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今回、史実に忠実にする事を中心に意識して書くと、面白味に欠けるのと、何か情報に踊らされて、ミスリードしているのではと懸念して、思い込みで書くことにした。生まれについて、多くの説があるが、自分は、天智天皇の兄という説をとる理由は、天智天皇の親百済に対してに、親新羅政策をとったこと、滅亡していれば当然?と思うが、蘇我系の皇族で政権を運営していて、渡来系百済人の排除、藤原鎌足の死後の藤原氏を断罪している。斉明天皇と天智天皇が、百済系の皇族といわれている。これには、日本人のルーツに東北アジアから
春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天香具山持統天皇(じとうてんのう)は、日本の第41代天皇(在位:690年2月14日-697年8月22日)皇室史上、8人10代の女性天皇のうち3人目の女性天皇。天武天皇(大海人皇子)の皇后であり、天智天皇の娘、天武天皇の姪にあたる。母は遠智娘(おちのいらつめ)であり、美濃津子娘とも伝わる。飛鳥時代に在位した持統天皇は、諱を鸕野讚良(うののさらら)。『日本書紀』天武天皇12年(683年)
はい!奈央です。今回は、奈良市高畑の比賣神社に祀られている飛鳥時代の皇女・十市皇女(とおちのひめみこ)と、彼女へのひたむきな純愛を貫いた高市皇子(たけちのみこ)について紹介したいと思います。高市皇子と十市皇女は、天智天皇から大化の改新事業を引き継ぎ、律令国家としての日本を完成させた天武天皇の異母姉弟でした。JapaaanmagazineHPよりお借りしました。注:この像は、大海人皇子と額田王です。天皇の系図二人が築いた日本の礎天武・持統天皇とその時代HPより
HidemichiTanaka【日本国史学会の講演動画】田中英道(東北大学名誉教授文学博士、国際教養大学前特任教授、ボローニャ大学・ローマ大学客員教授、国際美術史学会前副会長、日本国史学会理事)による、講演の記録。理事を務める日本国史学会の講演動画を公開しております。動画内で使用されている資料につきましては、当日の会へご参加される会員にのみ配布させていただいておりますの…www.youtube.com田中英道「高市早苗氏は天武天皇の子孫?」日本国史学会代表挨拶
日本書紀によると、独裁政権を行った38代天智天皇は、息子の大友皇子を溺愛していて、当時の正当な後継者である弟の大海人皇子ではなく大友皇子を後継者にしようとしました。身の危険を感じた大海人皇子は、身を引いて出家して吉野宮に逃れました。そのため大友皇子が39代弘文天皇になりました。しかし、豪族たちが反乱を起こしてうまく統治できない様子を知り、大海人皇子が大友皇子に対して戦いを起こしました。これが672年に起こった壬申の乱です。関ヶ原町松尾に流れている藤古川を挟んで東側が大海人軍、西側が大友軍が
万葉集1-27天皇、吉野宮に幸しし時の御製の歌よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ意訳古の偉人がよくよく名付けたこの吉野。その血を受け継ぐあなたたちよ、この吉野をよく見るがよい。古(いにしえ)の偉人がながめたこの吉野を。天武晩年、いまの奈良県吉野町宮滝のあたりといわれていますが、天皇は六名の皇子たちを集め、兄弟の結束を誓わせたといいます。歌だけ読むと、つまらない語呂遊びにも聞こえますが、実情は、複雑でとっても深刻です。その前に、天