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可愛い娘が誕生してからもちろん産声はなかった2019年9月9日21時34分❁︎娘誕生❁︎首を上げて必死に赤ちゃんを見た「可愛い…♡」まず第一声本当に可愛い赤ちゃん!そして可愛いと言った後にすかさず「おっきい…笑」とボソリ夫も姉も“頑張ったね”とか何とか声をかけてくれてたけどあまり記憶なし…笑出産の達成感と娘の姿を見るのに必死だったすぐに娘が別室へ連れて行かれ同時に、後処置があるので…と、夫と姉も部屋から出された連れて行かれる娘…廊下から夫の大きな泣き声が聞こえ、遠くな
~2024年6月1日の日記「日々のささやき」~29日に、大切な人の死を、知らされたい理由って何だろう?と書いた。そのあと、知人がこの番組の制作スタッフだったと知りえーー、すごいお仕事を、とびっくり。で彼女も、主人公の虎ちゃんが旦那さんの戦死を知らされなかったことを怒る、というのは違うなあと感じたと教えてくれたので、私だけじゃなかったと、ちょっと安堵。死の知らせを、早く知ることの必要性は明確にあるわけではないかもしれないが感情的には、かき乱されると思う。早く
本日の時点で7年4ヵ月前。当時中学2年生だった娘有ちゃんに、自死というカタチで突然先立たれたときには、気持ちの上で余裕が無いどころか、その日その時を生きて行くことだけでいっぱいいっぱいの私でした。そうしてぐるぐると不安定な精神状態のまま藻掻いて過ぎた数年間。気づいたときにはとうに時効も過ぎていた『第三者委員会行使』について、私なりの想いを今回初めて書いてみようと思います。え?なにを今更?と思われる閲覧者さんもいることでしょう。当事者ご遺族の中にもおられるか
今日で妊娠38週を迎え、まだまだマタニティライフを満喫できそうです☺️と思っていたのですよ8月上旬くらいは。コロナもあるのでお出かけもせず、ネトフリで韓国ドラマを観漁る産休の日々を過ごしていたんですけど、子供が軽い風邪を引いて私にも移り、そこから二週間以上咳が続いてます…内科に行ったり、耳鼻科に行ったり、それでも治らないひどい咳。寝れないくらいの咳に悩まされたり、咳のし過ぎで胸が痛くなるほど。昨日ダメ元で、総合病院の呼吸器内科に行ったところ耳を疑うような診断が…!!!先生→喘息ですね
今朝起きたら息子が何やらキッチンでお料理中です。「今日は父の日だから、白玉団子つくってる。」「あんこ買ってなかったよね?大丈夫?!」って、聞いてみたら。「パパが好きな柿ピー入りの白玉を作るんだよ。」マジ?!白玉の中に柿ピー入れるの?!しかも、今、我が家に買ってあるのは「わさび味」柿ピーですこれね辛いものが食べれない中2男子。もちろん柿ピーもワサビも食べたことはなし
~2024年6月5日の日記「日々のささやき」~グリーフの解説の、準備をしている知人から、仕上げの手伝いを頼まれいろいろと話すなか、ふと2つの文言に目が留まった。感情面のところで、罪悪感・自責感、とあった。私が資料を作る時は「自責」だけ入れている。同じような言葉を2つ並べるならその違いの説明が必要となりここで細かく言うよりも1つ挙げるほうが分かりやすいかと思い。でも、2つとも挙がっていたのでどう違うのか?違いはあるのか??調べてみた。そしたら!罪悪
普段はミディアムシップで亡くなった大切な方からのメッセージをお届けする仕事をしていますが、実は人の前世も見ることができます。もともと催眠療法士なので、なんなら得意技とも言えます。ミディアムシップのお仕事の方が忙しいので、積極的には受けていませんが、ご希望があればやっているんですねー。今回のクライアントさんは、お名前のみいただいて、今の自分に一番必要な過去生にアクセスして欲しいというご依頼でした。前世の内容で多く語られていたのは、仕事を通じての在り方というか、人に対する姿勢のよ
土曜日は久しぶりに葉月さんとランチに行きました。私が最近感じている、モヤモヤやイライラな気持ちを葉月さんは否定せずに聞いてくれました。モヤモヤやイライラって、マイナスなイメージだから人に話すって気を使います。こんなこと思う自分ってダメだよな。こんなこと話したら、引かれてしまうよね…って思ってしまって、遠回しに(察して欲しいって)言ってみたりすると、結果ややこしくなることがあります。だから私は、シンプルに、勇気を出して、人にはイヤなことはイヤ。嬉しいことは嬉しい。好きなこと
一昨日は吉野参拝ツアーでしたあいにくの雨だったのですが、そのせいか私たち以外に参拝に来られている方がすごく少なくて、特に神社は私たちだけの貸し切りのような状態でした。また吉野は独特の空気感がある場所だと思いますが、雨でその空気感がより強調されているように感じられました。当たり前に神さまがそこに座っていらっしゃるのが見えそうな気がしますし、神さまだけではなく、草木の精みたいなのがそこら中で飛び跳ねていそうです。ご参加くださったお一人の天使ママさ
貧血…どうにかして…(誰に言っているの?)不摂生してきた私が悪いんだけどさ〜急にくるのやめて…日曜日普通に買い物していたら急に手足に力が入らなくなりやばいと思ったときには冷や汗だらだらなんとか車にたどり着いたけれど動けない😨じいちゃん、ばあちゃん、妹にSOSをだすものの📱誰も出ない😭息もしづらくなり30分程車の中で丸くなってうなっていると少し動けるようになりじいちゃん、ばあちゃん、妹たちの呑気な「なんかあった〜」の連絡もっと早く助けてよ〜でも迎えに来
月命日もう4日前ですが…最近、アメブロを全く開いていなくて。みなさん、どうされているかな?と思いながらも足が遠のいていました。月命日は仕事を休み、いつものようにお花を用意して、好きなお菓子や好物を並べました。最近は、泣くことが減りましたがスイッチが入ると外でも危ない時がありますね。マスクがあってよかったーと思うことがあります。どうやら私は、元気そうに振る舞ってしまうのかな。外で偶然、会ったママ友と立ち話をして、ゲラゲラ笑って、「じゃーねーー!またねー」なんて、ブンブン手を振れる。
昨日職場で小さなお子さんのいる方が「うちの息子、粉薬が好きで。甘いからかなー。咳も出てないのに飲みたいっ言うんだよね」っていう会話が聞こえてきて…娘はお薬、特に粉薬が苦手だったなー。なにに混ぜてもむせたり、戻したり。そんな娘に私は、「飲まないと咳もお熱も治らないよ」て怒ったりしてた…それもあって、娘はお薬が余計にトラウマに。いつも、泣きながら飲んでたことを思い出し切なくて。ごめんね、怒ったりして。少し大きくなってからは錠剤が処方されそちらはすんなり飲めること
今日、3月5日はももちゃんの月命日。お腹の中で亡くなっていたから、本当はいつなのか、分かりません。まさか自分の子どもが死んじゃうなんて、思ってもなかったし信じられなかったです。“死産”なんて言葉、知らなかったです。1ヶ月経った今でも、なんであの人は普通に元気な赤ちゃん産んでるんだろう。なんで私は元気に産んであげられなかったんだろう。もしも早産で出てきていたら、ももちゃんは今頃元気に生きてるのかな。歩き過ぎ・逆子体操やり過ぎたのかな…。って…ふとした時に思って
わたしのスピリチュアル能力開発講座で、ミディアムシップを教えています。今週は最終回のレッスンがありました。最終回のレッスンでは、生徒さんの亡くなった大切な誰かに、クラス全員で一緒にコンタクトをとります。そんなことができるのかしら?と半信半疑で始めたみなさんも、まちがいなくその方にコンタクトしたんだなぁという情報をたくさん持って帰ってきてくれるのですよ。いつもは皆さんのサポートに入る私も、このレッスンはミディアムシップをする側にまわります。どこにいらっしゃるかなぁと探してい
体育祭の2日前血液検査の結果は問題なかったので予定通り髄液注射💉を受けることになった。主治医先生が、病棟の方が看護師さんの数も多いし、師長さんをはじめ、みんないっちゃんのこと心配してるからと、病棟のベッドの空きを事前に調べててくださり病棟の方で処置をする事になった。車椅子で小児科病棟へ移動〜エレベーターを降り、病棟の扉を開けたら正面のナースステーションから…「いっちゃん!!!」笑顔で師長さんが出て来てくださり、いっちゃんの肩に優しく触れてくださった。「
なぜだろう。最近、あの日のことが頭から離れない。ちゃーこからのメッセージ??忘れたくても、忘れられない7月13日。ちゃーこの病気が余命1年と分かった時からできる限り在宅で過ごすと、在宅で看取る覚悟をしていた。あの日。たまたま、ちゃーこは1泊入院していた。というのは…意識レベルも呼吸も、嚥下機能も低下していた。脊椎播種もあり、手足も動かず、座位保持も厳しくて。さらに自力で排泄もできず、私が導尿していた。い
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAECV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年1月30日・・その②翔平の部屋で三人で先生に呼ばれるのを待った。それぞれが気を使い今日こんな面白いことがあったよ~とかたいして面白くもない話に異様に反応しゲラゲラ笑ったりした・・どうにかこの場の重い空気を変えようと。しばらくすると看護師さんが呼びにきた。部屋に入ると教授、主治医、看護師さんが待っていた私たちが席に着くとすぐに再発です・・・と
こんばんは。司法解剖の結果を聞きに行ってきました。それについて書く前に「死因がわかりました」というタイトルにしたら食いつく人が多そうだなって思いました。今でも関係ない人からのいいねやフォロー申請が来たりします。不謹慎だなー闇雲にフォロワー稼ぎをやめて欲しいなーなんて悪い感情が湧いたりします。そういう人の見せ物にはするつもりないです。この記事にはお医者さんから直接聞いた内容は書きません。ただ、娘がお空に還ってしまったのはそれは本当に確率の低い極めて稀な事だった
前回の闘病記【母としての決断】から、ずいぶん経ちました⬆︎ワンオクのライブレポが続いたのでどんなお話だっけ?って場合は、上の⬆︎をクリックしてください。私は、長年続けていた仕事を辞め、9月からずっといっちゃんのそばにいることを決断した。田舎に帰った後くらいからの彼の不調続き、毎朝の頭痛と吐き気、登校出来ず課題を家で横になっては起き…と、少しずつこなす日々。家で課題に取組むいっちゃん(ヅラを付けて遊んだ写真)その姿を、こうやってそばで見守る。やっぱ安心
スピリチュアル能力を開発する講座を開催しています。ベーシックコースの受講者はもうすぐ100名を超えますから、いろいろな方のケースを見てきました。前回は体外離脱を全員でやってみました。まずは部屋の中でリラックスしながら、身体は動かさずにエネルギー体の自分だけが回転してみます。一人の生徒さんが興奮気味に、「すごかったです!部屋の中でコロコロ、コロコロと転がっていました!!」と成功体験をシェアしてくれました。「おめでとう!」とみんなでよろこんで、ついでに上手くいったコツをシェアして
A君は息子の中学のときの同級生。でも仲良くなったのは、高校に入ってからだと聞きました。A君から聞いた話。息子は、同じ中学から同じ高校に入学した、一人の同級生から、少しずつ息子が学校で、一人ぼっちになるように仕向けられていた。例えば、誰かと喋っている所に寄ってきて、『俺の友達やから喋るな』と言われたり、影で息子が悪いように、友人達に話をしたり…実はA君が中学のときに、同じことをされていたらしく…『あいつは、周りが気付かないように、うまく離して行くんですよ。陰湿なんです
長男がお空にいってから、最初の親としての大仕事。それが葬儀だったように思います。お空にいってしまったことも夢であると思っているような状態で、葬儀をしなければいけない。本当に本当に辛かったです。なぜ、我が子の葬儀を自分はしないといけないのか?しようとしているのか?やらなければいけない、決めなければいけない。でも、全然気力はわきませんでした。そんなとき。私の弟が教えてくれたことがあります。「葬儀は最後の晴れ舞台」ということ。そうか、晴れ舞台なんだな。それを聞いてか
私の世界から色が消えたあの日、長男がお空にいってしまったあの日。長男は意識がないまま、救急車で病院に運ばれました。私はそのとき、パニックになっており、変わり果てた長男の姿を前に、ただただ長男の名前を叫び続ける以外、何もできませんでした。そんな状況もあり、救急車には夫が付き添い、病院まで行ってくれました。そして、その運ばれた病院で長男は最期を告げられたのです。その瞬間に立ち会ったのは、家族では夫ただ一人でした。あとで夫から聞いたことですが、「本当に気が狂いそうになっ
知人のお父様が危篤ということで、コンタクト依頼がありました。すでに意思の疎通はとれず、医療的にできることも何もない状態で一か月以上たっているとのこと。たしかにコンタクトしてみると、すでに細胞は栄養を取り入れることをやめてしばらくたっている様子。そういう方特有の体のエネルギーに移行されていました。痛みや苦しいところはないかと、身体のあちこちをチェックしてみましたが、かすかに腰のあたりがだるいくらいで、それ以外は痛みも苦しみもないご様子でした。そうなると逆に、ここまで体の準備は整って
月命日明日は、9回目の月命日。どんどん季節が進んでいきますね。月命日はお休みをいただいていましたが欠員が出たので、急遽出勤することにしました。ヘルプを求められると「行くよ!」と手を挙げてしまう、、まだ未完成ですが息子の周りが整ってきました。遺影が入ってないでしょう。笑ちゃんとありますよ。写真が大きくて入らなかったので、小さくしたら入れます。短いろうそくも買うのを忘れたし、プリザーブドフラワーも買うのを忘れました。とりあえず、家にある物を差しておきました。ガラスのお位牌もおり
しばらく、心身ともに多忙でブログ放棄してました闘病記の続きです。10月18日(金)昨日から症状悪化、傾眠や頭痛が強くなり、グリセオールを増量家にいても、ちゃーこのことが心配で心配で今日はMRIがはいってて、鎮静かけるため朝から禁食。食欲旺盛のちゃーこが耐えられるか?これまた心配でした10時面会開始時間から一緒に準備をしてちょうどMRIへ。大学病院と違って点滴で鎮静かけてくれるので。ちょー
こうちゃんのブログなのに、最近登場してなかったので…去年の今頃、PTで。手と足でこげる三輪車がお気に入りでした。オチはないです
過去の悲しい出来事で罪悪感や後悔などで悔やむことがあると思います私も過去、たくさん自責の念がありました息子を交通事故で亡くした時にバイクの免許証を取ることを許し・・一緒に免許を取りに行った事で息子が亡くなったと、自分を責めましたそんな私は息子に嫌われていると思っていましたしかし、その事すべてが自分自身を縛っていたことでした過去は変えられないとよく言います確かに過ぎた物事は変える事は出
今日は、私にとっての罪悪感や自責の念とは?について、お話しようと思います。長男は、事故でお空にいきました。当時、一番近くにいたのは私です。なのに、気づかなかった。気づけなかった。守ってあげれなかったのです。私は何をしていたんでしょうか?本当に、本当に、自分で自分が情けないです。親は子どもを守るもの。世間一般の共通認識のようなもの。私も例外なくそう思っていました。なのに、、私は、、子どもを、愛してやまない最愛の我が子を守れなかったのです。一生かかっても消えることの
今日は朝からちゃーこの声が頭から離れなくて…「ついまてーん!!」(すいませーん)←「さしすせそ」が上手に言えなかったwwっていう、ちゃーこの声。⋱⋰⋱⋰⋱⋰⋱⋰⋱⋰⋱⋰⋱⋰⋱⋰⋱⋰つくばで入院になった時には私も付き添い入院していたのですが。夜、シャワーだったかな?何かを買いに行った時かな?ちゃーこが寝ていたので、私が病棟を離れていた時。ちゃーこがトイレで起きたけど入院間も無くて、ナースコールの使い方が