ブログ記事10,891件
お通夜の前の夜は、前夫、前夫の彼女、私、長男、A君だけになり、明日はいよいよお通夜だね…って話をしていました。この日まで、何人かの親しい友人達もKに会いに来てくれて、一緒に悲しみ泣いてくれて救われました。お通夜、お葬式には高校から、クラスメイト全員を連れて来ると言われていましたが、前夫以外は、『Kのために来てもらうのをやめよう!!お通夜、お葬式は、Kのことを思ってくれる人だけに来てもらおうよ。』と言っていました。でも前夫は、『学校がみんなを、わざわざ連れて来ます。っ
ふと、思い出したことがあります。いつかの、免許更新のときのことです。その日私は、車の免許更新に行っていました。特に体調が悪かったわけでもありませんでした。更新のための講習を受けていました。それで心肺蘇生や救命処置などについての話がありました。今書きながら、文字を見るだけでもそわそわしてきますがこういうワードや光景はあの日のことを思い出す、私の大きなトリガーの1つです。最近では、状況によってはこのトリガーもかわせる日もあります。でもその日は、、だめでした。講習を
なぜだろう。最近、あの日のことが頭から離れない。ちゃーこからのメッセージ??忘れたくても、忘れられない7月13日。ちゃーこの病気が余命1年と分かった時からできる限り在宅で過ごすと、在宅で看取る覚悟をしていた。あの日。たまたま、ちゃーこは1泊入院していた。というのは…意識レベルも呼吸も、嚥下機能も低下していた。脊椎播種もあり、手足も動かず、座位保持も厳しくて。さらに自力で排泄もできず、私が導尿していた。い
昨日は子供の発熱で仕事も学校もお休み。先々週と先週は娘が発熱で調子悪かったので、看病しつつパパちゃんが仕事休みの土日はオープンラストで仕事へ。ずっと看病と仕事で寝てないから、お熱で寝てる息子の隣でお昼寝~と思いウトウトしていたら\ピンポーン/せっかく寝れそうだったのに。。。来たのは近くに住んでる義母。子供が熱出してると時々こうして差し入れを持ってくるので、また何か持ってきたのかな~と思ったら義母「ちょっとだけお話があって。。。」差し入れも持ってきてくれたけど、お話って嫌な予感
2024年6月1日(土曜日)は、ZOOMを使ったオンラインの集いでした。参加者は12名様。うち初参加者は1名様。子が他界された方(11)、パートナーが他界された方(1)が集いました。自己紹介で一巡後、二つに分けたグループでミーティングを行いました。📷母子像『いっしょにね』作/Y様▽印象に残った話題等▽①グループ(お立場別ミックス)生きていくことが辛く、生きるための言葉を探し、書店で立ち読みして一小節でも刺さった言葉があれば購入していた。電子書籍で読ん
昨日の公開ミディアムシップ、たくさんの方にご参加いただきました。毎回始まるまでは、どうなるんだろ?ちゃんとできるかな?と、思うのですが、始まってみればいつもスピリットさんのはからいで、すべてがうまくいくのです。思いがけない人からのメッセージ一度しか会ったことがない印象的な人そんな方々からのメッセージも届きました。どんなメッセージも愛にみちていますが、やはり先に旅立たれたご家族の再会をお手伝いできるのは、何よりも光栄だなぁと思います。ミディアムは名もなき中間者ですが、そのパイプ
長男がお空にいってから、最初の親としての大仕事。それが葬儀だったように思います。お空にいってしまったことも夢であると思っているような状態で、葬儀をしなければいけない。本当に本当に辛かったです。なぜ、我が子の葬儀を自分はしないといけないのか?しようとしているのか?やらなければいけない、決めなければいけない。でも、全然気力はわきませんでした。そんなとき。私の弟が教えてくれたことがあります。「葬儀は最後の晴れ舞台」ということ。そうか、晴れ舞台なんだな。それを聞いてか
昨日は日曜日。みなさん、何をして過ごされましたか?私はというと。大事な大事な、ひまわりの種を植えました。私にとってひまわりは特別なお花です。詳しくはこちらに書いています。良ければお読みくださいね。↓『ひまわりの空に込めた想い』私がブログを始めようと思ったきっかけ。それは、グリーフケアを身近で当たり前の社会にするためです。私がグリーフケアが必要で、広めたいと思ったのは看護師での経験や…ameblo.jp最近はお花屋さんでもよくひまわりを見かけるのでうれしくなります。で
木村藤子さんの噂私は青森県むつ市まで行き2回お逢いしていますネットなどでバッシングされているのを見かけるとほとんどが噂話で・・お会いしても自分に都合のいい言葉をもらえなかったのか言いたい放題なのを見たこともあります実際、木村藤子さんはお金儲けではされていませんと私はお逢いして感じましたよくネットで高額なお金とかありますが私が行った時は、(現在はわかりませんが)自分で決めたお金を包み渡します金額は
昨日、所用で実家へ。ちょうど、姉も仕事が休みだったので母と姉と一緒に近くのショッピングモールへ行きました。広いモール内を歩くと高齢の母はすぐに疲れてしまいます。『ちょっと休んでいこう〜。2人は何か見るものがあるなら行ってきていいよ。おばあちゃんはここで待ってるから。』とフードコートの椅子に座り込みました。私も姉も、特に見たいものはなかったのでじゃあ、フードコートで何か食べようか…ということになり、それぞれ好きなものを買って食べている時…「ここのフードコートに、前は◯◯ガー
私には二人の子供がいました。長男は15才の受験の時にユーイング肉腫の癌が見つかりました「僕は死にたくないから抗癌剤やる」と先生に言いました。それから辛い抗癌剤治療、放射線と辛い治療を頑張って受けました。なくなる前に16才の誕生日を家で家族みんなでお祝いし、病院へまた戻るときに公園に桜が沢山咲いていました。「お母さん桜みたいから近くまでいって」と「桜きれいだね」これが最後の外出となりました。4月容態が急変し意識がなくなり、名前を呼ぶと一粒の涙がこぼれそのまま眠るように亡くなりました。もう13年た
先日、遺族ケア外来に行ってきました。前回の心理士さんとのお話しの続きです。『月命日と遺族外来』月命日昨日は月命日でした。真夏の暑い季節から、秋に変わってしまいました。夏日が続いていたので、季節外れのひまわり畑をテレビで見たり、近所に来るお花屋さんにひま…ameblo.jp今回は精神腫瘍科の先生の診察でした。前回とは別の心理士さんもご一緒でした。診察の前に待ち合いで問診票を記入しました。数枚あり、記入するのが辛かった。息子が通っていた脳外科の待ち合いでの記入。患者さんがいる中で目に
わたしのスピリチュアル能力開発講座で、ミディアムシップを教えています。今週は最終回のレッスンがありました。最終回のレッスンでは、生徒さんの亡くなった大切な誰かに、クラス全員で一緒にコンタクトをとります。そんなことができるのかしら?と半信半疑で始めたみなさんも、まちがいなくその方にコンタクトしたんだなぁという情報をたくさん持って帰ってきてくれるのですよ。いつもは皆さんのサポートに入る私も、このレッスンはミディアムシップをする側にまわります。どこにいらっしゃるかなぁと探してい
~2024年6月5日の日記「日々のささやき」~グリーフの解説の、準備をしている知人から、仕上げの手伝いを頼まれいろいろと話すなか、ふと2つの文言に目が留まった。感情面のところで、罪悪感・自責感、とあった。私が資料を作る時は「自責」だけ入れている。同じような言葉を2つ並べるならその違いの説明が必要となりここで細かく言うよりも1つ挙げるほうが分かりやすいかと思い。でも、2つとも挙がっていたのでどう違うのか?違いはあるのか??調べてみた。そしたら!罪悪
朝から体調悪し😰日曜日になると体調が一層悪くなる仕事行きたくない病か?手足に力が入らず朝からずっとゴロゴロこの頃は夢でも会えないしサインもないし…で落ち続けている😢昼頃ばあちゃんが来た「おじちゃんが(母の兄)手紙があるから持ちに来いってうるさいから、今、持ちに行ってきた。貴方達が小さい頃、ばあちゃんに書いた手紙が出てきただよ。それが、私が娘ちゃんたちからもらった手紙とそっくりで!面白いから持ってきた!」と…なんか見たくない…今も机の上にあるけれど見たくない私が書い
昨日でさわが亡くなって2年半でした。16日はゆわが亡くなって3ヶ月になります。2人に会いたい…会いたくて抱きしめたくて苦しいから目を閉じて想像で抱きしめる。待ち望んだゆわくんの遺骨ジュエリーが届きました。虎ノ門にあるTOMONIというお店で注文しました。私は指輪にしました!パパはペンダント。さわちゃんもゆわくんも四六時中一緒だよ🥰いつもいつもママの心に2人がいるよ🥰
前回の闘病記【母としての決断】から、ずいぶん経ちました⬆︎ワンオクのライブレポが続いたのでどんなお話だっけ?って場合は、上の⬆︎をクリックしてください。私は、長年続けていた仕事を辞め、9月からずっといっちゃんのそばにいることを決断した。田舎に帰った後くらいからの彼の不調続き、毎朝の頭痛と吐き気、登校出来ず課題を家で横になっては起き…と、少しずつこなす日々。家で課題に取組むいっちゃん(ヅラを付けて遊んだ写真)その姿を、こうやってそばで見守る。やっぱ安心
ここ1ヶ月間の土曜、日曜、祝日は息子も夫も予定が入っていたのでしばらくの間、家族揃ってお墓参りに行けていませんでした。昨日の午後ようやく家族揃って行くことができました。帰りにラーメン屋さんで遅いお昼を食べている時息子が地元のショッピングモールに行きたいと言い出しました。そのショッピングモールは先月リニューアルしたばかりなので土日の混雑具合は簡単に想像できました。夫は、私が休日のショッピングモールへ行くのは無理だと思っているので『お母さんを家に送ってからまた行くのはめんどくさ
「近いうち、お見取りできる施設に行きます。」「いよいよ、覚悟をしないと。」「当たり前に隣にいる家族がいなくなる(亡くなる)って...どんな気持ちになるんだろうか...。」今日、患者さんと、最期のときを迎える場所について話をしてきた時、患者さんがおっしゃっていた言葉が胸に刺さっています。患者さんに残された時間はあまり長くはないと推測されたので。私は、少し急ながらずっと、ご家族の気持ちが固まるのを待っていました。私は自分の経験からその決断をする辛
知人のお父様が危篤ということで、コンタクト依頼がありました。すでに意思の疎通はとれず、医療的にできることも何もない状態で一か月以上たっているとのこと。たしかにコンタクトしてみると、すでに細胞は栄養を取り入れることをやめてしばらくたっている様子。そういう方特有の体のエネルギーに移行されていました。痛みや苦しいところはないかと、身体のあちこちをチェックしてみましたが、かすかに腰のあたりがだるいくらいで、それ以外は痛みも苦しみもないご様子でした。そうなると逆に、ここまで体の準備は整って
私の世界から色が消えたあの日、長男がお空にいってしまったあの日。長男は意識がないまま、救急車で病院に運ばれました。私はそのとき、パニックになっており、変わり果てた長男の姿を前に、ただただ長男の名前を叫び続ける以外、何もできませんでした。そんな状況もあり、救急車には夫が付き添い、病院まで行ってくれました。そして、その運ばれた病院で長男は最期を告げられたのです。その瞬間に立ち会ったのは、家族では夫ただ一人でした。あとで夫から聞いたことですが、「本当に気が狂いそうになっ
亡くなってからもあちらでペットと一緒にいられるのでしょうか?可愛がっていたペットとあちらで再会することはできるの?そんな不安をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか?亡くなった方とコンタクトをしていて、なんどかフワフワした小動物を見たことがあります。淡い映像だと猫なのか小型犬なのか、あまり判別がつかないこともあります。印象的だったのは、肩にオウムを載せていた方がいたとき。前世は海賊かな?って感じですよね。こういうめずらしいシーンを見ても、口に出すのは勇気が必要だったりし
A君は息子の中学のときの同級生。でも仲良くなったのは、高校に入ってからだと聞きました。A君から聞いた話。息子は、同じ中学から同じ高校に入学した、一人の同級生から、少しずつ息子が学校で、一人ぼっちになるように仕向けられていた。例えば、誰かと喋っている所に寄ってきて、『俺の友達やから喋るな』と言われたり、影で息子が悪いように、友人達に話をしたり…実はA君が中学のときに、同じことをされていたらしく…『あいつは、周りが気付かないように、うまく離して行くんですよ。陰湿なんです
2023/10/22コンピューター手相占いをやってもらった。精神的に大きなダメージを受けているから、平均寿命までなんか生きられないだろうし、死ぬのが早い方が、向こうの世界で待っている娘にも早く会えるだろう。あと何年生きないといけないのだろうか。それを知りたかった。でも、結果を読んで愕然とした。「生命線あなたのように、生命線が2本ある人は、二人分の命の保護があります。事故などで助かった人の中にも必ず見られます。また、大きな事故から未然にのがれることの出来る生命の保護です。あなたには、少なく
あなた様が愛する人を失い『ごめんなさい』と謝る気持ち愛する人から聞く言葉たくさんの愛をくれた人から悲しい顔で『ごめんなさい』と・・謝ってほしくないよ~なぜ謝るの?愛する人から聞きたいのは『ありがとう』と言われたいなぜなら・・私はあなたを愛しているからあなたと一緒に過ごしたことはけっして消えない真実だから『ありがとう』限りある時間でも出逢えて幸せだよ
久しぶりにアメブロに戻ろうとタップしたらログインが必要だった。ログインして私の最近読まれているブログ記事を見た。自分が殴り書きした在宅医療の部分を読んでいる方がいるのがわかる。未来を気に病んでいる人が同じ空の下にいるのかもしれないね。私も読んでみた。あの日の次男の言葉やっとありのままに受け止めた。目が見えなかったんだ閉じ込められたような感覚だったんだ淡々とした記録が教えてくれている事実に涙が溢れた。次男を取り返せないことに観念するしかない毎日を生きている。友
2年前、こうちゃん6歳の2月。寒いのに、砂場で水遊び💦ぬれるのとか、汚れるのとか、まったく関係ないよね。この年頃は次男ももう、こうちゃんと同じ6歳になりました。毎日「幼稚園いきたくなーい」と言いながらでもがんばって通っています。もうすぐ卒園。時々「こうちゃんなんで死んじゃったんだろうねぇ」と聞いてきます。その時のことはよく覚えてるようで。なんでだろうねぇ…ファイファー症候群のお子さんをお持ちで、このブログに来てくださった方がいれば、ファイファーっ子家族のサイトやLINEグループで交
2024年息子がいた2023年が終わり、2024年になりました。職場で私が喪中だと知っているのは3人。新年の挨拶をされると笑顔で「今年もよろしくお願いします」だけ言っておいた。お正月気分が抜けた頃に挨拶されて、つられて言っちゃった事もあったけど…アメブロのアイコンは、クリスピークリームドーナツの干支のドーナツだけど、今年は買う気にならない。最近は、また過活動気味かな?休みの日も予定を入れている。年末からアップルウォッチを使い始めたので、歩いて記録するのが楽しいのもある。車で通り
前回のブログで書いてないことがありました。星野道夫さんの写真展でクジラさんの写真があったんですね🐳NHKの番組で、星野さんに影響を受けてカメラマンになった方がアラスカを訪れました。その時に、あちらの星野さんをサポートしていたメンバーと海に出ました。その時、鯨の群れに出逢い写真を撮影していました。するとサポートの方々があの鯨は星野さんと撮影した鯨だと気付かれたんです。約30年の時を経ての出逢い、すごいわぁ〜✨️って思いました。鯨の寿命は長いんですね。そこで感じるのが寿命の長さです。星
今から22年前。初めてだし、子育てに専念したいと思い、出産を機に仕事を辞めた。でもある程度リズムを掴めてきたら、やっぱり家にだけいる生活がしっくりこず、息子が一歳になる前からまた仕事を始めた。1日5、6時間から再開し、息子の成長に合わせて徐々に伸ばしていき、小学校低学年の頃からフルタイムで働いた。朝から家事をしながら息子を送り出し、帰って急いで夕飯の準備をする。とにかく毎日があっという間。そして毎週末は、息子の野球の追っかけ。仕事の日よりも早く起き、息子の分、自分達の分、コーチ陣