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探索日2016/05/03流山電鉄(現流鉄)流山駅を所管駅としていた専用線廃止は1969年※キッコーマンからの貨車は二度スイッチバックして駅へ進入する流山駅前黄色線のとこがスイッチバック折り返し地点ここが折り返し地点奥へ続く道が廃線跡ここが線路跡あの黄色線の位置で折り返す道が廃線跡左は流山駅柵の右沿いに線路があった柵の湾曲はその名残奥へ続く道がキッコーマン線跡左の線路および歩道橋の支柱の位置が廃線跡途切れているレールが
茨城県陸上自衛隊古河駐屯部隊専用線2015/09/22常磐炭礦神之山坑専用線2016/04/29関本礦業専用線2016/04/29山口炭礦専用鉄道【前編】2016/04/29、04/30山口炭礦専用鉄道【後編】2016/04/30重内鉱業専用線【前編】2016/04/30重内鉱業専用線【後編】2016/04/30茨城無煙炭鉱曳索軌道2016/04/30常磐炭鉱茨城鉱業所中郷坑専用線2016/04/30日本加工製紙高萩工場専用線2016/04/30高萩炭礦専用線(北
探索日2012/08/11中央本線高蔵寺駅から分岐していた軍用貨物線鯎(うぐい)川に架かるガーダー橋これが高蔵寺工廠線唯一の遺構現在はふもと橋となっているここから左へ曲がっていく線路があった痕跡はまったくないここから工廠までには、これといった遺構はない橋りょう跡から高蔵寺駅方面を見るここは道路そのものが廃線跡道路が線路跡当時の擁壁か?道路が補給廠線跡211系電車が走っているとこは中央本線高蔵寺工廠方面を見る中央本線を383系電車
富山県富山港線(先端区間)2006/09/05富山港線貨物支線(富山港線)2006/09/05北陸本線旧線(泊~越中宮崎)2010/10/08日本カーバイド工業魚津工場専用線2010/10/08富山港線貨物支線(奥田線)2010/10/08富山港湾運送専用線ほか2010/10/08東洋曹達工業富山工場専用線ほか2010/10/08富山港線末端区間2010/10/08北陸本線貨物支線(蓮町線)蓮町駅付近2010/10/08電気化学工業富山サービスステーション専
探索日2012/12/22名古屋鉄道名古屋本線美合駅を所管駅としていた専用線廃止は1966年7月1日むこうに見えるのが美合駅オレッちのいるとこに日清紡績線があった名古屋本線に沿う専用線用地名鉄線に隣接して走る廃線跡工場方面を見る架道橋跡コンクリート橋台が残る2200系電車が走っているとこは名古屋本線架道橋跡から美合駅方面を見る同じく工場方面を見る奥の築堤は名古屋本線日清紡線は、同線と別れこっちへのびてくるここに名鉄線と同高度
探索日2009/03/21東海道本線天竜川駅を所管駅としていた専用鉄道便宜上、駅から天竜川沿いにのびていた線を川岸線、そこから分岐する線をソーダニッカ線としておく川岸線の廃止は1993年東海道本線と隣接する専用鉄道跡架道橋跡レンガ積み橋台が残るこの専用線は明治時代の開通らしいからな架道橋橋台上から天竜川駅方面を見る安間川を渡る211系電車の走る東海道本線に隣接して日本通運線の橋が架かっていた架道橋跡やはりレンガ橋台が残る上記橋台上から天竜川駅方面を見
探索日2014/08/09小海線北中込駅を所管駅としていた専用線廃止は1970年代初頭と思われる小海線の右となりがスイッチバック引き上げ線跡津上製作所線はここで折り返し、むこうにある北中込駅へ進入していたよう小海線をキハ110形気動車が走るオレッちのいるあたりに専用線があった柵の手前沿いが廃線跡と思われる専用線はこの門の位置を通過していたもちろん、門は当時のものではない専用線は写真中央へのびていく津上製作所線は手前の木の左を通過右が北
探索日2011/11/25東海道本線島田駅を所管駅としていた専用線廃止は1960年代後半と思われる東海道本線海側に隣接する日清紡績線の用地むこうが島田駅工場方面を見る東海道線に平行して続く廃線跡800mほど東海道本線と並走する東海道本線を211系電車が通過専用線のスペースが続いている右へカーブし、東海道本線と分かれていく上写真の場所を工場方から見てみる東海道本線をEF65形電気機関車けん引による貨物列車が通過写真中央、軽自動車の停まっているとこ
中央本線旧線(高蔵寺~定光寺)2007/03/17ユニチカ豊橋工場専用線2008/03/24新所原駅渡り線跡2009/03/20小野田セメント田原工場専用鉄道2009/03/21トヨタ自動車上郷センター専用線2009/03/21ユニチカ岡崎工場専用線【2009】2009/03/21東レ岡崎工場専用線2009/03/21日本油脂武豊工場専用鉄道2009/03/22日油衣浦工場構内軌道2009/03/22日本肥糧半田工場専用線(半田駅分岐)2009/03/22日
別府鉄道野口線【1998】1998/11/15、22別府鉄道土山線【1998】1998/11/15、22高砂線【1998】1998/11/22、12/13播但線(飾磨港線)1998/11/23,12/02、1999/04/29,07/24他新日本製鐵広畑製鐵所専用鉄道1998/11/23、1999/05/09神戸鋳鉄所姫路東工場専用線【1998】1998/11/23北沢産業網干鉄道【1998/1999】1998/12/05,12/06、1999/05/09姫路市営モノ
北陸本線旧線(市振~親不知)【2003】2003/03/22信越本線旧関山駅2007/03/19北陸本線旧線(直江津~谷浜)2007/03/19信越本線旧線(米山~笠島)2007/03/19北陸本線旧線(谷浜~有間川)2007/03/20北陸本線旧線(名立~筒石)2007/03/20北陸本線旧線(能生~浦本)2007/03/20北陸本線旧線(市振~親不知)【2007】2007/06/02信越本線旧線(笠島~青海川)【2007】2007/06/03信越本線旧線(青
福知山線旧線(宝塚~生瀬)2013/03/31大阪陸軍兵器補給廠川西分廠専用線2013/03/31東洋紡績赤穂工場専用線2013/04/07住友大阪セメント赤穂工場専用線2013/04/07能勢電鉄妙見線旧線(鶯の森~皷滝)2013/04/14能勢電鉄妙見線旧線(平野~一の鳥居)2013/04/14能勢電鉄妙見線旧線(一の鳥居~畦野)2013/04/14能勢電鉄妙見線旧線(畦野~山下~笹部)2013/04/14能勢電鉄妙見線旧線(笹部~ときわ台)2013/0
貨車や荷物車のお話が続いたのですが、今回は少し趣向を変えて、専用線のお話をさせていただこうと思います。最近は、専用線自体が少なくなってしまいましたが、今から30年以上前の昭和59(1984)年2月、国鉄がヤード系輸送を廃止するまでは、多くの私鉄でも貨物輸送は行われていました。関西地域だけを取っても、狭軌の南大阪線や南海電鉄、小さなところでは有田鉄道や紀州鉄道、野上鉄道でも貨物輸送を行っており、国鉄の貨車が直接乗り入れていました。野上電鉄南海電鉄、こちらでは住友金属向けの輸送がありましたので
探索日2017/12/29鶴見線浜川崎駅を所管駅としていた専用線浜川崎~昭和駅間で途中分岐していた2011年9月30日工場閉鎖専用線廃止もそのタイミングか?※東亜石油線廃止時の線路配置※東亜石油線以外の専用線は省略奥は鶴見線こっちにのびてくるレールが東亜石油線車止め標識でレールは途切れる東亜石油線は奥へ続いていた神奈川県道101号線を横断踏切が現役時のまま残っている右は昭和駅警報機/遮断機も残る遮断棒は取り外されている
探索日2015/11/23東海道本線相模貨物駅を所管駅としていた専用線(同駅開業前は平塚駅所管)1996年9月まで使用されていたらしい1970年代の終わりに東海道本線、国道1号線をくぐるあたりで線路付け替えが行われているつまり新旧線が存在するということ住宅間の空き地が相模石油線跡左へ曲がっていく廃線跡撮影地点付近が新旧線分岐点で、右の住宅の並びが旧線跡になる旧線のほうは、横浜ゴム・日産車体工機線と重複するのでここでは省略『日産車体工機湘南工場専用線』訪
青森県青森県公共臨港線(鮫駅分岐)【前編】2015/08/07青森県公共臨港線(鮫駅分岐)【後編】2015/08/07八戸セメント八戸工場専用線2015/08/07八戸線貨物支線(湊線)2015/08/07八戸市第二魚市場線2015/08/07日東化学工業八戸事業所専用線2015/08/07日本高周波鋼業八戸工場専用線2015/08/07青森県第一専用線旧線2015/08/08青森県第一専用線2015/08/08青森県第二専用線2015/08/08
探索日2009/10/12御殿場線下曽我駅から酒匂川河川敷までのびていた砂利運搬線左は下曽我駅右のレールは秩父セメント(後の太平洋セメント)小田原サービスステーションへの専用線跡車庫の左に砂利線があった左のレールが砂利線跡になる今は行き止まりになっているけど、かつては先に続いていた砂利線廃止後は住友セメント(現住友大阪セメント)下曽我サービスステーション専用線として使われたようその住友セメント線も廃止されている砂利道が廃線跡枕木が残っている水路橋を
探索日2008/10/04紀州鉄道西御坊駅を所管駅としていた専用線廃止は1984年6月26日らしいキハ603が停まっているとこが西御坊駅専用線は手前へのびてくる右奥へ続く道路が廃線跡民家と川の間の敷地が線路跡国道42号線を横断した先に、数メートルだけレールが残るレールから続く廃線跡奥から手前にかけて線路があった踏切の存在を示すような跡があるまたレール出現専用線の築堤が残る築堤上にもレールが続いている埋もれつつあるレ
探索日2011/12/29山陽本線西岡山駅(貨物駅)を所管駅としていた専用線林原専用線と一部共用手前の線路が専売公社線の生き残りむこうが西岡山駅(現在の岡山貨物ターミナル駅)381系電車が走っているとこは山陽本線下り線工場方面を見る真上を山陽新幹線が走るレールはここでおしまい車止めから西岡山駅方面を見る奥へ続く専売公社、林原共用線専用線は新幹線の高架下を抜け、こっちへのびてきていた新幹線建設時、専用線は現役やったことがわかる専用線は奥へ続く専用線
探索日2016/11/20東海道本線茨木駅を所管駅としていた専用線廃止は1986年11月1日らしい右奥が茨木駅歩道の位置に専売公社線があった歩行者用道路になった専売公社線東海道本線としばし並走専用線は右へカーブし、公園トイレ左を通過トイレ右に線路があった柵の左沿いが廃線跡写真ではわかりづらいけど、柵は正規の区画に対しななめに立っている専売公社(日本たばこ産業)跡地はイオンモール茨木になっている
東海道本線貨物支線沼津港線(蛇松線)2004/01/13東海道本線旧線(用宗~焼津)【2004】2004/01/14トヨタ自動車工業東富士工場専用線2008/03/23住友セメント浜松工場専用線2009/03/20遠州鉄道奥山線(金指駅付近)2009/03/20日本たばこ産業磐田倉庫専用線2009/03/21日本通運天竜川支店専用鉄道2009/03/21ソーダニッカ専用線(?)2009/03/21本州製紙富士工場専用鉄道2009/10/12大興製紙専用線2
探索日2016/05/02常磐線神立駅を所管駅としていた専用線廃止時期は不明1990年の航空写真ではレールが確認できる駅から途中までは日本石油土浦油槽所専用線と共用神立駅跨線橋より撮影E657系電車右のレールが東京製綱・日本石油共用線レールが残る二社共用線踏切上はアスファルトがかぶせられている常磐線と並走手前の線路が専用線踏切部分のレールは撤去日本石油線跡左にタンクが並んでいた油槽所はすでになく、更地になっ
当時、京急の3線軌条区間は2ヶ所ありました。ひとつは、金沢八景駅に隣接する東急車輛(現総合車両製作所)から神武寺駅までの区間です。東急車輛のゲートから3線軌条になっています。構内入換車は、こどもの国線から転属したデハ3405です。神武寺駅先から1067㎜軌条が分岐します。当時は新造車両の搬出と併せて、国鉄解体車両の搬入を行なっていました。もうひとつは、大師線川崎大師駅手前から味の素工場へ分岐する貨物線でした。下り線が3線軌条となっています。3線軌条のうち、1067㎜軌条は小島
探索日2017/08/16東北本線大河原駅を所管駅としていた専用線戦後は駐留軍大河原軍用側線となった1958年3月駐留軍撤退、引き込み線も撤去されたらしい火薬廠跡は陸上自衛隊船岡駐屯地になっている※火薬廠内の線路配置は概略※火薬廠内には三か所のトンネルがあったらしいけど、一つは場所不明東北本線手前の草むらが火薬廠線跡畑になっている廃線跡ここが旧線路用地道路沿いが火薬廠線跡鉄道時代のカーブが残る道路になった火薬廠線跡線路の跡らしい
探索日2011/11/23東海道本線三島駅を所管駅としていた専用線2007年まで使用されていたらしい踏切の先が工場への進入口レールの残る踏切工場内をのぞいてみる構内線のレールも健在拡大投影この画像ではわかりづらいけど、車庫の中にディーゼル機関車がいる工場前から三島駅方面を見る当時のまま存置されるレール踏切跡警報機、遮断機がある知らんやつは一時停止するんちゃうかレールの残る廃線跡踏切先の高架橋は東海道新幹線ここも列車が来そうな雰囲気
探索日2014/10/112002年6月1日から休止中のようやけど、実質的に廃止状態なので廃線として扱う焼島駅からのびてくる東新潟港線東新潟港駅方面を見る拡大投影奥へ続くレールが貨物支線左へ分岐するのは北越紀州製紙新潟工場専用線(現役線)踏切のむこうは旭カーボン上沼垂信号場まで2.5宇宙キロ通船川を渡る通船川橋りょうしゅん工昭和42年になってるけど、この線はもっと昔からある架け替えられたようやな変なとこに車止
いつも拝見しているサイトf54560zgさん「懐かしい駅の風景」に下記の動画が掲載されました。http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/198881-f49d.html現在は磐越東線としては長めの有効長を持つ島式の交換駅(無人駅)となっていますが、専用線があり、貨物列車が発着していた頃は活況を呈していました。そのころの構内配線図は下記。出典:渡辺伸二磐越東線物語-全通90年史-2007年自費出版p.114動画の頃と変
探索日2013/05/03大糸線信濃大町駅を所管駅としていた専用線東洋紡績線は大糸線から分岐し、ここへのびてきていた専用線は国道147号線橋脚の左へ続く跨線橋は専用線現役時から存在する国道真下ここを専用線が通過していた大糸線をE127系電車が走る車の停まっているとこが元線路用地上写真の場所を工場側から見てみるはっきり路盤跡が残っているバラストも残る信濃大町駅方面を見る奥へ続く東洋紡績線あの門が工場への進入口踏切跡縁石
探索日2016/10/10東北本線赤羽駅から分岐していた火力発電所への専用線発電所は1958年11月に廃止専用線廃止もそのあたりと思われる北からの線は発電所建設に使用稼働開始にともない、南からの線に付け替えられ石炭を輸送したらしい高架橋は東北本線北線はこのへんにのびてきていた北線は中央ビルの位置へ続く植え込みの場所が北線跡今も線路用地が区分けされているタクシー会社敷地が専用線用地区画をななめに横切るためデルタ地帯が生成される高架
探索日2015/09/19東北本線宇都宮駅を所管駅としていた引き込み線1996年11月で工場は操業停止、専用線も使用されなくなったらしい車の列が日清製粉線跡高架橋は東北新幹線そのむこうが東北本線新幹線は1982年開業なので、専用線をまたいでいたことになる駐車車両のならびがほぼ廃線跡日清製粉跡地は駐車場になった構内線はほぼ直線やった駐車帯の湾曲は工場敷地の折れ曲がりによるものと思われるこのへんが専用線末端