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我が家は四人家族。なので、常に四等分する癖がついていた。ホールケーキは四つに切るパックのお刺身も四皿に分ける餃子を焼いたら4分の1ずつ食べる子供が大皿料理のおかずを「これいくつ食べていい?」と聞くと、夫はいつも「好きなだけ食べていいよ」と言っていたけど、私は「家族4人でしょ。考えて食べて」と言っていた。買い物する時も四人で分ける前提で買っていた。でもこれからは家族三人。いつものペースでは買いすぎてしまう。夫は牛乳が大好きだったので、毎回二本買っていたが夫がいな
夫の死を知ってから、一ヶ月が過ぎました。1月が永遠に終わらないのではないかと思うほど長く感じました。反動なのか、2月はあっという間に過ぎています。物理的に、後始末が全くついておらず焦っていますが、ここで自分のことを書くことで、絡まった糸を解くように、頭と心の整理ができています。書けば書くほど、人生を凝縮して生きているなあと、人ごとのように思います。まだやりたいことがあるし、子供のためにも、夫があの世から恨んでいても生きていかねば。ただ、もうこの先どのタイミングで人生が終わり
色んな書類で配偶者の有無を書く時私は「無」にマルをつけなければならないそしたら、結婚指輪はどうなんだろう?もう結婚していないのにいつまでも結婚指輪をしているのはおかしいのか?でも結婚以来ずっと24時間つけていたものを急に外すのも違和感がある私と同じようにご主人を亡くされた皆様は結婚指輪はどうしているのだろう?
今日の予定週末は模試続きだった高3の長男は休み塾へ行くかもしれないけどとりあえず弁当ナシ高1の次男は午前中模試→部活弁当ありいつも通りの時間に起きて今日は雨だったので駅まで次男を送り帰って来たら長男はまだ寝ていたので私も、まだ早いしちょっと二度寝しようか…最初は布団に入っていただけだったけどいつの間にか寝てしまった浅い眠りの中で夫に会えた夫は若干若くて、しかも子供が保育園の頃住んでいたアパートの台所だった状況としては子供達がパンを食べようとしていて
初夢でダンナさんに会えたらいいなぁと思っていたら明け方出てきてくれた私のことを夫と息子達(なぜか幼少期)が車で迎えにきていて笑顔で手を振っていたそして、場面が変わって何か食べていて私はこんなことしてる場合じゃないから早く車に乗って帰らないとと焦っているところで目が覚めた久しぶりに夢に出てきたのは嬉しかったけどその分目覚めた時のショックが半端なくてあぁ、やっぱりいないんだ、という現実との落差久しぶりに心臓がきゅっとなって過呼吸になって涙がハラハラと流れ
世間の目が怖い。夫は交通事故で亡くなっていて当時、新聞やニュースでも報道されたので近所ではちょっと有名だ。なので、外へ出て近所の方と会うのがちょっと嫌だ。勝手にあの人のご主人まだ40代なのに事故で亡くなってお気の毒にまだお子さんも小さいのにみたいに思われてる気がして、世間の目が怖いでも仕事もしているし買い物とかいかないわけにもいかないし極力出たくないけど出ざるを得ない。そして運悪く知り合いに出会ってしまったらつい、気がついてませんよというフリをする
お盆は東京にいます。(東京のお盆は先月でしたが。)お盆や年末年始は心なしか街が静かな感じがして好きです。今日は図書館で読み物をする前にデニーズで桃パフェを食べました。隣のテーブルではおばさま集団が賑やか談笑。その中の一人のご主人が最近亡くなったようで「主人いなくなってスッキリした~☆」と明るく話されているのを聞いて、憧れの未亡人、、、なんだか羨ましくなりました。そして家に帰ってテレビをつけていると、今度は、ご主人に先立たれ食事も喉
同級生に二人僧侶がいるそのうちの一人からLINEで「あの世で再会した時に喜んでもらえる生き方を探して」と言われたので「再会できるのかな?」と返したら「必ず逢えます。胸を張って再会しましょう」と返事がありました。なんの根拠もないけれど僧侶にそう言ってもらえると少しありがたいというか、会えるのかも、と少し心強く感じました。彼の言う「喜んでもらえる生き方」は何なのか分からないし私は一日一日精一杯生きていくしか出来ないけれどいつかまた会えることを信じて一歩一歩前
皆さま大変ご無沙汰しております3月27日は夫の一周忌でした24日の日曜日に身内のみで法要を済ませましたあっという間の1年間私はこの一年で何が変わったのだろう取り敢えずは夫の死を受け止める事はできたそれだけですプライベートはずっと引きこもりです何もできません💧夫の遺影も見れる時と見れない時があります何時になったら立ち直れるのかなぁ。。。孫の陽音(おと)ちゃんにはいつも本当に癒されています
毎年、年に数回献血車が職場にやってくる。私はその度にできるだけ献血するようにしていて今日がその日だった。私の後ろに別の課で親しい人が並んでいたので「何型ですか?」と尋ねたら私と同じB型だったので「一緒ですね〜」と言ったら「ウチは全員B型なんですよ」と。夫が生きていたら「ウチは私以外はO型なんですよ〜」と話が広がったのだけど、今は家族の話をする勇気がなかったので話はそこで終わってしまった。ただの血液型の話でもその先に幸せなファミリーの姿が見え隠れするといた
長男の共通テストを翌日に控えた昨日の夜なんとかいつもより早くベッドに行かせて一番最後にお風呂に入った昨日は次男→長男→私の順番で入浴ホッと一息で湯船につかった私の目に入ったのは…お風呂で遊ぶおもちゃのアルファベットで壁に書かれたメッセージ◯◯(長男の名前)FIGHT弟から兄へのメッセージ一瞬固まって嬉しくなって涙が出てきたあなたの息子はとても兄想いのいい子に育ってますよそれにしても英語がとても苦手な次男fightって綴りよく知ってたな笑
恐れていたことが起こりました夫の車を時々動かしてはいましたが私も平日は仕事をしているので夫の車は週末のみしかも短距離を乗るだけそんな感じではバッテリーが上がってしまうと言われていたけれど毎週乗っていればなんとかなるかなと思っていたら今日ついにエンジンがかからなくなってしまいました。今JAFを呼んだところで前のように週一近所を運転するだけでは状況は変わらないかと言って上の子が免許をとるまであと半年くらい?このまま放置しておいて良いのか?車が傷んだりしない?夫
夫が亡くなってからトイレットペーパーの減りが早くなった気がするこの前補充したばかりなのに、またなくなってる?という具合に我が家のトイレ事情を説明すると一つは備え付けのホルダーに設置もう一つはトイレットペーパーホルダーのカバーに予備としてつまり、使っているトイレットペーパー+予備で一つトイレ内にあることになるのだが、その予備のトイレットペーパーがすぐなくなっている気がする家族が一人減ったのにトイレットペーパーの消費量が増えるのはおかしいそこで考えるそうか、いつ
昨日、車の中でちょっとした勘違いから私が声を荒げたら次男がそんなことでキレないで!と逆ギレした私が自分の勘違いに気がつきごめんごめんと謝ったものの車内は嫌な雰囲気に家についてしばらくしてから次男がさっき、強く言ってゴメンと謝って来た夫が亡くなってからみんな気持ちにゆとりがなくなってきている残された家族で仲良く暮らしていきたいのに精神的に不安定になっている仕方ないことだけど。幸せな人って心にゆとりがあると思う。些細なことでイライラしたりしない他人のこと
月命日をきっかけに周りに知らせた事もあり先週は続々と夫の訃報を知った友人達が弔問に来てくれていました。癌の事もほぼ周りには話してなかった事もあって急な訃報に同年代の夫の死は友人達にとってもショックだったようで、私がどんなにか落ち込んでいるだろうと心配してやって来てくれた。こうやって気にかけてわざわざ来てくれてたくさんの人に支えられているのをありがたく感じてます。思ってたよりも元気そうで安心したと言って貰えて良かったけれど、、、正直な気持ちゆっくり休む事はしたくない悲しみに呑み込
1リットルの涙という本を読んだ事があります。ドラマ化されているのでご存知の方も多いと思いますが私は死ぬまで何リットルの涙を流すのかなとふと考えます。よく、涙が枯れるまでとか言うけれど涙は枯れません。泣いても泣いても身体中の水分は無くなる事はなく私の目からは涙があふれます。夫とのちょっとしたエピソードを思い出すたびにもう会えないことを思い知り泣けてしまいます。それは何年経っても同じことできっと死ぬまで夫を思って泣く事があるのだろうと思うのです。そ
こんにちはmintです今日の気温23度でも明日から冬に逆戻りらしいですね温度調節ムズい💦ベランダに物置を置いてました空っぽになったので処分しようと、息子と2人でノコギリで切って燃えるゴミにして出しました真っ白だったのに雨ざらしでこんな無惨な色にスッキリですどんどん処分していきます夫のことでたくさんの方から優しいコメントやメッセージをいただきました本当にありがとうごさいました心の中を吐き出して、ここに残すことでみなさんに読んでいただき、夫が亡くなっただけでも辛くて悲
突然のことでしたある日の夜息子から夫の元カノからDMが来たんだけどあいつは大丈夫なのか?というLINEが来たそのDMは「お父さんが朝会社に来ず、連絡が取れないと連絡が入りました。大丈夫ですか?何か知ってますか?」という内容だったどうやら昨年夫と別れた不倫相手の女性がSNSを辿って連絡を入れてくれたらしいあいつは女癖は悪いがそういうところは真面目なのでこれは絶対に何かある!と思ったまず浮かんだのは自◯でも、その元カノに振られたのはもう1年以上前のこととりあえず夫の携帯
(一部、過去の投稿と被る箇所があります)義家族に啖呵を切った後は、さらに迅速に動く必要がありました。一つ下手を打ってしまったからです。離婚調停が夫の死によって終わる事となり、手続きとして除籍後の戸籍謄本の提出が必要でした。ところが四十九日の翌日からは年度末。史上最高の繁忙期が始まってしまったのです。休み返上、残業は当たり前、手作りのご飯って何ですか?の日々でした。そんなある日、ポストに裁判所から封書が届いていました。エレベーターの中で破るように封を切ると「代理人から戸籍謄本が提
配偶者が亡くなると一週間休暇をもらえる子供達の学校も同じだった。ウチの場合、亡くなってから告別式まで期間が長かったので、金曜日のお葬式が終わって週末を過ごすと翌週から子供達は学校へ行った学校で辛い思いをしたりしないか何か言われたりしないか少し心配だったが、どちらの息子もお友達に恵まれ特に嫌な思いはしていないようで安心した私は、と言うと上司と同僚のお言葉に甘えもう一週間お休みをいただいたこの一週間で色々やれる手続きをやっておこうその前にやるべき事を列挙する
ついにやって来ました。運命の日が。会場まで車で送るという保護者が多い中、車で行く方が思いがけない渋滞や不測の事態で遅くなるかもしれないという不安から公共交通機関で行ってもらうことにしました。夫が生きていたら送るのかな?彼なら会場までの道のりも慣れているし、息子もリラックスできるから二人でお喋りしながら車で行ったかもしれないな。朝息子を送り出してからJRの運行状況を見るとまさかの遅延マーク!え?私、車で送らないといけない?電話かかってくるのかな?ドキドキし
やがて私の寿命が来て天に召される時三途の川の向こうで夫が待っていてくれて私が川を渡ったら今までの苦労を労ってくれて子供達を立派に育ててくれてありがとう、と言ってくれる…というイメージがなんとなくあります。もちろんこれは私の願望で実際には私を待たずに生まれ変わっているかもしれないし、あるいは、私が向こう岸へ行ったらいっぱいダメ出しとか文句を言われるのかもしれない。でも、きっと私のこと待っててくれる褒めてくれるそう思わなければ生きていけないのです。
夫はホワイトソースとかホワイトシチューが苦手で苦手というか食べられなくて夫がいる時に作る事は出来なかったでも、私はホワイトシチューが好きで、子供達も食べず嫌いにしたくなかったので、夫がいない日を見計らってホワイトシチューを作っていた先日ある方のブログで献立がホワイトシチューだったのを拝見して久しぶりに作ってみた子供達はホワイトシチューが好きなのでお代わりするくらい食べてくれた夫はそれを見てうわ!まずそーって思ってるかなあのね、あなたがいなくなっちゃったから遠慮
夫がいないと生きていけない、と言うのは、私の場合は精神的な面の方が大きい。夫が生きている時、私は割と自分の事は自分でしていたし、夫もその点はあまり甘やかさなかった。TV周りの配線の接続、ネット環境の構築、各種手続きは私の方がやっていた。家を建てた時の契約関係は夫と相談しながらほぼ私がやった(笑)夫は私が用意した契約書を書くくらいだった。なので、家の中で知らない事はほとんど無い。旅行に行く時も手配は全部私がやっていた。夫は出来ない訳ではないけど、
息子が共通テストの会場へ向かうバス代として450円ピッタリ必要、という話を昨日書いた。昨日は突然夜に言われたにも関わらず、奇跡的に450円を2セット用意できた、もしかしたら夫が力を貸してくれたのかも?という話。でも私にはもう一つミッションが残っている二日目のバス代450円×2の小銭を今日中に用意することお昼にパンを買いに行ったPayPayが使えるパン屋さんなのでいつもならPayPayでお支払いでも今日は小銭を作るために現金で買ったパンのお代は561円私は財布から
(一部、過去の投稿と被る箇所があります)役場で戸籍謄本を出してもらうのが一苦労でした。別居で住所が違うというのがネックでした。まず、除籍の記載が反映されるまでに一週間かかるということで、取得できませんでした。住民票はすぐに取れたので、発行してもらうことにしました。ここで怖いなと思ったのが、死亡届は誰でも出せることに今更気づいたことでした。夫の場合、葬儀社の方が義親の代わりに役場に死亡届を出していました。夫を公的に亡き者にしたのが、赤の他人だということに驚きました。そういえば、調停
スタジオアリスから夫宛で「家族撮影無料ご招待」のハガキが届いた。息子達の一歳記念と七五三で撮影していただいた個人情報から長男が今年卒業なのでこの節目にご家族で記念のお写真を、というもの夫が生きていたら撮っただろうか…その前に息子達がスタジオで家族写真というものに拒否反応を示しそうだけど…仮に撮ろう!となっていたとしても夫はもういないスタジオアリスは夫の死を知らないだから仕方のないことでもこのハガキを見て私達家族はもうあの時とは違うんだということを思い知らさ
今朝、出勤途中の車の中で聞いたラジオの話初めて聞いた言葉「楽観バイアス」。楽観バイアスとは人間心理に関する用語で、物事を自身にとって都合よく解釈してしまうこと。「認知バイアス」の一種であり、危険な物事を目にしても自身には危険はないと考えてしまうことなどが楽観バイアスにあたる。日常生活における心理的なストレスを軽減するため、無意識に行われるとされる。だそうです。例えば地震や火災の被害をニュースで見ても、自分にはそういうことは起こらないだろう、と思うこと。まさに、私がこれだと思った。
家路を急ぐ家族達を描いた積水ハウスのCMをご存知ですか?家に〜帰れば〜せきすーいハウス〜🎵のBGMです最初は雨宿りしてる女の子保育園のお迎えに自転車で急ぐお父さんそして、結婚式帰りと思われる中年のご夫婦…二人ともフォーマルな格好で引き出物の荷物を持って腕を組んで家に向かう二人…いいなぁ〜あんな風に歳をとりたかったなぁ私達二人とも50代になって甥か姪の結婚式に一緒に参列し帰る時、あんな感じだったのかな…今となっては永遠に叶わないあこがれの後ろ姿
夫が交通事故で亡くなったあの日のこと夫は飲み会のお誘いがあると必ず「行って来ていい?」とLINEしてきた。ダメと言っても行くのだろうからその度に私は「はい」とか「了解」とか返事をしていた。でもなぜだろう?あの日はそれを既読スルーした。「はい」とは言わなかった。それでも時間になると夫は出かけていきそして帰らぬ人となった。その日飲みに行ったことをあまり快く思っていなかった私は父親の帰宅時間を尋ねる息子に「どうせ遅いでしょ」と嫌味を言っていた。翌日、次男が家を出るのが