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NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放映に合わせて、郡山城跡の東多聞櫓で「秀長と郡山のあゆみ」という展覧会が開かれています。まだ、行ったことがなかったので10月12日の午前中に行ってみることにしました。行く途中で見たアキノノゲシです。そして、チカラシバです。郡山城跡には郡山八幡神社のすぐ前を通っていきます。秋祭りの案内が貼ってありました。境内には秋祭りの準備でテントが張られていました。郡山城跡に行く途中、近鉄電車の踏切を渡ったところに生
久秀は平蜘蛛火薬で粉砕す天正3年(1575)尾張州の原田直政が大和守護に任命、松永久通を重用天正4年(1576)塙直政が討ち死に、順慶が国主へ、興福寺は大歓迎、一方で軍事指揮権のみ天守台天正5年(1577)松永久通の謀叛、松永方から没収した領地の宛行は信長松陰堀「屋代弘賢氏所蔵文書」信長は岡氏に「松永右衛門佐」の信貴籠城を言語道断逸話「平蜘蛛」:信長に献上したら助命?「松屋名物記」多羅尾光信が破片を継いだ、「天王寺屋会記」多羅尾綱知が茶会で使用「山上宗二記」信貴山城で失われ
おはです。石垣で始めたのに内容が柳沢家になってました。大河ドラマ館を出て目の前に見える郡山城の石垣と櫓。あぁ、城に来たなという気分が上がります。石垣を眺めつつ城址内に入りました。神社へお詣りしたあとは天守台へ向かいます。郡山城址内の一部は豊臣時代のもので、ドラマ館でいただいたマップを見ながら進みます。天守台の石垣も美しかったです。天守はのこっていませんが、あったかどうかも不明だったそうです。しかし調査をしてみると、筒井順慶や豊臣秀長の頃には存在していたと判明したようです。今の
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第40回の紀行で駿府城が出てきましたね。天正14年5月にあさひと結婚した家康公は12月に駿府へと移り、幼少期を過ごしたこの地に城を築きました。(駿府城)(駿府城跡天守台発掘調査現場)あさひも家康公に従い、駿府に居を移し、(天正期駿府城の天守台も発見されている。)駿河御前と呼ばれたといわれています。
前回はこちら機関車公園の後、歩いて二俣城跡に行きました。二俣城跡の入口です。旭ヶ丘神社の鳥居です。史蹟二俣城跡及び鳥羽山城跡の石碑です。二俣城跡入口です。旭ヶ丘神社の石段です。二俣城跡です。二俣城跡の説明板です。天守閣跡です。天守閣跡で、自撮りをしました。スマホでも、自撮りをしました。二俣城跡の石碑です。天守台の入口です。天守台から見た、城跡です。旭ヶ丘神社の入口です。旭ヶ丘神社の説明板です。旭ヶ丘神社の拝殿への鳥居です。手水舎です。拝殿です。拝
2026-10-11郡山城天守台この前も来たね〜違うのは、このさかさ地蔵を見るために行列が出来ていたことまろんは、今回はスルーしますそして、上に行くのも止めて置きます上まで行かずともこの景色柳澤神社ご挨拶して行きますトコトコ〜もうすぐゴールというところで、ちと一服ぷはぁ〜それにしてもいい天気だなぁ〜ゴールの麒麟曲輪から天守台をパチリゴールしまーすまあまあな人数ですゴールでスタンプをもらったあといただきました近々また郡山には来る予定ですさてと⋯この前来た時に取
7月末に名古屋の大河ドラマ館に行きましたそして今度は大和郡山へ最寄り駅から在来線新幹線御堂筋線→近鉄と乗り継いで静かな町ですレトロな感じ源九郎稲荷神社紺屋川箱本館「紺屋」金魚がいっぱいこちくやで友人と合流一緒に大和郡山城に向かいます少し坂を登ります着いた〜深そうなお堀だけどお水は少ない天守跡立ち入り制限のポールに菊の紋章が!?お城に菊の紋章があるのは少し意外に感じられるかもしれませんが、これには歴史的な背景が関係しています。天皇・皇室とのつながり
こんにちは。10月になると年末が見えてくるので仕事も忙しくなってまいります。あまり詰め込みすぎないよう、質にこだわりながら仕事に散策に勤しみたいと存じます。さてさて、織田信雄さんの城、田丸城址の続きにて。天守台を南側から。野面積みが美しいです。石垣は角が命。約450年前の遺構がきれいに残っていることに感動です。こちらは天守台内部。天守台は石垣で囲ってから土台を組むため、石垣で囲われた内部は地階となります。おそらく地面を掘れば礎石跡が出てきます。雁木には何回
前回の続きです。今回は本丸です。吉田順一氏による洲本城想像復元図です。古絵図が無いのですが、当時の築城技術よりの想像図です。僅か数万石の脇坂安治だけで総石垣のこの城を造るのは困難と考えられるので、豊臣家の援助があったのでしょう。上図の大石段です。前回最後の下図1⑬の大石段です。本丸現在地にある案内板です。洲本市教育員会の展示です。下図⑮付近です。ここの枡形大手門を抜けると本丸です。この反対側は南の丸が見えます。枡形大手門を抜
今日は鳥取城にやって来ました。普通の平山城だと思っていました。擬宝珠橋と中ノ御門から入城しました。お決まりの升形がお出迎えです。先へ進むとびっくりです。久しぶりにオール石垣の城に出会いました。算木積みの部分は一目瞭然に作り直されているのが分かります。周りの石垣と馴染んでいません。本丸の天守台だと思ったら三階櫓の石垣でした。これと同じ大きさの天守台をいくつも見た事があります。ここが天守?と思ったら天球丸という世にも不思議な丸く組んだ石垣でした。巨神兵のタマゴが
8月24日以来のシリーズに!綱引き後は工事も少し中断していました・・・9月11日展望デッキ前から位置記録変化分かったかなようやく元の天守台とコラボ出来る距離に・・・反対側から・・・桜の木との位置関係を撮ってます8月9日の位置御滝桜と11年ぶりにコラボ記録…しかし14日なんだか様子がおかしい・・・天守の底の土台部分に想定を超える傷みが・・・より安全な方法で作業を行う必要が生じてしまいました…天守を3回に分けて約77m移動し、11月中に
みなさん、おはようございます本日もゆるっとお付き合いくださいませ②の続きですとりあえず汗だく💦になりながらなんとか整備された場所に出た私たち念のためタオル持って来ててよかったぁ天守台への階段見つけたあゴールは目前❣️がんばるぞここを登りきれば...ぜーぜー天守台🏯‼️なんだけどその前に何か、飲み物を〜ってことで本丸跡にある046カフェさんで飲み物を購入イートインも出来ますが私はテイクアウトで『なるとオレンジの皮を食べるソーダ』6
只今「城スキーのお城紀行」は、「日本100名城」のお城を順次紹介しています。「日本100名城」とは、財団法人「日本城郭協会」が専門家や城郭ファンによって、「優れた文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「時代・地域の代表」という3つの基準に基づいて選んだ100城で、2006年に発表されました。発行されている公式ガイドブックに付随するスタンプ帳を使い、各城のスタンプを集めるスタンプラリーも人気となっています。「日本100名城」を紹介していくに当たっては、そのお城の「歴史と城主(藩主)」
おはようございます!モグ美ですblogにお越し下さりありがとうございます旅log⑩の続きです。『【旅log⑩】青森3日目〜十和田神社〜』おはようございます!モグ美ですblogにお越しくださりありがとうございます旅log⑨の続きです。『【旅log⑨】青森3日目〜奥入瀬渓流〜』おはようございます!…ameblo.jp空港バスにてあおもり駅に到着したモグ美。実は夜行バスで、とある目的地へと向かう予定にしておりましたしかしバスに乗るまでまだ時間がたっぷりあります。その時間をどう過
日曜のウォーキングの後半です。『久しぶりのロングウォーク〜前半』青空が広がる週末。日曜は、久しぶりに五私鉄リレーウォークに参加しました。大和西大寺駅から、唐招提寺、薬師寺と巡り、最後は、今年大河ドラマでホットな郡山城へ、約…ameblo.jpコースが大和郡山市に入り、最初のスポットは九条公園。ゴミ処理場から出る熱を利用した温水プールがあります。と言うか、私が知ってた九条公園は、プールしかなかったんだけど。プールの周りが整備されてて、ランニングコースなどができてました。金木犀がいい香り
皇居東御苑は一般に公開されている。江戸城の本丸、二の丸に当たり、天守台に上ることができる。江戸城の天守閣は1657年1月に起きた明暦の大火で焼け落ちている。再建の話が出たが当時の会津藩主保科正之の反対で城下町の復興を最優先させたといわれる。保科正之は、二代将軍秀忠が女中に産ませた子供である。正妻お江の怒りを恐れた秀忠は、秘密裏に高遠藩へ養子として出してしまう。お江は、豊臣秀頼を生んだ茶々、京極高次に嫁いだお初、の妹。浅井3姉妹の末っ子である。その後事実を知った家光によって取り立
郡山城へやってきました追手門小学生の郊外学習のボランティアガイドさんのお話を一緒に聞く私達😅ここに立っていると、建物の窓の様なところから攻撃されるそう💧途中ガイドさんが私達に近づいてきて、少しガイドをしてくれまして😃水戸黄門の撮影がここで行われたそうです。その時門にある家紋を隠して撮影されたとか🎬️(この話は小学生には解らないからと。。。はい、解ります私達😅)追手門横の石垣にはハートの形のパワーストーンがあります。見えるかな。もう少しだけ私達にパワーをください🙏城址会館(旧奈
下関市の長府に行きました。目的は下関市立歴史博物館の企画展『幕長戦争』。長州藩の中にある支藩の説明。8月18日の政変。長州藩の攘夷決行。第一次長州征伐とその結末。第二次。薩長同盟からの勅書をどうもらうか⋯までの資料が時代を追いながらまとめて見れる。素晴らしい内容の企画展でした。学べたことは沢山あるのですが、大きく言えば、単純に幕府VS長州ではないということ。幕府側でも長州藩側でも、それぞれの内部で対立や不満があり、揉めていることが書簡で分かるという。そういう展示が印象的でした
【青葉城址】2026年10月11日「青葉城址(青葉城本丸会館)」徳川家康に反乱の意志がないことを示すため、あえて天守閣を築きませんでした。それにもかかわらず、スペインの探検家セバスティアン・ビスカイノに「日本で最も優れた堅城」と絶賛されました。比較的攻めやすい北側には、高さ最大約17メートル、長さ約179メートルにも及ぶ「切込接(きりこみはぎ)」などの見事な高石垣が築かれました。「青葉城本丸会館」所在地:〒980-0862宮城県仙台市青葉区天守台青葉城址
久しぶりにお城の記事を書きます。肥前名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵の際の前線基地として築いた城です。今はもう何もありません。知らない人は知らないと思いますが、とんでもなく巨大な城でした。しかしながら、2度の朝鮮出兵が終わるとその役目も終わってしまいました。さらに徳川の世になると幕府の命令で、再使用されないように破壊してしまったという実に数奇な運命をたどったお城なのです。それではぶっ壊し具合を見に行きましょう。大手口から派手に崩れています。巨大な石がゴロゴ
2026年5月奈良巡礼1日目の続きです洞泉寺→源九郎稲荷→郡山城下町→春岳院の次は郡山城址跡に向かいます御城🏯に関しては全くの無知です🤪ほぼ、写メの羅列貼付けになります🙏春岳院から徒歩10分ちょいで郡山城入口迄来ました石垣が所々に見えます内堀になるのかしら…柳澤神社の鳥居⛩️が有りました本丸近くにある様なので、後で寄りたいと思います郡山城🏯天正8年(1580年)筒井順慶が築城を開始天正13年(1585年)豊臣秀長が入城し、大和紀伊和泉を統治する100万石の居城として、大
2026年10月7日水曜日奈良県大和郡山市私的には・・珍しく朝(といっても8時ごろ)目が覚めた(笑)外は昨日に続いていい天気もったいないのでちょっとお出かけぷらっと奈良へ・・午前9時過ぎに家を出てせめて昼には着きたいので奮発して高速課金清洲からC2名二環伊勢湾岸道に迂回して三重川越でE23東名阪自動車道亀山からはR25名阪国道(無料の自動車専用道)で天理へ無料区間が終わる天理ICで降りてあとは下道で大和郡山12時半過ぎに到着郡山城跡
2026-09-23奈良県郡山城天守台に来ていますさっき前を通ってきたいい感じの建物が見えてるぅ〜興福寺、東大寺が見えるんだって〜そうかなぁ〜ってのは見えるよこちらは、平城京だ反対側〜あれ、この建物なんだろ?下りまーす一周しまーす平城京の羅生門の石なんだってさかさ地蔵これは、看板の写真が1番分かりやすいのん外からはこんな感じトコトコ〜天守台から離れますトコトコ〜緑曲輪ここらへんかなぁ〜さっき上がった天守台が見えるよ上から見てた建物にやってきました郡山城
杜の都を一望する仙台藩の居住跡この日最後の観光地到着した時は、日が暮れかかっていました大きな鳥居をくぐって公園へとても広いです伊達政宗公騎馬像教科書で見たことある~凛々しいお姿天守台からの眺め仙台が一望できるスポットです仙台城見聞館や青葉城資料展示館・名店館青葉城本丸会館など施設も充実していました金木犀は住んでいる地元では咲いていませんでしたこちらの方が早い!?萩と金木犀が同時咲きしているのも初めてでしたプ
今晩は🌙歴史人タケ海舟です😊先々週から先週の「豊臣兄弟!」では…新たに大和国を与えられた秀長主従の奮闘する姿が描かれていました🆕前編で大和郡山城の本格的な改修工事のシーンがありましたが…元々郡山には石垣に使う石が少なく…石不足を補うべく、領内の建造物などの礎石…さらには、墓石や石仏などを石垣に使っていました❗️こうして代用された石のことを…転用石と呼んでいました🆕劇中で天守台の下に組み込まれていた地蔵に向かって秀長が拝んでいるシーンがありましたが…その実際の写真をアップしま
NHKの番組、歴史探偵で「小牧長久手の戦い」をやっていた時に郡山城のことも出てきました。(続きです。)郡山城の石垣の転用石を見たあと、更に、天守台の上からも、秀長の統治の方針をうかがうことができるんです。天気のいい日には奈良の名だたる寺院を一望できる。まさに絶景ポイント!2014年に行われた発掘調査で、この天守台からあるものが見つかり、話題となりました。それがこちら。金
天空の城『竹田城跡』へ条件が合えば9月から11月に雲海を見る事が出来るそうです。山城の郷の駐車場に車を止めて竹田城跡まで舗装された道を35分弱歩きました。途中にあった落ちない岩🪨竹田城跡入口料金所に飾られていた写真天空の城跡見てみたい景色です。竹田城跡の石積みの構造は「穴太(あのう)積み」.「算木積み」を確認出来るそうです。本丸から南千畳を望む南千畳から天守台(標高353m)方向を望む南千畳城の規模は、南北約400m.東西約100m予想してたより、広い城跡です。帰り道
次は童友社の1/350大阪城を作ります。いまの大阪城は徳川家康が秀吉大坂城落城後埋めてしまいその上に築いた城になりますが。落雷で焼失し、昭和になって天守台に建てられた城になります。徳川の城でもなく昭和の大阪城ですね。ちなみに秀吉の大阪城の場所には石山本願寺がありました。ですので掘っていったら秀吉大坂城の遺構その下には石山本願寺の遺構もあるはずです。まずは石垣。これもお手付きで、少しだけ石垣を彫り直して放置してました。彫るのがしんどいので楽な方法を考えました。0.3mmのシャープ
ぶらりきままに城めぐりの旅128その2-1青森県弘前市弘前城その1攻城17(2026年9月初旬再攻城)百名城No410/100(百名城再攻城)城郭近辺の近代建物を散策後、弘前城を再攻城します。前回は2017年6月に、おときゅうパスで攻城してますが、本丸回りしか見ていなかったので、今回は念入りに見ていきます。前回は、本丸天守台石垣改修工事中で、天守は別の位置に移動していましたが、今回は、現存天守を天守台に戻す途中でした。貴重な経験ですね。弘前城パンフレット<弘前城