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私は、出生率が減っているのも、子育てが辛いと感じる人が増えているのも、現代社会が「子育て」を、「母親の義務」「母親のお仕事」に変えてしまったからだと考えています。実際、お母さんたちに話を聞いても、「子どもと一緒にいるのが楽しい」「子育てが楽しい」と言う人は少ないです。そして、ほとんどの人が「子育ての楽しさ」ではなく「子育ての辛さ」を語ります。そういう状態では出生率が減ってくるのは当然の結果です。いくらお金をばら撒いても無駄です。また、そういう気持ちのお母さんに育てられている子も「生まれてきて
今、「本質」を見ようとせず「見かけ」だけ整えて「きれいごと」で済まそうとする人たちがすごく増えてきました。当然、「本当はどうなのか」という議論もしません。「正解」を決めて思考停止しています。そして、社会で共有されている「正解」や「きれいごと」に異論を唱えた時点で「非常識な人」「ひどい人」「優しくない人」「陰謀論者」などという評価を受けてしまいます。昔の人は「見かけよりも中身が大事」と言いましたが、次第に「見かけも大事だよね」という人たちが増えて、今では「中身よりも見かけの方が大事」と考える人
一般的な動物たちは自分を「自分」として認識できないようです。それは「鏡」を見せるなどして確認することが出来ます。「鏡に映った自分」を「自分」と認識できるのは限られた動物だけです。人間でも、赤ちゃんの時は<AIによる概要>赤ちゃんが鏡に映った自分を自分だと認識するのは、一般的に生後6ヶ月から1歳半頃と言われています。この時期までは、鏡に映った自分を他者と認識したり、単なる面白いものと認識したりすることがあります。という状態です。この時期を過ぎると、「鏡に映った自分」を「自分」と認
常に、「大人の指示命令」に従うように求められて育った子は、自分の頭で考えなくなります。自分の感覚で感じることも、自分の意思で判断し行動することも出来なくなります。そんなことをしても、大人に叱られるだけだからです。なぜなら、子どもの思考方法と、感覚の働きと、心やからだの欲求の状態は、大人とは大きく異なっているため、子どもが、自分の感覚で感じ、自分の頭で考え、自分の意思で判断し行動しても、それはほとんどの場合、「大人が求めているもの」とは異なっているからです。幼い子どもは「一万円札」と「ビー玉」
最近の子どもたちは「無知からくる自信」は過剰に持っているのですが、「体験に基づく自信」は悲しいくらい持っていません。そのため、初めてやるようなことでも、最初は「そんなの簡単だよ」と大言壮語します。上手にできない子を見て「下手だ」などと簡単にバカにしたりもします。それで私が「君はやったことあるの?」と聞くと「やったことはないけど、こんなの簡単じゃん」などと言います。「ユーチューブで見たことがあるから出来る」などと能天気に言う子もいます。これは、電車の中などで子どもが泣いていると「ちゃんとし
日本の子ども達は、毎日、学校でも、家庭でも「勉強するのは子どもの義務だ」と考える大人たちによって「勉強」を押し付けられています。多くの人が、同じ価値観で、「仕事をするのは大人の義務だ」、「家事をするのは主婦の義務だ」、「子どもをちゃんとしつけるのは母親の義務だ」と考えています。そして、その状態で思考を停止して「なぜ?」を考えないようにしています。「なぜ?」を考えないように無言の圧力をかけています。日本の教育では「なぜ?を考える教育」をしていません。というか、むしろ「なぜ?」を考えないように教育
私は30年以上、子どもと関わる仕事をしていますが、その間に社会も、大人も、子ども達も大きく変わりました。うちの教室は常に自由テーマです。「自分でやりたいことを見つけ、自分で工夫して創る」というのがうちの教室のやり方です。そのための刺激剤として、色々な見本や色々な本が置いてあります。「お勧め」を提示することもあります。子どが自分一人ではできないことは手伝います。ヒントが必要な時はヒントを与えます。お手本を見せた方がいい時はお手本を見せます。でも基本は、子ども自身が「自分がやりたいこと」を見つけ
先日、ネットに出ていた記事ですが、ある小学校で地震を想定した防災訓練を行ったそうです。いつもは授業中に、授業の一環として行っていたのですが、その日は「現実」を想定して予告せずに行ったそうです。その記事はこちらです「抜き打ち避難訓練」で「校庭にいた児童」の想定外の行動とは?【専門家が緊急提言】間違った学校の避難訓練の功罪抜き打ちですから、授業をやっているクラスもあれば校庭で活動している子ども達もいるわけです。実際の地震も、人間界の事情とは無関係に「不意」に来ますからね。その「不意」に対処でき