ブログ記事829件
吉備津神社と吉備津彦神社を見た後は午後からまだまだ時間の余裕があったので~やって来ました岡山城🏯p(^^)q今回の旅の第2目的です🎵オッサンの・・・(笑)岡山駅前から路面電車の岡電乗って城下まで🚃そこからはテクテク🚶♂️路面電車の駅から直接地下に入り交差点を渡ること無く安全にお城方面に行けます(^_^)観光客も多いのでこれは良いですな(^^)dちょっとした噴水のある地下テラスで暑い夏は涼しそうでしたね(^_^)岡山に着いたら雨もあがっていてさすが晴れの国です🍑岡山🍑
岡山城は天下人の面影を偲ばせてリニューアルした金鯱と金箔瓦の輝く天守は宇喜多秀家が築いた烏城1945年米軍の空襲で焼失したが1966年に再建された表書院跡の中段から不明門を潜ると本段に入ります外壁が黒塗りであった為に烏城(うじょう)と親しまれる天守内の展示物でリアルに再現された岡山城内模型天守6層階から北に日本三名園の岡山後楽園の眺め眼下に流れる旭川は城を取り巻く天然のお堀でした西方は毛利勢に睨みを効かせて建築された城構えで東方は織田・豊臣勢
覇)北の政所:武家内助の鑑覇)長尾為景:奸猾狡知の雄覇)毛利元就:中国地方の覇者覇)真田幸村:万死一生の士覇)津軽為信:最北の梟雄覇)北畠具教:剣客国司覇)宇喜多秀家:光風霽月の姿覇)伊達成実:勇武無双覇)長宗我部元親:憚赫千里©コーエーテクモゲームス
2021年7月下旬の関ヶ原散策の続き。「石田三成陣跡」「島左近陣跡」である「笹尾山」と「笹尾山交流館」を見学した後は、「島津義弘陣跡」に向かいました。石田三成陣跡・島左近陣跡・笹尾山・笹尾山交流館のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12878588818.html『石田三成陣跡・島左近陣跡・(笹尾山)と、笹尾山交流館と~岐阜県不破郡関ケ原町の史跡』2021年7月下旬の関ヶ原散策の続き。「黒田長政陣跡」「竹中重門陣跡」でもある「岡山
歴史面白話その壱江戸と京都の違い歴史から観る生活文化の違いこれを聴けば時代劇が12倍楽しくなる!「下る」「上がる」「下らない物」とは江戸の水と京都の水の違い井戸の仕組みも違う道は左側右側を歩くなぜ?濃口醤油と薄口醤油の違いは?その陰には近江商人が江戸は蕎麦上方はうどん関東と関西はどこから?餅は角餅丸餅?朝にご飯を炊く夕方にご飯を炊く茶碗と湯呑みの違いは?江戸は方言だらけの町時5月23日土曜日午後2
今日は妖怪談義にしますが、「海難法師」の場合は妖怪というより怨霊のほうが正確なのかもしれません。なぜかというと、元々は人間だったからです。まず、海難法師の話が伝わっているのは伊豆諸島です。ちょっと歴史を見てみましょう。680年、駿河国から分かれるかたちで伊豆国が設けられ、724年、伊豆国は遠流の地として定められます。以来ずっと、伊豆諸島は流刑地としてのイメージがつきまといます。このことは海難法師の伝説に何かしら関係があるかもしれません。有名な流刑人としては、保元の乱の源
岡山での講談のお仕事✨ここは岡山を作り制定した宇喜多家の亀山城の近く✨😊息子の宇喜多秀家も面白い人間性の背景が沢山あります😌それについてはまた次回、講談会で行かせて頂きますのでお話ししますね🙌近くに刀剣博物館があり、主催者さまに連れてって頂きたっぷりと観てきましたよ⚔️✨講談で備前長船なんて言って実際に見たり触ったりした事もないものを語りたくないですからねぇ😄😆帰りの新幹線でも刀の文献を夢中で読みふけりあっという間に大阪着⚔️✨打ち上げに連れて頂いた"ヒゲとワイ
歴史の上にある京町屋豊臣秀吉・秀長宇喜多秀家・徳川家康などの邸跡秀吉が建てた幻の名城「聚楽弟」その近辺が武家屋敷その跡にある125年の京町屋あるご縁で定期的に純庵講座を開講歴史・暦・心学の茶論を展開名付けて「百徳松楽」(ひゃくとくしょうらく)まずはお披露目に5月23日土曜日午後2時から斜め向かいが「佐々木酒造」(徳川家康邸跡)(俳優佐々木蔵之介氏実家)そこを見学します町家がある場所は「宇喜多秀家」邸跡すぐ北が大和大
こんばんは、mmm(まーママ)です。3月15日(日)岡山後楽園から月見橋を渡って「岡山城」へ。廊下門(ろうかもん)本丸の搦め手(裏手)にある櫓門。築城時の石垣地中から発掘された宇喜多秀家の頃の石垣。不明門(あかずのもん)江戸時代、藩主の移動は天守近くにあった渡り廊下で行われていて、この門は普段閉ざされていました。天守の礎石「天守の礎石ね。えっ、天守のそ・せ・き???。ということは、現存天守じゃないってこと!!!」ここで、ワタシの勘
4月11日(土)千姫様の生誕日でした。千姫様の生誕日は「姫路千姫顕彰会」が主催する「千姫ゆかりの地巡り日帰りツアー」に参加しています。今年は、千姫様の一人娘、勝姫の嫁ぎ先・岡山でした。行程は、岡山城見学→ランチ→吉備津彦神社参拝→備中高松城址見学。岡山へは何度も行ったことがありますが、吉備津彦神社には行ったこと無かったので楽しみに参加しました。岡山城見学バスから降りると3班にわかれ、ガイドさんの案内で進み、内容は石垣めぐりが中心だったような。
光珍寺は、岡山のど真ん中にある。元々は、岡山寺と称していた。隣接する岡山寺と一体の寺だった。宇喜多直家公の時代から宇喜多家と関わり、一族の位牌をお祀りする宇喜多家の菩提寺である。縁起によると元は広大な寺地を有し、本堂も壮大な建築だったが、三度の寺地の移動で、寺域が縮小され、本堂も縮小された。元禄年間に客殿が新築され、本尊の阿弥陀如来が移され、愛染明王を本堂に据え本尊とした。享和2年の岡山寺の火災により、類焼したが、文政年間に梁行5間、桁行6間の規模で再建。明治32年に再び阿弥陀如来を本尊に
最近読んだ本。宇喜多の楽土(文春文庫)[木下昌輝]楽天市場木下昌輝さんの、「宇喜多の楽土」です宇喜多秀家の生涯を描いた作品。以前に、父親の宇喜多直家を描いた作品も読んでいます↓宇喜多の捨て嫁(文春文庫)[木下昌輝]楽天市場「捨て嫁」の方が断然ダークネスですが、「楽土」の方も、ねっとりと纏わりつくような湿度と血生臭さは健在やはり木下昌輝さんの作品は、情景描写や物語の展開がドラマチックだなと改めて思いました、、✨特に、秀家に対する秀吉の粘着質ないたぶり
秀吉の血筋Amazon(アマゾン)信長の五男・御次丸秀勝、秀吉の姉・智の次男である小吉秀勝、智の長男で関白となった秀次、宇喜多秀家、そして秀頼。秀吉の“身内”となった五人を主人公に据えた作品集です。宇喜多秀家の章は、短篇とは思えないほどの読み応えがあります。秀次や小吉秀勝については、最近読んだ杉本苑子『影の系譜豊臣一族の血脈と興亡』とは切り口が異なり、「あれ、こんな描き方もあるのか」と思いながら楽しめました。なかでも圧巻なのは宇喜多秀家の章。奉行衆と家康の確執に巻き
2011-05-0114:53:05(なつかしブログより)みなさん、長らく更新してなくて申し訳ございませんでした。海外旅行大好きな私めが、ある事情で旅行に行けなかったのです。このブログは、そんな旅が中心なのにね。(その理由をたとえて言うと、社内でやった関ヶ原合戦に負けたからです)(私に休みが回ってこなくなったのです)(それ以来というもの、宇喜多秀家の心境であります……無念)気を取り直して、次回は本題に入ります。
バスで待機場所まで送ってもらったら、しばらく待ち時間がありました。(座る場所はあったので良かったです)こういうとき、同性の人がいたら話しかけて暇を紛らわすのですが、周りは武者の男性ばかり。なんだかアウェイを感じました。誰とでも気軽に話せる自分ではないのが歯がゆいです。やがて時間になり、各自徒歩でハレノワという広場に向かいます。同じ武者の方と記念撮影。一般公募は武者のみなので、みんな同じ格好です。だけど、こちらの方は地下足袋ですね。画像的には草鞋のほうがカッ
前回の続きで八丈島2日目から帰路までになります。2日目は朝7時半にダイビングショップから連絡があり、なんとか午後からなら潜れそうとのこと。半分諦めていたので、これはかなり嬉しかったです^^この日は前日と打って変わって見事な青空が広がっています。風もだいぶおさまり、景色も楽しめそう。ということで、午前中はドライブを中心に八丈島の景色を楽しむことにしました。こちらは早朝の朝食前に散歩した時の写真。八丈富士が綺麗に見えていました。ちなみに探鳥が目的でしたが、ここにはキジ
亀山城跡プレーパークに参加しましたー!鳥居をくぐってけっこう急な階段をがんばって登ると、亀山城跡に到着。宇喜多直家公、飛躍の地であり、宇喜多秀家公、生誕の地です。外あそびを満喫しました✨ロープ2本の綱渡り、木につり下げたブランコ、竹のすべり台、シャボン玉、木工、べっこう飴作り…。春休みには、べっこう飴作り、我が家でもやってみます!亀山城将棋もあって、興味津々😳「歩」の役割の、幼少期「ひでいえ」は成ります!「金」に!将軍「秀家」に!これも作ってみよう、春休みに✨
2025年10月11日(土)応募条件は15歳以上であればOKです。性別の制限もなし。ただし、募集枠は武者のみで、侍女などの女性役はありません。コロナ前は宇喜多秀家役を一般公募していましたが、現在は芸能人や、インフルエンサーなど、ある程度、有名な人を主催者側で決めるようです。参加費は2,000円で、以前からいちど参加してみたく、WEBで応募しました。申し込み完了の自動返信がなかったので、少し不安でしたが、「お申込みを受け付けました」の表示があり、まあできてるだろうと思
3月20日、昨年の11月に東京で収録した、新ニッポンヒストリーの作品、「もしも宇喜多秀家が幽霊の島に流されたら」が、配信されます。内容は、宇喜多秀家は関ヶ原の戦いで石田三成の西軍につきますが、敗れて、徳川家康に捕らえられて島流しになりました。そこで今回は、宇喜多秀家が流された島が幽霊の島だったら?という、半分お笑いみたいな作品を作りました。この作品に、私ケロチョン光春は徳川家康の役で出演してます。どうか、よろしくお願いします😊
さて、この本から。いよいよ、「関ヶ原の戦い」の当日、何が起こったのか。シン・関ヶ原(講談社現代新書)Amazon(アマゾン)まずは、西軍であったはずの、小早川秀秋の存在。慶長5年(1600)8月23日以前、小早川秀秋、京極高次は、すでに、徳川家康と、山岡道阿弥を通じて、連絡を取り合っていた。8月26日、山岡道阿弥の指示で、徳川家康の家臣、西尾正義、小西正重が、柏原で、小早川秀秋と対面。9月9日頃から、小早川秀秋が、東軍についたという噂が、東軍、西軍の中で広まる
円心流は、戦国時代、北面の武士、速水長門守円心を唱導の祖とする。正親町天皇の御宇、近江国彦根の住、犬上左近將監長勝が、父の犬上兵庫永継から伝来の霊剣を授かってのち、速水長門守円心から組討の術を習得、祖先からの伝書口伝をとりまとめて兵法組討剣伝と称したのが円心流の源流である。◇宗家の系譜◇小橋家は、小橋平左衛門尉重実を祖とし、備前侯宇喜多秀家の臣、文禄中故ありて離れ、讃岐に来り生駒侯の臣、北村氏の客なり、大内、寒川、三木、三郡の税官となる。それから次第し、十七世の道寧(安永八年生)は香川郡円
戦国時代の武士は仕える主君によって死ぬか生きるかがかかっている。その奥方や娘たちの運命は、自分の才能や意志にかかわらず夫や父親の手のうちにあってあっちへやられこっちにやられ、所有物のごとく扱われる。豊臣秀吉の盟友でもあり徳川時代になっても大大名として生き残った加賀前田。初代藩主前田利家の二人の娘の麻阿と豪。まだ権勢を誇る豊臣秀吉の、麻阿は4番目の妻となって豊臣の宝を預かり、豪は養女となって蝶よ花よと育てられる。やがて秀吉は亡くなり、徳川家康の世となって行く中で二人の立場は不安定な
2月19日木曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物まつ(前田利家の正室)(芳春院)(菅井友香)芳春院(ほうしゅんいん)(天文16年7月9日(1547年7月25日)〜元和3年7月16日(1617年8月17日))戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。加賀国(石川県)の戦国大名・前田利家の正室。名はまつ。篠原一計の娘。戒名は芳春院殿花巖宗富大禅定尼。母(竹野氏)が利家の母の姉であるため、利家とは従兄妹関係にあたる。学問や武芸に通じた女性であったと伝わ
2月3日火曜日、岡山県は備前市から岡山市へと行きます岡山市の中心地、「岡山県庁」の前に来ました今夜の宿泊はこの辺りになりますすぐ近くに『岡山城』🏯がありましたまだ陽も高かったのでお城🏯へと行ってみました※HPがありましたので歴史など詳しくは➡岡山城HP【お堀】お城の東側には旭川が流れています天守閣のほうへと歩きます【不明門(あかずのもん)】開いてました【天守閣】黒い色の天守閣でした【天守閣】拝観しました👀眼下に岡山県庁舎が見え
高校時代同じ硬式テニス部(当時はこういう呼称だった)員だった旧友と、「一度関ヶ原へ行きてぇんだよ」といっていた、関ヶ原へ出陣!「同道は甲斐・岩殿城↓以来だな!」「おうさ」はてさて、まずは関ヶ原前夜、三成が本陣を構えた大垣城へ。残念ながら、ここには関ヶ原前夜の残存史跡はなし。目立つのは近世初代城主戸田氏鉄(うじかね)騎馬像、これは立派。復元の白壁四層四階の天守閣は高さ18㍍。西櫓門と城壁そして乾櫓、いい感じのお城だ。これまた残念ながら、天守最上階から家康が本陣を構えた岡山という
☆このブログは記事本文をライブドアブログへ移行しています山陽ひとり旅③のつづきです14:01福山発15:05岡山着▶続きはライブドアブログに掲載しています山陽ひとり旅④黒い天守の城:ぼっち旅~ひとり旅の記録と健康への道~山陽ひとり旅③のつづきです旅のはじまりはこちら前回はこちら14:01福山発15:05岡山着新幹線で行けばすぐですが節約して在来線で向かいますそして岡山駅から歩くこと約25分岡山城に到着です岡山城の歴史は戦国時代の初期に上神高直が旭川沿いの丘に
戦国時代の合戦の経緯というものは、江戸時代以降に書かれた「軍記物」が、参考にされていて、それが、全くの創作なのだろうと個人的には、考えているということは、このブログでも、何度も、書いたところ。そして、同時代に生きた人や、当事者の残した「書状」や「日記」による「一次史料」を元に、合戦の様子を探ろうという研究が進んでいるのが、この「関ヶ原の戦い」です。シン・関ヶ原(講談社現代新書)Amazon(アマゾン)この本は、その一次史料を元に、豊臣秀吉の死から、関ヶ原の戦いまでを、徳
岐阜県不破郡関ケ原町自民、圧勝のようですね。。。関ケ原には、低い山が多いと思う圭那です。と言うことで・・・西軍の副大将の宇喜多秀家の陣跡は、南天満山(天満山198m)の麓に布陣しました。開戦の烽火と共に東軍・福島隊に攻め込まれた史実から、この辺りは大変に激しい戦いが繰り広げられた場所だと考えられます。※開戦地にも、非常に近いです。山の麓なので、思った以上に楽に行けました(笑)兵力数:宇喜多秀家・17000/副大将※資料により諸説ありです。陣跡の一
木下昌輝著「宇喜多の楽土」再読です。豊臣政権の重要職の五大老の一人であった備前出身、宇喜多秀家を描いた作品です。この人は秀吉の養女、豪姫(前田利家の娘)を娶ったため秀吉の義理の息子となっておりました。先日読んだ「豊臣家の人々」にもとりあげられております。そこで再読をしてみました。知略謀略、戦乱が当たり前の時世にあり、「楽土」すなわち人民が安心して暮らせる世界を実現せんとする姿が描かれています。結果的には関ヶ原で敗戦し八丈島に流されました。そこで80歳くらいまで生きたようです。武力
宇喜多秀家の松[縞田七重]楽天市場皆さん、こんにちは!今回は、特別な松、「宇喜多秀家の松[縞田七重]」について、じっくりとご紹介したいと思います。この松、ただの松ではないんです。歴史ロマンを感じさせる「宇喜多秀家」の名を冠し、さらに美しい「縞田七重」という品種。その希少価値と風格に、きっとあなたも魅了されるはずです。私も初めて見たとき、その存在感に息を呑みました。今回は、実際に「宇喜多秀家の松[縞田七重]」をじっくり観察し、その魅力や、なぜ今手に