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本日は712年の3月9日古事記が完成し日本人のこころがどのようにつくられたかについて書かれた神話—陰陽五行説ベースの比喩天武天皇の代からの勅令宮崎駿の神話はコレ👇元明天皇に献上された日です。1776年のアダム・スミスの『国富論』の初版刊行と同じ日とは👀翌年には『風土記』の編纂と好字令(「諸国名を二文字にせよ」)元明天皇は天智天皇の4女—この時代はどの系譜においてかによって立場いろいろ女帝で天武天皇崩御時孫はまだ幼かったので皇太妃となり皇后を経ず即位高松
もう胸熱‼︎tolandvlogの今回の動画、八咫烏だの、賀茂族だの、裏天皇だの、ぞわぞわするキーワードがてんこ盛りなのだ。詳しい内容は動画を見て頂きたいが、ちょこっとだけ要点を書く。結論から言うと、天武天皇は八咫烏(賀茂族)が擁立した裏天皇の系譜に連なる人物だった‼︎という事なのだ。天武天皇に従った美濃・尾張・伊賀・伊勢・吉野・熊野などは、すべて【賀茂族】の拠点であった。そもそも賀茂族とは何なのか?
高市首相は、高市皇子(たけちのみこ、たけちのおうじ)の末裔という話があります。高市氏が首相になられた時、「高市早苗総理は、実は天武天皇の子孫らしい」という噂であふれていました。「高市早苗総理が天武天皇の子孫ではないか」という噂が広まった最大の要因は、天武天皇の皇子に、「高市皇子」という人物がいたことのようです。天武天皇は、飛鳥時代の第40代天皇です。672年の壬申の乱に勝利し即位。律令制の整備を進め、中央集権的な国家の基礎を固めた、日本の歴史における極めて重要な変革者
廣瀬神社先月21日~22日、奈良に行ってまいりました。楽しみにしていたのはおよそ20年ぶりに参拝する龍田大社と廣瀬神社。二十二社に列せられる両社は、旧社格は官幣大社(式内社・名神大社)。創建はともに崇神天皇の御代とされています。創建の時代はさておき、日本書紀に頻繁に記載が見られる重要な神社でした。龍田大社特に顕著なのが天武天皇と持統天皇の時代。壬申の乱という混乱期を経た天武4年4月から同15年7月持統天皇即位後の4年4
笑顔創造って、エーちゃうん!のエーちゃんです。1.歴史の香る町、日野を歩く先日日野町松尾にある『正明寺』へ足を運びました。GoogleMapsFindlocalbusinesses,viewmapsandgetdrivingdirectionsinGoogleMaps.maps.app.goo.gl日野町正明寺法輪山正明寺〜滋賀県日野町~約千年の歴史を持つ聖徳太子創建の黄檗宗寺院www.shomyoji.orgびわ湖108霊場巡り第80番札所
聖徳太子(厩戸王子)様が気になる様になったのは2025年3月末に京都奈良旅に行った際の事。京都の桜🌸を見たかったのだが開花が遅くそれなら奈良まで行こう❣️と京都のホテルから電車で移動して飛鳥駅で電動自転車🚲をかり、古墳や神社仏閣を回る事に。古墳を作った石工職人物部の素晴らしいこと❣️などと感動して回っていた。高松塚古墳の公園にも行き、『今日は何件も回るから、急いで回ろう‼️』と思っていたのに、電動自転車🚲の鍵🔑を落としてしまい公園内を60分かけて
こんにちわ読んでくださりありがとうございます。今回も核心を突く超重要な天武天皇の考察。私も実際の史実は全然知らず・・・幼少期の記録もなく生まれた日も没年齢も不明とは・・・謎だらけですね・・・また歴史にその名が出てくるタイミングの遅さから藤原鎌足が大海人皇子だったという説も可能であったりとキムユシンと金春秋の関係がそのまま大化の改新の焼き直しであるのなら百済最後の王、義慈王の弟の王子(翹岐)が、中大兄皇子という説やその弟の豊璋と
【削除覚悟】本当にヤバすぎる〝天武天皇〟の陰謀を公開する時が来ました。鐘が戻ってきました。鐘は、負のエネルギーを消し去り、人間の意識を目覚めさせる強力なツールです。鐘を取り戻しましょう🔔https://t.co/ttJvSI2ZZBpic.twitter.com/QvwIJsPpG6—TOYO(@toyo1126Q17)March4,2026伊勢神宮の心御柱【宇野正美】超最新講演「天皇家」のとんでもない秘密!?『個人的見解あり』【株主優待】EMシステムズ【宇野
TOLANDVLOGより【削除覚悟】古事記・日本書紀に仕掛けられた日本史最大級のタブーについて。天武天皇=八咫烏=賀茂族=裏天皇ありがとうございました。(o__)o))
「天武天皇は男女交易(人身売買・子弟売買・百姓子女・妻子の売買)を一度も許可しなかった」という主張は、一次史料である『日本書紀』により明確に否定されます。主張の核心である「一度も」(一切・絶対に許可しなかった)は、史料的事実と矛盾します。最重要レベル(一次史料そのもので直接的反証・核心記述)『日本書紀』巻第二十九天武天皇紀下天武天皇13年(西暦684年)春正月丙寅条原文(抜粋):「比年不登、百姓困窮、或売子弟、或自鬻、或質妻子。乃下詔曰『比年不登、百姓困窮、或売子弟、或自鬻、或質妻子
万葉集巻2-103天皇、藤原夫人(ふじわらのぶにん)に賜へる御歌一首わが里に大雪ふれり大原の古(ふ)りにし里にふらまくは後意訳わが里に大雪が降ったぞ!そのひなびた田舎に降るのはもっと後のことだろうて・・万葉集巻2-104藤原夫人(ふじわらのぶにん)和(こた)え奉(まつ)れり歌一首わが岡のお神にいひてふらしめし雪の砕けしそこにちりけむ意訳まあ、ご存じなかったのかしら。その雪はこの里の神にいって降らせた残りですのに・・ほほ天武天皇と藤原夫人(ふじわらのぶにん)の相聞歌です
龍田大社奈良県生駒郡三郷町立野南1-29-1旧社格・官幣大社(式内社・名神大社)龍田大社公式サイト■参拝日2026年2月21日【御祭神】天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)【御祭神】国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)風の神を祀る神社で、二十二社に列せられた古社。御祭神の天御柱命、国御柱命はそれぞれ志那都比古神(しなつひこのかみ)、志那都比売神(しなつひめのかみ)とのこと。これらの神は、日本書紀では級長津彦命・級長戸辺命と表
先日お知らせしました拙著『倭の五王たちの真実』のインタビューに関連して、その内容をまとめていただいた記事が、著名なインターネットメディアである《JBpress》に掲載されました。すごくわかりやすくまとめていただいております。ご一読いただけますとうれしいです。日本史最大のミステリー「倭の五王」とは一体誰のことなのか?『日本書紀』が仕掛けた壮大なミステリーを読み解く《関瑶子,伊藤雅文》【著者に聞く】『倭の五王たちの真実』の伊藤雅文が語る、天武天皇はなぜ歴史を書き換えたのか?|JBp
天武天皇に関連する「凶作」(飢饉・不作)と「男女交易」(人身売買・子弟売買・百姓の子女売買許可)についての記述は、現存する一次史料および学術的検証可能な範囲で、『日本書紀』巻第二十九天武天皇紀下の天武天皇13年(西暦684年)春正月丙寅条が唯一の直接的・核心的記述です。他の年次(例:天武5年676年)では人身売買の申請を却下した記録があり、許可したのはこの684年条のみです。『日本書紀』以外の正史(『続日本紀』など)や出土文書・金石文に同内容の独立記述は存在せず、周辺の凶作記録(尾張・美濃など
壬申の日の意味と過ごし方歴史と暦が教える開運アクション2026年2月27日は「壬申の日」「じんしん/みずのえさる」と読みます。壬申の乱が起こった年と、同じエネルギーが流れる日です。この記事では、🔹壬申の日=冷静さと意志が強まる日🔹「運命を動かす力」が働いた歴史🔹3つの開運ワークで決断力を整えるについて、氣学講師/鑑定士のマルーが丁寧にわかりやすく解説します😊最終更新日:2026年2月27日目次壬申の日の意味と過ごし方歴史と暦が教
改新政権は朝鮮半島では百済派だった。新羅は唐と同盟した(660)ために、律令国家建設を目指す改新政権は理念的に破綻してしまう。大海人皇子(天武天皇)による壬申の乱(672)は改新政権の矛盾を糺そうとする勢力に支えられて成就された。唐・新羅連合軍との白村江の戦い(667)における軍事的・外交的敗北の責任を痛感したものと考えられている。下掲の左上は加耶地域があった5世紀、右上は三国時代の6世紀前半、左下新羅が統一した6世紀後半、右下は渤海が自立した7世紀。古代最大の戦乱である壬
オリンピックも終わりましたね~。イタリアとは時差があるので、なかなかリアタイで競技を視聴する事が出来なかったけど、翌朝スマホをチェックすると、毎日のように日本人選手のメダル獲得のニュースが入っていて楽しくて仕方がなかったわ。しかし、2021年の東京オリンピックあたりから、一発で読めない名前が増えたような気がします。この傾向は今後もずっと続くんでしょうか?私なんかは古い人間なので、すんなり読める名前の選手を見ると正直ほっとしますね。ま、その話は置いておく
天武天皇四年(675年)一月五日、初めて占星台が建てられ、天体の観測・吉凶の占いが行われました。本日は旧暦では一月五日ですから、1351年前の今頃の時期だったでしょうか。※改暦がなんどもありますので単純に旧暦にあてはめています。新月から五日目ですから夜空はまだまだ暗く、また冬の空は空気が澄んでいますから天体観測にちょうど良い時期だったでしょう。晴れていれば夜空の星がスッキリ見えたのではないでしょうか。現代の都会の空は明るすぎて、星があまり見えませんが、この時代の冬の夜空はきっと星が
女系継承は過去に一例もありません!!あったら皇統はその時点で滅んでいる。よく例に出される元明天皇(母)から元正天皇(娘)への継承は、男系女子から男系女子への継承です。天智天皇の娘である元明から、天武天皇の息子の娘である元正へつないだだけ。天武天皇の息子は草壁皇子で、元明の夫。https://t.co/07AFdymeKm—竹内久美子(@takeuchikumiffy)February19,2026
【要旨】倭国と日本国の関係、倭国から日本国への移行過程の解明は、古代史研究の最大テーマの一つに違いない。日本国が倭国の支配下のあったのか、並立して存在していたのか。倭国は日本国に併合されたのか、禅譲だったのか、あるいは・・・。以上のようなことを考えている時に、満田正賢氏の「七〇一年の王朝交代と朝鮮半島方式から中国方式への転換」(古田史学会報No.192)にめぐりあった。倭国的な要素と日本国的な要素の違いを考えようとしていた時だったので、「評」から「郡」への変更を、倭国(満田
『本当にあった日本最大の禁忌とは?天武天皇の子孫は皇室に戻っている』本当にあった日本最大の禁忌とは?皇室乗っ取り計画★藤原不比等は天智天皇の子???という説があるがそれも藤原氏系の古書によるもの天智天皇(×中臣鎌足)→藤原不比…ameblo.jp
~本居宣長いらい、『古事記』は「大和心(やまとごころ)」、すなわち日本人の精神性の根源を伝える書として神聖視される。だが、その編纂の目的や経緯に関してはいまだ多くの謎がある。なぜ正史である『日本書紀』と別の史書が必要だったのか。なぜ五世紀後半で記述を終え、成立まで二百数十年の歴史を無視したのか――その裏には、天皇家と時の権力者・藤原氏への深い怨念がある。古代史研究の鬼才が「日本最古の書」の正体に迫る。~著者にはついては全く知りません
大和郡山市新木町新城(にき)神社牛頭天王?
岐阜県・垂井町これも、史跡の一種?古墳以外も紹介して行こうと思う圭那です。。。と言う事で・・・関ケ原の合戦・史跡巡りの途中ですが・・・。陣跡を周る途中で、たまたま見つけた史跡も紹介して行きます。※この書庫も、古墳頼りでは増えて行かないので(笑)先日、紹介した・・・長束正家陣跡と同じ敷地内に有りました。この場所の、見どころの1つのようです。「冠石」の表示の上に、「大海人皇子冠置石」って・・・。全く、分からなかったので自宅に戻ってから調べてみました
稗田阿礼を語るに当たって、天武天皇との関係は外せません。その関係は、単なる「君主と家来」という枠を遥かに超えています。それは「宇宙の意志(天命)を受け取る者」と「その意志を保持する器」という、極めて密接な魂の協力関係でした。天武天皇がなぜ阿礼を選び、何を託したのでしょうか?まず天武天皇自身、非常に強い霊感を持った「シャーマン・キング」としての側面がありました。彼は壬申の乱において、占星術や式占(しきせん)を駆使して勝利を収めたと言われるほど、目に見えないエネルギーの扱いに長けていました
皆様、ご機嫌YOです!朝廷を牛耳っていた(と言う事になっている)蘇我入鹿を討った後の中大兄皇子(のちの天智天皇)が藤原鎌足と共に政治の実権を天皇に取り戻そうとした。それがいわゆる大化の改新です。中大兄皇子(天智天皇)は皇国史観に染まった薩長の遺物共にとっては英雄とも言える天皇の一人です。…が、彼の実像を冷静に見てみると相当ヤヴァイ御方である事が明らかになってきます。はっきり言って彼が殺した蘇我入鹿など軽く上回るほどの悪党です。そんなわけで今回は中大兄皇子(天智天皇)の軌跡と
【はじめに】平国香とは何者か?—一般的な「史実」の姿まず、私たちが教科書や一般的な歴史本で目にする「平国香」のプロフィールを確認しておきたいと思います。平氏の長男:桓武天皇の血を引く「平高望」の長男。名門の祖:後の「伊勢平氏(平清盛ら)」の直系先祖。悲劇の被害者:承平5年(935年)、甥である平将門に襲撃され、館と共に焼け死んだ「悲劇の伯父」。正義の象徴:彼の死をきっかけに、息子の貞盛が父の仇討ちとして将門を討伐し、「将門の乱」を鎮圧する。つまり、公式の歴史において
竹を食べるものその2パンダが四川省の西部のチベット高原の東の端を、現在のおもな棲息域にしているのは、なんとなくわかった。また、そこがどんなところなのかなってことも、なんとなく想像はつく。山岳地帯っていうか、標高の高い森林地帯で、竹が無限に繁っているところなんだろう。で、そこに棲んでいるパンダを世に知らしめたのはフランスの学者さんらしいんだけど、もともとは、1825年、生物の生態調査に入ったフレデリック・キュビエっていう学者さんが、チベット高原でレッサー・パンダを見つけ、
#雪に騒ける朝楽しも……★☆矢釣山木立も見えず降りまがふ雪に騒ける朝楽しも:柿本人麻呂:歌意:御所の近くにある八釣山の木立も見えないほど、雪がどんどん乱れ降る朝は楽しいものだ。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━#万葉集第三巻より■□■みんなぁ、元気ぃ~?寒いなぁ~読み方やでぇ~やつりやまこだちもみえずふりまがふゆきにさわけるあしたたのしもみなさん、お元気?この歌は題詞に「柿本人朝臣麻呂が新田部皇子(にいたべのみこ)に献れる歌一首、また短歌」とあるわね。
新刊『倭の五王たちの真実』のなかで、付論として『古事記』序文とは何かについて考え、「『古事記』序文は『原日本紀』の序文が転用されたのではないか」という結論に至りました。その後も『古事記』序文について考えていましたが、さらなる論拠といえる新発見がありました。まず、序文の全文訳を以下に記します。※カッコ付き数字は私が便宜上段落分けしたものです臣安万侶が申し上げます。(1)固まり始めたとはいえ、気の形はまだ現れない原初の混沌では、名もなく何かが為されることもなかったので、誰もそ