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9600形蒸気機関車は、日本国有鉄道の前身である鉄道院が1913(大正2)年から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車けん引用のテンダー式蒸気機関車である。軸配置は2-8-0(1D)、「キューロク」、「クンロク」と愛称され、四国を除く日本全国で長く使用された。国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなった、長命な形式である。・石炭専用列車の活躍状況夕張駅北海道炭礦汽船絵はがき1935年頃夕張線では昭和40年代前半には登川支線への入線などD50、D51形と共に活躍した。D51
写真が珍しかった時代。「絵はがき」には景勝地だけでは無く、各地の街並・産業・風物等、時には事故なども題材にされています。「北管夕張線清水澤驛に於ける事故夕張発追分行貨物第四四四列車の急勾配より突進せる爲め二俣の轉徹器にて脱現場場(大正二年十二月十四日)」ちなみに大正2(1913)年5月5日青函航路を含む、北海道全域の国有鉄道が北海道鉄道管理局(北管)の管轄となっています。
皆さま、こんにちは!ちょい前のブログで、昭和56年の石勝線開業によって廃止された夕張線登川支線にあった楓駅の廃駅跡のことを書きましたがその続きです。今日も雑草ネタにお付き合いくだされ。(登川支線の楓駅の記事もチェックくださいね)昭和56年に廃止された夕張線登川支線・楓駅(初代・2代目)跡に行ってみた。…の前に、夕張線登川支線のことをザックリ書きますが、紅葉山駅(現・新夕張駅)-登川駅間を結ぶ総延長7,6キロの路線で、明治42年に開通した紅葉山駅-楓駅(当時は貨物駅)間と、
今日はクリスマスイブですね。去年も書きましたが、SLファンの僕にとっても思い入れのある一日なんですよね。今日は、蒸気機関車が最後の列車を牽いた日なんです。「今も走ってるけどあれは違うの?」と思う方もいるかと思いますが、今各地で数両走っているのは、観光用の保存運転みたいなもので、機関車を生き物とするならば余生みたいなもの。本来の「くろがねの馬」として、人とともに、旅客に貨物輸送に現役機関車として働いていたのが、41年前の今日までということになります。1975年12月24日。場所は北海道