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探索日2017/12/30中央本線八王子駅から分岐していた専用線横浜線から途中分岐していた廃止は1938年4月20日らしい※浅川河川敷にのびているのは砂利線か?横浜線との分岐点ここに大阪窯業線の築堤が接続していた大阪窯業線はここへのびてくる左のアパートは線路の角度に合わせて建っている京王電気軌道(現京王電鉄京王線)をまたいでいた線路橋の橋台八王子駅方のみ残るこれは工場方橋台の基礎か?線路橋から先、跡は残っていな
今回のプチ廃線跡探訪コーナーは、山陽本線の大竹駅から山陽本線に並行して進み、小瀬川を渡ってから左へカーブして瀬戸内海沿いにある三井化学岩国大竹工場へ至っていた、県境をまたいでいた珍しい専用線跡、三井化学岩国大竹工場専用線です。今後もし廃線跡を正式に探訪した際には、廃線跡探訪の記事を改めてUP致します(実現可能性は低いですがw)。タンク車による化学薬品輸送がタンクコンテナによる輸送に切り替えられた事により、2000年に廃止されました。その後も廃線跡は残っていましたが、2013年ま
(前回記事の続き)(ウド谷を通り過ぎる黒部峡谷鉄道)★過去記事↓↓【晩秋の黒部峡谷鉄道①】北陸新幹線から富山地鉄に乗り換え、宇奈月温泉へ【晩秋の黒部峡谷鉄道②】ナローゲージのトロッコ列車で峡谷に分け入る(宇奈月→猫又)【晩秋の黒部峡谷鉄道③】トロッコ列車は終着駅・欅平へ(猫又→欅平)『【晩秋の黒部峡谷鉄道④】黒部峡谷鉄道の終点、欅平散策欅平から、ふもとの宇奈月へ黒部峡谷鉄道欅平駅。宇奈月行き旅客列車に乗車欅平(けやきだいら)駅、13時10分発車復路は、往路とは反対側
訪問日2013/04/07赤穂線播州赤穂駅を所管駅としていた専用線廃止は1960年代初頭赤穂線に隣接する空きスペースが廃線跡むこうが播州赤穂駅側溝の右に東洋紡績線の踏切があった雑草の生えてるとこが線路跡加里屋川に架かっていた橋りょうの跡コンクリート橋台、橋脚が残る右岸の橋台奥は赤穂線の橋りょう左岸の橋台国道250号線をななめに横断痕跡はないこのへんが東洋紡績への進入口工場はすでにない工場跡地にはショッピングセンター「フレスポ赤穂」、イオン赤穂店が
JR仙石線【矢本駅】宮城県東松島市地方ならではの閑散感の駅前///今年はコロナの影響で航空祭中止で駅収も激減地域もJR東日本仙台支社も打撃こちらに通って、微力ながら貢献(飲食、買い物)だな~さて本題一昔前、矢本駅から分岐した貨物線が基地まで延びていた。簡単に仙石線矢本駅と松島基地の歴史矢本駅は戦前、私鉄の宮城電気鉄道の駅として開業。戦中、戦時買収で国有化。戦後は国鉄を経てJR、現在に至る。航空自衛隊松島基地戦中に搭乗員養成の錬成
探索日2015/12/30総武本線貨物支線新生線新生駅を所管駅としていた専用線銚子漁港までのびていた1944年10月1日開通廃止は1960年代中頃か?ただし、1950年代終わりには休止状態やったらしい『総武本線貨物支線(新生線)』訪問日2015/12/30銚子駅と新生駅を結んでいた貨物線廃止は1978年4月1日奥は銚子駅こっちへのびてくるレールが貨物支線跡今も銚子電気鉄道線、…ameblo.jpタンク付近が新生線との分岐点千葉県線は横断歩道の位置へ
探索日2011/12/29山陽本線西岡山駅(貨物駅)を所管駅としていた専用線林原専用線と一部共用手前の線路が専売公社線の生き残りむこうが西岡山駅(現在の岡山貨物ターミナル駅)381系電車が走っているとこは山陽本線下り線工場方面を見る真上を山陽新幹線が走るレールはここでおしまい車止めから西岡山駅方面を見る奥へ続く専売公社、林原共用線専用線は新幹線の高架下を抜け、こっちへのびてきていた新幹線建設時、専用線は現役やったことがわかる専用線は奥へ続く専用線
探索日2016/05/03常磐線荒川沖駅を所管駅としていた専用線1985年頃まで存在していたらしい※1975年時点での線路配置荒川沖駅に残る貨物側線自衛隊線はここから手前へのびていく右へ曲がっていく線路が陸自線あれは当時の門やろ右端トラックの位置に自衛隊線があったE531系電車の走ってるとこは常磐線自衛隊線は写真左端を通過茨城県道203号線をななめに横断踏切の跡はない塀沿いが廃線跡右下に境界標後にわかるけど、防衛
探索日2015/09/22東北本線小山駅から思川河川敷にのびていた砂利運搬線川砂利の採取は1960年代に禁止されているので、砂利線もその際廃止されたと思われるただし砂利線にはいくつかの専用線が接続していたので、小山駅寄りの部分は1980年代まで生き残った砂利線はこの下を走っていたむこうが小山駅高架橋は東北新幹線新幹線の開業によって砂利線は付け替えられた可能性がある草に埋もれているレールがオリジナル砂利線の跡か?高架下は両毛線新幹線開業後、砂利線は高架下に
今回は、加古川市の日岡山にあった旧日本陸軍の神野弾薬庫(現在の加古川刑務所の位置)への専用線として戦前に開業し(開業年不明)、いつの間にか廃止された神野弾薬庫引き込み線【通称:軍用線】(正式名称は不明)について簡単にレポートします。尚、今回の区間は徒歩でサラッと辿っただけなので調査が不十分なことをお詫び申し上げます。探訪時期が2008年と7年も前で(一部の写真は2014年撮影)、現在は状況が変化しています。また、今回も写真が少ないです。ご了承願います。(Yahoo!地
探索日2017/08/15仙石線陸前原ノ町駅を所管駅としていた専用線戦後は駐留軍陸前原ノ町軍用側線として使用されたらしい同駅の貨物取り扱いは1961年6月1日専用線廃止はそのタイミングと思われる道路のむこうが陸前原ノ町駅現在は地下化造兵廠線はここへのびてくるわずかに残る路盤跡あれは東北本線貨物支線(宮城野貨物線)右は半地下を走る仙石線宮城野貨物線をくぐる同線は1960年10月1日開業わずかな期間ながら、造兵廠線と交差していた奥へ続
探索日2016/05/03常磐線取手駅を所管駅としていた専用線廃止は1984年2月1日(たぶん)左は常磐線取手駅、右は関東鉄道常総線取手駅両者の間に麒麟麦酒線があった中央の切れているレールがキリンビール線関東鉄道線をキハ2100形気動車が走る右は常磐線麒麟麦酒線は常磐線と並走していくレールの残るキリンビール線左は常磐線踏切常磐線と並走コンクリート橋を残す黒い建物の位置が廃線跡EH500形電気機関車の走っているとこは常
探索日2010/05/02高砂線高砂駅から分岐していた専用線キッコーマン関西工場、神戸製鋼所高砂製作所、三菱重工業高砂製作所などへの専用線と一部共用高砂線との分岐点左の歩道が高砂工場線跡、右は高砂線跡腕木式信号機があるもともとここにあったもんか、モニュメントとして設置されたもんかはわからん歩行者用道路になった廃線跡後方に西友高砂店が見える関係ないけど、ここの西友は今年いっぱいで閉店するのな中学生のときに、よく行ったものさ道路が専用線跡左は山陽電気
茨城県陸上自衛隊古河駐屯部隊専用線2015/09/22常磐炭礦神之山坑専用線2016/04/29関本礦業専用線2016/04/29山口炭礦専用鉄道【前編】2016/04/29、04/30山口炭礦専用鉄道【後編】2016/04/30重内鉱業専用線【前編】2016/04/30重内鉱業専用線【後編】2016/04/30茨城無煙炭鉱曳索軌道2016/04/30常磐炭鉱茨城鉱業所中郷坑専用線2016/04/30日本加工製紙高萩工場専用線2016/04/30高萩炭礦専用線(北
2017年3月、日本セメント(現在の太平洋セメント)の専用線の廃線跡を見に行って来ましたので、ここで紹介したいと思います。太平洋セメントの埼玉工場へ向かう専用線は、東武側とJR側の2つがありました。今回は東武越生線の西大家駅からJR川越線・八高線の高麗川駅まで歩いて散策しました。というわけで、東武側の線路である西大家貨物線から紹介します。この路線は1963年開通、1984年廃止。東松山の鉱山でとれた粘土を、工場に運び入れていたそうです。西大家駅。交換設備はありません。専用線はこの駅の坂戸
探索日2016/10/09秩父鉄道秩父本線秩父駅より分岐していた専用線工場は1996年閉鎖、専用線もその時廃止されたらしいまずはデルタ北線からこの先で秩父本線から分岐し、ここへのびてくる左へ曲がっていく北線架線柱が残る専用線は電化されていた右奥は武甲山ツタがからみつく架線柱秩父駅方面を見る踏切跡防護柵二線の合流点左がデルタ南線、右が北線デルタ南線を駅に向かって歩いていく工場方面を見る踏切跡
8月に貨物列車の運行が終了しました、宮崎県延岡市にあります日豊線南延岡駅への貨物列車に関しまして、訪問しておりました今から8年前の平成27年延岡訪問時に撮影しておりました話題をご紹介しておりますが、前編では延岡駅での撮影の話題をご紹介しておりました。この南延岡駅への貨物列車は、南延岡駅に隣接しておりました旭化成専用線に接続しておりまして、専用線沿いにあります旭化成工場へ運行されてきたものでありました。そんな南延岡駅へは、その後平成29年に臨時貨物列車化されておりまして、毎日
探索日2011/05/29鹿児島本線水俣駅を所管駅としていた専用線廃止は1985年頃らしいチッソ(駅)からの貨車は、スイッチバックして駅(チッソ)へ進入スイッチバック引き上げ線跡橋りょうが残っている奥は鹿児島本線(現肥薩おれんじ鉄道)むこうが水俣駅日産グロリアの停まっている位置にチッソ線があった朽ち果てた枕木が残る柵沿いが廃線跡チッソ線はカーブしつつ、こっちへのびてくる柵の手前沿いに線路があったクロックス株式会社南門の位置をチッソ線が走っていた奥
探索日2016/05/02常磐線友部駅を所管駅としていた専用線廃止は2012年3月17日※日本たばこからの貨車は東へ進み、スイッチバックして駅へ進入※当時は日本専売公社友部工場あれがJT友部工場建屋前に線路が引き込まれていた貨物ホームが残る手前のレールが日本たばこ線右端が工場現役時は工場まで線路が続いていた貨物ホームにむかって線路が続く工場東へのびるスイッチバック引き上げ線左は常磐線常磐線とは高低差がつく常磐線のほうが下って
【23年5月4日探索・11月7日公開】現在地はこの辺専用線の廃線跡はいったん見失った。仕方がないので県道299号線に出て堰場橋という橋を経由しここまで来た。このダブルトラック道が廃線跡であるようだ。道は舗装路になったり・・・その先ではまた未舗装路になったりもした。県道に合流する手前、気になるものがあったが・・・一瞬、枕木かとも思ったが、違うようだ。専用線跡は県道299号線に取り込まれたっぽい。右に分岐があ
探索日2013/05/02中央本線石和駅(現石和温泉駅)を所管駅としていた専用線駅から途中までは秩父セメント石和サービスステーション専用線と共用石和温泉駅ホームから撮影甲州砕石、秩父セメント共用線は写真中央へのびていく更地となって残る廃線跡左は太平洋セメント甲府サービスステーションカーブする鉄道用地E257系電車が停まっているとこは石和温泉駅平等川を渡る橋りょうの跡はない右岸から橋りょう跡を見る橋りょう北詰にある看板二社線の分岐点甲州砕石線はENEOSの