ブログ記事1,994件
《新古今和歌集・巻第十八・雑歌下》1696松菅贈太政大臣老いぬとて松は緑ぞまさりけるわが黒髪の雪の寒さに☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆松菅贈太政大臣老いてしまったといっても、松は、ますます緑を深くしていることだ。わたしは、自分の黒髪が雪のように白くなって、寒々とした思いでいるのに。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎
《新古今和歌集・巻第十八・雑歌下》1694霧菅贈太政大臣霧立ちて照る日(ひ)の本(もと)は見えずとも身は惑はれじ寄るべありやと☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆霧菅贈太政大臣霧が立って、照る日のありかは見えなくても、わたしは迷われはしないだろう。身を寄せるところがあろうかと思って。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴
ふ福岡でどこ行く?と考えたときに真っ先に浮かんだのが太宰府天満宮ということで到着して最初に向かいました。福岡空港から電車だと乗り換えもあるし、時間もかかるので大宰府行の西鉄バス「旅人」で向かいますバスは国際線ターミナルから出ているので、まずは国際線ターミナルへの連絡バスに乗ります。料金無料で5分おきに出ています。場所は端っこ、バス停1番乗り場から。国際線ターミナルに着くと、建物の中に入り、中からバス停に並びます。バスが目の前に着くとゲートが開いて乗車します。
《新古今和歌集・巻第十八・雑歌下》1693雲菅贈太政大臣山別れ飛びゆく雲の帰(かへ)り来(く)る影(かげ)見る時はなほ頼まれぬ☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆雲菅贈太政大臣山から別れて飛んでいく雲の、再び山に帰ってくる姿を見る時は、やはり、都に帰ることができるかと、頼みがかけられてしまうことだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎
《新古今和歌集・巻第十八・雑歌下》1692月菅贈太政大臣月ごとに流ると思ひします鏡(かがみ)西の浦にも止(と)まらざりけり☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆月菅贈太政大臣月の出るごとに西へ向かって流れると思ったそのます鏡のような月は、西の浦にもとどまらないことだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コ
《新古今和歌集・巻第十八・雑歌下》1691日菅贈太政大臣天(あま)の原(はら)茜(あかね)さし出(い)づる光にはいづれの沼か冴(さ)え残るべき☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆日菅贈太政大臣大空に、茜色をして出てくる日の光には、どの沼が凍ったままで残ろうか、残りはしない。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《
太宰府幕末記:五卿と志士のものがたり2018年10月の発刊だから8年も経過しているこの本の存在を知り購入した。幕末福岡藩の勤王党は大弾圧を受け、家老の加藤司書らは切腹、その他多くの人たちが流刑その他の処分を受けた。野村望東尼などもその一人だが、そんな中に私と姓を同じくする福岡藩士がいる。遡れば親族かもしれないがつながりは良くわからない。わが先祖は豊前時代母方の同氏姓をなのり、今日に至っている。そういうことも有り、幕末期の福岡藩にはいささかの興味を持っている。望東尼と
只今「城スキーのお城紀行」は、「日本100名城」のお城を順次紹介しています。「日本100名城」とは、財団法人「日本城郭協会」が専門家や城郭ファンによって、「優れた文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「時代・地域の代表」という3つの基準に基づいて選んだ100城で、2006年に発表されました。発行されている公式ガイドブックに付随するスタンプ帳を使い、各城のスタンプを集めるスタンプラリーも人気となっています。「日本100名城」を紹介していくに当たっては、そのお城の「歴史と城主(藩主)」
《新古今和歌集・巻第十八・雑歌下》1690山菅贈(くわんぞう)太政大臣あしひきのこなたかなたに道はあれど都(みやこ)へいざといふ人ぞなき☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆山菅贈太政大臣山のこちらにもあちらにも道はあるけど、「都へ、さあ、行こう」と言ってくれる人はないことだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
九州国立博物館入口を入ると長いエレベーターが、その先に虹のトンネル(九州国立博物館アクセストンネル)トンネルを抜けると館内展示内容
本日、晴天!雲一つない大宰府駅観光案内所大宰府駅の正面左に行くと駐車場右に行くと参道大宰府天満宮右手に案内所あり修学旅行などの団体が多い朝早くからこんなに来るんだ(写真は消しましたが・・・)太鼓橋漢字の「心」を象った池に架かる御神橋└心字池に架かる三つの橋は、それぞれ過去・現在・未来を表している。橋を渡ることで心身を清め、御神前に進む。
現在の福岡県
平日に3日間、休みがあったので、1人で博多に行ってきた。おそらく、20年ぶりくらい。昔、行ったときは若かったので、中州だけうろうろしていたが、さすがに40代になったらそれ以外にも、興味の幅がひろがり、天神、大濠公園、西新エリアや南福岡や大宰府にまで足を伸ばした。今回は食にもこだわり、ユーチューブ等でいろいろ調べていったが、結局、1番おいしかったのは昔テレビで紹介されていた、「びっくり亭」だった。肉の塊とキャベツ
1268年フビライ・ハーンから大宰府に国書到来、、、蒙古襲来の契機となったころのお酒です、、、美味しくいただきましたテーブル席には、杉本ちゆきの名前がありました、、、、素敵なお招きに感謝しています(*^-^*)
「学問の神さま」そう聞けば、菅原道真公を思い浮かべる方も多いでしょう。けれど、道真公は、最初から神さまだったわけではなかったようです。845年。一人の人間として生まれました。学者として、政治家として、朝廷の中で異例の出世を遂げ、右大臣にまで昇ります。ところが、その人生は、突然大きく変わります。大宰府へ901年。道真公は、大宰府へ左遷されます。都から遠く離れた、九州へ。そこで約2年を過ごし、903年2月25日、59歳で亡くなりました。遺骸を運ぶ牛車
福岡県太宰府市宰府3丁目2-43の太宰府天満宮表参道にある「笠乃家」さんで、梅ヶ枝餅をいただきました。(180円也)梅ヶ枝餅です。暑い中で、あっつあつをいただきました。「笠乃家」さんは、道路向かいに老舗の「かさの家」さんというのがあって、そこが本店のようです。ここ「笠乃家」さんは、2015年に「かさの家」プロデュースの梅ヶ枝餅と丼ぶりの専門店らしいです。この日は、北海道の友人夫婦が福岡に遊びに来た時に太宰府天満宮へ一緒に来た時に寄りました。太宰府天満宮には3回目
皆さんこんばんは!MKです8月後半、いかがお過ごしでしょうか?僕は只今、1/47TOURin福岡の最中で福岡県に滞在しております無事におととい1ステージ目が終わり、日付か変わった今日はタマホームスタジアム筑後にてパフォーマンスさせて頂きますプラム•カルコア大宰府ではスタッフさん達と皆さんのお陰で、温かく素敵なお時間を過ごさせて頂きました満員御礼!ご来館下さった全ての皆様。立ち見で見て下さった皆様。万全な体制で迎えて下さった大宰府市、プラム•カルコア大宰府スタッフの皆様。
昨日26日の福岡市は観測史上1位の暑さだった。天神、博多は40.4℃で酷暑を記録した。福岡が酷暑日と言われても、市内の中心部は酷暑日になったことはなく、大体、大宰府が酷暑日になることが多かった。26日も大宰府は40.3℃だった。曰く、容赦のない暑さだそうだ。不快指数も90だったと気象予報士もおどろいて説明していた。もう体感100でいいけどね。いやいや本当に容赦のない暑さだった。毎日必ず洗うタオルなども朝干して、昼にはパリパリに乾いた。で、3時過ぎると
報道によると博多区で40.4℃の酷暑日が観測されたそうですが、太宰府市では40.3℃だったそうです。わが家は、大宰府の観測所から徒歩10分圏内にありますから、ほとんど40.3℃です。家人は銀行に行くために、初の酷暑日を経験しましたが、私はその経験にビビって家の中にい続けましたから、残念、経験できませんでした。家の郵便受けに置いたデジタル温度計。反射熱を反映して50.4℃を指していました。今朝の古平海岸。古平町界隈では、「シバレ体験ツアーがあるのだから、酷暑体験ツアーがあってもいい
【論点2:ヤマト政権は敗戦後大和ではなく那の津に基地を置いていたはず。】(P80)郭務悰が結果として大和に「入京」していないのは、日本政府が那津宮におり、正式交渉も那津宮で行われたからであろう。それを「海外国記」著述の天平期に、奈良時代の国際意識で解釈しなおし、那津宮での外交交渉を、「大和への入京を許さなかった」と曲解して記述したと考えるべきであろう。(P80)郭務悰が結果として大和に「入京」していないのは、日本政府が那津宮におり、正式交渉も那津宮で行われたからであろう。それ
今までの流れが理解されたところで、AB&JCPRESS版の第一書(初版)を含め全四作につき御案内する。第一書『続・法隆寺は移築された「源氏物語」は筑紫が舞台だ』この第五作(新泉社版を含めて)は〝著者が某建築雑誌に2001年十二月から五十三回にわたって連載したものをまとめたもので、『法隆寺は移築された』をはじめとする今までの四冊を総括し、新たな知見を加えた理系ならではの興味深く、類書では絶対に見られない内容がぎっしり詰まった「建築史学入門」に仕上がっている〟と
遠くなかなか行けないので行ける時にってことで大宰府にある母のお墓参りに来ました!!!いろいろなことを報告しまして明日からもガンバリたいと思います!!
大宰府展示館大宰府政庁跡大宰府といえば天満宮!なのでなのでの政庁跡ってさいしょはびっくりしたっちゃね夏はたしかにあついけど空と雲がとてもきれいこのつきぬける空のしたでむかしの役人さんたちえっさほいさとおしごとおしごとカードをもとめてもひとついこう大宰府館天満宮のお膝元大宰府館マンホールカードをくださいなおやおやどうやら企画展どうにもほんじつまでらしいせっかくなのでのぞいてみたらとても美しい原画でした梅ヶ枝餅はみや
少し間があきましたが5月の旅行記を再開したいと思います『大宰府から柳川へ』『九州の旅、大宰府天満宮へ』ここ数日曇りの日が続き最高気温が23度前後の函館です昨日の夜はちょっと寒く感じてタオルケットに薄い毛布をプラスしたほどこの気温…ameblo.jp柳川名物ウナギのセイロ蒸しを食べた後は川下りですブラタモリでも掘割についてやっていましたが住むのには不向きだった低湿地を知恵と土木技術で人が住みやすい街に作り替えました掘割の汚染が進み一時は埋め立てる話も出たそうで
筑紫丘高校生諸君へ絶対読んで欲しい!君たちは本物の石山寺の敷地上で学んでいます。この地図が600年代の博多~大宰府を表しています。右下の観世音寺、左上の住吉大社に照らしてみて下さい。守旧派歴史家は例外なくこの古地図には触れようとしない。
博多駅の土産物を売っているエリアで梅ヶ枝餅のお店見つけました。梅ヶ枝餅は、大宰府名物。米粉を(うるち米ともち米のブレンドだと思いますが)大判焼き(今川焼とかいろいろ名前ありますけど)とか、たい焼きみたいに型に入れて、あんこを入れて焼いたお菓子です。(ちなみに梅は使われていません)早速1つ買って熱々をいただきました。実家が大宰府にある事もあって、梅ヶ枝餅は普通に良く食べていました。特に参道のお店で焼きたてをお願いすると、まだ表面がパリパリしていて、一旦包んだ物とは別物です。最近は空港や
いちご守り7月の放送が終わり福岡の日々もいったん幕を閉じるんだなと感じています今日の放送は帰京直後の収録だったのでまだ実感わかなくてふわふわしていました。この1か月・・。福岡の時間と東京の時間が絵の具のようにまじりあう期間だったまだ荷物は全然片付いていないけど。そして今1か月経って・・ちょうど先月の今日23日に引っ越してきたのかと今気づく☺️今日放送で話した通り土砂降りの雨の日でした。福岡に行ったことでごちゃごちゃついていた
#川の瀬光り鮎釣ると……★☆松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ:詠み人知らず:歌意:松浦川の川の瀬が日の光を受けてキラキラと光っている。鮎を釣ろうとして立っている美しい娘の裳の裾も濡れている。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━#万葉集第五巻より■□■みんなぁ、元気ぃ~?読み方やでぇ~まつらがはかはのせひかりあゆつるとたたせるいもがものすそぬれぬこの歌の題詞に、「蓬客等更贈歌三首」ってあるけど、めっちゃ、難しいわぁ~!どういう意味なんか
紀貫之・『土佐日記』を平安時代の人物・作品と偽っていることを見破らない限り、推理して一冊の本に纏めたところで、モヤモヤは永遠に解消しない。土佐から帰るべき“京”とは東西真逆の倭京・大宰府なのである。米田氏はこの章で見事に真相を解明している。Tobecontinued沢山拡散お願いします!