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三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼は永享年間(1429年~1441年)に、菅生川(乙川)南岸の明大寺付近に居館を構えた[5][注1]。この居館は「平岩城」と呼ばれた。位置は、岡崎市上明大寺町2丁目のペデストリアンデッキの徳川家康像が置かれた広場辺りであることが判明している[3][注2]。1452年(享徳元年)から1455年(康正元年)にかけて、西郷稠頼は、菅生川北岸の龍頭山(標高約24メートル)と呼ばれる半島状段丘の先端に、北方に対する砦を築いた。築城当時は、菅生川南に東海道が通り、明大
下町暮らしのTommyですモノクロな日々をカラフルに🌈どう人生をたのしむかいかに面白く生きるかをモットーに小さな幸せに目👀を向けて日々たくさんの発見💡したい‼️お金の悩み‥‥家族の悩み‥人間関係のストレス‥私もストレスフルな日々ですがちょっと気持ちを切替えて楽しいこと探しそんなブログに遊びにきてね引き続き滋賀県の旅近江八幡から電車で彦根へ移動電車で15分くらいで到着です。駅から彦根城が見えますねまず宿泊ホテルサンルート彦根へ荷物を置いて彦根城へひこにゃんが
小谷城から琵琶湖方面に走るとこの長浜城が見えてきます。歴史駅には秀吉が初めてお城を持った場所になります。お城としてはあまり見るものは無いのか日本100名城、日本続100名城には選ばれていません。大河ドラマ「豊臣兄弟」放映中なので注目度はアップしているようです。私も40年以上昔、同じく滋賀県野洲町に住んでいた頃訪問した記憶はありますがあまりはっきりとは覚えていません。今回はお城の周りなどもじっくりと見て回りました。まずはスマホで撮影した天守からの眺めです。すぐ西側には琵琶湖が広がり北側には伊
#アメリカチョウゲンボウ#AmericanKestrel#亜米利加長元坊#西インド諸島昨日はありがとうございました「あなたのブログが実績を獲得しました」と表示されました。見てくださって感謝です。#アメリカカケス#WesternScrubJay#メキシコ#北米大陸丸岡城福井県坂井市丸岡町霞町1−59江戸時代以前に建設された天守が残っているお城は日本全国に12城あります。それらを総称して「現存天守(現存十二天守)と呼びます。戦国時代に多く見られた古風な
5年前に訪れながらも、高欄の塗装補修工事中で天守には登れないんだと思い込み、閉じた黒鉄門を前に引き返してしまった私たち。『日曜市と高知城★初めての四国旅④』朝10時前にはホテルをチェックアウトして,高知城に向かいました。私が計画した予定では、レンタカーをホテル近くのタイ〇スに停めたまま(24時間でも780円くら…ameblo.jp今回はちゃんと入れましたよ。せっかくなので、今回は県庁前の橋を渡って高知城を目指します。
山陰への旅大亀の月照寺を参拝した後は松江市北堀町の八雲記念館へ駐車場から記念館までの歩道もこんな感じ小泉八雲旧居との共通チケットを購入記念館は撮影禁止なのでパンフレットを当時着用してた洋服を展示してたけどかなり小柄だったようです次に隣の小泉八雲旧居明治24年6月から熊本に赴任するまでの5ヶ月を過ごした屋敷三方が庭に囲まれて明るい屋敷セツが主として使ってた部屋居間机のある部屋が書斎三方の庭に囲まれ八雲のお気に入りだったそうここから庭を眺めるのが好
メロンも届きました。先日、旦那氏・仕事関係様からのお歳暮で果物セットが届きましたが。他の方からメロンもいただきました2個入りだと…ッ!?枝?付き立派なメロンです。2個は間食できる自信がなくて、ひとつは義実家で食べてもらうことに。先日の桃もひとつ持参したんだけど(旦那氏に選別してもらったんだけど)、届いたとたんに傷んでる箇所があることが発覚!酷暑でフルーツも以前の程度の鮮度を維持できづらいんですかね夕飯食べて行きなよ~と言ってくれたのですが、お手を煩わすわ
おはようございますこの前、羽田空港の羽田産直館で、アジフライ定食(1300円)を食べたら、どでかいアツアツアジフライが2枚もしらすご飯もてんこ盛りで、残念ながら半分しか食べられませんでしたアジフライは2枚目も半分なんとか頑張りました!でも残しちゃってスミマセンしかし暑いですね…金曜日は頑張って出掛けましたが、昼間の活動は生死に関わるくらいなので躊躇しちゃいます。旅程7/17(1日目)・高速バスで三宮BTから引田へ・東かがわ市役所(東かがわ市A)
8月になりました。先月28日に震度7の地震が熊本を襲いました。被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復旧・復興をお祈りします。今回の地震で、熊本城では少なくとも石垣の崩落が40ヶ所以上、建物の損壊が7ヶ所以上見られると報告されています。2016年の地震後、関係者のみなさんの懸命な努力により、天守は復旧したものの、櫓や石垣など城全体はいまだ復旧途上で、完全復旧は2052年度の見込みとされていましたが、さらに長引く可能性が出てきました。これまで復旧作業に携わって
数か月前に訪れた奈良県大和郡山市。大河ドラマ【豊臣兄弟!】の大河ドラマ館を見学したあと『「豊臣兄弟!」大河ドラマ館奈良県大和郡山市』おはようございます。ちょっとけだるい連休明けの火曜日。ご褒美アイスやスイーツで自分を励ましつつ今週もがんばりましょー!さて、大河ドラマ「豊臣兄弟!」…ameblo.jp主人公豊臣秀長の城、大和郡山城へいきました。『秀長の城!大和郡山城その1』本能寺の変も終わりいよいよ豊臣秀吉天下統一への道が始まった…ameblo.jpいろいろ書きすぎ
織田信長公妹「お市の方」の三女大野城址徳川家光公生母「江姫」の初婚伊勢湾を見渡す高台に在り、嘗ては佐治氏の居城でしたが、水軍や海運の見張りに活躍した城と思われます。お市の方の三女江姫(10歳)は、最初の結婚で佐治一成氏に嫁いだのが大野城でした。現在は、城を模した展望台があり城山公園となっています。場所・
今回の長野旅、メインは松本城天守が国宝指定された5城のうちの一つ。(他は、姫路城、犬山城、彦根城、松江城)←あと残すは松江城のみ松本駅から徒歩15~20分くらい(バスも出てる)で到着7/27日(月)夕方の松本城とても美しいたたずまいのお城こんなに開けたところに建っている城は初めて見たこの日は涼しくて夕方の公園は静かで気持ちの良い風が吹いていた松本の街中を流れる女鳥羽川翌日(7月28日(火))の松本城青
熊本県で最大震度7の地震。2016年の熊本地震から10年になりますが、再び大きな地震が発生。熊本県は2014年、2022年、2023年、2024年、2025年の5回訪問。熊本県の滞在、訪問都市は熊本市、阿蘇市、南阿蘇村、人吉市、水俣市(湯の児温泉)、荒尾市、宇土市、天草諸島(嶺北町、天草市、上天草市)、菊池市、山鹿市、小国町、南小国町(黒川温泉、田の原温泉)。昨年は3年ぶりに熊本市に宿泊(2泊)して久しぶりに熊本城に。2016年の熊本大地震のよる被害、完全復旧まではまだ時間がかかるようで
やっと復興してきたのに前回断層の上に建っていた取引先が被災して何回も何回も東京から電話したけれどつながらず電話がつながったのは4日後だったその取引先の担当者のお母さんは亡くなった。あれから何回も熊本に行ってだんだん復興してくる姿を見てきたやっと落ち着いてきたのに被害が広がらないことを祈ります写真は熊本城天守の再建を始めたところ
奥羽線にこじゃれた駅あります浪岡(なみおか)↓ココ、青森市内らしい・・・駅前に無料レンタサイクル(ヘルメット付き)あるとかで青森駅から奥羽線に乗って行ってみることに↓青森市浪岡交流センター「あぴねす」この度「浪岡観光マップ」が新しくなりました!浪岡地区の観光巡りにぜひご活用ください!【ダウンロードはこちらから】R6浪岡観光マップ表面.pdf(2.23MB)R6浪岡観光...apiness-namioka.com南北朝時代、北畠氏が流れ着
和歌山市に一泊して、朝に『和歌山城』に向かいました。有料駐車場に止めて、9時の入場に合わせて新裏坂から和歌山城に向かいました。天守閣は、姫路城や松山城と並ぶ日本三大連立式天守です。戦災で消失し、現在の天守閣は昭和33年に江戸時代後期の天守外観を忠実に再建されています。大天守山頂を利用した要塞。別名を虎伏城標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)山頂に建造1585年に豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。主な奉行として城造りを任されたのは、藤堂高虎。秀長は、その後大和郡山を本
弘前城に行ってきました。現存12天守のひとつ。その天守は工事で移動していましたので中に入れず。工事完了した頃にまた行きたいです。
勇壮な熊本城熊本地震で石垣が崩れまだまだ修復にはお時間がかかりそう言葉がない。。。😱けれども修復の過程を見られるのは貴重なことかもしれません大イチョウ天守に登りましたが暑くて暑くて🥵加藤清正公の像結構歩いたぜ
NHKスペシャル取材班著「新・戦国史」(NHK出版新書)を読みました。表紙(カバー裏にある本書の紹介)(目次)(感想など)読み終わったら、城郭(お城)に対するイメージが変わったエキサイティングな本です。最新の科学的知見を用いて、建物の構造や石垣の積み方などを明らかにし、特に信長の城郭革命ともいうべき「見せる城」づくりに関する記述が面白い。さらに、時代の変遷により、防御拠点としての城から、街づくりの拠点としての城に至る変遷をとらえています。城下
大河ドラマで見た長浜城へ!マダムすみこです😊長浜城へ!現在の長浜城は昭和に再建された天守ですが、私が思い描いていた長浜城のイメージそのままでした。この日はとにかく暑かったので、天守へはエレベーターを利用しました。最後だけは階段で登ります😊エレベーターのあるお城は岡山の烏城以来!館内の階段も広くて歩きやすく、安心して見学できました。そして、一番印象に残ったのは天守の展望スペース。ベランダの柵がしっかりしていて、安心して琵琶湖や長浜の街並みを眺めることができました。歴史
名古屋城へ桜の季節に行きました。2026年4月5日に訪問しました。以前にも2018年8月6日に訪問して、20回に渡り紹介しています。『名古屋城の紹介1歴史今と昔』今日から名古屋城の紹介をします。2018年8月6日に訪問しました。気温40度という酷暑の中、城の惣構まで見て歩きました。天守の中には入れませんが、江戸時代から…ameblo.jp8年前のグログですが、ここから紹介しています。真夏で天候は晴れでした。今回は桜が満開でしたが、天候は曇りでした。下図の現在地付近で
古絵図では五階五層の天守閣追手門向櫓付近の埋設土器天守台付櫓台の埋納土器菊丸瓦等の破片豊臣期の瓦聚楽第同笵瓦歴史に翻弄された郡山城天守初代天守は生駒山鬼取山から伐採した材木が使われたが慶長元年の伏見大地震で倒壊した二代目天守は五奉行増田長盛が五階五層の壮大な望楼天守を完成させた唐破風や千鳥破風で飾られ正面に小天守を従えた複合天守天守台へ上る石階段がニケ所設けられていた(発掘調査から判明)天守に上がる通路が地下と地上の2ケ所にあった城は、大阪城、安土城、彦根城ですその後
夏の名古屋って、暑いのはわかってるのになぜか行きたくなるんだよね。☀️そう思って、名古屋城と徳川園をセットでまわる“夏の名古屋散策プラン”を真剣に組んでみた。まず名古屋城。お城そのものもいいんだけど、夏は緑が濃くて、お堀の水面に天守が映る感じがかなり写真映えする。天守は現在工事のタイミングもあるから、事前に公式サイトでチェックしたほうが安心。本丸御殿は冷房がきいてて暑さから一時避難できるから、避暑スポットとしても優秀。金ピカの障壁画も涼しい顔してて、
広島城天守閣について広島の武家文化を紹介する博物館として親しまれた広島城天守ですが、コンクリートの劣化や設備の老朽化などの問題から、安全面を考慮し、令和8年3月22日をもって約68年の歴史に幕を閉じました。原爆で倒壊した天守閣は、外観を復元したコンクリート建築として昭和33年(1958)に再建された。コンクリートの劣化や設備の老朽化などの問題から、安全面を考慮し、令和8年(2026年)3月22日をもって約68年の歴史に幕を閉じた。二の丸は本丸の南方にある小さい区画で、馬出と呼ばれる構造
香川県丸亀市の南部に建つ丸亀城標高66mの麓から山頂まで築かれた石垣の総高は60mを誇ります石垣はあくまで総高なので単体としては大阪城に及びませんがそれでも近くで見る石垣のスケールは圧巻です天守まで向かう道はかなりの急こう配で天守へ向かうだけでも一苦労でした天守は石垣に対して非常にコンパクト天守からは丸亀の町と瀬戸内海が一望でき絶景です丸亀城の南側には2018年の豪雨により崩れた石垣の復旧作業が行われており
徳川家康ゆかりの駿府城を歩く!天守なき名城と絶景展望台を満喫2026年7月13日、日本100名城のひとつ**駿府城(すんぷじょう)**を訪れました。駐車場は少し離れた最大料金400円の駐車場を利用したため、駿府城まで約1km以上を歩くことにしました。暑い日でしたが、街並みを眺めながらの散策も旅の楽しみです。歩いていると、まず目に飛び込んできたのが坤櫓(ひつじさるやぐら)。復元された立派な櫓は存在感があり、これから始まる城巡りへの期待が高まります。城
杵築城木付頼直という武将が1394年に築いたお城今見られる天守は昭和45年に建築された模擬天守天守からは杵築市内をが望でき、守江湾が広がる景色とても、眺めが良いですわぁ~城内は歴史資料館になっていて藩主が使っていた甲冑や幕府に献上した豊後梅の壺などを展示されているとのこと…ですが、私は、興味が無く…外観のみで見学終了ですとても綺麗なお城ですが、人が誰一人といなくて…ここが?ここが…、今、大分で推している
蓮の花撮影(呑)が目的で小田原までやってきましたよミナカ小田原の向こうに小田原城天守が見えます小田原城址公園に向けてテクテクとー学橋ですよ二の丸隅櫓が見えてきましたよ♪そして〜お目当ての南堀までやってきたらーナンと~蓮の葉しかありませんでしたぁ~(´;ω;`)ウッ…ガックしそれでもいくつか咲いている花が残ってたんで撮影開始~♪数すくないつぼみです撮るものがないのでシオカラトンボも水面に落ちた花びらまで、、、撮れる花は4,5輪しかないので
松江城(まつえじょう)は、松江市にある日本屈指の名城。蘭はたしか二回目の訪問(⌒∇⌒)山陰地方で唯一現存する天守を持ち、その歴史的・建築的価値の高さから国宝お堀端の三の丸跡から登城!(ここは今は島根県庁が立っています)出雲松江藩の初代藩主・堀尾吉晴(ほりおよしはる)が計画・建設を主導。慶長12年(1607年)に築城が始まり、慶長16年(1611年)に完成。壁面に黒い「下見板(したみいた)」が張られた威風堂々とした姿から、「千鳥城(ちどりじょう)」とも呼ばれます。明治時代の廃城令に
2番城主の青鬼を倒し、いよいよ最後で最強の敵が住まう天守へと続く冷たい廊下で、百太郎は、重たくため息をついた。黄鬼、青鬼は見事成敗したが、その子分達、未だ成敗しきれぬ鬼達が、人々へ撒き散らした鬼毒が、国に及ぼす、影響が、重く心にのしかかっていた。紅、、この国は本当に、鬼退治で、救われるんだろうか?俺達が、成敗した鬼以外にも、他にも、うじゃうじやと次から次へと、新たな鬼が、あらわれるのでは?我々の闘いに、終わり