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「天武天皇は男女交易(人身売買・子弟売買・百姓子女・妻子の売買)を一度も許可しなかった」という主張は、一次史料である『日本書紀』により明確に否定されます。主張の核心である「一度も」(一切・絶対に許可しなかった)は、史料的事実と矛盾します。最重要レベル(一次史料そのもので直接的反証・核心記述)『日本書紀』巻第二十九天武天皇紀下天武天皇13年(西暦684年)春正月丙寅条原文(抜粋):「比年不登、百姓困窮、或売子弟、或自鬻、或質妻子。乃下詔曰『比年不登、百姓困窮、或売子弟、或自鬻、或質妻子
天武天皇に関連する「凶作」(飢饉・不作)と「男女交易」(人身売買・子弟売買・百姓の子女売買許可)についての記述は、現存する一次史料および学術的検証可能な範囲で、『日本書紀』巻第二十九天武天皇紀下の天武天皇13年(西暦684年)春正月丙寅条が唯一の直接的・核心的記述です。他の年次(例:天武5年676年)では人身売買の申請を却下した記録があり、許可したのはこの684年条のみです。『日本書紀』以外の正史(『続日本紀』など)や出土文書・金石文に同内容の独立記述は存在せず、周辺の凶作記録(尾張・美濃など
壬申の日の意味と過ごし方歴史と暦が教える開運アクション2026年2月27日は「壬申の日」「じんしん/みずのえさる」と読みます。壬申の乱が起こった年と、同じエネルギーが流れる日です。この記事では、🔹壬申の日=冷静さと意志が強まる日🔹「運命を動かす力」が働いた歴史🔹3つの開運ワークで決断力を整えるについて、氣学講師/鑑定士のマルーが丁寧にわかりやすく解説します😊最終更新日:2026年2月27日目次壬申の日の意味と過ごし方歴史と暦が教
TOLANDVLOGより【閲覧注意】覚悟のある人だけが見てください。日本の歴史で一番〝闇の話〟を暴露します。ウーム天智天皇か天武天皇のどちらか次回も楽しみにしています。ありがとうございました。(o__)o))
改新政権は朝鮮半島では百済派だった。新羅は唐と同盟した(660)ために、律令国家建設を目指す改新政権は理念的に破綻してしまう。大海人皇子(天武天皇)による壬申の乱(672)は改新政権の矛盾を糺そうとする勢力に支えられて成就された。唐・新羅連合軍との白村江の戦い(667)における軍事的・外交的敗北の責任を痛感したものと考えられている。下掲の左上は加耶地域があった5世紀、右上は三国時代の6世紀前半、左下新羅が統一した6世紀後半、右下は渤海が自立した7世紀。古代最大の戦乱である壬
オリンピックも終わりましたね~。イタリアとは時差があるので、なかなかリアタイで競技を視聴する事が出来なかったけど、翌朝スマホをチェックすると、毎日のように日本人選手のメダル獲得のニュースが入っていて楽しくて仕方がなかったわ。しかし、2021年の東京オリンピックあたりから、一発で読めない名前が増えたような気がします。この傾向は今後もずっと続くんでしょうか?私なんかは古い人間なので、すんなり読める名前の選手を見ると正直ほっとしますね。ま、その話は置いておく
天武天皇四年(675年)一月五日、初めて占星台が建てられ、天体の観測・吉凶の占いが行われました。本日は旧暦では一月五日ですから、1351年前の今頃の時期だったでしょうか。※改暦がなんどもありますので単純に旧暦にあてはめています。新月から五日目ですから夜空はまだまだ暗く、また冬の空は空気が澄んでいますから天体観測にちょうど良い時期だったでしょう。晴れていれば夜空の星がスッキリ見えたのではないでしょうか。現代の都会の空は明るすぎて、星があまり見えませんが、この時代の冬の夜空はきっと星が
女系継承は過去に一例もありません!!あったら皇統はその時点で滅んでいる。よく例に出される元明天皇(母)から元正天皇(娘)への継承は、男系女子から男系女子への継承です。天智天皇の娘である元明から、天武天皇の息子の娘である元正へつないだだけ。天武天皇の息子は草壁皇子で、元明の夫。https://t.co/07AFdymeKm—竹内久美子(@takeuchikumiffy)February19,2026
【要旨】倭国と日本国の関係、倭国から日本国への移行過程の解明は、古代史研究の最大テーマの一つに違いない。日本国が倭国の支配下のあったのか、並立して存在していたのか。倭国は日本国に併合されたのか、禅譲だったのか、あるいは・・・。以上のようなことを考えている時に、満田正賢氏の「七〇一年の王朝交代と朝鮮半島方式から中国方式への転換」(古田史学会報No.192)にめぐりあった。倭国的な要素と日本国的な要素の違いを考えようとしていた時だったので、「評」から「郡」への変更を、倭国(満田
『本当にあった日本最大の禁忌とは?天武天皇の子孫は皇室に戻っている』本当にあった日本最大の禁忌とは?皇室乗っ取り計画★藤原不比等は天智天皇の子???という説があるがそれも藤原氏系の古書によるもの天智天皇(×中臣鎌足)→藤原不比…ameblo.jp
~本居宣長いらい、『古事記』は「大和心(やまとごころ)」、すなわち日本人の精神性の根源を伝える書として神聖視される。だが、その編纂の目的や経緯に関してはいまだ多くの謎がある。なぜ正史である『日本書紀』と別の史書が必要だったのか。なぜ五世紀後半で記述を終え、成立まで二百数十年の歴史を無視したのか――その裏には、天皇家と時の権力者・藤原氏への深い怨念がある。古代史研究の鬼才が「日本最古の書」の正体に迫る。~著者にはついては全く知りません
大和郡山市新木町新城(にき)神社牛頭天王?
岐阜県・垂井町これも、史跡の一種?古墳以外も紹介して行こうと思う圭那です。。。と言う事で・・・関ケ原の合戦・史跡巡りの途中ですが・・・。陣跡を周る途中で、たまたま見つけた史跡も紹介して行きます。※この書庫も、古墳頼りでは増えて行かないので(笑)先日、紹介した・・・長束正家陣跡と同じ敷地内に有りました。この場所の、見どころの1つのようです。「冠石」の表示の上に、「大海人皇子冠置石」って・・・。全く、分からなかったので自宅に戻ってから調べてみました
稗田阿礼を語るに当たって、天武天皇との関係は外せません。その関係は、単なる「君主と家来」という枠を遥かに超えています。それは「宇宙の意志(天命)を受け取る者」と「その意志を保持する器」という、極めて密接な魂の協力関係でした。天武天皇がなぜ阿礼を選び、何を託したのでしょうか?まず天武天皇自身、非常に強い霊感を持った「シャーマン・キング」としての側面がありました。彼は壬申の乱において、占星術や式占(しきせん)を駆使して勝利を収めたと言われるほど、目に見えないエネルギーの扱いに長けていました
皆様、ご機嫌YOです!朝廷を牛耳っていた(と言う事になっている)蘇我入鹿を討った後の中大兄皇子(のちの天智天皇)が藤原鎌足と共に政治の実権を天皇に取り戻そうとした。それがいわゆる大化の改新です。中大兄皇子(天智天皇)は皇国史観に染まった薩長の遺物共にとっては英雄とも言える天皇の一人です。…が、彼の実像を冷静に見てみると相当ヤヴァイ御方である事が明らかになってきます。はっきり言って彼が殺した蘇我入鹿など軽く上回るほどの悪党です。そんなわけで今回は中大兄皇子(天智天皇)の軌跡と
【はじめに】平国香とは何者か?—一般的な「史実」の姿まず、私たちが教科書や一般的な歴史本で目にする「平国香」のプロフィールを確認しておきたいと思います。平氏の長男:桓武天皇の血を引く「平高望」の長男。名門の祖:後の「伊勢平氏(平清盛ら)」の直系先祖。悲劇の被害者:承平5年(935年)、甥である平将門に襲撃され、館と共に焼け死んだ「悲劇の伯父」。正義の象徴:彼の死をきっかけに、息子の貞盛が父の仇討ちとして将門を討伐し、「将門の乱」を鎮圧する。つまり、公式の歴史において
竹を食べるものその2パンダが四川省の西部のチベット高原の東の端を、現在のおもな棲息域にしているのは、なんとなくわかった。また、そこがどんなところなのかなってことも、なんとなく想像はつく。山岳地帯っていうか、標高の高い森林地帯で、竹が無限に繁っているところなんだろう。で、そこに棲んでいるパンダを世に知らしめたのはフランスの学者さんらしいんだけど、もともとは、1825年、生物の生態調査に入ったフレデリック・キュビエっていう学者さんが、チベット高原でレッサー・パンダを見つけ、
#雪に騒ける朝楽しも……★☆矢釣山木立も見えず降りまがふ雪に騒ける朝楽しも:柿本人麻呂:歌意:御所の近くにある八釣山の木立も見えないほど、雪がどんどん乱れ降る朝は楽しいものだ。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━#万葉集第三巻より■□■みんなぁ、元気ぃ~?寒いなぁ~読み方やでぇ~やつりやまこだちもみえずふりまがふゆきにさわけるあしたたのしもみなさん、お元気?この歌は題詞に「柿本人朝臣麻呂が新田部皇子(にいたべのみこ)に献れる歌一首、また短歌」とあるわね。
新刊『倭の五王たちの真実』のなかで、付論として『古事記』序文とは何かについて考え、「『古事記』序文は『原日本紀』の序文が転用されたのではないか」という結論に至りました。その後も『古事記』序文について考えていましたが、さらなる論拠といえる新発見がありました。まず、序文の全文訳を以下に記します。※カッコ付き数字は私が便宜上段落分けしたものです臣安万侶が申し上げます。(1)固まり始めたとはいえ、気の形はまだ現れない原初の混沌では、名もなく何かが為されることもなかったので、誰もそ
吾(わ)が里に大雪(おほゆき)降れり大原の古(ふ)りにし里に降らまくは後(のち)=天武天皇・万葉集=吾(わ)が岡のおかみに言ひて降らしめし雪の摧(くだ)けし其処(そこ)に散りけむ=藤原夫人・返歌・万葉集=万葉集では…『雪』が舞うことはほとんどが無邪気に喜ばしいものとして詠まれています♪↑電気、水道、ガス…さらには鉄道も自動車も無い時代ですので…現代と同じように大寒波で豪雪が降り積もってもたしかに『災難』という目線では現代の方が
飛鳥古寺廃寺5「元藥師寺阯(跡)」|高坂正澄飛鳥の本(元)薬師寺(もとやくしじ)は、天武天皇が発願し、文武天皇の頃に伽藍完成。平城遷都(710年)に伴い奈良に移転しました。それが奈良にある今の薬師寺。廃都・飛鳥の本薬師寺は、平安時代まで伽藍が存在し、その後廃寺となりました。その廃寺跡には、今は礎石残るのみ。そんなわけで、まあまあ晴れた寒い日に、元薬師寺を見学しました。…note.com飛鳥の本(元)薬師寺(もとやくしじ)は、天武天皇が発願し、文武天皇の頃に伽藍完成。平城遷都(
春(す)ゝか山鈴鹿の神社能(の)由来昔天智天皇(てんぢてんわう)能(の)皇弟(くわうてい)皇子大友の乱をさけ此春(す)ゞ可(か)山尓(に)王(わ)け入給ふ尓(に)柴(しば)の庵(いほり)尓(に)臺人の翁阿(あ)り皇弟こゝ尓(に)宿(やど)し給ふ翁つく/゛\と見奉り其ハ王位(わうゐ)龍顔(りうがん)顕(あらは)連(れ)ましま春(す)わ連(れ)尓(に)飛(ひ)とり能(の)姫阿(あ)り君尓(に)相ならふて貴(たつと)しとて皇弟尓(に)奉る則最愛阿(あ)つて我ハ浄見原親王(きよみはらしんわう)也とて志
前回の「酒人内親王の遺言状」からの続きです。吉備泉、空海、そして酒人内親王や葛原親王、万多親王、明日香親王、坂本親王、賀陽親王、仲野親王、その他多くの皇族や貴族らがなぜ自らの命や地位を賭してまで天武天皇の血脈を守ろうとしたのか。彼らが守ろうとしたものの正体は単なる「一族の血」ではなく藤原氏(中臣氏)によって簒奪され書き換えられる前の「日本の真実の魂(OS)」そのものでした。これまでの考察を統合し彼らが命がけで守り抜こうとした「天武の血筋」の正体について
Blog.22026.1.17織田信長が「天皇」になっていたら!?黒井ドラゴン「織田信長は、自分が天皇になることを考えていた」ともいわれる。では、織田信長が天皇になっていたらどうしていたか?1.古代の天武天皇みたいに、自分自身で政治を行っていたまず、信長は古代(飛鳥時代)の天武天皇のように、自分で直接政治を行っていただろう。そして、経済政策を重視し、外国(特に西洋)の文化と文明を積極的に取り入れて、日本を「西洋文明化」した政策を行ったのではないか
第四十一代持統天皇は飛鳥時代の女性天皇です。大化元年(645年)生。御名は鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)。御父は天智天皇、御母は蘇我遠智娘(そがのおちのいらつめ)。大海人皇子の何人もいる妃の一人であった鸕野讚良皇女は、任申の乱の時ただ一人皇子に従い作戦も練ったといいます。4年前は日本書紀編纂1300年の記念すべき年でしたが、その日本書紀で一番詳細に記載されているのがこの壬申の乱の時代です。大海人皇子が天武天皇として即位すると皇后に立ち、政治面でも補佐をしました。その
昨年10月に高市事務所経由で申し込んだ自由民主党の党員証が、届きました。郵政民営化に反対の立場から自民党員をやめて以来、20年ぶりに自民党員になりました。高市さんが総裁である限り応援し続けます。三年は頑張って欲しい。同事務所には、高市さんが総裁になってから11月19日までに25000件を超える入党申し込みがあったとホームページでお知らせがあります。すごいことだと思います。全国的にはどれくらい増えているのかわかりませんが、かなり増加していることはまちがいないでしょう。★奇しくも本日、今月23日招
こんにちは・・(^_-)-☆今の奈良は、8℃と寒さを感じる日になりましたね。昨日より気温が上がり最高気温も8℃と寒い日になりそうですね・・(^_-)-☆奈良まほろばソムリエ奈良通2級の12回目の問題です。2奈良県の歴史に関する事柄について、最も適当なものを選びなさい。(10)昭和11~12年(1936~1937)にその底が発掘調査され、弥生時代の遺跡や遺物の研究を大きく進めることになった池はどこか。ア.鍵池イ.唐古池ウ.磐余池エ
こんばんは‥(^_-)-☆今の奈良は、3℃と少し寒さを感じる日になりましたね。昨日よりで気温が少し下がりましたが最高気温も7℃と寒いですね。・・(^_-)-☆クイズで頭の体操でリフレッシュしましょう!奈良まほろばソムリエ奈良通2級の17回目の問題です。10特集問題薬師寺に関する事柄について、最も適当なものを選びなさい。(91)薬師寺は天武天皇が、皇后の病気平癒を願って創建したことに始まるが、皇后とはのちの誰か。ア.持統天皇イ.元明天皇
弘仁14年(823年)正月20日。酒人内親王がこの世を去る6年前空海に代筆させた「為酒人内公主遺言」には平安初期の歴史を覆す驚くべき「防衛ネットワーク」が記されていました。酒人内親王は、母系3代(井上内親王、酒人内親王、朝原内親王)の「伊勢斎王」で、母の井上内親王は聖武天皇の皇女、父は光仁天皇です。井上内親王は、稀代の軍師で学者の吉備真備が教育・指導をしていた「阿倍内親王(孝謙天皇)」の妹です。『水鏡』には、光仁天皇が「酒人内親王の立太子を検討していた
◆大美和第150号(~1)昨年同様に年末年始の当ブログへのアクセスが異常に伸び過ぎておりまして…大変危険な状態。「ブログアクセス解析」とやらを覗いてみたら…どうやら名の知れぬ小さな鎮守社に5件前後のアクセスが数百社に渡り大量にあるもよう。おそらく氏神を検索されて当ブログ記事にヒットされたんやろうと。氏神に焦点が当たる…名も無き小さなお社すらもコツコツ記事にしてたことが報われてる…大変に喜ばしいことなんやがひっそりこっそりブログを続けていこうと考えてる者にとっては