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出雲大社で目立つ、印象的な像。ムスビの御神像座って両手を両手を挙げているのが、出雲大社の主祭神である大国主。一体どういうシーンなのか。幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)時に、海を照らして依り来る神あり。「吾在るに由りての故に汝その國造の大業を建つるを得たり。吾は、汝が幸魂奇魂なり」大国主神、「これ吾が幸魂奇魂なりけり」と知りぬ。現地案内板読んでも、いまいち分からないよ💦『日本書紀』の一書に出て来るから、そちらを簡単に現代語訳で要約するわね。
阿弖流為、最後の抵抗者阿弖流為(アテルイ)は8世紀末から9世紀初頭にかけて東北の蝦夷(えみし)を率い朝廷(ヤマト=秦氏)に立ち向かった指導者です。『日本後紀』の記録によれば、翌延暦21(802)年に副将の母礼(モレ)とともに「五百余人を率いて」征夷大将軍・坂上田村麻呂に降伏したとあり投降後の名前表記は「大墓公阿弖流為」となっています。「大墓公」は姓(かばね)の一種で「公」は朝廷が在地豪族に与えた称号で「大墓」は地名や一族名に由来するとされます。胆沢は阿弖
文字が入りきらなかったのでメモのスクショ貼らせていただきます以上です「大物主(大国主ではなくと言う意味)」と一言声が聞こえた時少しびっくりしました...最近は大物主様のお守りを身につけて寝ています(胸に置いたり、手に持ったり)懐かしいのです、、おやすみなさい🌙『本来の龍族(龍つかい)のめざめ』こんにちは巫女龍女ヒーラーの月と神秘ですここではあえて龍族の事を龍つかいと呼ばせていただきます日本ではこちらの言葉の方がその方がきっと何が言いたいのか伝わりま…ameblo.jp
神武の東遷に関連して纏向遺跡や三輪山(大神神社)ついて生野先生の著書を読み直しているうちに、ふと閃いた!卑弥呼率いるヤマト王家は出雲奴国の大国主を倒して、奴国王家の帝都(宮殿)のあった糸島平野の葦原中国を奪った代わりに、糸島から遠く離れた島根県の出雲に壮大な大社を作り大国主の鎮魂(怨霊封じかも・・)をしている。でも、神武東遷の時のヤマト王家は最後の奴国王「大物主命」の宮殿があった纏向を破壊しその近くに新たに大和王朝の宮殿を作ったので、神武は大物主の墳墓を作らせず代わりに三輪山をご神体と
ムスビの御神像と、道を挟んで逆側。御慈愛の御神像因幡の白うさぎのシーン🐰これは有名。そして、だからこそここ出雲大社に兎の像が沢山ある🐇🐇🐇(\(\(\(\(\/)/)/)/)/)('ㅅ'('ㅅ'('ㅅ')'ㅅ')'ㅅ')だいこく様大きなふくろをかたにかけだいこく様が来かかるとここにいなばの白うさぎ皮をむかれて赤はだかだいこく様はあわれがりきれいな水に身をあらいがまのほわたにくるまれとよくよく教えてやりまし