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何時だったかのブログで、最近の私は、ローラを大切にするようになったと書いたことがありました。今日はその話、そしてそこから起こった嬉しい出来事をシェアしたいと思います。大体の方はローラを御存じかも知れませんが一応人物のおさらいしときます。ローラ、私の義母、確か67歳くらい(いや、オイ)お人よしと言ったら聞こえがいいけど、かなりNosy(やめなさい)得意料理は、ドきつい色のパンケーキ、そして犬の毛がついたケーキ(大切にするんじゃないの?)これらの参考記事は、下にリ
先週、会社からの帰宅途中に、車をぶつけられたんですが、その続きです。相手の保険会社に電話をし、私のほうの事情聴取をしてもらい、アジャスターが、一応、相手側の話も聞いてから判断すると言う事でした。それから数日してアジャスターがフォローアップの電話をくれたんだけど、どうやら何度電話しても相手のドライバーが電話に出ないらしい。そうか、そう来たか。ガン無視かよ。責任逃れってこういうことね。でもラッキーな事に、警察のリポートがあったので、明らかに相手側のミスと言う事で、
厄介な風邪を引き、まだ調子が戻らないのは…まぁ仕方がないとして、気力が落っこちたときは余計なこと考えず呆けっとしてるが良いみたい…りっちゃです。うりちゃんと収録した番組【読み語りえんとつ町のプペル】が公開になりました♪「笑顔満開」うりチャンネル【第21幕えんとつ町のプペル】「笑顔満開」うりチャンネル【第21幕えんとつ町のプぺル】♯エンターテイメント絵本「えんとつ町のプぺル」ゆったりとお聴きください(^▽^)/honmaru-radio.com写真からリンクに…飛びませ〜ん反
自分は子供の頃に読んだ、お化けやUFO関係の本を今頃になって集め直すのを趣味にしています(´ー`)y-~~先日もメルカリを見ていたら自分が幼稚園児の頃のトラウマ本を発見して「めっちゃ欲しい!!」と思ったのですがその御値段(Д)゜゜目玉ポーンでも一旦「欲しい!」と思った気持ちは収まりがつかず今度はヤフオクを覗いてみたところ安くで有るやん!Σ(´д`ノ)ノはい、もち
先週、会社帰りに後ろから車をぶつけられました。トラフィックがスローダウンし、信号待ちで止まっているところをぶつけられたのは、これで2回目。前回は、息子を妊娠7か月目くらいの時。不幸中の幸いで、まったく体に支障がないって言うのは本当にありがたいことです。今回もみんなに、あなた本当にラッキーねって言われました。うん、私もそう思うわ。車ぶつけられたっていう事実だけみたら、「どこがラッキーなん?」って思うけど、違う視点からみたらそうじゃない事もたくさんある。16
私の人生50年を振り返っています。念願の元気な息子が生まれ、私は幸せに満ちていた。もちろん旦那も幸せだったけど、この頃から彼は、やる気が出ない、などの症状が出始めた。診断はうつ。私の体は9か月かけて心も体も母親になる準備が出来たけど、彼の心はそんなに早く準備が出来なかったんだと思う。これは私の中でそう思っているだけで、実際に何がトリガーになってうつになったのかはわからない。でも、当時の私はそう思う事で、私なりに現実を受け入れる理由が欲しかった。ある日の事
ふと気づけば、このブログを始めて14年が経ち、15年目に突入毎度アクセスして下さってる、そこのアナタたち!(笑)本当にありがトォーーゥ!ございます!このブログを始めて14周年まぁ、特撮の事しか頭にない自分の、47年以上重ねた人生の内の14年に過ぎない47歳だけど、今年の10月で48歳になるこのブログを始めるよりも遥かに以前から、現在のような自分だったのです(笑)嬉しい時も、悲しい時も、機嫌の悪い時も、特に何も無くとも、常に頭の中は特撮を中心に生きてきた周りや他人の影響も受けること
父の手を握れない。以前、こんなブログを書いた。『まだ、怖い』父の事なんて、人差し指1本で転ばせる事ができる。わたしが小さい頃、父はよく怒鳴るし、気に入らないことがあれば直ぐに手を上げた。対象は、主に母とわたし。なので、…ameblo.jpいま、父は助けを必要とする要介護4。父が立ち上がれないとき、手を貸してくれと手を出してくる。その手に気付かないフリをする。私は父の手を握ることが出来ない。いつも、後ろから腕を掴んだり、服を引っ張って立たせる。思い出すのは、叩かれたこと、怒鳴られたこと
晴れてトーマスに、正式なガールフレンドが出来ました!とっても嬉しい!!!息子Loveな私だから、きっと私がBittersweetになっていると思っている方もいるかもだけど、私は100%嬉しい気持ちでいっぱいです。私達家族以外にも、息子を大切に思ってくれる人がいる、その事実がとっても嬉しい。金曜日に、自分でピンクのバラとチョコレートを買い、彼女の自宅に向かったトーマス。緊張してる?と聞いたら、Nopeとの答え。すごっ(笑)私はてっきり、ディナーってフォー
私の人生、50年を振り返っています。渡米して最初に住んだ州はイリノイ州の田舎町、私以外は白人だらけという町でした。そんな中での2年間の生活、そして工場勤務。私はここで、人種差別を経験します。これについては過去記事がありますので、最後にリンク貼っときます。こんな町には住めない。私だけならまだしも、今後子供が出来た時、子供にこんな環境で育ってほしくない。それが一番の大きな理由で、今の州に引っ越してきたのが2000年の事でした。それ以来、ずっとこの州に住
私の人生、50年を振り返っています。結婚して10年の月日が流れ、アメリカでキャリアを積み、念願の妊娠。なんとなくで私は、ずっと女の子が欲しいと思っていた。そして名前はBrandiにしたいと思っていた。私の好きなアルコールにちなんで♪(え?そんな理由?)結婚した当初は、子供はまだなの~?と聞かれることが多かったけど、さすがに10年も子供いないと、誰も私達にその質問をする人はいなかった。なんかこう、触れてはいけない質問、みたいな。それは私の両親もそうだった。
私の人生、50年を振り返っています。私の旦那は、恵まれない子供時代を過ごした人だった。旦那がまだ8か月の時に、両親が離婚。親権は母親ではなく父親に行った。母親の愛情を受けて育たなかっただけではなく、父親からの愛情もない。一緒に住んでいた父親から一度もIloveyouと言われたことがない。そして誕生日に親戚からもらったお金も父親から奪われた。そういう子供時代のトラウマがあるからか、自分はいい父親になる自信はないと言っていた。私達はまだ若かったから
私の人生50年を振り返っています。2000年9月、日本から帰国し、気持ちを新たに職探しを始めた私。私に出来る事、それはアメリカで幸せな人生を送る事、そして年に一度は日本に帰る。そのお金は自分で稼ぐ。その目標を掲げて職探しを始めた。2年間の工場勤めの経験を活かし、今度こそデスクワークに就く!ところがどっこい、全くうまく行かなかった。イリノイの田舎町よりは都会だったけど、それでも英語が母国語ではない私がネイティブの中に混じって職探しをすると言うのは本当に大変
私の人生、50年を振り返っています。大学4年生、日本に居場所を感じなく、就職活動を辞め、日本語教師になるべく学校へ通い始めた私。同じ頃、六本木のクラブでへりと出会うことになる。なんと健全な出会い(笑)あの頃の私はほんと毎日忙しかった。大学の授業はほとんどないけど、日本語教師の勉強を始め、バイトをし、恋愛もした。その後、私は大学を卒業し、同じ頃にヘリは日本での任期を終え、アメリカに帰っていった。それからしばらくは、日本とアメリカの遠距離恋愛。ようやく
私の人生、50年を振り返っています。目標を見失った大学4年生の時。私は、目標があると、どんなに大変なチャレンジでも乗り越えられる自信がある。でも、その目標を見失った時、それは自分を見失うのと同然の空虚感が襲ってくる。私は大学4年生の時、自分を見失い、真っ暗闇の中、人生の岐路に立っていた。そして私はカナダから帰ってきて、大分アメリカナイズしていた(カナダナイズか、笑)今でこそ、日本を出てこそわかる日本のすばらしさ、でもあの頃の私は日本に対して嫌悪感を持っていた。
私の人生、50年を振り返っています。あんなに来たいと思っていた海外、アメリカだったけど、実際の生活はほんと大変なものだった。車の免許もない、英語も今ほど話せない、就労ビザが下りるまでは仕事も出来ない。あの時代が一番辛い時期だったように思う。日本への電話も、週に一度の国際電話。私の中で決めていたこと、それは、経済的に自立して、年に一度は日本に帰る。そしてそのお金は自分で稼ぐ。ようやくビザがおり、仕事を探そうと思ったけど、当時住んでいたイリノイの田舎町に仕事
私の人生、50年を振り返っています。カナダ留学、これは本当に私の人生を変えた経験だった。これについては、書き始めるとまた違うシリーズが出来てしまうので、ここではバッサリ省略するけど(笑)カナダ留学を終えて帰ってきた私が心に誓った事。私はまたここに戻って来る、という事。そして経済的自立をしたい、と思った事。結局、あれから30年近い年月が経つけど、一度もカナダには戻っていない。いつかまた、訪れてみたいなと思いつつ、でも思い出の場所としてあの時の記憶のまま心に
こんにちはtwitterを見てたらね、2月20日から公開される45作品目の戦隊ものの映画に歴代のレッドが総出演(変身後、です)そしてアカレンジャーこと、誠直也さんも出演なさるとか【予告】機界戦隊ゼンカイジャーTHEMOVIE赤い戦い!オール戦隊大集会!!歴代レッドと歴代怪人が大集結!!“スーパー悪者ワルド”を演じるのは関智一!初代レッド:アカレンジャー/誠直也も登場でてんやわんやの大騒ぎ!?記念すべき45作品目のスーパー戦隊であるゼンカイジャーたちは、カッコよく敵を倒しまく
現在はウーバーイーツの漫画をメインに取り組んでおります。まだあまり知られていないウーバーイーツの世界を、配達員としての体験を通じて漫画でご紹介しております。男前の嫁漫画も描いてます。【自己紹介ページ】初めての方はこちらをどうぞお1人暮らしに!ダイエットに!栄養管理に!ニチレイの冷凍食『ウーディッシュ』お試しセットを漫画レビューしております↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓日常365『思い出ウーバーイーツ』こ
※何年も一番読まれている記事再アップ!時々クライアントさんで`子供の頃の記憶があまりない`という方がいます。割と小学生位の大多数の人が覚えている時期のこともあまり記憶が無い、と。でも今生き辛さを感じていて、それがどこから来たのかを遡っていくと子供の頃から苦しんでいた、とは出てくる。`親との関係も特に問題ないです`という人も、今両親の事をどう思うか聞いてみるとあま
子供の頃の記憶、即席めん(袋めん)でとりわけ美味しかったものがあった昭和のあの頃の袋めんは様々あったがオーソドックスで非常に美味しくその名前は記憶に残っていたがどこのメーカーかは記憶にないその即席めんの復刻版をたまたま見つけた昭和41年(1966年)発売味の大関<しょうゆ味>忘れもしない「味の大関」というネーミングこれがすこぶる美味しかった記憶がある当時、袋めんではこれが断トツという声も多かったこれ、ペ
子供の頃、テレビで見るひとだまは、怪談ものや妖怪もので、サイズは握りこぶし大の大きさで色はオレンジと決まっていた。10月に親戚の牧師さんと子供のころの話をする機会があった。母親の生まれ育った島で川や山や海がある自然豊かなところだ。牧師さんは子供の頃、複数人で人魂を3回見たそうでだ。サイズは直径60センチ色はオレンジ2回とブルーが1回上空や家の上高く飛んでいたもの等リアルに目撃証言を語ってくれた。複数名で同時に見たことや動きがゆっくりで山をすり抜けたりとインパクトが強く今でも
ご訪問ありがとうございます仙台にいながらにしていつも食べているのは青森県弘前市のイシカワ赤ウインナー小さな町の加工場石川ハム商会の商品で弘前のソウルフードと呼ばれているらしい。私が子供の頃遠足のお弁当でしか食べられなかったのが石川ハムの赤ウインナーでした。この赤ウインナーの特徴はまず長さですが、これはスモークソーセージなので市販の赤ウインナーとは全く味が違います。好みは分かれるかも知れないけど、私は大好き。遠足以外のお弁当には市販の赤ウインナー
あくまでもただ推測に過ぎない考察記事です^^;何故ヒョンスには記憶消失の設定が必要だったのだろうか?まず子供の頃の記憶に母親との記憶が抜けているという部分から考察してみました。ドラマの中では何故ヒョンスが子供の頃記憶を失っていたのか?何があったのか?その部分の謎ははっきりとは解き明かされていませんが最終話に至るまでの物語を追ううちにうっすらと感じ取れる物があるように思えてきましたヒョンスは自分の気持ちが何なのか分からないまま母親の残した声をずっと