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九州鉄道記念館、大宰府の麒麟像、大刀洗平和記念館今週は千葉県に戻ってます。天気は良いけどやはり熊本よりはちょっと寒いですね。今回は福岡・山口4泊5日旅の最終投稿です。秋芳洞から熊本に戻りますが、その途中に1泊しながら3か所に寄りました。九州鉄道記念館は旧JNR門司鉄道管理局跡に設置され、JR九州関連の車両等を展示しています。懐かしい車両ばかりでとても楽しい施設です。特に電車運転台に設けられた運転シュミレーターはとても楽しかった。以前は「電車でGO!」良く遊んだし
ご訪問ありがとうございます。先週の「光る君へ」では、双寿丸(伊藤健太郎さん)が賢子と別れて、主人である平為賢(神尾佑さん)について大宰府に行くという展開でした。NHK「光る君へ」をしへて!佐治芳彦さんより同じ頃、目を負傷した藤原隆家(竜星涼さん)も、名医がいるという太宰府の赴任を希望していましたね。隆家ですが、一条天皇の皇后の宮である定子の弟で、「枕草子」では目立ちたがりでユーモアのある人物に描かれています。クラゲの骨『サロンの華<1>清少納言その4中関白家とのやり取り』
1014年三条天皇と中宮妍子の間に待望の子禎子が生まれたが、皇子ではなかった。道長の思惑どおりにはいきませんでした。さらに内裏は火災になり、三条天皇は妍子と共に枇杷殿に移りました。そのため枇杷殿にいた皇太后・彰子は高倉殿に移ることとなりました。高倉殿は、頼通の屋敷です。道長「恐れながら、内裏の2度の火災は天がお上の政にお怒りである証しと存じまする」三条天皇「聞こえぬ。もっと大きな声で申せ」道長「この上は国家安寧、四海平安のため何とぞご譲位あそばされたく臣道長、伏してお願い申し上げ
福岡旅行1日目で太宰府観光を満喫した私はホテルで爆睡翌朝は温泉・朝食とゆっくりホテルで過ごしました。ここで私が宿泊したホテルルートイングランティア太宰府を紹介します。外観です。場所は大野城から太宰府駅に戻る林道沿いにあります。大野城で山歩きをした後だったので太宰府駅まで歩かなくても到着できるのがとってもありがたかったです。ホテルには日帰り入浴できる天然温泉みかさの湯が併設されており登山でかいた汗を流すにちょうど良く疲れた体も癒やせます。(画像はホ
福岡県太宰府市にある大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと)。7世紀後半に、九州に設置された地方行政機関で、軍事・外交を主任務とし、九州地方の内政も担当しました。役職としての大宰帥は、外交・軍事上重要な地域に置かれ、数か国程度の広い地域を統治する地方行政長官でした。紫式部の夫・藤原宣孝は990年(正暦元年)に筑前守に任ぜられて筑紫に赴任し、992年(正暦3年)頃には大宰少弐(大宰府の役人)も兼ねていますね。大宰府へ都(平安京)から行った人で有名なのは「菅原道真」でしょうか。唐から学ぶことはない
大河ドラマ「光る君へ」43回「輝きののちに」の感想の続きです。土御門殿。道長、倫子、頼通(よりみち)とその妻、隆姫(たかひめ)。倫子が横で、教通(のりみち)の子を抱いてめでている。道長は隆姫に向かい、「頼通(よりみち)の子を産んでもらいたい。」と話す。その後、隆姫がいなくなったあと、頼通(よりみち)は父・道長に言う。「隆姫にあのようなことを仰せにならないでください。」横にいた倫子は息子・頼通に「父上のようにもう一人妻を持て
大河ドラマ「光る君へ」43回「輝きののちに」の感想の続きです。隆家、清少納言と脩子(ながこ)内親王。隆家は清少納言らに謝る。「そなたと脩子(ながこ)内親王を置いて(大宰府へ)ゆくことを許してくれ。」清少納言は「大宰府でお目を治してお戻りくださいませ。」と優しい言葉をかける。隆家は清少納言のことを「いつもかみつきそうな勢いであったが、それがなくなった。」と清少納言のらしくなさを指摘する。(本当に変わったのか?)==============
綱敷天満宮は菅原道真公ゆかりの天満宮です。梅まつりをやっているといことでドライブがてら行きました。「大宰府に左遷された道真公が赴任する途中、嵐に遭遇し、この浜にたどり着いたとされています。この時、漁船の綱を敷いて休んでいただき、道真公はここでしばらく休養され筑紫に向かわれたという。」という故事から「綱敷天満宮」と称されたとされている。道真公が筑紫に向かわれた後に、豊後国主木下延俊両公によって現在の社殿が造営されたという。雲一つない絶好の天気です。梅まつりのイベントをや
お久しぶりです。更新をかなりサボっており2年以上が経過してしまいました前回の新潟編が完結していないわけですが画像データをパソコンに移してしまいすぐに更新できないこともあり近況報告ということで・・・春休みに行った旅行の様子をどうぞ2024年3月21日本日は西鉄電車に乗りに福岡県へ向かいました。まずは新横浜駅から博多駅まで新幹線で移動します。スマートEXを利用することで割引で乗車ができ、通常は普通車指定席が23480円のところ17720円で乗車が可能です。新横浜駅は7:31発です。名古
大河ドラマ「光る君へ」43話「輝きののちに」私の感想③です大宰府に行くことになった隆家が向かった先は脩子内親王のもと自分が後見役なのに都を離れることを詫びるため。その場にはまるで憑き物が取れたような穏やかな表情の清少納言いや、ききょうの姿よかったよかった(きっと清少納言ファンからクレームが殺到したんだろうなNHK)そうだよ❗️恨みは人をダメにする❗️恨みで己の命を支えるなんてそんなの絶対清少納言じゃない❗️サ
御手洗神社から狭い道をすすむと小さな川に出ました。『2024-11-07宇美川そばに鎮座する御手洗八幡宮と飛行機(神功皇后伝説の地)』吉塚駅から宇美川に沿って歩くと福岡空港に着陸する飛行機が何機も見ることができました。こんな撮影スポットがあったんですね。コンデジでも普通に撮影できましたよ。…ameblo.jp普通にあるいているとキレイな鳥が飛び去りました。カワセミです。カメラを用意していなかったので写真は撮れませでしたが自然が残っているんですね。住宅地の中をウロウ
『「崇道天皇」とは誰か』についての一考察(其の四)(十一)筑紫の「大宰府」と「都督府」前述のとおり,捕囚されながらも唐への「降伏・臣従」をしなかった薩夜麻は,倭国側からの命乞いもあって,唐に許されることもないまま,郭務悰等の軍に率いられながら帰国した。書紀はその時期を,天智十年の十一月としているが,正木氏によれば,天智六年と解されている。そして,その名は「明日香皇子」ではなく「薩野馬」という蔑称でもって送還されたのである。この送還された場所は,書紀によれば「筑紫大
プロの仕事をしている人~自分の理想とする高みがありそれを目指している人、とでもいうのか?を見るのが好きだ。今日は用事があって、天神から西鉄大牟田線に乗った。目当ての電車が来たので、さてと、と乗り込んだ時大きなはっきりした声で、しかし柔らかなトーンで「どこへ行かれますか?」と私が乗る電車の車掌さんの声がした。”え?な、なに?平尾までだけども。”とこたえようとしたら、あわてるな、呼びかけられたのは私ではなかった。ホームにいる3人組の女子グループに掛けられた言葉だったのだ
6-4律令制行政機構律令制下における中央・地方の行政機構(ぎょうせいきこう)は、以下のような特色をもつものだった。➊中央組織中央官庁として神祇官(じんぎかん)(「祇」の字に注意)と太政官(だいじょうかん)(国政の中心)があり、太政官のもとに八省(はっしょう)(中務省(なかつかさしょう)・式部省(しきぶしょう)など)がおかれた。➋地方組織国―郡―里(こく―ぐん―り)の3層構造をもつ地方制度をとり、それぞれ国司(こくし)(中央貴族を派遣、任期制)、郡司(ぐんじ)(かつて
「隼人の乱」と宇怒男人(うぬのおひと)「筥崎宮放生会」は、「博多どんたく」、「博多祇園山笠」と並んで、”福岡三大まつり”に数えられる。連日の猛暑のなか始まった「筥崎宮放生会」二日目に出かけて来た。この暑さのなか凄い人出だった。元もと福岡の人間は”まつり好き”と言われ、「のぼせもん」が多いのだが、その賑わいで地域外の人々をも呼び込み、福岡の経済を元気づけしていることは間違いない。「放生会」の行事は全国にあり、正式名称は文字のごとく「放生会=ほうじょうえ」であるが、福岡筥崎宮のみ「ほう
大宰府いき、といっても、赴任と流罪では実態がまるっきり違うんですよね。菅原道真、源高明、藤原伊周の三人が、大宰権帥として配流、の歴代メンバーですが。大臣の職にあったものが罪を犯したときは、太宰権帥というのがお約束です。左遷ではなく流罪ですから、赴任先で仕事は一切ありません。配流、という場合、たいていは一室に軟禁されたまま何年も過ごし、そのまま病気になって死んでしまうケースも多い。観光なんてとんでもない、ろくな食事が出るかも微妙なところ。菅原道真や、のちの讃岐の崇徳院はこのパターン