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前回まで方向を錯覚していて、間違いがあるので訂正しています。よかったらもう一度見てください。誠に申し訳ないです。前回の続きです。模擬墨俣一夜城は天守の付櫓から入城できて、内部は資料館になっています。入館料は200円です。城の建築はバブル期の景気が良かった時代で、最近のことです。平成3年4月に開館しています。内部は撮影禁止になっていて、最上階のみ撮影が出来ます。この墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)も大垣城の設計図を基に造られたようで、展示内容は『前野家
例によってだいぶ間が開いてしまいましたが会津の旅の続きです。さて、向羽黒山城を後にして向かったのは会津若松城(鶴ヶ城)。比較的広そうな東側の駐車場を目指しました。↓の地図では赤い四角の場所になります。©googlemap↓駐車場から城の方へ向かうと、早速新島八重さんのお出迎えです。しっかり鉄砲をもってりりしい姿、綾瀬はるかちゃんと感じは遠くないですねまた、司馬遼太郎さんの文章から引いた碑もありましたよ↓この日の内容については別途述べますねで駐車場の向が入口です↓
二日目一晩休んだら、足の痛みも取れました。午前八時にはホテルをチェックアウトして向かったのは、「立石公園」です。アニメ映画「君の名は」の聖地として有名になった場所です。今でも休日にはここを訪れる車で渋滞がおきるそうですが、平日の朝ですので、独り占めかもと思って向かいましたが、既に県外車が三台駐車していました。ここでまたKの驚き発言。この公園の一角に咲いていた沢山のすみれを見て「こういう自然のすみれ、初めて見た」Kは本当に都会っ子だったんだね・・・↓公園から見下ろした諏
桜の向こうの天守松山鯛めしを食べ終え、松山城へ向かうために、街の坂をゆっくり上っていきます。さっきまで降っていた小雨は、いつのまにか止んだようで、傘を閉じたままほんのり濡れた石畳を進みました。ロープウェイに乗り込むと、日本の人はあまり見かけず、韓国や中国からの旅行者が多め。北米の方の姿もちらほらあって、観光地らしく国が混ざり合っています。ロープウェイを降りると、目の前に長者ヶ平が広がり、藤棚の下では、藤の花が静かに咲き始めていま
今日は、4月29日。祝日ですよ\(^o^)/でも、曇りですよ(ToT)とりあえず、今日は鳥取市まで出かけ、ミニシアターで映画鑑賞の予定です。可能であれば、米子市一周散歩をするかもね(^_^;)①②この日の松江城は、桜満開\(^o^)/③④下から見上げると天守に圧倒されます。⑤~⑦桜を観ながら散策。⑧残念!!!この日はここまで。時間が無いので、無念の引き返し。⑨~⑪たまたまだったとは言え、桜満開の下で松
こんにちは田舎暮らしを楽しむ滋賀県の山奥の散髪屋高島市朽木の理容室美容室髪処玉垣ある日の日常4月の上旬に腰を痛めてそこからなかなか回復したとこまではいかず『4月の春休みの連休は寝込む』こんにちは田舎暮らしを楽しむ滋賀県の山奥の散髪屋高島市朽木の理容室美容室髪処玉垣ある日の日常今週の第一月曜火曜日で連休末っ子の春休みってとこもあるし家族で…ameblo.jp立てない、歩けない程ではなかったけど休みの日もゆっくりする事にしてたよくなってきた感じがあるこの前の休み久々
来ていただいて、ありがとうございます今日の文字は25日の「ブラタモリ」は「国宝犬山城」お題は「天下人が愛した国宝犬山城その秘密とは?」タモリさんたちがいるのは愛知県犬山市、名古屋駅から電車でおよそ30分のところです日本に国宝のお城は五つタモリさん、これで国宝五城制覇です門をくぐると今から400年以上前に建てられた城で現存最古の天守初期の天守の特徴をよく伝えていますそれが国宝に指定された理由ですま
名古屋城のお堀の池沿いに薄紫色の三尺藤、9尺藤などが満開でした。名古屋城の外堀沿いにある「藤の回廊」は昭和48~49年(1973~1974)ごろ整備され(660~700メートル)が「まちなみデザイン20選」に選ばれている。城と一体の名所と長く親しまれています。名古屋城は江戸時代に徳川家康によって築かれた城で天守の上に載る金のしゃちほこが有名で「金鯱城」と呼ばれこともあります。昼ひかり名古屋城の石あたたかくむらさき藤が空へ手を伸ばす白い花を咲かせる「白
今日は、4月27日。通勤の道すがら、愛車から眺める道ばたにはツツジが満開です。桜の次は、ツツジ。毎年の恒例行事ですが、この絶妙な連携に癒されます。どちらも、満開の後は豪快に散りまくります。その潔さに惹かれます。4月8日は、お仕事で島根原子力発電所の見学に行きました。その件について詳しく述べるつもりはありませんが、本当にコンクリートの塊でした。周囲そのものが、コンクリートの塊でした。そこまで頑丈にしてまで、原子力に頼らなければならないのか。そして、どんなに対策を打っても「万
愛知県の旅(2024年)♯5名古屋城前編:堀・石垣・天守・宝物館、尾張徳川家の威厳を歩く名古屋城の敷地に近づくにつれて、まず圧倒されたのは堀の広さと深さだった。---**堀の迫力“天下の御三家”の名にふさわしいスケール**名古屋城の堀は、とにかく広い。そして深い。現代の姿でも十分に迫力があるのに、江戸時代はもっと深く、もっと巨大だったはず。堀の縁に立つと、「ここは尾張徳川家の本拠なんだ」と身体で理解できるほどの威圧感があった。水面に映る石垣の影、風に揺れる水面
倉敷泊の翌日はこちらへ~今回の旅の主目的地である天空の山城「備中松山城」🏯へ~(^^)d倉敷から特急やくもで一路「備中高梁駅」へなかなかカッコ良い列車でした(^-^)v座席も座りやすく広々~(*^^*)備中高梁駅です(^_^)なかなか綺麗な駅で何とスタバが直結してました(^^)dズーム使って山の上の天守閣🏯を臨むこれからあそこへ登るのか、とワクワク気分でした(^_^)標高430mの小松山の頂に現存天守を持つ天空の山城です。今回は、備中高梁駅からタクシーを頼んで車で
私の好きな城の1つ。犬山城。私の特に好きな城は丸岡城犬山城丸亀城。の3つ。城好きではなくて現存12天守好き。ブラタモリ、犬山城だったわ。犬山城から木曽川見るの最高。城下町から見上げる犬山城最高。平山城ならではだねー、あの景色は。どこかで必ず成瀬淳子さんが登場するはずだ、とひたすらその時を待つ。最後の最後で成瀬淳子さん出てきたよ。犬山城が最近まで(私の感覚では)個人所有の国宝のお城だったのは有名な話だし、世が世なら、淳子さんはお姫様だもんね。私は犬山城に行った時には
犬山城は、江戸時代以前の天守が現存する国宝5城(彦根城、姫路城、松本城、松江城と犬山城)うちのひとつで、別名白帝城と呼ばれています。1537年頃に織田信長の叔父にあたる織田信康が木ノ下城を移して築城したと伝えられます。その後は1617年から代々成瀬家の城として明治維新で廃城になるまで受け継がれました。1935年に国宝指定され、現在では犬山市が管理しています。城のてっぺんまで登れ見晴らしはよいのですが、木曽川に隣接し、高さ24メートルで結構高く、高所がダメな私にはクラクラしました。
伝説エピソードそんなタグイは後日作られる史実とはずいぶん違っても後世で面白おかしく語られるものそれが伝説・エピソードそんな中のひとつ墨俣一夜城すのまたいちやじょうご存じ太閤秀吉がまだ名もない下級武士だった頃に出世の足掛かりとなった築城の話一夜城については正確に記されたものはないそうですが立派なお城ではなく『砦』として短期間で作られたというのが史実だそうなシランケドま、とにかく…今回岐阜にやって来たのでぜひと
道の駅ゆうひパーク浜田から浜田の市街地に出て浜田城跡に行くと、周囲を回って駐車場に14時半過ぎに着きました。小雨が降り始めて天守に向かう坂道を上っていくと護国神社に出て、4月12日の慰霊大祭の準備をしています。石段を上っていくとニノ門跡を通って本丸に出て、サクラが咲いていて外ノ浦が見渡せます。出丸を通って下っていくと、駐車場に着くと雨は本降りになりました。https://kankou-hamada.or.jp/guidepost/6264浜田城跡(続日本100名城)|はまナビ
とべ動物園で、しろくまピースに会った後松山城に行きました。「お城とか公園って駐車場あるよね!」と下調べが甘い夫婦はカーナビにしたがって移動していましたが、小さい(乗用車が4〜5台分)駐車場が点在していて満車になっている所ばかり。空いている駐車場を見つけ車を入れ歩いて4〜5分、ロープウェイ、リフト乗り場へ。ロープウェイで天守入り口まで。坂道を進み、高〜い石垣を横目に見ながらお城が見える場所に着きました。ぐるぐると階段を登り高いところが好きな私はまず景色をパチリ!桜と
①基本情報(場所・アクセス・概要)静岡県庁別館21階にある「富士山展望ロビー」は、静岡市街・駿府城公園・富士山・駿河湾を一望できる無料展望スポット。県庁の中にあるとは思えないほど開放的で、観光客にも人気が高い。•所在地:静岡市葵区追手町9-6•利用時間:平日8:30〜18:00/土日祝10:00〜18:00•休館日:毎月第3土曜と翌日曜、年末年始•料金:無料•アクセス:JR静岡駅から徒歩約10〜15分天気の良い日は富士山がくっきり見え、曇りの日でも市街地の眺
追手門から入って、弘前公園を南から北へ縦断します。せっかくなので途中で本丸の天守も寄っていきましょう。二の丸の未申櫓(南西角のやぐら)。重文らしいです。弘前城には二の丸の南西、南東、北東の隅に、全部で3つの櫓が残っています。城郭に取り付く敵を攻撃したり、物見のための建物。防弾・防火のために土蔵造りになっているそうです。また、堀側には鉄砲狭間があります。堀は建物の向こうになりますが、堀に近い壁の角部分には鉄砲狭間の四角い穴が見られます。これは南東隅の辰巳櫓だったような気がし
ブログ更新6706回目①会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」白虎隊士も見た国内唯一の赤瓦の天守閣が甦りました!さくらまつり開催所長散策ぶらり~お散歩旅です。東北屈指の名城です。白亜五層にそびえ立つ天守閣に映える紅葉は会津観光には欠かせません。遠くには磐梯山を望むことができ、会津の秋を満喫できます。鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめま
theme:小田原城お城巡りに凝ってたときちょっと遠くて行けなかった小田原城へ新幹線で1時間程度で行けるとは~ただ2~3時間に1本しかないので帰りも注意~駅から歩いてすぐ登城なかなか立派~全国で2番目の大きさらしい天守に登ると海が見える~いろいろな説明VTRを見てそういうことか~と歴史の勉強裏から入ったけどその方が説明聞いてから表に回って門を通るのでよくわかった~ナイスコース~途中で手裏剣投げなんかやったりして~なかなか難しい~そのあと
「2026.4月、宇和島滞在中の出来事①」おはようございます。先日、妻と宇和島に観光に行きました。この期間の出来事を数回に分けて書いてみようと思います。本日は1回目です。松山から高速に乗り1時間ほど。昼食を取った後、宇和島城を訪れました。天守までの道のりは、歴史を感じさせる石段と木々に囲まれ、幻想的でした。静かな時間でした。
和歌山城の続き〜『和歌山城に入城したっちゃ!①』和歌山城の続き〜『和歌山城のでっかいハートは!』和歌山の続き〜石垣も素晴らしい和歌山城。立ち止まって見ることはありませんでしたが、確かに立派!近くには動物園が…ameblo.jp和歌山城主系譜をなるものを拝見。ん?秀長が築城したのですよね?完成を見ずに亡くなられた⋯そうでした。比較的新しい図ですが、築城前段階での図は確認されたのでしょうか。各所でみかけた⋯気になりましたね。ついに天守へ!ライトが手毬デザイン♬.*゚そして屋外は風強
4月14日~15日に名古屋に行きました。14日は近鉄名古屋駅に着いた後、荷物をホテルに預けて、JR東海道線で清洲駅までいき、そこから歩いて15分ほどのところにある清洲城に行きました。その続きです。清洲城の中庭です。天守に入る前にここで植物の写真を撮りました。これはたぶん、コバノタツナミ。あちこちで栽培されています。コケが綺麗なので撮ったのですが、名前は分かりません。中庭の端に池があり、そこに花が咲いていました。これはたぶん、オオデマリ。
一番きれいにしたい場所は?▼本日限定!ブログスタンプキッチンかな水まわりだよね飯盛山から見えたか見えなかったかの鶴ヶ城にやって参りましたお城=天守と、思っているド素人σ(゚∀゚)オレお城はどこぞ〜有ったさ、桜が残念八重桜は満開でしたそしてランチ会津そば屋さん三味蕎麦御膳一泊じゃ観足りない会津ですがまたの機会に御城印頂きました
4月22日水曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物藤堂高虎(佳久創)藤堂高虎(とうどうたかとら)戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる。津藩藤堂家(藤堂家宗家)初代。弘治2年(1556年)1月6日、近江国犬上郡藤堂村(現・滋賀県犬上郡甲良町在士)の土豪・藤堂虎高の次男として生まれる。母「とら」は多賀良氏の娘であったが、その後、藤堂忠高の養女となっている。幼名を与吉と名乗った。幼少の頃より人並み外
名字の言平和を願う魂は未来へ【名字の言】www.seikyoonline.com
天守のないお城に行くとき、みなさんは周りの人からどんなことばをかけられますか?お城好きならすぐに浮かぶあのことば。「あそこ、天守閣ないですよ」はい、そうです。もれなく天守ない=行ってどうするの?認定をいただきます。先日、ダンナの職場でGWの話になり、山形城に行くと言ったら、ダンナ、この認定をいただいたそうです。言われちゃうよね~そんなとき、私はいつも、ちょっと残念な気持ちと熱弁したい気持ちを抑えつつ、「そうなんですよね~、ないんですよね~」と緩~く返している
披雲閣と陳列館を巡ったあと、最後に向かったのは天守台と東の丸石垣、そして報時鐘。高松城の“水城としての本質”が最もよく分かる場所だった。---**天守台水堀の中に浮かぶように立つ、唯一無二の天守跡**高松城の天守台は、水堀の内側にぽつんと浮かぶように建っている。周囲をぐるりと海水の堀が囲み、まるで小島のような姿。ここに天守がそびえていた時代を想像すると、胸がぎゅっとなるほど美しい光景が浮かんでくる。•水面に映る天守の影•海風に揺れる櫓の屋根•船が水手御門
下瀬美術館から交通機関を乗り継いで。広島市の中心部に入る。「生ましめんかな」の碑を訪ねた。大きな郵便局の敷地にあった。(お休みの日に敷地に入って良かったのかは、気にしないようにしよう)こっちは鎮魂の碑。そのそばに立っていた。【広島逓信病院(爆心地から約1300m)】職員の多くを失いながら救助にあたった様子が記されている。職員らが奮戦した病院は復元されたそう。その建物は目の前のこちらかどうかはわからない。そこから次を目指した。途中に「鳥獣戯画」のような壁画があった。なか
こんにちは1泊2日の松山旅行レポです。やっと松山城の天守へ。お城の中に入った後は、また中で登っていくんですが、どこのお城も同じだと思うんだけど、梯子のような急な階段多いですよね。人も混んでたし、階段の登り降りは気をつけないと怖いしで、内部の写真ほとんど撮ってないです。でも、お城からの景色は何枚か撮ってるので載せときますね。後から見返すとお城のどの辺りから撮ったものか、全然思い出せん。。。ここから鉄砲出して、下から登って来る敵兵を狙ってたんだなあ、という窓がたくさんあったわ。そし