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Amebaブログでは(SSブログの方はご参考)2023年3月14日午前1:00-10:00、長時間のメンテナンスがありましたが、長時間の延長されて、3月22日は(不具合で)再メンテナンスとか。メンテナンスは何をするのか、メンテナンスで何が改善されるのか、事前に利用者へ説明がなく、不信感があったので案の定という感じです。通常、というか一般常識として、定期メンテナンス(決まった作業)以外は、利用者への説明責任があって、納得していただく必要があります。IT系の仕事をしています
す「よっ!」っていう感じで出迎えてくれたのは、元祖ゆるキャラ?の彦根のひこにゃん!そう、ここは彦根…それも、関ヶ原の戦いの後にこの地の支配を任された井伊氏(「徳川四天王」の一人井伊直政が急死したためその子の直継)が、徳川家康の支持のもと、大坂の豊臣氏と西方の諸大名に対して睨みをきかす拠点として築いた彦根城です!※それはすなわち、難攻不落でなくてはならない!という絶対条件を課せられているということを意味しています…と、偉そうに書いてますが、実はここに来るまで、単にお気楽なお城巡りの一つ
昨日の続きです。今回は天守前までです。下図③付近にある登石垣です。山鹿流築城術による珍しいもので、石垣の穴が鉄砲狭間になっています。現地の案内板です。分かり難いものになっています。上図③から④方向です。上図④から⑤方向です。本丸門が見えます。鉄筋コンクリートでの模擬復元です。水滴が拭いても拭いてもレンズに付きます。下図⑤にある本丸門です。再建が新しいからか本丸門が書いてありません。雨のかからない本丸門下⑤で記念撮影しました。赤
松山城の話題です。突き当り、まっすぐ行くと順路として帰り道になるのですが、外に出る門の手前・右側に入口があってそこから天守に上がっていきます。城内でもいろいろなところに”穴”をあけており、弓矢、鉄砲、石落としで応戦できるようにしています。今まで見てきたお城と比較してもかなり”穴”が多く、ここまでやるかって感じです。どこまで気密が可能かわかりませんが、隙間風や雨漏りなどを防ぐのは大変だったのではないかと思います。小さい穴から、このように大きな窓レベル(通気にもなる?)のものもあり
昨日の続きです。今回は見奏櫓です。天守から出て見奏櫓に行きました。下図⑦付近から休憩所方向です。天守から出た所です。再建前なのか天守門が描かれていません。沖見櫓とある所に天守があります。現在は天守として紹介されています。下図の江戸時代後期制作のジオラマでは、今の天守の付近に3階の沖見櫓があります。これが江戸時代の天守代わりだったようで、実質天守扱いです。江戸城も天守を焼失してからは3階櫓が天守代わりでした。平戸城再建の時は、すでに江戸城には天守が無かっ
3月3日、弘前城を攻略。弘前駅からバスで市役所前バス停下車。城の南側から攻めます。バス停からすぐ、堀の向こうに大手門。大手門史跡弘前城跡城内は弘前公園城内MAP各所には解説パネルが充実しています。さすが日本100名城。石垣を造る様子二の丸辰巳櫓(たつみやぐら)手前の堀は結氷した上に雪が積もっている。また弘前城は桜の名所。桜の木がびっしり生えています。桜は綺麗だが、花が咲いたり新芽が出た後だと、各建物が見えなくなってしまうでしょう。
城ミニサイズ岡崎城。今回の天守はファセットさんのペーパークラフトを参考に製作してます。天守と廊下橋との接合部分がハッキリ判るのが助かります。復元画だとどうしても陰で見えない部分なだけに立体のペーパークラフトはその点助かってます。#岡崎城#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
今日の朝の名古屋城です。最近だいぶん暖かくなり、今年は桜🌸の開花が早まりそうです。ソメイヨシノは、来週ぐらいに開花しそうですが、早咲きの桜が咲いていました。到着した時は、まだお月様が見えました。朝日を浴びる天守空手にご興味のある方や護身、体力作り・痩身をお考えの方はまずは体験してみて下さい。無料体験入門は随時受け付けております。極真会館愛知名古屋支部支部長木山仁分支部長山本慎二天白教室/藤が丘教室/守山教室連絡先📧shintyansensei@
城ミニサイズ山鹿流兵法を生かした長崎・松浦氏の居城平戸城。天守は然程大きくは無いが特徴的な形で作るのに結構手間が掛かった。#平戸城#長崎#お城#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
✨国宝松本城✨漆喰の白と漆塗りの黒品格のある白と黒のコントラストと雄大な北アルプス圧巻‼️そう言えば。。。近くですぐ行ける場所一度もブログに書いてなかった💦…とお天気の良い日に行ってきました。お堀に鏡のように映るお城を撮りたかったのに。。。風の強い日で💧お堀の側で立っていると…エサを貰えると思ってギョっとするほど大きな鯉が集まってきます♪戦国時代に建てられた深志城が今のお城の前身だと言われ城主は6家徳川家と深い繋がりを持った家々が城主となってい
御覧頂きありがとうございます。第二話は、旅行の1日目についてです。足の痛みを抱えながら旅行することになりましたが、最初はそこまで痛くはありませんでした。彦根駅につくまでは電車内以外は歩いていたので、少し痛いな、という感じでした。しかし、駅から出た瞬間に走ってしまったのです。私は小さい頃からトロいと言われていますが移動のときはせっかちなのです。更に走るのが大好きです。旅行なんてゆっくり歩いて風景を見ればいいのに、時短のためにと意味不明なことを考えて、普段の3000mを走るくらいのペースでお城ま
長野県松本市丸の内《松本城》松本城と呼ばれる以前は深志城といった天守は安土桃山時代末期江戸時代初期に建造された現存天守の一つとして国宝に指定され城跡は国の史跡に指定されている。天守が国宝指定された5城のうちの一つである#長野県#長野県松本市#長野観光#松本市観光#お城#お城巡り#松本城#松本城🏯#国宝#国宝松本城#いつぞやの#いつぞやの写真
四国愛媛の道後温泉滞在してますが、今朝は寒かったですホテルから2kmほどの名城、松山城へ行きましたロープウエイに乗って、天守閣まで10分くらいの登坂天守閣にたどり着く前に見えてきた小天守がと櫓群の威容、15万石にしては、思った以上に大きなお城ですね・・早春の青空が綺麗でした白梅越しに天守が見える景観はいいですね!この角度からの天守は壮観です~天守からは松山の市街地と、天守を目指す観光客の姿が・・市街地と、遠く海が見える景色を楽しめました松山
大阪城の歴史今から430年以上も昔。浄土真宗の本山として栄えた石山(大坂)本願寺の跡地に、天正11年(1583年)、豊臣秀吉は大坂城の築城工事を開始しました。秀吉は、織田信長の安土城をモデルとしながらも、全ての面でそれを凌駕するような城造りを目指しました。築城を始めてからわずか1年半後の天正13年(1585年)に、華麗で優美な装飾を施した天守が完成。当時、秀吉の政権は、まだまだ不安定なものだった為、自分の権力を知らしめる為にも秀吉は、その象徴となる天守を早く完成させたか
(・ㅂ・)名古屋城天守の木造再建計画ってのがあります。今建ってるのは戦争で焼けた後のレプリカです。戦争で焼ける前の木造でまあ1回建て直そみゃーとあの人が言ったとか。(˙֊˙)やるならやるで、早よやりゃあ。モタモタしとるもんで横槍が入るんだわ。横槍って、清正か!(・ㅂ・)エレベーターを付けるとか今回はスロープを付けるとか。昔の姿を再建するのがコンセプトなわけで便利な物建てたいなら城の形なんか捨ててビルでも建てときゃええがや!
広島城です🏯毛利輝元が築いた平城で、1945年まで天守を始めとする城郭建築が現存していましたが、太平洋戦争末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊しました🔥現在見られる城内の天守以下城郭建築は、全て1958年以降に再建されたものであります🍀戦後、広島復興の象徴として築かれた天守閣です🎌茶色い下見板張りが特徴的で自分好みの外観で、お洒落ですね〜梅の花も咲いておりました🌺内部は武家文化を中心に紹介する歴史博物館になっています🤓広島城は、日本100名城にも選定されました🇯🇵
佐賀城天守の模型です。2L判のサイズで、スケールは1/500にしています。外で写真を撮りました。北側からみた様子です。佐賀城は未完成の城なのだそうで、石垣の上には土塀はなかったようです。巨大な天守と、大規模な鯱の門を建てておきながら、土塀がないというのは、ちぐはぐな感じがします。鯱の門のところから見た様子です。天守台が低いせいか、全体的にずんぐりしています。北側から見上げたところです。北西側から見た様子です。本丸からです。模型では省略して
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇~お知らせ~さまざまな宣言が解除されましたが新型コロナウイルス拡散防止のため現在、活動を自粛していますしばらくの間、過去に訪れた場所で、タイミングが合わず、公開できなかった未発表の訪問記を、お伝えしますずいぶん前のものも含まれ、現在の情報と異なりますのでご了承ください◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇大阪府岸和田市を訪れた続きです昭和29年(1954)に建築された岸和田市役所庁舎を出発しま