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貨車や荷物車のお話が続いたのですが、今回は少し趣向を変えて、専用線のお話をさせていただこうと思います。最近は、専用線自体が少なくなってしまいましたが、今から30年以上前の昭和59(1984)年2月、国鉄がヤード系輸送を廃止するまでは、多くの私鉄でも貨物輸送は行われていました。関西地域だけを取っても、狭軌の南大阪線や南海電鉄、小さなところでは有田鉄道や紀州鉄道、野上鉄道でも貨物輸送を行っており、国鉄の貨車が直接乗り入れていました。野上電鉄南海電鉄、こちらでは住友金属向けの輸送がありましたので
探索日2015/09/22東北本線古河駅を所管駅としていた専用線廃止は1970年代前半と思われる元は東日本重工業古河工場専用線駐屯地は同工場跡地に立地引き込み線は自衛隊線に転用された横断歩道がほぼ廃線跡歩道の先で駐屯地へ進入する進入口構内線は奥へまっすぐのびていた進入口前から古河駅方面を見る奥へ続く道路が廃線跡道路になった自衛隊線道路脇に国鉄の境界標道路が廃線跡高架橋は東北本線東北本線と並走していく
訪問日2011/10/09北陸本線青海駅を所管駅とする専用線駅から石灰石鉱山に至る路線のうち、青海工場と鉱山を結ぶ線が原石線七曲踏切遮断機、警報機完備鉱山方面を見る拡大投影工場、青海駅方面を見る青海川に架かる橋りょう左は新潟県道155号線御幸橋鉱山からのびてくる原石線熊谷踏切から工場方面を見る最大望遠
探索日2011/02/13山陽本線万富駅を所管駅としていた専用線1972年1月5日運用開始、1986年11月1日終了らしい右がキリンビール工場EF210形電気機関車けん引の貨物列車が走っているとこは山陽本線下り線となりのレールをはがされた路盤が専用線跡むこうが万富駅専用線は山陽本線から離れ、倉庫沿いへむかう拡大投影あのひさしの下に線路があった貨物用側線跡路盤はそのまま残っているKB(キリンビール)の境界標建屋の間が構内線跡右の建屋のはしっこまで線路がのび
当ブログでもこれまでもご紹介しておりましたように、福岡県北九州市にあります日田彦山線石原町駅より南側田川寄りには、上の画像にありますように石灰石が採掘されている姿を見る事ができております。この地は、観光名所でもあります「平尾台」と呼ばれます石灰岩からなりますカルスト台地が存在しておりまして、そう言った事から石灰石が豊富な場所でもあります。そんな平尾台の一角に石灰石が採掘されております三菱マテリアル東谷鉱山が存在しております。そんな東谷鉱山からは、かつて貨物列車が運行され
探索日2016/05/03常磐線亀有駅を所管駅としていた専用鉄道廃止は1967年10月1日らしい亀有駅には貨物側線が見当たらない工場からの貨車はスイッチバックし、駅東方のヤードに進入していたか?黒いミニバンの位置が日立製作所線跡日立線は左へカーブしていく高架橋は常磐線同線は専用線廃止後、高架複々線化亀有駅からここまでの専用線用地は複々線化に利用されたと思われる奥へ続く民家の列が廃線跡敷地のカーブに注目していただきたいカーポートの位置とその右が
探索日2015/09/22佐野線葛生駅と第三会沢駅を結んでいた貨物線二段階で廃止されたここで紹介するのは、二度目に廃止された葛生~上白石の区間廃止は1997年10月1日会沢線の廃止で葛生界隈の貨物線は消滅する晩年は、実質的に住友大阪セメント栃木工場専用線の一部として運用されていたと思われる『住友大阪セメント栃木工場専用線』訪問日2015/09/22東武鉄道会沢線上白石駅を所管駅としていた専用線会沢線は佐野線葛生駅からのびていた貨物線会沢線葛生~上白石は1997年9
探索日2015/11/23東海道本線相模貨物駅を所管駅としていた専用線(同駅開業前は平塚駅所管)1996年9月まで使用されていたらしい1970年代の終わりに東海道本線、国道1号線をくぐるあたりで線路付け替えが行われているつまり新旧線が存在するということ住宅間の空き地が相模石油線跡左へ曲がっていく廃線跡撮影地点付近が新旧線分岐点で、右の住宅の並びが旧線跡になる旧線のほうは、横浜ゴム・日産車体工機線と重複するのでここでは省略『日産車体工機湘南工場専用線』訪
探索日2011/12/31山陽本線大竹駅を所管駅としていた専用線興亜石油麻里布製油所、日本燃料岩国工場専用線と一部共用塀のむこうが三井石油化学工業(現在は三井化学)専用線は塀の手前沿いを走り、こっちへのびてきていた運河に架かる橋りょう跡橋りょうを大竹駅側から見るバラストの残る路盤跡距離標2000年ころまで使用されていたらしい踏切跡奥へ直進する三井化学、興亜石油共用線跡踏切跡右は三井化学正門このあたりで右側から日本燃料線が合流してくる線路跡に
今から9年前になります平成26年訪問時に撮影しておりました、大分市の上の画像1にあります日豊線鶴崎駅より延びておりました、旧九州石油(現・ENEOS)大分製油所専用線探訪の話題をご紹介しておりますが、前回では鶴崎駅より少々先までに関しましてをご紹介しておりました。この旧九州石油大分製油所専用線は、鶴崎駅より北側にありますENEOS大分製油所までその鶴崎駅から延びておりまして、ガソリンを運んでおりました貨物列車も、末期時には長崎線神埼駅などへ運行されていた事もありました。しかし、残念
探索日2016/11/06東海道本線清州駅を所管駅としていた専用線1984年頃まで使用されていたらしい電気化学工業名古屋サービスステーション専用線が接続塀のむこうに構内線があった左は東海道本線あのひさしの下が構内線跡踏切跡ここに二線のレールがあったなんとなく痕跡が残っている左下に金属片あるけど、あれはレールちゃうぞあの左か右、もしくは両方に線路があったと思う東海道本線を313系電車が通過あの柵の手前沿いを構内線が走ってい
探索日2011/12/29山陽本線倉敷駅を所管駅としていた専用線伯備線から途中分岐していた1970年、倉敷レイヨンはクラレに社名変更する専用線廃止は、倉敷駅が貨物取扱を廃止した1973年か?クラレ工場(訪問時はクラレ倉敷事業所(酒津))柵のむこう沿いを構内線が走っていた植え込みの位置が構内線跡lこのへんが工場への進入口なんの痕跡もないこの付近で道路をななめに横断していた跡は皆無クラレ線は「イオンモール倉敷」自転車置き場のあたりを奥に向かって走
探索日2015/11/23東海道本線平塚駅を所管駅としていた専用線横浜ゴム平塚製造所専用線が接続していた廃止は1971年あたりWikipediaに「日産車体・横浜ゴム線は1975年頃まで使用されていた」との記述があるけど、まちがいやと思う。1972年の地図・航空写真ではすでに消えとるからな日産車体工機・横浜ゴム線跡ここは相模石油平塚油槽所専用線と共用住宅の並びが日産車体・横浜ゴム線、相模石油線(旧線)跡左は相模石油線(新線)跡『相模石油平塚油槽所
探索日2015/09/19東北本線岡本駅を所管駅としていた専用鉄道川崎重工業宇都宮工場専用鉄道が接続していた関東麦芽などへの専用線も分岐する廃止は1980年代中頃と思われる(廃止時は日光製紙)道路の先が工場(訪問時は王子マテリア日光工場)への進入口横断歩道部分に踏切があった専用鉄道跡は自転車歩行者専用道路になっている「ふれあい道路」が廃線跡林は当時からある遊歩道が線路跡横断歩道の位置には踏切があった
皆さま、おはようございます!今朝は沿線に温泉地が数多くある吾妻線から、こちらの駅の訪問記でした。吾妻線・金島(かなしま)駅です!吾妻線の起点の渋川駅からひとつ目の駅でして、昭和20年1月に信号場として開設、同8月5日に金島駅に昇格しました。今ではすっかり観光路線と化した吾妻線ですが、ひと昔前は貨物列車が頻繁に運行されていたんですよね。自分、今でも吾妻線と聞くとEF12型電気機関車を思い浮かべますから。吾妻線は、群馬鉄山で産出された鉄鉱石を輸送するために敷設された路線です
どうも、蕨です。前回に引き続き、国鉄大隅線跡の高須-野里間の探索を続けていきます。===↓他の大隅線探索はこちら===・国鉄大隅線高須-野里①(鹿屋市)(大隅高須駅-滝ノ観音駅間)=====================地図赤線が廃線跡。今パートでは滝ノ観音駅から大隅野里駅間をやっていきますヨ。前回の探索終了地点から少し先へ進むと、高須川側が開けてきます。浅い切通。俳句のモニュメントが設置されていました。個人的に好きなのはこの句です。自由すぎ
探索日2012/05/04中央本線新守山駅を所管駅としていた専用線バラストの残る廃線跡むこうが新守山駅駅から600メートルほどは中央本線と並走する架道橋跡313系電車8000番台が走っているとこは中央本線手前にアサヒビール線の橋が架かっていたこれは貨物側線のガーダー橋これもアサヒビール線の一部かもしれんけど側線のほうはレールが残っている中央本線をくぐっていた線路橋跡中央本線と交差した先で道路を横断踏切の跡が残る工場への進入口写真中央、幅狭の小屋
探索日2011/03/20北陸本線敦賀駅を所管駅としていた専用線1996年頃廃止されたらしい構内に平面交差があったあの門が工場への進入口手前は国道8号線踏切の跡がなんとなく残っている工場内を激撮奥にむかってまっすぐ構内線が続いていた拡大投影構内には平面交差があった門前から敦賀駅方面を見る塀の横から中を盗撮軽トラックの右が廃線跡拡大投影左へカーブしていく線路用地がおわかりだろうか上記の場所を敦賀駅方から見てみる左のコンクリート塀沿いが廃線
探索日2015/04/05高徳本線勝瑞駅を所管駅としていた専用線廃止は1984年と思われる1975年の空中写真勝瑞駅専用線現役時代は下りホームの位置に貨物用側線があったよう東邦レーヨン線はこのへんから左へのびていく痕跡はない専用線が通過していた場所には徳島県立徳島北高等学校が立地ここには東邦レーヨンの社宅らしき家が並んでいた専用線はこのへんで道路を横断、工場へ進入していた跡はまったくない工場は2001年(当時は東邦テナックス)に閉鎖されて
探索日2017/12/29南武線宿河原駅から分岐、多摩川河川敷に至っていた砂利運搬線1951年の専用線一覧では、織戸組専用線として記載がある1955年の航空写真では河川敷の線路はすでにない廃止はこの間ということか砂利線はこの先で南武線から分岐、手前へのびてくる柵の右沿いが廃線跡砂利線跡は道路になっているいかにも鉄道の跡といったカーブ宿河原駅方面を見る多摩川堤防上から駅方面を見る奥へ続く道が砂利線跡ここから奥にむかって砂利線
探索日2014/08/12名古屋鉄道犬山線木津用水駅を所管駅としていた専用線廃止は1968年らしい踏切跡白線の右に専用線があった看板の立ってるとこが線路跡空き地が専用線用地むこうが木津用水駅工場方面を見る東洋紡績線は民家の間へ続く左端の道は線路の跡ちゃうぞ道路になった廃線跡鉄道時代のカーブを忠実に再現道が廃線跡犬山線を6000系電車が走る線路跡の道路はここで終わりこの先は住宅が建つ民家のならびが廃線跡右は木津用
訪問日2012/03/20鹿児島本線竹下駅を所管駅としていた専用線駅から途中までは朝日麦酒博多工場専用線と共用板付基地は現在の福岡空港旧日本陸軍席田飛行場への引き込み線として開業、終戦後アメリカ軍に接収され基地専用線になったと推測するこの橋台はアサヒビール線のものすぐ左に板付基地線の橋が架かっていたはずやけど、遺構は残っていない基地専用線は水路右の植え込みの場所を通過していた基地線は福岡県道553号線をななめに横断し奥へ直進する沖学園高等学校の茶色い棟の左半分が鉄
探索日2017/12/29鶴見線大川駅を所管駅としていた専用線廃止は2008年3月15日らしい※昭和電工線以外の専用線は省略左、雑草に埋もれるレールが昭和電工線跡右のレールは大川駅構内線工場方面を見る左奥は大川駅踏切跡奥は大川駅警報機/遮断機はなかったよう踏切上で二線に分岐工場への進入口二線の線路が工場に引き込まれる
探索日2017/12/29鶴見線扇町駅を所管駅としていた専用線廃止は1984年頃と思われる※昭和石油線以外の専用線は省略昭和石油線はここで道路をななめに横断していた踏切跡から油槽所方面を見る専用線は緑地帯と建物の間へのびていく専用線用地が舗装されて残っている東亜石油は旧昭和石油上写真の箇所を油槽所側から見る油槽所への進入口門が残っている構内線は、右奥からカーブしながらこちらへのびてくる構内線は写真中央付近を左右に通過構
探索日2017/12/29鶴見線扇町駅を所管駅としていた専用鉄道2008年3月限りで運行停止したらしい※昭和電工線以外の専用線は省略踏切跡レールが残っている警報機も残る上のやつは遮断棒ではない扇町駅方面を見る工場への進入口構内のレールも残るレールはあそこで途切れている
探索日2014/12/28紀勢本線高茶屋駅から分岐していた軍用線終戦直後に廃止されたと思われる海軍工廠線は紀勢本線の右に隣接して走っていた撮影地点がそれっぽいけど、ここは跡やないわ工廠線が走ってたんは、右端の畑部分工廠線は写真右端を通過わずかに残る路盤跡奥へ直進する海軍工廠線専用線はこのへんを奥にむかって通過特に跡は残っていない住宅のならびが廃線跡軍用線は津興産業の右へ続く右の土盛りは築堤跡か?左の築堤部分が線路跡土
探索日2013/01/13東海道本線貨物支線(神戸臨港線)湊川駅を所管駅としていた専用線途中までは神戸くみあい飼料専用線と共用この付近一帯が湊川駅跡川崎重工業線はこっちへのびてきていた左手前のビルは神戸市総合教育センター歩道がほぼ廃線跡になる神戸市立湊小学校前を通過専用線現役時、学校はなかったけどな川崎重工線はここから奥へ直進右は防潮扉のレール防潮扉の手前沿いが廃線跡畑の列が線路用地工場方面を見る手前の畑区画が廃線跡ここで神戸くみあい飼
探索日2017/12/30青梅線拝島駅からのびていた貨物線開業は1920~30年代、廃止は1960年代米軍横田基地専用線は、燃料倉庫線の途中から分岐する形で敷設されたよって、燃料倉庫線の一部は横田基地線として現役踏切の位置が横田基地線との分岐点燃料倉庫線は左へ分かれていく分岐部分の路盤が今も残っている燃料倉庫線は建物間のスペースへのびていく拝島駅方面を見る駐車場になった廃線跡道路が燃料倉庫線跡奥へ続く燃料倉庫線現在は拝島自動車教
当時、京急の3線軌条区間は2ヶ所ありました。ひとつは、金沢八景駅に隣接する東急車輛(現総合車両製作所)から神武寺駅までの区間です。東急車輛のゲートから3線軌条になっています。構内入換車は、こどもの国線から転属したデハ3405です。神武寺駅先から1067㎜軌条が分岐します。当時は新造車両の搬出と併せて、国鉄解体車両の搬入を行なっていました。もうひとつは、大師線川崎大師駅手前から味の素工場へ分岐する貨物線でした。下り線が3線軌条となっています。3線軌条のうち、1067㎜軌条は小島
探索日2011/03/19小浜線松尾寺駅を所管駅としていた専用線日本板硝子舞鶴事業所1号地手前の建屋左から、こちらにむかって構内線がのびてきていた1号地線はこの門から構外へ出て、2号地へ進入する1号地を出た線路は京都府道21号線を横断し、2号地へ入っていく門が2号地への進入口2号地手前にある橋りょうこれは廃線後に架け替えられてるな2号地内を見てみる道路が構内線跡この先で北側、南側の2線に分岐する南側線は工場の真ん中を通過するので探索できない柵沿いが