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そう私は娘を縊死で無くしたせがない母親です中3で、元父親の所に行ってその後何とか関係が修復出来たかと娘もそれなりに人生歩んでると錯覚して少し安心して自殺する1ヶ月前娘からの懺悔とも言える告白の電話を受け取っておきながら怪しいとも思わず直ぐに駆けつける事もせず1ヶ月後の再会を心待ちにしててただ自分の世界で忙しなく時を過ごして突然に命を遠く知らない土地で同棲の彼氏の部屋で一人首を吊って娘を死なせた親ですもっと何かしてたらとかあの時の電話でも
草場一壽さんを知ったのも必然でとてもスピリチュアルな人だと知りました芸術を極めるシナリオを通じて神様龍神様から導かれいのちの大切さを伝えておられます京都世界遺産東寺2024年3月16日[土]~5月11日[土]世界遺産真言宗総本山東寺食堂入場料は無料です是非、魂が震える作品に出逢ってくださいね2024年陶彩画展情報陶彩画家草場一壽公式サイト陶彩画家「草場一壽」の公式サイト。草場一壽がてがけた陶彩画の作品やプロフ
こんにちは虹色るみかです。2月に入り、立春も過ぎて、暦の上では春。自宅近所の公園のあちこちで、菜の花が満開です。そして、今週はバレンタインデーもありましたね。実は私、毎年バレンタインデーになると今だに凹みます(ToT)空の上の息子MAMORUとの思い出が走馬灯のように浮かんできて毎年回想シーンが始まり悲しくなるからです。今日は、MAMORUの月命日でもあったため、遅ればせながら、バレンタインデーに寄せて、子どもを亡くした遺族としての私の気持ちを綴って
なかなか予約が取れないとご不便をおかけしておりました個人セッションですが、このたび予約方法を変更します。1.予約枠を増設します2.予約開始日を廃止しますこれからは、お申込みいただいた分を順次受け付けて参ります。7月の枠がいっぱいになれば8月の枠に移り、というように、現在どれくらい先の予約になってしまうのかはブログやインスタの投稿、ホームページにて随時お知らせしていきます。そんなに待てないよ!という方もいらっしゃると思います。そういう方には、信頼できる他のミディアムさんをご紹介
なぜだろう。最近、あの日のことが頭から離れない。ちゃーこからのメッセージ??忘れたくても、忘れられない7月13日。ちゃーこの病気が余命1年と分かった時からできる限り在宅で過ごすと、在宅で看取る覚悟をしていた。あの日。たまたま、ちゃーこは1泊入院していた。というのは…意識レベルも呼吸も、嚥下機能も低下していた。脊椎播種もあり、手足も動かず、座位保持も厳しくて。さらに自力で排泄もできず、私が導尿していた。い
先日、大切な友人の愛犬への想いを綴ったインスタをみて涙があふれました。高齢となったワンちゃんへの愛が溢れてましたワンコは人間よりも長い時間を共に生きれるわけではなくて。それを知ってるからこそ、老犬になってからの一日一日が大切でたまらないし愛おしさに溢れるのかな...我が家のつく🐾は5歳、いつの間にか、ちゃーこが生きた年齢を超えててちゃーこと私達家族が共に生きた時間よりも長く一緒に暮らしています。ちゃーこの死も共に経験してきました。「私がおばあちゃんになるまで一緒にい
朝ンポの時のタックン地方の空雲が空一面にびっちり…でもその隙間から少しずつ太陽の日が差して…天使ちゃんたち覗き込んでんのかな今日はやっとハローワークに行こうと決意をしていつもより早めに朝ンポに行ったけど…いつもの公園、あっちの公園とうろうろしてたらボチボチと登校していく中学生が…soraと陸ね…少し離れたところを歩いてる中学生見かけると…じぃーーーーっと見つめるんだよね。明らか背の高い子には反応しないの…ある頃からそれに気づいた。soraと陸がじぃーーーーっと見つめる先にいる中学
2024年3月吉日、実家に預けっぱなしだった雛人形を箱から出しました。やっと飾ってあげることが出来ました。最後に飾って片付けた後、箱に仕舞ったのはアルツハイマー型認知症に罹患する前の母。有ちゃんが還って逝った3年後に母も老衰で彼の世へ逝きましたから、なんと12年間は箱詰めにされて押し入れの奥に仕舞われていたわけです。防腐剤やカビ・着物の虫よけ剤に記入された日付は、2012年3月となっていました。保存状態、バッチリンコでしょう?おっかなびっくり開封し
4月22日は、息子の命の日EarthDay🌎地球環境について考える日1970年(アメリカ)から始まったそうです。息子がEarthDayに旅立ち・・初めて知ったんですけどね。その時、思い出した事があるんです。小さい頃に息子が描いた絵地球の周りに子供たちが手を繋いでる絵なんです。争い事が苦手で平和や安寧を好んだよね。いのちの日は、息子らしい日なのかもなんて思いながらいます。息子の事を想って下さる方がいることとってもありがたいです🙏ありがとうございます🤍🤍
Kと、Kの妹になる娘は13歳差です。娘を妊娠した時は、Kが思春期で、嫌がるかと思いましたが、それはそれは、妹が生まれてくるのを楽しみにしてくれていました。凄く人見知りの娘ですが、何故か赤ちゃんの時から、Kにぃにが大好きで、いつもうちに遊びに来た時は、Kにベッタリでした。Kが亡くなってから写真を整理したら、二人がくっついてる写真がいっぱいで、Kが、どれだけ妹を可愛がっていたか…愛しく思ってくれていたか…改めて気づけました。親友のA君からも、『あいつ、いっつもAちゃん
葬儀社:「息子さん、野球やってたんですね。小中高ならそれぞれのチームメイトや保護者の方、近所の方が来られるのでは?ある程度の広さが必要だと思いますよ」私の心:『そうかな?まだ誰にも報せてないし…家族だけじゃダメかな…』一番小さな会場は30人くらいのようだ[Aホール](カタログ上では、収容人数80名)次はその倍くらい[Bホール]。(収容人数150名)さらに大きな会場もあるが、それは社葬など社長や権力者向け。息子は普通の大学生。流石にそれはない。決めかねている私のために、実際
今日は私のグリーフについて、お話してみようと思います。私は30歳で結婚し、その後は3人の子どもたちにも恵まれ、小さい頃からの夢だった、看護師という仕事を続けていました。ありふれた日常が過ぎる日々。これからの5人家族の未来を、あれこれ想像しながら、幸せを感じながら、暮らしていました。これからも、ずっとずっと、5人での生活が続いていくものと、当たり前のように思っていました。しかし。現実は、残酷すぎました。2021年のある日。それは、本当に本当に、突然起こりました。
どくんどくんどくん命の鼓動・・暖かい体・・すべて愛おしい命の鼓動が小さくなりまるでなにもかも失ってしまう感覚そしてそこから人は後悔と悲しみに包まれていきます愛する人を失った現実悲しみを後悔を自分の心へ突き刺すことで受け入れることに抵抗するもう一度もう一度あいたいあいたいあって後悔していることをすべてしてあげたいと願う・・でもそれは・・尽きることのない願い
月命日明日は、9回目の月命日。どんどん季節が進んでいきますね。月命日はお休みをいただいていましたが欠員が出たので、急遽出勤することにしました。ヘルプを求められると「行くよ!」と手を挙げてしまう、、まだ未完成ですが息子の周りが整ってきました。遺影が入ってないでしょう。笑ちゃんとありますよ。写真が大きくて入らなかったので、小さくしたら入れます。短いろうそくも買うのを忘れたし、プリザーブドフラワーも買うのを忘れました。とりあえず、家にある物を差しておきました。ガラスのお位牌もおり
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAECV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年1月30日・・その②翔平の部屋で三人で先生に呼ばれるのを待った。それぞれが気を使い今日こんな面白いことがあったよ~とかたいして面白くもない話に異様に反応しゲラゲラ笑ったりした・・どうにかこの場の重い空気を変えようと。しばらくすると看護師さんが呼びにきた。部屋に入ると教授、主治医、看護師さんが待っていた私たちが席に着くとすぐに再発です・・・と
こうちゃんが心肺停止になったのは、ちょうど去年の今日でした。『心肺停止からICUへ』今朝、心肺停止して救急車で運ばれました。心臓はまた動き始めたけど、脳はかなりのダメージで、意識が回復する可能性はほとんどない、と。どう考えたらいいのかわからな…ameblo.jp元気だったこうちゃんはこの日でいなくなってしまいました。もう1年も経ってしまったんだなぁと。あまり考えると波にのまれそうなので、いつも通りに仕事をして穏やかに過ごしたいと思います。先週末には、こうちゃんの主治医だった総合診療科の
久しぶりにアメブロに戻ろうとタップしたらログインが必要だった。ログインして私の最近読まれているブログ記事を見た。自分が殴り書きした在宅医療の部分を読んでいる方がいるのがわかる。未来を気に病んでいる人が同じ空の下にいるのかもしれないね。私も読んでみた。あの日の次男の言葉やっとありのままに受け止めた。目が見えなかったんだ閉じ込められたような感覚だったんだ淡々とした記録が教えてくれている事実に涙が溢れた。次男を取り返せないことに観念するしかない毎日を生きている。友
大変お待たせしました。5月から始まりますスピリチュアル能力開発講座の募集を開始します。またまた怪しいなぁ、いったいどんな講座なの?と思う方もいるかもしれません。わたくし、ミディアムのお仕事をメインにしておりますが、実はスピリチュアル能力開発講座もやっております。皆さん、それぞれの目的に沿った能力開発をお勉強されています。自分のガイドと会えたり、体外離脱を体験したり、自分の前世を見たり、いろいろできるようになるのですが、何といってもうれしいのが、大切な方を亡くされた生徒さん
2024.3.273度目の月命日まだ3ヶ月なんだね…私だけ、1日が1年に倍速で進まないかなぁそしたら寿命を全うして息子に会える日も近いよね?そんな、あり得ないことを毎日考える3回目の月命日もカレーあれこれ悩んだ挙げ句のカレーこうなったら月命日はカレーの日にしようかなメニューひとつ決めるにも優柔不断な私今月は初彼岸もあったから悩みの種ばかり期間中の一週間の献立平椀、坪椀、汁物…紙にそれぞれ何を作るか書きだして何とか最終日まで成し遂げた私は、"こうしなければいけない!
先日、生命保険の引継ぎの担当さんがうちに挨拶に来た時のこと。ご挨拶が済み、細かい説明を受けながらテーブルに広げられた書類の一枚に、家族の名前・生年月日・年齢等が記してある一覧があったのです。何気に目をやると、………え………有ちゃんの名前もフルネームで記載されたまんまでした。年齢、(今現在)21歳。………そっかぁ…そうだよなぁ……私の中では『永遠の14歳』なので、どうにもピンと来ない心境でその数字は暈しましたが、なんと表現した
しばらく、心身ともに多忙でブログ放棄してました闘病記の続きです。10月18日(金)昨日から症状悪化、傾眠や頭痛が強くなり、グリセオールを増量家にいても、ちゃーこのことが心配で心配で今日はMRIがはいってて、鎮静かけるため朝から禁食。食欲旺盛のちゃーこが耐えられるか?これまた心配でした10時面会開始時間から一緒に準備をしてちょうどMRIへ。大学病院と違って点滴で鎮静かけてくれるので。ちょー
お通夜の前の夜は、前夫、前夫の彼女、私、長男、A君だけになり、明日はいよいよお通夜だね…って話をしていました。この日まで、何人かの親しい友人達もKに会いに来てくれて、一緒に悲しみ泣いてくれて救われました。お通夜、お葬式には高校から、クラスメイト全員を連れて来ると言われていましたが、前夫以外は、『Kのために来てもらうのをやめよう!!お通夜、お葬式は、Kのことを思ってくれる人だけに来てもらおうよ。』と言っていました。でも前夫は、『学校がみんなを、わざわざ連れて来ます。っ
仕事から帰るとすぐ部屋着に着替え、それから息子の前に座り、お線香をあげる。そして夕飯。これが夫のルーチン。昨日はいつも以上に座り込んでいるなと思ったら、涙を流していた。だいぶ堪えてたんだろうと一目で分かるような表情をしていた。どうやら昨日は、一日中涙が出ていたらしい。夫は何事にも動じない人いつまでも悩んだり、落ち込んだり、怒ったりがなく、良くも悪くも気持ちの幅が小さい(そう見せてるだけかもしれないが)でも今は違う言葉には出さないが、何をしてても息子がど真ん中にいるのが見える
今日は東日本震災から13年の日。Kのことがあって一カ月過ぎのことです。だから同じ13年の月日が経ちました。今日は朝からテレビでも特集が組まれていて、家族を亡くした方や、福島の原発の影響で今までの生活から一変した方たちが、どのように13年を過ごしてきたかを紹介していました。その動画を見ていたコメンテーターたちからは、その方たちに対して、強いですね。って感想を言うことが多く…だんだんとムカムカして、そのテレビ局へ感想のメッセージをリアルタイムで送れるというので、この方たちは強く
大変ごぶさたしておりますちゃみでございます主人の納骨も終えましてお香典返しも終えまして少しずつ落ち着きを取り戻しつつありましたそんなある朝ひーママからLINEが来ていっちゃんのいつメンのひとりが昨夜事故で亡くなったとえ・・・なんてことなんてこと仕事中もその子のことを思い出しじわじわ涙が出てきて「ちぇんちぇ?」子供たちが下から顔をのぞきこむ*:.。..。.:+・゚・✽:.。..。.:+・゚・✽:.。..。.小学1年生からずーっと仲良くて何年生のときだ
以前に書いたブログですが大切な人を亡くして日の浅い方へ私のスピリチュアルへの体験が少しでも参考になりましたら幸いです必要な方へ届きますように16歳で旅立った息子の大樹(ひろき)息子を突然交通事故で亡くして魂は生きているのか息子は無になってしまったのか目に見えないスピリチュアルへ一歩一歩と進んだ体験談です息子が亡くなって、死んだら無になると思って生きてきた私でしたが。息子の存在を知
葬儀後の週末は毎週のように泊まりがけで、息子のマンションの片付けに出向いた。夫と二人、毎回、狭いビジネスホテルに泊まった。自宅から離れ、しーんとしたその空間は、どうしたって、息子のことしか想うことはなかった。ある夜、私は「○○○がいないなら私は居る意味がない!○○○のところに行きたい!」と泣きながら夫に訴えた。「俺だってそうしたっていい。でも○○○は喜ばないでしょ!俺は、○○○だったらこんな時どうするかな、○○○だったらどうしてほしいかなって。そう
先月末から急にアクセス数が桁違いに増えていてびっくりしています。回顧録を発信して頃に比べると最近はほとんど発信していなかったのですが。亨平の想いや生き様を感じていただけたら本当に嬉しいです。我が家では大切にしている数字があります。19と319です。19は亨平がサッカーを復帰する時に選んだ背番号。19歳の経験を忘れないという意味でした。319は亨平がお空に帰った日の3月19日から。昨日親友D君から先日の結婚式のエンドロールが送られてきました。泣けました。
子どもは親を選んで生まれてきますそれはママの笑顔がみたいからママと一緒に幸せになりたいからそしてあなたの愛する人はあなたと出逢う約束をしてきましたあなたと魂と魂の繋りが深いからそしてあなた様もすべて生れる前に決めてきましたあなたの今世のシナリオ通りあなたの子どもさんがあなたの愛する人が先に旅立つことも・・運が悪かったとか・・こうすれば良かったなど人生をコントロールはできないのです人生は計画通り
A君は息子の中学のときの同級生。でも仲良くなったのは、高校に入ってからだと聞きました。A君から聞いた話。息子は、同じ中学から同じ高校に入学した、一人の同級生から、少しずつ息子が学校で、一人ぼっちになるように仕向けられていた。例えば、誰かと喋っている所に寄ってきて、『俺の友達やから喋るな』と言われたり、影で息子が悪いように、友人達に話をしたり…実はA君が中学のときに、同じことをされていたらしく…『あいつは、周りが気付かないように、うまく離して行くんですよ。陰湿なんです