ブログ記事1,677件
■皇位継承をめぐって天皇と皇子たちのその後をみてみましょう。吉野の盟約の2年後(681)、天武天皇は皇親政治を実現するために飛鳥浄御原令を出して、皇子たちに官位と官職を与えます。この飛鳥浄御令により、官位一番目の草壁皇子は20歳で立太子(皇位継承の一番目)となりますが、ついで683年には官位二番目の大津皇子に朝政参加を命じています。具体的な官職名は不明ですが、草壁皇子が病弱で任に堪えないための、代行ではなかったかと推測されます。しかしこれにより、朝廷内では草壁皇子に匹敵する立場となったのです
おはようございます。今日は火星がいよいよ獅子座に入っていく日ですが、3月末から4月17日まで惑星直列ができていて、大地震が起きやすい配置だったのです。※3月22日の記事『日本人の意識が大きく変化するのは、劇的な環境の変化が起きている』こんにちは。今日は下弦の月を20時に迎えます✨3月末に向けて、終わりとはじまりを迎えるための混乱が起きていますが、人の意識が変化をしていく背景には、劇的な環境…ameblo.jp3月28日にミャンマー大地震が起きましたが、日本も歴史的に地震や噴火が多い国なの
日本の最高神が、女神アマテラスオオミカミになり、古事記や日本書紀に、天孫降臨や天岩戸開きなどの神話が記されたのは、いつのことか。それは、持統天皇の御代のこととされます。持統天皇は、自身をアマテラスオオミカミに置き換えて、神話にその姿を残しました。そして、それは、同時にアメノウズメでもあるわけで。つまりは、イナンナに自分を重ねていたのではないかと、考えるようになりました。※これは、古代ロマンを語るものです※まずは、持統天皇とは。持統天皇は、父が天智天皇(中大兄皇子)、母が遠娘智娘、母方の
天武天皇四年(675年)一月五日、初めて占星台が建てられ、天体の観測・吉凶の占いが行われました。本日は旧暦では一月五日ですから、1350年前の今頃の時期だったでしょうか。※改暦がなんどもありますので単純に旧暦にあてはめています。新月から五日目ですから夜空はまだまだ暗く、また冬の空は空気が澄んでいますから天体観測にちょうど良い時期だったでしょう。晴れていれば夜空の星がスッキリ見えたのではないでしょうか。現代の都会の空は明るすぎて、星があまり見えませんが、この時代の冬の夜空はきっと星が