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探索日2018/08/13山田線宮古駅と宮古港駅を結んでいた貨物線ラサ工業田老鉱業所専用線が接続していた廃止は1984年2月1日あれが宮古駅左の線路は山田線このへんは山田線/宮古港線共用だったよう宮古臨港線はこの先で山田線から左へ分岐するここが臨港線跡草刈りされている部分が廃線跡踏切跡わずかに左カーブする臨港線跡上写真の場所を高架道路上から見る宮古臨港線は撮影地点真下へのびてくる跨線橋跡鉄道が走っていたにしては狭すぎる
探索日2018/08/12山田線宮古駅を所管駅としていた専用線廃止は1986年らしい※宮古~磯鶏間で途中分岐、スイッチバックして工場へ進入する写真左下付近が山田線からの分岐点ラサ工業線は右へ分かれ、山田線と並走していく架道橋跡奥は山田線の架道橋撮影地点が廃線跡訪問時、山田線は東日本大震災の被害により運休中この翌年、三陸鉄道リアス線に移管され営業再開する工場方面を見るここに二線の線路があった道が折り返し線跡道路がほぼ折り返し
探索日2018/05/03須川河川敷にのびていた砂利運搬線川砂利の採取は1960年代に禁止されているので、それ以降は他の目的で利用していたと思われる廃止は、上ノ山駅が貨物の取り扱いを廃止した1984年か2月1日か?上ノ山駅は現かみのやま温泉駅かみのやま温泉駅跨線橋から見る砂利線は写真中央左上、濃緑色車の位置へのびていく砂利線左には明星セメント専用線が平行していた砂利線は写真右下から左上道の場所へ曲がっていくガードレール手前沿いが廃線跡今も当時の区画が
京成関屋といえば、京成電車の車窓から見下ろす線路と謎の客車が気になって、何度か京成関屋駅で降りて周辺をウロチョロしたものです。(2025.7.22足立区千住関屋町岡田商事)ところが、再開発の波には逆らえず工場(鉄スクラップ業)が閉鎖され、解体工事の最中でした。解体工事の告知板によると建築物の床面積は約3,400㎡。なお、敷地面積をネットで検索すると15,964㎡とあり、何と東京スカイツリーの敷地面積の約半分!都内の好立地でこれだけ広大な敷地は滅多に無い物件ですね。開かずの鉄扉が開
探索日2018/08/16石巻港線石巻港駅と石巻埠頭駅を結んでいた貨物線1968年10月11日開業/1999年11月1日廃止同線には多くの専用線が接続していた※石巻埠頭駅の正確な位置は不明石巻埠頭線はこのへんで道路をななめに横断していた踏切の痕跡はないむこうに見える日本製紙石巻工場の手前が石巻港駅『石巻港駅』撮影日2018/08/16仙石線貨物支線石巻港駅駅北にある踏切踏切から陸前山下駅方面を見る拡大投影盛り上がっているとこで国道398号線をオーバーク
今回の【駅】シリーズは、滋賀県東部、米原市の東寄り、旧・山東町の中心部に位置する東海道本線【東海道線】の駅で、伊吹山への玄関口で有人駅でしたが、2024年に無人化されてしまった駅、そして以前は伊吹山麓にあった住友大阪セメントの工場へ向けて専用線が分岐していた、近江長岡駅(おうみながおかえき。Omi-NagaokaStation)です。尚、以前に2005年訪問時の写真をもとに近江長岡駅の簡易版記事をUPしています。⇒記事はこちら。駅名近江長岡駅(CA81
探索日2018/08/17東北本線陸前山王駅から分岐していた軍用線大戦後いったん廃止されるが、一部区間を付け替えのうえ仙台臨海鉄道臨海本線として復活ここでは臨海鉄道に編入されず、完全に廃線となった区間を調査する工廠跡地には陸上自衛隊多賀城駐屯地が立地このへんが海軍工廠への進入口線路は丸山雨水ポンプ場の位置へのびていた奥が多賀城駐屯地砂押川に架かっていた橋の跡はない宮城県道58号を横断当時から道路はあったので踏切跡にある未使用の線路用地が今も残る