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「隼人の乱」と宇怒男人(うぬのおひと)「筥崎宮放生会」は、「博多どんたく」、「博多祇園山笠」と並んで、”福岡三大まつり”に数えられる。連日の猛暑のなか始まった「筥崎宮放生会」二日目に出かけて来た。この暑さのなか凄い人出だった。元もと福岡の人間は”まつり好き”と言われ、「のぼせもん」が多いのだが、その賑わいで地域外の人々をも呼び込み、福岡の経済を元気づけしていることは間違いない。「放生会」の行事は全国にあり、正式名称は文字のごとく「放生会=ほうじょうえ」であるが、福岡筥崎宮のみ「ほう
ご訪問ありがとうございます。先週の「光る君へ」では、双寿丸(伊藤健太郎さん)が賢子と別れて、主人である平為賢(神尾佑さん)について大宰府に行くという展開でした。NHK「光る君へ」をしへて!佐治芳彦さんより同じ頃、目を負傷した藤原隆家(竜星涼さん)も、名医がいるという太宰府の赴任を希望していましたね。隆家ですが、一条天皇の皇后の宮である定子の弟で、「枕草子」では目立ちたがりでユーモアのある人物に描かれています。クラゲの骨『サロンの華<1>清少納言その4中関白家とのやり取り』
(ネタバレあり)ドラマは1013年から1014年(長和3年)の出来事になります。長和2年(1013年)7月、中宮妍子(倉沢杏菜)が内親王を産みます。道長は男の子でなかったことで落胆します。まひろが「帝にすらことさらあしざまにお耳にいれる人がいる・・・・」と書いていました。「源氏物語」は51帖「浮舟」まで書き進んでいるようです。宇治十帖も後半部分に入りました。もうすぐ終わりです。内裏で火事が起きたことにより、長和3年(1014年)2月、彰子(見上愛)が頼通の高倉殿に移り、そこで敦
大宰府いき、といっても、赴任と流罪では実態がまるっきり違うんですよね。菅原道真、源高明、藤原伊周の三人が、大宰権帥として配流、の歴代メンバーですが。大臣の職にあったものが罪を犯したときは、太宰権帥というのがお約束です。左遷ではなく流罪ですから、赴任先で仕事は一切ありません。配流、という場合、たいていは一室に軟禁されたまま何年も過ごし、そのまま病気になって死んでしまうケースも多い。観光なんてとんでもない、ろくな食事が出るかも微妙なところ。菅原道真や、のちの讃岐の崇徳院はこのパターン
九州鉄道記念館、大宰府の麒麟像、大刀洗平和記念館今週は千葉県に戻ってます。天気は良いけどやはり熊本よりはちょっと寒いですね。今回は福岡・山口4泊5日旅の最終投稿です。秋芳洞から熊本に戻りますが、その途中に1泊しながら3か所に寄りました。九州鉄道記念館は旧JNR門司鉄道管理局跡に設置され、JR九州関連の車両等を展示しています。懐かしい車両ばかりでとても楽しい施設です。特に電車運転台に設けられた運転シュミレーターはとても楽しかった。以前は「電車でGO!」良く遊んだし
大河ドラマ「光る君へ」43話「輝きののちに」私の感想③です大宰府に行くことになった隆家が向かった先は脩子内親王のもと自分が後見役なのに都を離れることを詫びるため。その場にはまるで憑き物が取れたような穏やかな表情の清少納言いや、ききょうの姿よかったよかった(きっと清少納言ファンからクレームが殺到したんだろうなNHK)そうだよ❗️恨みは人をダメにする❗️恨みで己の命を支えるなんてそんなの絶対清少納言じゃない❗️サ
1014年三条天皇と中宮妍子の間に待望の子禎子が生まれたが、皇子ではなかった。道長の思惑どおりにはいきませんでした。さらに内裏は火災になり、三条天皇は妍子と共に枇杷殿に移りました。そのため枇杷殿にいた皇太后・彰子は高倉殿に移ることとなりました。高倉殿は、頼通の屋敷です。道長「恐れながら、内裏の2度の火災は天がお上の政にお怒りである証しと存じまする」三条天皇「聞こえぬ。もっと大きな声で申せ」道長「この上は国家安寧、四海平安のため何とぞご譲位あそばされたく臣道長、伏してお願い申し上げ
大河ドラマ「光る君へ」43回「輝きののちに」の感想の続きです。隆家、清少納言と脩子(ながこ)内親王。隆家は清少納言らに謝る。「そなたと脩子(ながこ)内親王を置いて(大宰府へ)ゆくことを許してくれ。」清少納言は「大宰府でお目を治してお戻りくださいませ。」と優しい言葉をかける。隆家は清少納言のことを「いつもかみつきそうな勢いであったが、それがなくなった。」と清少納言のらしくなさを指摘する。(本当に変わったのか?)==============
福岡旅行1日目で太宰府観光を満喫した私はホテルで爆睡翌朝は温泉・朝食とゆっくりホテルで過ごしました。ここで私が宿泊したホテルルートイングランティア太宰府を紹介します。外観です。場所は大野城から太宰府駅に戻る林道沿いにあります。大野城で山歩きをした後だったので太宰府駅まで歩かなくても到着できるのがとってもありがたかったです。ホテルには日帰り入浴できる天然温泉みかさの湯が併設されており登山でかいた汗を流すにちょうど良く疲れた体も癒やせます。(画像はホ
福岡の観光名所「太宰府天満宮」平日にもかかわらず激混み私が高校受験の時、祖母がここでお守りとか買って送ってくれたのを覚えています。みごとに落ちましたが・・・まじめに勉強してこなかったので、神も見放したんだろうな~。本人が祈願に行ったとしても、勉強をサボっていれば受かるものも受からないわけで(笑)高校に入ってからはこれを教訓にしっかりと勉強しました大人になってからも祈願したいことはたくさんあります。神様に無理難題なお願いをしたあとは、温泉に向
大河ドラマ「光る君へ」43回「輝きののちに」の感想の続きです。土御門殿。道長、倫子、頼通(よりみち)とその妻、隆姫(たかひめ)。倫子が横で、教通(のりみち)の子を抱いてめでている。道長は隆姫に向かい、「頼通(よりみち)の子を産んでもらいたい。」と話す。その後、隆姫がいなくなったあと、頼通(よりみち)は父・道長に言う。「隆姫にあのようなことを仰せにならないでください。」横にいた倫子は息子・頼通に「父上のようにもう一人妻を持て
錦鯉と行く1泊2日!何かが起きるクイズ旅フジテレビ系(制作:TNCテレビ西日本)9月10日16:05~17:25OA.さくら学院の2017年度学年末テスト成績発表の途中ですが、一旦こちらの記事を掲載します、ご了承下さい。🙇番組のスタートは大宰府駅から、TNC制作の番組に工藤美桜さんが恐らく初めての登場です!今回はダイジェストとなりますが、工藤さんメインで紹介していきます。😆これは錦鯉の長谷川さんによる案内でのツアーと言う事ですが、北海道出身の長谷川さんがま
刀伊(大陸の女真族)はまず、対馬・壱岐を襲いました。『小右記(しょうゆうき)』などによると、計184人の住民が殺害され、585人が捕虜となったとあります。そして刀伊はついに外敵の侵入を防ぐための日本側の防衛施設、警固所(福岡市)を落とすために博多へ上陸してきました。しかし、大宰府の藤原隆家の指揮のもと、九州の豪族らが見事、刀伊を追い払います。ふたたび刀伊が船越津(ふなこしのつ=糸島市)へ上陸したものの、逆に捕虜となる者も現れたといいます。大宰府軍はなおも
御手洗神社から狭い道をすすむと小さな川に出ました。『2024-11-07宇美川そばに鎮座する御手洗八幡宮と飛行機(神功皇后伝説の地)』吉塚駅から宇美川に沿って歩くと福岡空港に着陸する飛行機が何機も見ることができました。こんな撮影スポットがあったんですね。コンデジでも普通に撮影できましたよ。…ameblo.jp普通にあるいているとキレイな鳥が飛び去りました。カワセミです。カメラを用意していなかったので写真は撮れませでしたが自然が残っているんですね。住宅地の中をウロウ
偉人・敗北からの教訓【BS11】11月23日(土)午後9時~菅原道真・怨霊から神となった平安貴族平安時代、怨霊として恐れられた後、神となった菅原道真の敗北から現代に通じる教訓を探る【BS11】偉人・敗北からの教訓放送時間:毎週土曜日よる9時00分~9時55分【アンコール放送】毎週水曜日(第2週除く)よる8時00分~8時53分www.bs11.jp『菅原道真公』のことを考えると…「はぁなんでこんな目に合わされなきゃなんないわけ」って怒りがおさまら
お久しぶりです。更新をかなりサボっており2年以上が経過してしまいました前回の新潟編が完結していないわけですが画像データをパソコンに移してしまいすぐに更新できないこともあり近況報告ということで・・・春休みに行った旅行の様子をどうぞ2024年3月21日本日は西鉄電車に乗りに福岡県へ向かいました。まずは新横浜駅から博多駅まで新幹線で移動します。スマートEXを利用することで割引で乗車ができ、通常は普通車指定席が23480円のところ17720円で乗車が可能です。新横浜駅は7:31発です。名古
福岡県太宰府市にある大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと)。7世紀後半に、九州に設置された地方行政機関で、軍事・外交を主任務とし、九州地方の内政も担当しました。役職としての大宰帥は、外交・軍事上重要な地域に置かれ、数か国程度の広い地域を統治する地方行政長官でした。紫式部の夫・藤原宣孝は990年(正暦元年)に筑前守に任ぜられて筑紫に赴任し、992年(正暦3年)頃には大宰少弐(大宰府の役人)も兼ねていますね。大宰府へ都(平安京)から行った人で有名なのは「菅原道真」でしょうか。唐から学ぶことはない