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朝食後にホテルをチェックアウトして向かった先は、、、ホテルから7キロぐらい東にある『安土城天守信長の館』です。テレビ番組で紹介された事があるみたいですが、初めて行きました。豪華な屏風絵です。ここの目玉展示は何と言っても1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階)です。内部等は撮影可能なんですがSNS等にUpしないでとの事なので控えめに、、、(笑)最上階(6階)です。中はこの6階はドラマ等でも使用されたそうです
3/1土曜日前日、1日だけ夜勤で棚卸し作業明け。帰ってから2時間ほど寝る。嫁様と息子ちゃんはお出掛け。ほんじゃ、ラーメンでも喰いに行くか。名港トリトン?8:30道の駅針T・R・Sバイク乗りがまぁまぁ居ます。せんとくん久しぶりに見たなぁ。アルトでやって来ました。慣らし運転でございます。意外と近いな奈良県。限定に弱いマンせっかく奈良まで来たので、大和郡山城址天守閣はありません。中々の立派な石垣。奈良観光終了。京奈和自動車道に乗って、本日の目的地に到着。
大阪城公園の梅林の巻。性に合わんが行ってきた。旧名大坂城梅林とビル群とカラス。今年はどうやろか?う~ん一輪だけ捕捉!この一輪を一生懸命撮ってるオッサンオジサンが「3日通うてやっとあったわ」と満足そうであった。ただ、下向いて逆光でザンネンおっこれはもうじき開花して必殺二重咲き!接近中!まあほとんど華農玉蝶目当てでしたが、機嫌良く二重咲きしてる機会に巡り会えるのも難しいんですよね。こ、これは!?近江出身で長浜
本丸武具櫓跡からの展望📸天守東側の石垣多聞櫓と天守天守東側ここから先はいけません😓二ノ丸方面を📸天守西側へ北門椿水手門跡方面へその後は、稲荷橋を目指します😊行きたい、行けない、この石段😢梅と井戸跡ところどころ椿が目を惹きます!ちなみに稲荷橋付近は工事中で毎日のように通るのですが警備員さんには多分、観光客とは思われていない…かと。比津川潮上堰あたりに、亀!今日の孫くん💕昼食娘が美容院に行っている間、爆睡ココイチのカレーしめ鯖、チキンカツ、ヒラマサの
こんにちは田舎暮らしを楽しむ滋賀県の山奥の散髪屋高島市朽木の理容室美容室髪処玉垣ある日の日常この前の歴史探訪の続き『散髪ついでに歴史探訪小牧山城の土土塁』こんにちは田舎暮らしを楽しむ滋賀県の山奥の散髪屋高島市朽木の理容室美容室髪処玉垣ある日の日常さてさてこの前に散髪に行った後『散髪屋、散髪に行く愛知県春…ameblo.jp小牧山で満足して小牧山歴史館の天守もどきから外を見ると犬山城も近いナビで調べると30分かからないぐらい2回目30年ぶりぐらいかも
偽不浄でバラモアからラーニングしますよ。死の宣告の魔法で多数相手の時に凄く効率が良いらしいのです。死の宣告をしておいて、眠らせるとバタバタと倒せるということです。こんな美味しい青魔法は取るしかあるまい(`ー´)ノで、ラ・カザナル宮天守のホームポイントに飛んでと・・・・トリガーアイテムは「奈落の水」です。競売に50個も出ていたのでお安いのかなと思っていたら・・・・んんん・・・9500ギルですか。まあまあ、かのぉ。いくら
おはようございます昨夜は五所川原で初めての立佞武多を鑑賞!めちゃくちゃドデカくて大迫力でした〜😳ヤッテマーレ、ヤッテマーレ!旅程12/1(1日目)・新幹線で福山へ福山観光案内所(福山市A)・うきしろロビー(三原市A・続日本100名城)、道の駅みはら神明の里(三原市B)・お昼ご飯と道の駅たけはら(竹原市B)・たけはら海の駅(竹原市A)・etSETOraで竹原から呉へ移動・呉泊12/2(2日目)・呉から坂町と西条へ(坂町A・東広島市A)・西条から豊栄くら
宿のそばにある犬山城。国宝だとは知らなかった。明日朝の散歩で行こうかと思ったが、今日来てよかった。駐車場から青空にぽっかり美しい。縁結びの猿田彦神社天守にくつを脱いで登る。急な階段にしがみつきながら、アトラクションみたい。休日はきっと大混雑なんでしょうね。天守閣の外回廊は風が強くて斜めの床が滑る。国宝城は5つなんだって。そう認識して見られて良かった!12000歩を超えた。もう歩けない。宿に入ります。
社員旅行は名古屋の徳川園で昼食の後犬山の城下町に移動。そこで自由散策となります。お泊りのホテルインディゴ犬山には各自チェックインです。若い子は城下町。爺さんたちは犬山城に向かいました。最近人気が出て来たのかお城の入場に1時間待ちとなりました。国宝にもなっている犬山城。最近(2004年まで)個人のお城でした。ここまでは坂を上ってスムーズに到着。60分待ちの記載?えっ?意外と混んでいるんだ。お城が靴を脱いで階段を上るため入場できる人も制限がいります。メッチャ
【2024年4月19日(金)】天候∶晴AM4:00起床。昨日行ったはずの右足かかとの肉刺の処理がしっかり出来ていませんでした。再び針で水を抜き、キズパワーパットを貼り直して、AM5:10香川県高松市を目指して出発です。歩き始めると右足かかとの部分が少々痛いですが、ここは我慢です。県道33号線を進むと程なくして丸亀市に入りました。カントリーサインは丸亀城と団扇の様です。7kmほど歩いた所で丸亀城がある亀山公園に到着しました。大勢の方がラジオ体操を行っておりました。丸亀城は高さ日本一の
いつも読んでいただきありがとうございます。前回の続きです。黒石から田んぼアートまで所要時間約10分でした。地上だと何が書かれているか分かりません。まずは、田んぼアート第二展望台です。入場料300円也じいさんばあさん若返るというアニメの舞台がこのあたりだったので、田んぼアートに採用されたようです。かなりキレイに出来上がっていました。全7色の稲を使い、田んぼアートを作っているようです。こちらは石で作られたアートです。完成度が高かったので、300円は
✨国宝松本城✨漆喰の白と漆塗りの黒品格のある白と黒のコントラストと雄大な北アルプス圧巻‼️そう言えば。。。近くですぐ行ける場所一度もブログに書いてなかった💦…とお天気の良い日に行ってきました。お堀に鏡のように映るお城を撮りたかったのに。。。風の強い日で💧お堀の側で立っていると…エサを貰えると思ってギョっとするほど大きな鯉が集まってきます♪戦国時代に建てられた深志城が今のお城の前身だと言われ城主は6家徳川家と深い繋がりを持った家々が城主となってい
12月27日、小田原市にある「小田原城」へ行きました。北条氏の本拠地で、1590(天正18)年の豊臣秀吉の小田原征伐の舞台となりました。現在、本丸跡に復興天守があり、小田原城址公園として整備されています。小田原駅から近いルートもありますが、今回は「お堀端通り」を進みました。途中、西側に幸田門という三の丸の入口があったという、三の丸の土塁跡があります。「お堀端通り」からまず見えるのは「二の丸東堀」です。奥にある「二の丸隅櫓」は、関東大震災で崩落し、1
北条氏の本拠地で、豊臣秀吉の小田原征伐の舞台となった「小田原城」。市制20周年の記念事業として1960(昭和35)年に「天守」が復興されています。外から見ると、三重四階の天守ですが、内部は5階になっています。10年ほど前に改修し、リニューアルされています。天守内は、小田原城に関する古文書・名刀・絵画・陶磁器などが展示されています。天守内は、2階を除き撮影が可能です。「すれちがいざまに他の武士と刀がぶつからないようなイメージで歩いてみ
岩国城に刀を見に行きました。有名な錦帯橋の近くで、岩国城や柏原美術館その他もろもろ観光スポットがこの一角に集中しています。↑錦帯橋↑岩国城↑柏原美術館この柏原美術館には国宝「稲葉郷」があります。他にも今回の企画展として毛利家伝来の武具が多数展示されていました。刀は思っていたほどには多くありませんでした。近くにある吉川資料館には国宝「狐ヶ崎」が見られます。刀はこの狐ヶ崎と他一振りのみ。残念ながら撮影不可でした。↑天守ロープウェイで登れます。昭和のコンクリート天守ですが中に多数の刀が
2021年3月28日満開の桜咲く大阪城を散策しています。いまにも雨が降ってきそうなどんよりとした天気でした。お濠を飾る淡いピンクの桜が綺麗です。雨が降る前に、写真を撮りまくりです。天守から退出するのは山里口出枡形からでした。ここにも桜がありました。お城と桜もいい感じです。お濠巡りの大阪城御座船が見えてます。お濠の外側は、近代ビルが建ち並ぶ都会の世界です。それでは、大阪城とお別れして
佐賀城天守の模型です。2L判のサイズで、スケールは1/500にしています。外で写真を撮りました。北側からみた様子です。佐賀城は未完成の城なのだそうで、石垣の上には土塀はなかったようです。巨大な天守と、大規模な鯱の門を建てておきながら、土塀がないというのは、ちぐはぐな感じがします。鯱の門のところから見た様子です。天守台が低いせいか、全体的にずんぐりしています。北側から見上げたところです。北西側から見た様子です。本丸からです。模型では省略して
日本100名城035『城コレ』金沢城・前田利家期・石川県#城コレ#お城#金沢城#ジオラマ
日本100名城のひとつで国宝天守&世界遺産の姫路城はいろんな時代の石垣がありますが、その中でもチェックしておきたい古い石垣があります。それが黒田官兵衛が普請したとも考えられる天正年間(1573~93)の石垣です。>>黒田官兵衛普請の石垣の地図🖕それがこの石垣。場所は上山里(かみやまざと:お菊井戸がある曲輪)下段。現地看板には天正八年(1580)羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の姫路城改築の時に積まれた石垣と推定されています。当時、黒田官兵衛は秀吉に従い姫路城を明け渡して
「お城」の「天守台シリーズ」第41弾は、「安土城」です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だけは築いて
久々の"いまさら枠"ですが、近作の流れ(?)で、滋賀県からおおくりします当別荘、僕の城好きもあり、過去作で全国の城を多く訪れました。中でも、天守が国宝に指定されている、いわゆる"国宝五城"は、既に5城中4城を訪れ、過去作up済です。古い順に・▽2013.4姫路城(※平成大修理中の状況を見る)▽2015.10犬山城(※中濃ツーリング時に)▽2016.11松江城(※出雲大社等を訪ねた島根旅の際に)▽2022.6松本城(※今作と同じく"いまさらですが枠"で)(※↑各作は、
2020年11月21日土曜日名古屋駅から「ワイドビューしなの」で松本へ、そこから観光バスで高速道路を乗り継いでやってきた最初の観光地は、会津若松の鶴ヶ城です。感染者の多い東京を経由せずにここまでやってきましたので、比較的安全なルートだと思えますが、ずいぶんと大回りしましたね。難攻不落の鶴ヶ城と言われています。戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月するも、城は落ちませんでした。黒船が現れ世間が揺れる幕末で、日本最後の内戦「戊辰戦争」があったのです。
4/30開催の、~名古屋駅開業130周年記念~「藤棚の香りに包まれ、新緑の名古屋城を巡る」JR東海のさわやかウォーキングに参加しました。名古屋駅から四間道を通り、浅間神社と愛知護国神社に参拝してから、いよいよ名古屋城に登頂です。さわやかウォーキングの参加者は100円割引で入場できました。名古屋おもてなし武将隊もいるようですね。名古屋城と言えば、金の鯱(しゃちほこ)のイメージですよね。入り口には原寸大のレプリカがありました。うわっ、
前回のブログでは、「現存12天守」であまり見ることのない方角からの写真を、各城1枚ずつ6城をピックアップしました。昨日の答です。①宇和島城②彦根城③姫路城④弘前城⑤高知城⑥丸岡城本日は、残り6城を掲載します。⑦これは、わかりにくいかも⑧これは正面の裏側からですが、簡単かな?⑨この方角からの写真はあまり見かけないですね⑩正面から見るよりこの方角からの方が素敵ですねー⑪真正面からですが、色形からすぐわかるかな?⑫天守内曲輪からの姿ですわかりずらい場合は、
◆マイクラで石垣石垣はもちろん「丸石」を用いて作ります。石垣について、いろいろ調べてみた結果、お堀のようにいろいろな種類がありました。石垣にする部分は、前回まで作っていたお堀の断面や、郭(くるわ)の境目、天守や櫓の土台にするつもりです。◆石垣とは…?石垣は石を積み上げて固めたものです。防塁に使われる「石塁」や土台などに使われるものもあります。種類として、「野面(のづら)積み」や、「打込みはぎ」、「切込はぎ」などがあります。これらの石垣は積み方や石の形
以前、岡山県高梁市の備中松山城へ行ってみたくて、家族を誘って行ってみました。まだ妻が病気になる前で、みんなで元気に歩いて登りました。とはいえ、歩いたのは20分くらいです。備中松山城は残存12天守の中で、唯一の連郭式山城です。別名、高梁城。←そのままや。市街地の北端にそびえる、標高約480mの臥牛山頂上一帯に築かれています。ですが、そもそも江戸期の備中松山藩時代には山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩
こんばんは〜。久しぶりの投稿です。ブログ、なかなかアップ出来なくて申し訳ありませんでした私は元気です色々あり、バタバタしていました。バタバタしている間に、4キロほど体重が減っていました。←これはラッキー約1ヶ月ぶりのブログになります。お立ち寄りくださり、ありがとうございます今朝は、5時前に起きて、5時半に埼玉を出発し、国宝、松本城を見て来ました運転手は、ダンナさん。行きは、約240キロを1人で運転してくれました。私は、免許証は持っていますが、運転することは、あまりないです
友人が車を買い替えましたハイオクが高いから💦ディーゼルにしたよ😊え?ハイブリッドではナイ?彼は某ドイツのセダン好きでして白のセダンから、白のセダン…同じ車種で、ぱっと見ワカラナイ犬山の「成田山」でお祓いを受けるからその後、犬山城に行こう!となりました千葉県成田市の大本山成田山新勝寺の別院でして昭和28年に開創しました車を買ったらお払いするのは尾張地方の風習でしょうか?私の車もお払いしてもらいました彼がお払いを受けている間にわたくし
前回からの続き(9月28日のこと)です天守を出て、水の四門を通って、水の三門前の通路を行きます水の三門前にもアップしましたが、天守から見たこの辺りの様子備前丸へ行く階段が設えてあります天守を見上げる1階にある石落としがよく分かります通路から見る本丸(備前丸)階段降りた辺りからもう少し引きででって、もうええって!?😅解説備前丸ここは備前丸という曲輪で、「御前丸(ごぜんまる)」と呼ばれていた時期もありました。もともと池田輝政の御殿がありましたが、本多忠政が城主になると、御殿
天守閣の中に入ると、いきなり大勢の人だかりです。巨大スクリーンに熊本城の歴史を紹介する映像が流れていて、多くの人が見入っていました。そんな状態なので、なかなか写真も撮れず。※公式HPより画像をお借りしました。ここは小天守閣の地下1階になる場所で、「穴蔵」と呼ばれています。かつて台所として使用されていたそうで、石垣や井戸、石階段などを見ることができます。また、熊本地震と同等の地震にも耐えうる制震ダンパーの構造をあえて見せる演出がされています。✤石階段1階との往来に使われていた階段