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瀬嵐です~お久しぶりです~!!ふとブログのことを思い出しました全然書いてなかったので…これからちゃんと書こうと思うので瀬嵐ブログファンの皆さん見てくださいね~わらディーゼル機関車ってかっこいいですよね~電車のことほぼ知らない時も見たらこれかわいいとかかっこいいなあっておもってました実際ディーゼル機関車を集めてるお客様もたくさん見かけるのでやっぱり人気なんですねといわけで今日はたまたま目に入ったTOMIXのディーゼル機関車3種類紹介しますね~
こんにちは。今日はNゲージ鉄道模型、最近よく出て来る14系寝台特急出雲3,2号編成についてです。ようやく自分的に完成形かなーという所まで持って来れました。出雲は先月DD51牽引で2度も記事にしていますので、今回はEF65PF牽引としてみました。東京-京都間のイメージです。弄ったのは機関車ではなく14系客車の方です。KATOの10-598,59914系寝台特急”さくら”セット車をあれこれ弄って”出雲”編成にしています。編成表にするとこんな感じ、10両編成中8両を3段寝台→2段寝
こんにちは。今日はNゲージ鉄道模型、コツコツ進めて来た自作室内灯化ラスト1編成になります。285系寝台特急”サンライズエクスプレス”です。KATOの7両編成が2本、計14両が在籍します。今や日本で唯一の定期寝台特急となってしまったサンライズ瀬戸、出雲、それぞれ7両編成が2本併結された14両で東京-岡山を走行し、そこから分割され”出雲”は伯備線、山陰本線経由で出雲市へ、”瀬戸”は瀬戸大橋を通って高松へという列車です。(下り列車の話、上りは逆です。)模型でも併結、分割双方の運転が出来る
平成9年9月の週末、西鹿児島行き寝台特急列車「はやぶさ」は、電源車を含めた15両の堂々たる編成をEF66型電気機関車に牽かれて、定刻18時16分に東京駅10番線を発車した。久しぶりの「九州特急」の道行きである。「九州特急」に乗ったのは、昭和63年に「みずほ」で熊本に出掛けて以来であるから、平成の御世になって初めて、実に9年ぶりであった。「九州特急」は他の夜行交通機関に比べて発車時刻が早いので、仕事を片付けて東京駅へ駆けつけるまでが慌ただしく、2段式B寝台の一角に腰を下ろしてひと息つくと、間
こんばんは。今日はED75機番シリーズの91回目、741号機です。旅客を中心に、貨物列車牽引の姿も見られた機関車です。ED75741[秋]1972年落成→[福]1980~1986年に半年ほど古巣秋田へ里帰りしたようですが、1980年以降は基本福島機関区(運転所)在籍でした。最初に出会ったのはこんな写真、24系寝台特急を牽引する姿です。あと10日ほどで国鉄時代が終わりを迎えるという時の撮影でした。”あけぼの6号”、この頃はまだ3往復も運転されてたんですね。1987/03
国内最後の定期運用がある寝台特急として、鉄道旅の楽しさを今に伝える寝台特急サンライズ瀬戸&出雲その両列車の唯一といって最大の弱点として、車内での飲食が出来ない…という部分がありましたが、東京駅から乗車する場合に限り良い感じに補完するレストランが出来たので行ってみることにということで、オープンし立てのグランスタ東京内にあるステーションレストランザセントラルへこちらのレストラン、食堂車風のレストランというだけでなく、メニューの監修が北斗星やカシオペア号でフランス料理を担当し
7日目の夕食は、アンカラ市内が一望できるレストランで。テラスからの眺望が素敵で、もうすぐ終わる旅の最期を予感してちょっと寂しい。食事も美味しくいただいて、デザートにでたトルコアイスを喜んでネルネルしていたらお隣のツアー客が珍しそうにのぞき込んできたので(この当時はまだトルコアイスは一般的ではなかったので)「あ、これデザートのトルコアイスですね。こうして練るとおいしいですよー」と話していたら、そちらのグループのデザートはフルーツでした(笑)その後アンカラ駅へ向かいます。ここから
2005年まで走った寝台特急「あさかぜ」。東京ー博多間を走った往時の「本家」は13〜15両編成でしたが、下関止まりの「分家」が残った晩年は短い9両編成でした。それでも、年末年始やお盆などの多客時は4両を増結し、見応えのある13両編成で運転されてました。多客時に13両編成となった晩年の「あさかぜ」。後部に4両増えるだけでブルトレとしての貫禄がグッと出ます=厚狭ー埴生、2005年望遠レンズで撮影しても画面が引き締まりました=埴生ー小月、2004年晩年の「あさかぜ」は
(寝台特急「富士」脱線事故・1)では、脱線の原因と経緯について書きました。今回は、その続きです。西明石駅構内へ足を運んでみると、機関車次位に連結されていたオハネフ25がホームに激突して大破していました。オハネフ25-104進行方向右側が原型をとどめていない程、大破しています。幸いだったのは、大破したのは寝台側ではなく、通路側だった事です。オハネフ25-104さらに駅構内の先にけん引していた機関車が停止していました。EF65-1099機関車は脱線する事
2021年4月。JR四国の「バースデイきっぷ」を利用して、四国の観光列車に乗りまくる旅を計画。『観光列車も乗り放題!JR四国【バースデイきっぷ】で行く、四国一周旅行!』春の青春18きっぷで、季節を遡ったり、車窓からお花見したり、日帰り旅行を楽しんだりした後は、久しぶりに四国旅行に行ってきた。と、いうのも。4月は私の誕生月。…ameblo.jp有給を召喚して土日と連結。三連休の錬成に成功したため、一路、四国へ。旅の始まりは東京駅から。2021年春のダイヤ改正で、東京駅の発
こんにちは。今日はNゲージ鉄道模型KATOの24系北斗星デラックス編成(10-831,832)の続きです。この編成は写真のように個室寝台が中心、実に色々な形態の車両が繋がっており、自作室内灯装備にはそれぞれ工夫が必要でした。このように均一に室内が光るようにカスタマイズ出来るのは自作テープLED作戦の強みです。先日の583系寝台特急”はくつる”ではブラインド表現を入れました。ブラインドなら隙間から光が漏れてもおかしくないと思いますが、24系は遮光カーテンだった筈。完全に近い形で遮光する
皆さんこんにちは。今回は、同じネガにあった別な日の写真です。この日は、偶然大阪駅で国鉄特急色の583系と遭遇うしました。サロ581-6。583系のグリーン車。リクライニングシートの並ぶ座席車。他のB寝台車と編成美を揃えるために天井が高く解放的な車両でした。モハネ582-58。パンタ付中間電動車。583系は、B寝台3段式なんですがパンタグラフの設置部分だけ2段式になっていてその上段部分は、他の上段部分と違って下段並みの幅があるのが特徴でした。そして寝台料金でも
今年もやってきた誕生月。誕生日の月限定で利用できる、JR四国のとってもお得な企画きっぷ「バースデーきっぷ」で、四国をくるりと楽しむために、有給を取得して3連休を練成。仕事帰りに寝台特急サンライズで四国へ向かうことに。軽く夕食をとってから東京駅へ向かい、ホームに上がったタイミングでちょうどサンライズが入線。自宅に戻ってシャワーを浴びている時間はなかったのでまず向かったのは3号車に設置されているシャワーカードの販売機。何とか無事に購入完了!週末でもない平日だと言うのに、
こんばんは~。yasooです。待ちに待った、TOMIXから本日発売された「彗星」を引き取りに行ってきました🙌TOMIX98450JR14系15形特急寝台客車「彗星」セット寝台列車の末期時代を製品化しています。しかも閑散期のミニマムな4両編成セットです。国鉄時代の寝台特急と言えば、14~15両編成が普通でしたけどね。これはこれで、小さなレイアウトでも扱い易いと思います😄ケース下半分には、こんなインサートが入ってます。九州内で分割後の画像ですね。お察しの通り、単品オハネ15✕2でフル
寝台特急「サンライズ出雲」で目指すは鳥取県の米子駅。米子駅には朝9時過ぎ着なのでスマホの目覚ましも止めて、個室Bソロでゆっくり朝寝を楽しもうと思っていましたが、6時半前に車内アナウンスが!?岡山駅で高松行きと出雲市行のサンライズの切り離しがあるんだね。鉄道ファンの皆さんが早起きして動画を撮影していました^^「サンライズ瀬戸」が先に四国高松に向けて出発。「サンライズ瀬戸」は「出雲」に比べてチケットがやや取りやすいので高松にはBシングルに乗って行きたいね~さてさて。
紀行作家宮脇俊三氏に『「富士」の哀れ』と題したエッセイがある。『列車に愛称名がつけられたのは、いまからちょうど50年前の昭和4年9月、東京‐下関間を走っていた1・2等特急を「富士」、3等特急を「櫻」としたのが最初であった。翌昭和5年10月には東京‐神戸間に特急「燕」が新設され、これら3本の列車が戦前の日本を代表する優等列車として君臨した。とくに「富士」は、速度の面では「燕」に1歩を譲ったものの、寝台車、洋食堂車、展望車を連結して格式が高く、列車番号も下りが1列車、上りが2列車であった。
僕にとって、上野発の夜行列車の最後の物語は、平成25年11月初旬の連休中、信州からの帰り道に高崎駅に立ち寄った時に始まる。高崎まで乗ってきたのは長野新幹線の上り最終「あさま」534号で、時計の針は深夜10時半を過ぎようとしていた。翌日の旅程に合わせて前橋市内で1泊する予定であったから、両毛線の電車に乗り換えようと在来線ホームへの階段を降りていると、静まり返っていた構内に、不意に拡声器のアナウンスが響き渡った。『次の3番線は、22時48分発の寝台特急「あけぼの」青森行きです』最
高松からの帰路に寝台特急を選んだわたし。けれど、乗れるとなったらなったで、心配なことがいくつもありました。▲一階の個室だったので、ホームが目線の高さ。ちょっと楽しかったです。一つ目は、シャワー。真夏のセミナー&懇親会後で汗でベタベタであることを想像すると、そのまま過ごすのはイヤ。ありがたいことに、サンライズ瀬戸にはシャワーがあるらしい。けれど、利用するために必要なシャワーカードは数量限定で買えないこともあるし、シャワー室はかなり混むらしい。ということで、ネットでオススメ
日曜日の夕方NHKの「72hours」「鹿児島空港旅立ちの春に」この番組好きです。今回空港だったけど、40年以上前、わたしの頃はJR!「寝台特急」でした。友達二人で大学京都まで。飛行機とJRの違いはあっても、「旅立つ人」と「送り出す人」気持ちは一緒ですねー!胸キュンの日曜日の夕方でした。
近年、鉄道雑誌やディーゼル機関車関連サイトで、ディーゼル機関車DD54が寝台特急《出雲》を牽引した期間が昭和47年(1972年)3月から昭和49年ごろまでと記されている記事を散見します。此の昭和49年ごろの“ごろ”と言うところが微妙ですが、昭和48年8月の夏休みに山陰本線西部へ撮影に行った際に、既にDD51が牽く特急《出雲》を実際に写真に撮っている私にとっては、とても違和感を覚える記事です。上は昭和48年3月黒松駅下り方で撮った写真です(無断転載厳禁!)上↑のDD5435
かつて東京駅から九州各地へ走っていたブルートレイン。一夜明けた本州西端の下関駅ではけん引する電気機関車の交換が行われていました。直流のEF65、EF66形から交流・直流両用のEF30、EF81形へ、恒例の「儀式」は多くの鉄道ファンに親しました。先日、姉妹ブログ「歴鉄2番線」に当時を振り返る記事を書きましたが、思い出の3、4番線の九州寄りが今どうなっているのかが気になりました。せっかくなので久しぶりに訪れてみました。下りブルトレの機関車交換が行われた下関駅3、4番線の九州寄り。
JR尾久駅から徒歩15分ほど陸橋を渡り駅の反対側に留置されたブルートレインに会いに行きました。定期引退した185系もいます。陸橋からスマホの望遠の限界からの中央にブルートレイン見えました。塀からのぞいて1番近い位置からまた望遠で。雑草に紛れる車体達遠くに見えます。。。ここから先は行けません。ので望遠で近づきました。オハネフ2514引退してはや5年以上留置。北斗星車両再開。全国の保存車両の元北斗星は①ヒロサワシティ栃木県下館4両レールパーク②北斗星スクエア北海道函館2両
ここ10年、毎年1月3日の夜は横浜で過ごすことに決めている。昨年はコロナ禍により配信のみとなり連続は途切れたが、それまでは毎回最終的には必ず横浜まで足を伸ばして、エージ&テツの恒例ライブイベントに顔を出す決まりを貫いていた。『2019-2020年末年始の鉄分+α』さて、正月休みも6日で終わり…とか言いつつも、私的(家業的)には既に2日からスタートしていましたが。この年末年始、さまざまに動きがありました。ありましたという…ameblo.jp『2019年、イベント初め〜今年もアクティブに、
青森行き寝台特急列車「はくつる」1号は、定刻22時20分に上野駅13番線を発車した。ホームの照明が煌々と照らし出す売店やベンチ、そして見送りや次の列車を待つ人々といった雑然とした光景が、ゆっくりと後方に流れ始め、速度が増すにつれて溶けるように輪郭がぼやけたかと思うと、一瞬にして暗転した。僕は乗り出していた身を沈めて、ほっと溜息をついた。上野駅に駆け込んだのが、案外ぎりぎりの時間だった。既にホームに入線し、扉を開けている列車のデッキに慌ただしく足を踏み入れると同時に、『「
おっす。5547です。いきなりですが、第1回コナン映画タイトルありそうな選手権。ノミネート作品①群青の夢物語(ファンタジー)②七彩の協奏曲(コンチェルト)③深黒の惨劇(トラジディー)④破砕の引鉄(トリガー)⑤蒼天の白翼(ホワイトウイング)⑥霹靂の刺客(ラストオーダー)⑦虹の寝台特急(エクスプレス)昨日、考えました。まじなやつ。そんなことより、みんな~パスタ、巻いてる~?さぁどの作品が見たいですか?■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
#列車#子連れ旅行#vlog#寝台特急#鉄道#香川県#東京#サンライズ瀬戸#高松#ひとり旅#観光#旅行#サンライズ#サンライズ出雲2024年2月ずっと前から乗ってみたかった、サンライズ瀬戸号下り(東京→高松)に乗車してきました。サンライズ号が大好きな孫と一緒です。幼児連れのサンライズ号、車内での過ごし方や様子をシェアします。サンライズ瀬戸は、804kmを9時間30分かけて走ります。サンライズ瀬戸・https://www.toretabi.j
はいどうもこんにちは♪ということでまたまた乗って来ちゃいました寝台特急^^v約1年ぶりの乗車♪前回はサンライズ出雲でしたが今回はサンライズ瀬戸に乗車します(^O^)※前回の様子はコチラというか先月も高知と高松行ったばかりですがまたまた四国上陸^▽^だんだん四国好きになってまいりました^^;仕事をギリギリまでやって東京駅へ今回乗車のサンライズ瀬戸は珍しく琴平行きしかし今回は本来の終点駅である高松で下車します今や貴重な寝台特急
消滅してしまった撮影地の一つに、東海道本線三島・函南間にある竹倉温泉がある。東海道ブルートレインがEF58やEF65P牽引の頃から、富士山をバックに撮影できるポイントとして撮影ガイドには必ずと言ってよいほど紹介されていた超有名ポイントであった。富士山がくっきりと見えるのは空気の澄んだ冬から春先にかけてであり、僕もその時期に何回か訪れたことがある。↓撮影地は道路から斜面を登った林間初めて訪れたのは1981年12月。三島駅で荷32レの先頭に立つ浜松区のEF5860号機を撮ってからバスに揺られて
北関東発帰りに寝台特急サンライズ号に乗る。その本題のために行きをどう楽しむか。そういう旅の話。落ち着いてた感染状況も次第に増加傾向。つかの間だったお出かけムードに陰りが出てきたそんな2022年7月。3日目第④話最終回!3号車シャワーカード購入の列に並ぶこと30分19時も半ば松江に着く頃には買えたかな。これはとっても無駄な時間。しかしやっぱりサッパリしたいじゃない?(すいません7月の記事です)やっと自室に向かいます。乗車16回目にして今回初のタイ
ボーッとCM見ていたらどうやら豪華列車食堂車の設定のようです。大抵この手の鉄道旅シチュエーションCMはハリボテ架空車両のセットあるいは良くていすみ・小湊のキハベースでありますがヌヌッ?このランプシェード壁とフラットな二重窓これは!!昔の写真を引っ張り出して(元祖山中鉄道鉄道部クン登場w)やはりこの天井もこれはまさに!かつて上野~札幌間で運転されていた寝