ブログ記事23件
曾子曰、十目所視、十手所指、其厳乎。富潤屋、徳潤身。心広体胖。故君子必誠其意。右伝之六章。釈誠意。曾子曰く、十目(じゅうもく)の視(み)る所、十手(じゅっしゅ)の指(ゆびさ)す所、それ厳(げん)なるか。富は屋(おく)を潤し、徳は身を潤す。心広く体胖(ゆた)かなりと。故に君子は必ずその意を誠にす。右伝の六章、誠意を釈す。≪解釈≫曾子はおっしゃいました。大勢が一緒に見る所、大勢の指が指さす所は、厳格で隠せないものである。豊かさは家屋を立派
子曰く、道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ。≪解説≫孔子おっしゃった。「道に志し、徳を根拠とし、仁に依拠して、芸の境地に遊ぶ。」「人として正しい道を歩むよう心掛けなさい。そして人格(徳)を磨きなさい。徳の実践はすべて仁を拠り所としなさい。その上で豊かな教養を身につけ悠々と生きる(徳を修得し、仁に依拠した行動が自然に取れる)。これが人生の王道だ」と。六芸とは、礼、楽、射、御(馬車を駆ること)、書、数の6科目を指し、上流階級が修得しなければな
長沮桀溺耦而耕、孔子過之、使子路問津焉、長沮曰、夫執輿者爲誰、子路曰、爲孔丘、曰、是魯孔丘與、對曰是也、曰是知津矣、問於桀溺、桀溺曰、子爲誰、曰爲仲由、曰是魯孔丘之徒與、對曰、然、曰滔滔者天下皆是也、而誰以易之、且而與其從辟人之士也、豈若從辟世之哉、耰而不輟、子路行以告、夫子憮然曰、鳥獣不可與同群也、吾非斯人之徒與而誰與、天下有道、丘不與易也。長沮(ちょうそ)、桀溺(けつでき)、藕(ぐう)して耕す。孔子これを過ぐ。子路(し
子曰く、知者は惑わず、仁者は憂(うれ)えず、勇者は懼(おそ)れず。≪解釈≫孔子はおっしゃいました。「知者はあれこれ迷うことがない。仁者はくよくよ思い悩むことがない。勇者はおろおろ怖気づくことがない。」≪後述≫知者は、正しい知識を備えているので判断に迷うことが無く、仁者は、正しい行いを心掛けているので悩むことが無く、勇者は、正しい時にこそ力を発揮するので、怖気づくことは無い。そもそも、何をもって「正しい」とするか?正邪善悪の判断基準が何よりも重
湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。康誥曰、作新民。詩曰、周雖旧邦、其命維新。是故君子無所不用其極。右伝之二章。釈新民。湯(とう)の盤(ばん)の銘(めい)に曰く、苟(まこと)に日に新たに、日々に新たに、又日に新たなりと。康誥(こうこう)に曰く、新民を作(おこ)すと。詩に曰く、周は旧邦(きゅうほう)と雖(いえど)もその命維(こ)れ新たなりと。この故に君子その極を用いざる所なし。≪解釈≫商(殷)王朝の湯王という名君は、誠に日に新たにして(自分の身体・精
子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。≪解説≫孔子はおっしゃった。「知者と仁者を水と山に喩えるならば、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむと云えようか。知者の動きは流れて止まぬ水の如きものであり、仁者の静かなることはどっしりとした山の如きものである。知者は変化を好んで楽しみがつきることがない。仁者は常にゆったりとしてあくせくしないから、長生きすることになる」と。物事の本質を見ぬき
子夏(しか)が曰わく、博く学びて篤(あつ)く志し、切(せつ)に問いて近く思う、仁其の中(うち)に在り。≪解釈≫子夏(しか)が言いました。「博く学んで熱心に理想を追い求め、真剣に質問して身近な問題として考える事ができるならば、仁はその心の中にある。」≪後述≫自己探求の道ではなく、あくなき”仁”を探求する道において、”仁”について広く学び、あらゆる物事が身近な問題として捉えることが出来、また、真摯に、謙虚に、誠実に物事に取り組むことが出来るならば、その行
子曰、好学近乎知、力行近乎仁、知恥近乎勇。知斯三者、則知所以修身。知所以修身、則知所以治人。知所以治人、則知所以治天下国家矣。子曰く、学を好むは知に近く、力行(りきこう)は仁に近く、恥を知るは勇に近し。この三者を知れば、則ち身を修むる所以を知る。身を修むる所以を知れば、則ち人を治むる所以を知る。人を治むる所以を知れば、則ち天下国家を治むる所以を知る。≪解釈≫孔子はおっしゃいました。学を好むというのは知そのものではないが知に近い、努力して怠ら
子、齊に在(あ)りて韶(しょう)を聞く。三月、肉の味を知らず。曰く、図らざりき、楽を為(な)すことの斯(ここ)に至(いた)らんや。≪解釈≫孔子が斉の国に滞在した時、韶(しょう:(伝説の聖王舜をたたえる音楽))を三ヵ月も聞かれた。そのすばらしさに感動して、肉を食べていてもその味が良く分からない程であった。そして、言われた。「こんなに韶で感動するとは、思いもよらなかった。」。孔子は、帝舜は、中国神話に登場する君主であり、聖人と崇められた。揚子江流域では、既にこの
季路(きろ)、鬼神(きしん)に事(つか)えん事を問う。子曰わく、未(いま)だ人に事うること能(あた)わず、焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼(き)に事えん。曰わく、敢(あ)えて死を問う。曰わく、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。≪解釈≫季路(きろ)が「神霊に仕えるにはどうしたら良いか?」と孔子に尋ねました。孔子は、「まだ人に仕えることさえ十分に出来ないのに、どうして神霊に仕えることなどできようか」と答えられました。そこで季路は「ならば敢えて問いますが、死後の