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厄介な風邪を引き、まだ調子が戻らないのは…まぁ仕方がないとして、気力が落っこちたときは余計なこと考えず呆けっとしてるが良いみたい…りっちゃです。うりちゃんと収録した番組【読み語りえんとつ町のプペル】が公開になりました♪「笑顔満開」うりチャンネル【第21幕えんとつ町のプペル】「笑顔満開」うりチャンネル【第21幕えんとつ町のプぺル】♯エンターテイメント絵本「えんとつ町のプぺル」ゆったりとお聴きください(^▽^)/honmaru-radio.com写真からリンクに…飛びませ〜ん反
父の手を握れない。以前、こんなブログを書いた。『まだ、怖い』父の事なんて、人差し指1本で転ばせる事ができる。わたしが小さい頃、父はよく怒鳴るし、気に入らないことがあれば直ぐに手を上げた。対象は、主に母とわたし。なので、…ameblo.jpいま、父は助けを必要とする要介護4。父が立ち上がれないとき、手を貸してくれと手を出してくる。その手に気付かないフリをする。私は父の手を握ることが出来ない。いつも、後ろから腕を掴んだり、服を引っ張って立たせる。思い出すのは、叩かれたこと、怒鳴られたこと
子供の頃、テレビで見るひとだまは、怪談ものや妖怪もので、サイズは握りこぶし大の大きさで色はオレンジと決まっていた。10月に親戚の牧師さんと子供のころの話をする機会があった。母親の生まれ育った島で川や山や海がある自然豊かなところだ。牧師さんは子供の頃、複数人で人魂を3回見たそうでだ。サイズは直径60センチ色はオレンジ2回とブルーが1回上空や家の上高く飛んでいたもの等リアルに目撃証言を語ってくれた。複数名で同時に見たことや動きがゆっくりで山をすり抜けたりとインパクトが強く今でも
先週、会社からの帰宅途中に、車をぶつけられたんですが、その続きです。相手の保険会社に電話をし、私のほうの事情聴取をしてもらい、アジャスターが、一応、相手側の話も聞いてから判断すると言う事でした。それから数日してアジャスターがフォローアップの電話をくれたんだけど、どうやら何度電話しても相手のドライバーが電話に出ないらしい。そうか、そう来たか。ガン無視かよ。責任逃れってこういうことね。でもラッキーな事に、警察のリポートがあったので、明らかに相手側のミスと言う事で、
何時だったかのブログで、最近の私は、ローラを大切にするようになったと書いたことがありました。今日はその話、そしてそこから起こった嬉しい出来事をシェアしたいと思います。大体の方はローラを御存じかも知れませんが一応人物のおさらいしときます。ローラ、私の義母、確か67歳くらい(いや、オイ)お人よしと言ったら聞こえがいいけど、かなりNosy(やめなさい)得意料理は、ドきつい色のパンケーキ、そして犬の毛がついたケーキ(大切にするんじゃないの?)これらの参考記事は、下にリ
バシャール:過去の楽しい記憶は自分をブースト・アップのために活用してください。転載元:thePLANETfromNEBULAhttps://ameblo.jp/viva-bashar/entry-12878083765.html(ここから)バシャール:自分ブースト・アップ法子供の頃、クリスマスはとてつもなくワクワクしたと思います。子供の頃、遊びに行く時とてつもなくワクワクしたと思います。ボールを持って外に出て、これから何をして遊ぶかを友達と話している時、とてもワクワクしたと思
私の人生50年を振り返っています。念願の元気な息子が生まれ、私は幸せに満ちていた。もちろん旦那も幸せだったけど、この頃から彼は、やる気が出ない、などの症状が出始めた。診断はうつ。私の体は9か月かけて心も体も母親になる準備が出来たけど、彼の心はそんなに早く準備が出来なかったんだと思う。これは私の中でそう思っているだけで、実際に何がトリガーになってうつになったのかはわからない。でも、当時の私はそう思う事で、私なりに現実を受け入れる理由が欲しかった。ある日の事
先週、会社帰りに後ろから車をぶつけられました。トラフィックがスローダウンし、信号待ちで止まっているところをぶつけられたのは、これで2回目。前回は、息子を妊娠7か月目くらいの時。不幸中の幸いで、まったく体に支障がないって言うのは本当にありがたいことです。今回もみんなに、あなた本当にラッキーねって言われました。うん、私もそう思うわ。車ぶつけられたっていう事実だけみたら、「どこがラッキーなん?」って思うけど、違う視点からみたらそうじゃない事もたくさんある。16
私の人生、50年を振り返っています。結婚して10年の月日が流れ、アメリカでキャリアを積み、念願の妊娠。なんとなくで私は、ずっと女の子が欲しいと思っていた。そして名前はBrandiにしたいと思っていた。私の好きなアルコールにちなんで♪(え?そんな理由?)結婚した当初は、子供はまだなの~?と聞かれることが多かったけど、さすがに10年も子供いないと、誰も私達にその質問をする人はいなかった。なんかこう、触れてはいけない質問、みたいな。それは私の両親もそうだった。
私の人生、50年を振り返っています。私の旦那は、恵まれない子供時代を過ごした人だった。旦那がまだ8か月の時に、両親が離婚。親権は母親ではなく父親に行った。母親の愛情を受けて育たなかっただけではなく、父親からの愛情もない。一緒に住んでいた父親から一度もIloveyouと言われたことがない。そして誕生日に親戚からもらったお金も父親から奪われた。そういう子供時代のトラウマがあるからか、自分はいい父親になる自信はないと言っていた。私達はまだ若かったから
うちの母親はエビが大好き🍀😌🍀子供の頃の記憶だとたまにのレストラン外食もいつもエビフライ食べてた。そのせいか弟も子供の頃エビ好きが激しかった🤭いまじゃ甲殻類アレルギーになってしまってるけど(≧▽≦)かわいそー一生分食べてるんだよー母親がエビフライ食べたい!というので今年はじめてのえび八本さんへ以前の料金よりかなりお高めやんでも最近はいつどーなるか、わからないから食べたい!というもの食べさせてあげようなるべくねー🤭ここのドレッシング好きこのふりか
骨董市で1番楽しいのは昔当たり前の様に見たのにすっかり見なくなってしまったモノに再会して思い出す事でしょう。今回もそんな再会がいっぱい有りました。ベーゴマも今ではレトロな駄菓子屋さんとかで見かける事も有りますが、こんなにいっぱい有るのはもうなかなか見ないでしょう。昔子供の頃はベーゴマをいっぱい持って戦いに挑んだのでした。金属製の水筒や湯たんぽ、南京錠なんてのもあまり見かけ無くなりました。そして家具の上にどっしりと鎮座した大きな置き時計。みんな子供の頃の記憶に残っておりました。
私の人生50年を振り返っています。2000年9月、日本から帰国し、気持ちを新たに職探しを始めた私。私に出来る事、それはアメリカで幸せな人生を送る事、そして年に一度は日本に帰る。そのお金は自分で稼ぐ。その目標を掲げて職探しを始めた。2年間の工場勤めの経験を活かし、今度こそデスクワークに就く!ところがどっこい、全くうまく行かなかった。イリノイの田舎町よりは都会だったけど、それでも英語が母国語ではない私がネイティブの中に混じって職探しをすると言うのは本当に大変
こんばんは、しんじゅ☆♪です。いつもブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。さて、前回のつづき。寝袋持参して長野県まで出向いたのは、このブレスワークをするためだったのよね。みんなでちょっと移動して、くさっぱらに寝っ転がる。その日は曇り空だったんだけど、私たちが寝袋にくるまって空をながめていたら、ちらほらと雲の切れ間ができて、星が見えるような感じだった。せっかく高原まで来て、寝袋持参で屋外で
私の人生、50年を振り返っています。渡米して最初に住んだ州はイリノイ州の田舎町、私以外は白人だらけという町でした。そんな中での2年間の生活、そして工場勤務。私はここで、人種差別を経験します。これについては過去記事がありますので、最後にリンク貼っときます。こんな町には住めない。私だけならまだしも、今後子供が出来た時、子供にこんな環境で育ってほしくない。それが一番の大きな理由で、今の州に引っ越してきたのが2000年の事でした。それ以来、ずっとこの州に住
おはようございます今朝も東京は眩しいほどのお天気です朝起きてカーテン開けて、空が青いと、それだけで気持ちも晴れやかです皆様お住まい周辺はいかがですか❓今朝はお弁当作りがなかったので、お魚を焼いたり、お味噌汁を作ったりの、しっかり和食ごはんにしました。⭐︎鰆の塩麹焼⭐︎野菜サラダ⭐︎サーモンのマリネ⭐︎茹でカリフラワー⭐︎白菜の一夜漬け⭐︎お豆腐とネギのお味噌汁⭐︎雑穀玄米サーモンマリネは、前の日の残り物ですところで、皆様、最近、カリフラワーって食べる機会ありますか❓私
従兄・妹夫婦と畑遊びした翌日は、従兄・従姉・従姉・従祖父と畑遊び。(左から従兄・従姉・従姉・のめしこき:撮影者従祖父)小さい頃から遊んでもらったいとこたち。囲炉裏の匂い・畑の景色と共にのめしこきの記憶の深くに残っています。従祖父(いとこおじ)は父方祖父の弟の子です(つまり父親の従弟)。80歳を過ぎていますが、頭脳明晰・体力充分。埼玉県から車を飛ばして来て、農作業をするスーパーマン。畑で遊んで昼ごはん。(これは上さんに味見してもらったもので、持参したのはこの量ではありませ
晴れてトーマスに、正式なガールフレンドが出来ました!とっても嬉しい!!!息子Loveな私だから、きっと私がBittersweetになっていると思っている方もいるかもだけど、私は100%嬉しい気持ちでいっぱいです。私達家族以外にも、息子を大切に思ってくれる人がいる、その事実がとっても嬉しい。金曜日に、自分でピンクのバラとチョコレートを買い、彼女の自宅に向かったトーマス。緊張してる?と聞いたら、Nopeとの答え。すごっ(笑)私はてっきり、ディナーってフォー
11月23日(祝)ジュニアを実家に“受け渡し”、帰りは、義妹夫婦を途中まで送りながら、ちょっとドライブをして帰ろうか…と。やっぱ、東京タワーには親しみがあるなぁ。ただ…年々、小さく感じる…。あの東京タワーが、周りのビルに飲み込まれるなんて…。久しぶりに展望台に上がってみようかな?子供の頃の記憶と、どう変化してるか…。その後、六本木、恵比寿、中目黒と回り、途中、コーヒーを買って帰宅。もちろん、翌朝は寝坊しました。(笑)TextbyDorry
こんにちは💕パンダchanで彩られたクリスマスパンダchanて🐼長きに渡って永遠に人気もの💖子供の頃…家族で上野動物園に行って、初めてパンダちゃんを見た時の嬉しさを思い出しました✨かわいい😊子供の頃の記憶って普段思い出さない事も、何かを目にした時♡ふっと想い出す瞬間があるのが不思議ですよねっ皆様本日も笑顔で🤗ハッピーな1日をお過ごしくださいneきみに幸あれ
私の人生、50年を振り返っています。あんなに来たいと思っていた海外、アメリカだったけど、実際の生活はほんと大変なものだった。車の免許もない、英語も今ほど話せない、就労ビザが下りるまでは仕事も出来ない。あの時代が一番辛い時期だったように思う。日本への電話も、週に一度の国際電話。私の中で決めていたこと、それは、経済的に自立して、年に一度は日本に帰る。そしてそのお金は自分で稼ぐ。ようやくビザがおり、仕事を探そうと思ったけど、当時住んでいたイリノイの田舎町に仕事
私の人生、50年を振り返っています。大学4年生、日本に居場所を感じなく、就職活動を辞め、日本語教師になるべく学校へ通い始めた私。同じ頃、六本木のクラブでへりと出会うことになる。なんと健全な出会い(笑)あの頃の私はほんと毎日忙しかった。大学の授業はほとんどないけど、日本語教師の勉強を始め、バイトをし、恋愛もした。その後、私は大学を卒業し、同じ頃にヘリは日本での任期を終え、アメリカに帰っていった。それからしばらくは、日本とアメリカの遠距離恋愛。ようやく
私の人生、50年を振り返っています。目標を見失った大学4年生の時。私は、目標があると、どんなに大変なチャレンジでも乗り越えられる自信がある。でも、その目標を見失った時、それは自分を見失うのと同然の空虚感が襲ってくる。私は大学4年生の時、自分を見失い、真っ暗闇の中、人生の岐路に立っていた。そして私はカナダから帰ってきて、大分アメリカナイズしていた(カナダナイズか、笑)今でこそ、日本を出てこそわかる日本のすばらしさ、でもあの頃の私は日本に対して嫌悪感を持っていた。
私の人生、50年を振り返っています。カナダ留学、これは本当に私の人生を変えた経験だった。これについては、書き始めるとまた違うシリーズが出来てしまうので、ここではバッサリ省略するけど(笑)カナダ留学を終えて帰ってきた私が心に誓った事。私はまたここに戻って来る、という事。そして経済的自立をしたい、と思った事。結局、あれから30年近い年月が経つけど、一度もカナダには戻っていない。いつかまた、訪れてみたいなと思いつつ、でも思い出の場所としてあの時の記憶のまま心に
今日やったこと。それは、妹(2番目の)を気にせず食べたいものを食べる。妹に置いておかない。ということ。いつも、私は誰かのことを気にして生きています。そんな自分はとても好きだけど、私の家族はまるで違うため、苦しかった。余ってたら気にせず、たーべちゃお🩷ぺろっ!あっごめんもうない!(´>ω∂`)とかそんなこと気にしてる!?気にしなーい🩷みたいな感じ。笑いやそれにしたってさ、気にしないのレベルヤバくないか?なんて真面目な私は思っていました。笑だから最近もうこの家に合わせよ
小学生の息子たちは、まだまだクリスマス大好きうちも大きなクリスマスツリーが欲しい!と次男は言うのですが…置く場所は?あと何年出すかな?それってたぶん私が片付けるんだよね?などなど、考えてしまうことが多くてそして一番の問題は、夫さんが否定的。なんで???聞けば、実家ではそんな事しなかったとのこと。核家族で、男の子三兄弟で、お母さんも毎日疲れていて…(お父さんはお仕事でだいたい居ない)私の実家は、祖父母が「クリスマスといえばツリーだよね!ケーキも作ろうね!」とノリノリででも思い
🍀2023年3月20日🍀監督ドゥニ・ヴィルヌーヴレプリカントが妊娠!?作務衣風社長。人間以外で繁殖出来たら、それはもう人間なのでは?🤔ガラテア症候群せめてKから始まる名前にしようよ。笑子供の頃の記憶なんて、後から写真で思い込んだものかも知れないし。えっ!?何で撃つの!?壊れたレコードのシーン、イノセンスっぽいな。SF・ディストピア物のラスト、肉体と本物の酒みたいなマチズモで終わりがち。イノセンスやサイコパスっぽくなるのは、それが人間の想像力の限界だからなのだろうか?大
私の人生、50年を振り返っています。長い受験を終え、第5志望の大学に行くことになった私。初めての東京生活。この時私は、大学の女子寮に入った。私が進学した大学は、アジア系の留学生がたくさんいた。そこでまた、私の海外に対する憧れがよみがえってきた。将来は、英語を使った仕事がしたい。でも、そんな職業があるのだろう?ただ漠然と英語を使った仕事、というだけで、なんのアイディアも思い浮かばなかった。大学に入ってからは、ビジネス英語を手当たり次第に履修した
スーパーへふらりと行くと、七五三で売れ残ったミルキー千歳飴が安売りされていた。どこか寂しげに、棚の隅に置かれた千歳飴。通常は1本100円ちょっとが、なんと70円台に値下げされていた。普段は気にも留めないが、値札を見てふと思い出した。私が子供だった頃、確か1本30~50円ほどだった。「物価が上がったなぁ…」と思いつつ、昔、大好きだったその飴を、目にしているうちに、無性に食べたくなり、数本カゴに入れてしまった。家に帰り、一口食べると、懐かしいような、しか
☆☆-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be☆☆☆☆今日は豚バラトマトカレーを作りました冷蔵庫にあった食材とトマト缶で2週間ぶりくらいのカレーライス☆☆【追記】頂いたコメントで思い出した事子供の頃の記憶では肉は硬いモノという認識