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先月、三宅島にて流人について学んできましたが(そのときの記事はこちら→★)今回、八丈島でさらに知識を深めることができたのでまとめていきたいと思います。【伊豆七島への流罪人】伊豆七島への流罪は、東日本で捕まった人たちでした。初めは伊豆七島全体が流罪地となっていましたが大島は本土に近すぎること、小さな離れ島は島人・流人ともに大変だということで寛政8(1796)年に、新島・三宅島・八丈島のみになったそうです。(ただし例外もあり、その後、青ヶ島等に流された人もいます)流罪判決を下
先日の「環駿河湾海城めぐり」に続き、この週末地域限定城めぐり「続・新岡山城宇喜多家二代とその妻」もついにフィナーレを迎えました。本企画は2年連続の企画であったにも関わらず、こちらも大変多くの方にご参加頂きました。誠にありがとうございます(涙)今回の全スポット制覇特典は「豪姫」を登用できるというものでしたが、同時に前回の「円融院(おふく)」も抽選で登用できるようになるというものも用意されていました。この抽選に関しては、2025年4月中旬に抽選を行い、発表は当選された方への
東京から一番近い南国と呼ばれる八丈島は羽田空港からわずか55分で到着します。例によって南国好きのシオカワがお土産で送ってくれた写真をご紹介します。詳細は、シオカワがHOT一息で紹介していますので、こちらは石に注目してご紹介します。八丈島のキョンは、マンガのギャグで有名になりましたが、環境省指定の特定外来生物です。もともと、動物園で飼育されていましたが、逃げ出して野生化し、増えたもので、シカ科に属する野生のキョンは農作物や自然植生を食い荒らす食害が増えているそうです。さて、かつて八
織田家の家臣であった者が大名となり、幕末まで続いたお家のお城紹介という切り口で、只今進行中ですが、本日からは、少し複雑な経緯の中で池田家が手にいれ拡大した「岡山城」(岡山県岡山市)についてお話をしていきます。戦国時代、宇喜多直家がこの地の丘陵であった石山に城を築いたのが始まりで、その息子宇喜多秀家が岡山の丘陵地を取込んだ形で「岡山城」として拡張しました。秀家は豊臣家の五大老になりましたが、関ケ原の戦いで西軍で戦ったことで、改易その後は八丈島へ流されました。宇喜田秀家時代の石垣(左-大