ブログ記事1,813件
去年、同級生5人と福岡に2泊3日で旅行に行ってきましたラーメン2杯完食して、いよいよ観光先ず近隣の福岡城跡に行きました。昔平和台球場が有ったようです。お堀にはハスの葉が一面に広がっています。関ケ原の合戦戦功により、筑前52万石の領主となった黒田長政が1601(慶長6)年から7年の歳月をかけて築城。天守閣の存在は定かにはなっていませんが、大、中、小の各天守台と47の櫓が配された名城。東御門跡石垣や縄張りがほぼ当時のままの姿をとどめ
おはようございます昨夜は五所川原で初めての立佞武多を鑑賞!めちゃくちゃドデカくて大迫力でした〜😳ヤッテマーレ、ヤッテマーレ!旅程12/1(1日目)・新幹線で福山へ福山観光案内所(福山市A)・うきしろロビー(三原市A・続日本100名城)、道の駅みはら神明の里(三原市B)・お昼ご飯と道の駅たけはら(竹原市B)・たけはら海の駅(竹原市A)・etSETOraで竹原から呉へ移動・呉泊12/2(2日目)・呉から坂町と西条へ(坂町A・東広島市A)・西条から豊栄くら
本日の「天守台シリーズ」は、第93弾「平戸城」(長崎県平戸市)です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台
「お城」の「天守台シリーズ」第16弾は、「高田城」「春日山城」です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」
本日の「天守台シリーズ」は第71弾「三原城」(広島県三原市)です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」
今日は妻に起こされて、7時過ぎに起床しました。6時の車内温度は10度だったそうで、今朝はFFヒーターを点けました。昨夜の『道の駅村岡ファームガーデン』は、夕方こそ数台の駐車車両が居たのに、21時頃に外に出てみると私以外の車は居ませんでした。静かなのは良かったのですが、夜中にお手洗いに起きた時は少々不安になりました。▼朝食ベーグル(抹茶とブルーベリー)、カット野菜サラダ、ヨーグルト、トマトジュース、バナナ1/2本、白湯そして食後の珈琲。村岡ファームガーデンを出発したのは8時55分頃
青森の道路ってどこも空いていて速度の道路標識がない場所が多かったのねとても走りやすい道路なんだけど気がつくと70〜80km出てるから警察がいたら切符切られるわ😱🌸標識がない道路は60kmね😂弘前城へ行くときは公共の駐車場が目の前にあります🅿️弘前市立観光館30分100円最大料金が1000円
昨日のスズメ写真からスゴク行きたかったココなんです。以前、TE子さんからもらった画にスズメがいて(#^^#)YM子さんからは、同じ場所でスズメがパンをついばむ画を。来ればいいなとお堀を眺めていたら、キターこのあとパンをちぎってあげました。頑張ってる自分へのご褒美に赤ワイン飲みました('ω')空も青空~ご褒美だ(#^^#)都会を満喫近くの庭園を散策。すると大好き(わ
鬼瓦は色々あり。何か思いを込めて作ったのでしょうか?姫路城は石垣も見応えあり。よく見てみると、角にきれいな四角に整えられた大きな石が使われているところがあります。四角く切り出した石を使ったのでしょうか?この2枚はネットより実はこれ、石棺(せっかん)です!姫路城の石垣には、
前の記事の続きです『⑤”ひのとり”に乗ったツアー姫路城C鬼瓦。石垣など』鬼瓦は色々あり。何か思いを込めて作ったのでしょうか?姫路城は石垣も見応えあり。よく…ameblo.jp土足禁止となっており、靴を脱いで入城します。姫路城大天守の階段は、地下1階から地上6階まで上がるには約110段の階段があるそうです階段が急ですので気を付けて登り
◆夏休みの自由研究「目指せ!完全制覇!」日本の名城100選甲斐の国編今回は愛車でドライブです。★舞鶴城「甲府城」です。甲府城趾公園は綺麗に整備されています。★日本庭園公園管理事務所前の日本庭園(公園管理事務所に名城スタンプがあります)★反りが美しい石垣の反りが美しい!高さも勾配も素晴らしい石垣です。★門が現れた石垣だけの城跡だと思ったら、門が出現しました。★鉄門再建門です。城に門は付き物です
ブログは「石・石塁・石垣シリーズ」を掲載中ですので、どうぞご覧ください。初回プロローグでピックアップした切口による分類の下記表から「①②-(1)野面積み・乱積み」を使用しているお城の例を「東北地方」から掲載しています。本日は「近畿地方(近江)」のお城の中で「野面積み・乱積み」を導入している例をお届けします。近畿地方には、戦国時代初期から「土塁」の崩落回避等で「石」を積上げる手法「石塁」の導入が行われているお城が多いです。そして、近畿地方には「穴太衆」という石工集団があったので
本日の「天守台シリーズ」は、第89弾「柳川(柳河)城」(福岡県柳川市)です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として
一伊賀上野城三重県伊賀市上野公園令和6年(2024年)3月21日㈭撮影上野城跡である上野公園に来ました。『伊賀上野城1️⃣三重県伊賀市上野公園』伊賀上野城三重県伊賀市上野公園令和6年(2024年)3月21日㈭撮影伊賀鉄道伊賀線上野市駅から0.5km、伊賀上野城跡である上野公園入口に来ました。舗装…ameblo.jp*上野城三重県伊賀市上野丸之内(上野公園)にある城(平山城)。白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある標高184
伊賀上野城三重県伊賀市上野公園令和6年(2024年)3月21日㈭撮影伊賀鉄道伊賀線上野市駅から0.5km、伊賀上野城跡である上野公園入口に来ました。舗装された坂道を登ります。*上野城三重県伊賀市上野丸之内(上野公園)にある城(平山城)。白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城である。北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。かつて上野城の場所に
全国お城の「石・石垣シリーズ」は、『「石垣」の使われ方』において隅石部分に「武者返し(扇の勾配)の高石垣」が見られるお城をご紹介しています。因みに、「武者返し(扇の勾配)」が得意だったのが「加藤清正」、「直線的高石垣」が得意だったのが「藤堂高虎」と言われています。本日は、「近畿地方(前編)」で「武者返し(扇の勾配)の高石垣」が見られるお城をお届けします。「武者返し(扇の勾配)の高石垣」というのは、石垣の隅石が上部から1/2~1/3辺りまでは「直線的」に伸びますが、そこから急に「
2016-3-12青春18きっぷを使って、岐阜県の鵜沼から香川県への旅の途中です。二日目は高松市内を観光中、栗林公園から歩いての玉藻公園へやってきました。玉藻公園は、史跡高松城跡(別名・玉藻城)にある公園です。高松駅から歩いてすぐの所にあります。入園料は200円でした。~日本三大水城~史跡高松城跡「玉藻公園」ここは、日本三大水城らしいですね。三大水城を調べてみたら、「高松城」(香川県高松市)、「今治城」(愛媛県今治市)、「中津城」(大分県中津市)
2018年12月15日朝早く、京都に来ていますが、二条城の開場時間には早すぎて・・・喫茶店で時間をつぶしていました。美味しい珈琲を頂いたのち、二条城へ再訪します。元離宮二条城と書かれていますね。日本の歴史書において「二条城」と呼ばれることのあるものは複数あるようで、近世以降の二条城を「元離宮二条城」と呼んでいるのだとか。東大手門から入城します。櫓門形式で、本瓦葺の入母屋造りの屋根に、妻は木連格子、棟には鯱が飾られています。二条城の東大手門を入ってすぐ
“三重県お城廻り”の三番目は、「田丸城」(三重県度会郡玉城町)です。各曲輪が重なり合っている石垣(一番上が「天守台」)「北畠家氏館」から再度国道「368号線」を使用して、16時20分に到着しました。遠くからでもこんもりとした丘陵が見えてきて、一目で「田丸城」跡であることが判りました。レンタカーを「紀州藩同心屋敷跡」で現在は役所駐車場にしている所に車を置かせてもらい探索を始めました。「紀州藩同心屋敷跡」(現在は役所駐車場)ところで、「田丸城」も「松阪城」同様に、「紀州