなければ分からない。さらに「励まし」で大切なのは、気の利いた言葉だけではなく、相手を思う真心と
〈名字の言〉〈名字の言〉2019年5月14日3日付の体験「ブラボーわが人生」で紹介された、青森の99歳の地区副婦人部長さん。手押し車の“マイカー”を頼りに片道3時間かけて、友の激励に歩くという。「今、施設に入ってる人さ励ましてんの。会って心をつなげんの」。尊い母の歩みに大きな感動が広がった。宗教学者の山折哲雄氏が、朝日新聞のエッセーで、書家の石川九楊氏の話を紹介したことがある。石川氏が、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩を書写していた時のこと。詩の中の「行
「あの“雨の文化祭”が私の原点です。生涯、忘れません」――35年が過ぎた今も、沖縄の多くの同志がそう語る。1983年、池田先生が出席して開催された「沖縄平和文化祭」である。約3カ月の練習期間は「雨との戦い」だった。週末の度に雨が降り、前日のリハーサルも雨で中止。当日の本番直前、夜来の雨は上がったものの、会場の沖縄市立陸上競技場には西から厚い雲が近づいていた。「開始時間を早めてはどうか」――提案したのは池田先生だった。10分早く開幕。未来部の演技が終了した直後、宮古島の友が
ReserveCaliforniaへようこそ。280の公園ユニット、340マイル以上の海岸線、970マイルの湖と川のフロント、15,000のキャンプ場、5,200マイルのトレイル、3,195の歴史的建造物、11,000を超える先史時代と歴史的考古学遺跡を備えたカリフォルニア州公園レクリエーション局(州立公園)は、カリフォルニア州のどのサイト機関よりも最大かつ最も多様なレクリエーション、自然、文化遺産を保有しています。PublicEne
月と冥王星のハードアスペクト。ネット検索するとこのハードアスペクトに関してはけして良いとは言えないことが書かれています。(ドン引きするようなことが書いてあるw)月は本質・内面、感情、気力、直感、潜在意識の象意があります。冥王星は極限、極端、喪失、オールオアナッシング、破壊と再生、死と復活、変容、究極性、究極の底力、野心、財、カリスマという象意があります。ハードでもソフトでもこのアスペクトを持つ多くの場合母親との関係に”何か”を抱え
6月の第3日曜日は「父の日」。今年は17日である。埼玉のある地域で行われた学会の集いでは、青年部の友が“いつもお世話になっている壮年部の皆さまへ”と題し、「おうごんばしら(黄金柱)」の言葉に掛けて、壮年メンバーをたたえるメッセージを贈っていた。いわく、「お」お(大)らかな人柄、「う」るわ(麗)しい団結、「ごん」ぎょう(勤行)欠かさない真面目さ、「ばし」っと決めて頼れる存在、「ら」くるい(落涙)して友に寄り添う励まし。読み上げられるたびに、盛大な拍手と歓声が。壮年の参加者たち
御書と歩む池田先生が贈る指針「信心即生活の賢者たれ」「四条金吾殿御返事」日蓮大聖人全集P1185敵(てき)と申す者はわすれさせてねらふものなり、是(これ)より後(のち)に若(もし)やの御旅(おんたび)には御馬(おんうま)をおしましませ給ふべからず、よき馬にのらせ給へ~通解~およそ敵というものは、(その存在を)忘れさせて狙(ねら)うものである。今後もしも旅に出られる際は、馬を惜(お)しんではならない。良い馬にお乗りなさい。~池田先生のご指導~同
不安や恐れといった“マイナスの感情”は、生活のあらゆる場面で生まれるもの。では、どう対応すればいいか。映画「ツレがうつになりまして。」の原作者・細川貂々さんは、「水たまり」に例えて説明する。心にマイナスの感情という「水たまり」ができた時は、感情を外に流す「川」をつくる必要がある。その「川」に当たるのが“身近な誰かに話を聞いてもらうこと”という。(『わたしの主人公はわたし』平凡社)コロナ禍で、誰かと話をするのも控えがちになる。しかし、意思疎通の機会が減れば、“心の水た
赤、白、黄色と並んで咲くチューリップが、花壇を彩る春が来た。幼い頃に歌った童謡「チューリップ」が耳によみがえる。この歌の誕生は90年前。時同じく、この花の栽培に命を懸けた富山の青年農家がいた。水野豊造氏だ。北国の農家の生活を楽にすると誓い、球根栽培の技術確立に情熱を注いだ。戦争が始まり、“こんなご時世に”と非国民扱いされても、平和の世には花が必要だと決して諦めなかった。氏が逝いてから半世紀余、富山は名実共に日本一のチューリップ王国となっている。氏は生前、「チ
〈四季の励まし〉2019年11月10日~創立の月世界の友と希望の前進~池田大作先生世界のSGIの同志が、広宣流布の真剣な実践に、立ち上がっていくことができたのは、なぜか。それは、牧口先生、戸田先生という創価の師が、日蓮大聖人の御精神のままに、不惜身命・死身弘法で、広宣流布のために戦い、それを私たちに、教えてくださったからだ。広宣流布のために、苦労したことは、すべて三世永遠にわたる、一家眷属の福運になる。法華経の方便品には、「如我等無異」
中居正広氏による性加害事件と、その被害者とされる女性にまつわる騒動について思った事を記します。現在、この女性は活発にメディア露出の活動を行っていますがこれに対し、彼女のSNSには誹謗中傷が殺到しました。また、Yahooコメントなどにも盛んに非難の声が寄せられています。曰く便乗の売名だ、心的トラウマは虚偽だ、背後で仕組んだ者がいる、等々。そんな事より世の中、本当に糾弾しなければならないものが他にあるだろうに。この人達は、そうしたものにはしゅんと黙りこくってしまうのでしょう、きっと。仕事
知人の勧めで本紙を購読した婦人。記事の内容もさることながら、配達員のはつらつとした“あいさつ”に感動したという。“何と温かく響くのだろう”。婦人は配達員に会うのが楽しみになり、いつしか玄関の前で待つように。購読の契約が切れる頃、知人に継続を願い出た。「あの声をまた聞きたくて。“私も明るくなろう”って勇気が湧くから」。婦人は長年の悩みに立ち向かう決意を固め、先日、入会を希望した。「声を発する」という過程には喉と口だけでなく鼻や顎、さらに肺・気管など胴体の4分の3が携わ
〈名字の言〉〈名字の言〉2019年5月15日その婦人部員は、反抗期の息子と衝突してばかり。「うるせえな!」と息子が言えば、「なに!その口の利き方は!」とやり返す。ある日、学会の会合で一つのエピソードを聞いた。戸田先生が第2代会長就任式で学会歌の指揮に立った時のこと。その勢いで、卓上のガラスの水差しとコップがぶつかり、どちらも割れてしまった。すると、先生は当意即妙、「水差しは“コップがふれたから割れた”と言い、コップは“水差しがぶつかったのだから割れたのだ”
ある未来部員が中学校生活を終える際に語った言葉が、今も心に残る。「野球部員でした。一度もレギュラーになれませんでした。でも3年間、辞めませんでした。」攻守に優れた後輩がレギュラーを獲得し、悔しく思ったこともある。それでも走り込みや素振りなど、地道な練習に明け暮れた。“起用する選手を決めるのは監督ですが、野球を頑張り続けるか、諦めるかを決めるのは自分です”と努力を重ねた。現在、彼は地域の青年部リーダーとして、後継の友を育む。ある女子部員は体調不良による不安感に苦しめられ
過日、小欄で約70年前の神奈川・鶴見での池田先生の奮闘を紹介した。それを読んだ鶴見出身の方から「これが鶴見で先生が運んでくださったバケツです」と、写真が送られてきた。時代を感じさせるブリキのバケツ。師との思い出が詰まっているように見えた。月刊誌「潮」の連載「民衆こそ王者」では今、学会草創期の「地区講義」の物語がつづられている。7月号は<識者の声>篇。その中で脳科学者の茂木健一郎氏が、「過去は育つ」という脳の働きに言及している。人間の記憶は、歳月と共に、心の
人通りが少ない路傍にタンポポを見つけた。誰もが見上げる華やかな桜に負けまいと、足元で懸命に“春の到来”を告げている一輪の花がいとおしい。タンポポはアスファルトの隙間や崖など、あらゆる場所でかれんな姿を見せる。その秘密は地中深く伸ばした「根」にある。長いものでは、1メートルに達するものもあるという。花が咲いた後の綿毛は風に乗り、土さえあれば、その場所に根をおろし、再び花を咲かせていく。タンポポの英語名は「ダンデライオン」。語源はフランス語で、“
11・18「創価学会創立記念日」特集㊦2019年11月17日ジャーナリストの田原総一朗氏へのインタビュー。民衆運動としての創価学会と、その社会的役割などについて、語ってもらった。(聞き手=佐口博之、歌橋智也)ジャーナリストの田原総一朗氏へのインタビュー。学会は人間を励ます共同体――高度成長期の時代から創価学会に注目してこられました。「僕が創価学会を初めて取材したのは、東京オリンピックのあった1964年(昭和39年)です。当時、学会は、まさに破竹の勢いで伸び
2024年11月30日(土)イギリス議会の下院で、安楽死を認める法案が賛成多数で可決されたと報道された。上院での審議もある為、決定ではないのだが…余命6か月未満と診断された成人が医師2名と裁判官の承認を得た上で、薬物の投与によって死を選ぶ権利を認めるとするものだ。終末期の患者は苦痛に耐え続けるのではなく、尊厳を保ったまま最期を迎える権利があるとする考えなのだ。死を選ぶ権利だ。俺は余命宣告はまだされていない。しかし、終活は勧められたのだ。微妙な立ち位置である。終活は8割方済ませた
心身の健康ヘルスケア・パーソナルコーチのリアル・サイエンスドクタ—崎谷です。先日、ウエルネスラジオで「法律」というものが、自然の法則に反している危険なものであることをお伝えしました。「法律は、ヒトが作った人工加工もので、道徳や自然の法則とは何の関係もない、強制・暴力装置です。」と本当のことを言うと、弁護士・裁判官だけでなく、ほとんどの方は引かれるかもしれません。現実社会では、“彼ら(権力者)”の匙加減で私たちの殺生与奪が決まります。わたしたちは、
弁護士との会話の中で、印象深い言葉がありました。「ご主人がもし私の依頼主だとしたら、奥様の言う条件を飲んで終わりにするのがあなたのためですよ、と勧めます。」思わず、ですよねえ〜と言ってしまいました。それほど私の出した条件は真っ当で、夫の条件がおかしいのです。やっちゃっておいて、このくらいで、良いよね?みたいな扱いが、どうしても軽んじられていると感じてしまいます。逃げ道はないのに、壁をよじ登ろうとするようなもの。見苦しいったら....今週中に夫に私の最終希望を伝えます
尊厳とは個人の存在や価値を尊重し、人間らしさを保ちつつ、自分らしい生き方をできるようにすることどうしてどうも整合性がとれないと思う事をあたかも事実のように書けるのか不思議でしょうがないKCTCでの訓練国防部からの記事です“실전같은전투훈련,육군이전해준최고의서비스”육군5사단사자여단,KCTC훈련미스트라이커여단등2000명참가육군5보병사단사자여단KCTC훈련에참가한장병들이지휘소에서상황평가와토의를하고있다.부대제공
たまに尊厳とは何だろう?と、思うことがある…いわく、尊厳の保持が介護の理念ではあるが、例えば今の小学生に、高齢化社会尊厳の保持を描かせたら、どんな絵を描くのだろうか?たぶん、こう↓描く?しかし、現実はそうじゃない😢介護されている方には甚だ不適切だが、認知症自体が尊厳を失くした人間の姿なのである。虚言妄想妄言失言暴言数しれず。誹謗中傷暴力厚顔無恥人格破壊失禁汚染嘘八百…このすべてが、尊厳の対象になるのである。それでも生きる。いや、生かされている?う〜ん…
日本国尊厳維持局の映像を見て感じたこと皆さんは、こんな映像を見たことがありますか?それは、日本国があらゆる状況において、もはや外敵からの脅威に対し、なす術がない状態に追い込まれた場合、あらゆる放送局を通じ国家の最後に流すために作成されたフィルムとされており、そこでは国家と国民の尊厳を守るため、日本国民は全て自殺するよう促す内容なのです。日本国尊厳維持局政府有事宣言時フィルム昭和36年設立の社団法人日本国尊厳維持局制作による政府有事宣言時フィルム本フィルムはインターネット上に流出し
おはようございます。今週は本当に暖かい日が多く、埼玉県では梅も全開しています。週末までは暖かい日が続きそうなので、春を楽しみたいですね。入院〜死を覚悟するよう医師より伝えられるまでを振り返り、当時、自分が何を考えていたのか、どう感じていたのかをあらためて自覚するためにこのブログを書いています。何回かに分けて書いていますので、これまでの振り返りのブログはこちらをご参照下さい。『入院〜死を覚悟した日までの心境を振り返る①』おはようございます。今日からは暖かくなるみたいですね。三寒四温とはよく
相方の事を書きます。知り合ってからかれこれ30年になろうとしてます。籍こそ入っていませんが、大恋愛の末一緒に暮らし始めました。彼女の性格を一言で表すとすると「真っ直ぐ」兎に角、ひたすら前に進むパワフルな女性です。それでいて自分の事よりも他人の喜ぶ顔を見るのが大好きで、友人からの信頼も厚い。情に厚く、時には行き過ぎと思われる位に私や友人の事を思い、尽くしてくれる。優しい人です。そして私は彼女の天真爛漫な笑顔が大好きでした、、、性格だけではなく、見た目も誰に見せても恥ずかしくないくらい
「人には本気で怒らなければならない時がある」そうです。どこかで読みました。それは、自分の”人格と尊厳を傷つけられた時”だそうです。そういう時は、躊躇なく、真剣に、容赦なく相手に怒らなければいけないそうです。これでもかってほど怒らなければいけないそうです。そういう時に自分のために怒れないと、どうなるか。また手を変え人を変え、人生で同じような出来事が繰り返されるそうです。私は今まで生きていて
『自分の感受性くらい』茂木のり子ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮らしのせいにはするなそもそもがひよわな志にす