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昨日の続きです下寺町・松屋町筋を歩いていると・・お寺の中に社を発見気になる気になるっって事で、お邪魔させて頂きました光傳寺(こうでんじ)山門山号仏迎山院号感応院宗派浄土宗御本尊阿弥陀仏鯛屋貞柳墓所の石柱~由緒~創建年代は不明ですが僧西念の開創だそうです昭和20年の大阪大空襲により焼失。戦後再建された。鯛屋貞柳の墓がある、春になると桜が有名手水舎出世地蔵尊淡嶋明神人形供養で知られる淡嶋神社の分社なんだそうです婦人病治癒を始めとして安産
お善哉をいただいた後は、一休寺の境内を散策します。一段と目をひく、菊の透かし彫りの扉。こちらが一休さんの墓所です。享年88歳、最期の言葉は「死にとうない」。およそ僧侶らしくない、かなりぶっとんだ方でした。お正月には、杖の頭にドクロを付け「ご用心、ご用心」と練り歩いたり。男色はもとより、飲酒や肉食、嫁や子供がいたり。狂人と見紛うような奇行の数々も、禅宗の教義における風狂の精神の表れで仏教の伝統や権威、世間の常識に警鐘を鳴らしたものだったと言われています。一休さんは、後小松
前回の記事2017日光(2)予習していけば2倍も3倍も楽しめる日光東照宮(前編)では、表門~陽明門までのお話を書いたので今回はその続きを。こちらの門は唐門。唐門の先には日光東照宮の中で最も重要なご本社がありますがこの門は誰でも使える訳ではないそうなんです。江戸時代には将軍様に拝謁できる身分以上の幕臣と大名だけが使うことができ、現在も特別な祭典の時に国賓に相当する参拝者のみが使うことができる門なんですって。ちなみに、拝殿は一般の観光客にも公開されています
画題『逆さ葵』探しました向かって左の葵の御紋が逆さになっています間違ってしまった訳でなく意図的に逆さにしてあります「世の中には完全なものはない」と言う哲学的な意味合いがあるそうですあと3か所ある様ですが見つかりませんでした徳川家康公久能山東照宮徳川家康公墓徳川家康公の真の墓所は久能山東照宮であり御尊体(ご遺骸)は徳川家康公の薨去こうきょされた元和げんな二年四月十七日に埋葬されたまま久能山東照宮のご神廟しんびょうにあります徳川家康公は生前家臣
高野山「奥の院」には織田信長をはじめとする有名な戦国武将の墓が点在しています。ちょっとご紹介織田信長、豊臣家、徳川家、明智光秀、石田三成、伊達政宗、武田信玄・勝頼、上杉謙信など、誰もがよく知る武将の名が連なります。伊達政宗、石田三成、明智光秀の慰霊碑今はお隣さん同士です戦国時代には考えられない隣人関係…何だか微笑ましいですね。立派な鳥居の墓群薩摩島津家の霊屋がありました。豊臣家の墓所は他よりも広い敷地で墓所に入れないように柵が設けられていて常にお供え物が置かれ、さ
パク・ヨンハの亡骸は葬儀後に荼毘に伏されてこちらに埋葬されました。盆唐メモリアルパーク②とほとんど記事の内容が重複しています。ご容赦下さいます様に。薬泉寺(ヤクチョンサ)。位牌が奉られ、法要が執り行われたお寺です。
兵役免除の理由や整形疑惑だとかいろいろ取り沙汰されて、おまけに個人事務所の経営の事、病気のお父さんの介護の事も重なって、自殺に至ったのでしょうか?墓所=盆唐(ブンダン)メモリアルパーク。韓国語の他に日本語や英語で表示された案内板もあるようです。お墓。遺体は火葬されているようです。