ブログ記事1,506件
1,誰も追いつけない最強の祖母・由良瑞子さて、今回は由良瑞子。隼人の祖母ですが。特徴・作中で最強の人物。以上です。瑞子さんですね。由良隼人の祖母で、新田家郎党筆頭・由良家の実質的な当主です。ところで、、この方ですが、当初は「彩子」という名前でした。しかし、今一おばあさんぽくないか?と思って、変更した名前が「瑞子」ここでピンを来た方は、航空機マニア?隼人の名前は中島飛行機の「隼」から採っていますが、こちらは同じく中島の偵察機「彩雲」からです。太陽近くの雲に緑や赤の
遠くからでも存在感が半端ない【陽明門】どん曇りから晴れました‼︎【重要文化財附・銅燈籠】陽明門に近付き過ぎました‼︎w【逆柱】「満つれば欠ける」ということから、意図的に逆さまにして、魔除けの役割や未完成の状態にしているというのが粋ですよね〜✧︎*。色んな角度から撮りたくなります𓈊ˊ˗とんでもない技術です…圧巻です…‼︎【国宝唐門】ため息でるくらい凄いです。もう〜大人になってから見たら、感動レベルが爆増ですよー✧*(˙o˙)✧*【眠り猫】ひっそりといらっしゃるか
高野山「奥之院」には企業の墓所が数多くありました🪦ほんの一部ですが企業の特徴が感じられますね🏢和歌山:高野山編以上になりますお付き合い頂き、ありがとうございました🙇♂️
休憩を終えて、もう一つの高野山のメインである「奥之院」に到着〜🏃♂️こちらには、歴史上の人物の墓所があちらこちらにあります🪦「武田信玄・勝頼墓所」「上杉謙信廟」「伊達政宗墓所」「明智光秀墓所」
ソロ旅の続きです日光へ来たらやはり日光東照宮ですよね東武日光駅から世界遺産バスに乗り、出発東武バスの公式サイトには表参道で降りると東照宮が近いと書かれていたのですがいまは表参道のバス停がなくなったようで、二荒山神社前が終点でした実際徒歩5分くらいで東照宮に着くので、何ら問題ありません二荒山(ふたらさん)神社縁結びの神を主宰神として祀っています。もちろん良縁祈願しました林道を通って、東照宮へ日光東照宮徳川家康を祀る神社です。入場料¥1,6
※2024年8月6日訪問※天下御免のかぶきもの【前田慶次郎の墓所】を訪ねます阿弥陀堂の裏山に墓所が有るとの事なので、山の中へ向かう獣道を進んで行きます【月見平】への石碑が建てられており、こちらを目印に登って行きます【月見平】は、前田慶次が交流の有った上杉家の家臣達と、その名の通り月を眺めた場所のようで、物見の役割を果たしていたのではないかと考えられています✨夏場の藪に阻まれた為、今回は月見平への訪問は見送り阿弥陀堂の裏手を登り山道を進んで行きます🚶息を切らしながら、そして大量の虫達
【問題】栃木県大田原市の大雄寺には、ある家の累代の墓所があるが、それは次のうちどの家か?【選択肢】蘆野家千本家伊王野家大関家福原家【正解】大関家【解説】大雄寺(だいおうじ、大田原市黒羽田町)は、戦国期の大関増次を中興開基とする、同家の菩提寺である。江戸期を通じて黒羽藩主であった大関家の累代の墓所がある。
以前参った出水神社『853.出水神社•夏至参り〜晴れやかなり~ピンクとんぼ~ご縁』6/21夏至の日朝から曇雨、予報は一日くもりどこかへお参りに行きたい1人参りの導きは自分頭に浮かぶ沢山の神社そんな中、ずっと残る神社があったよしここに行こう!…ameblo.jpこの時から、ガラシャ夫人のお墓へお参りに凄く行きたい気持ちがあっていたいつか行こうと主人に伝えていたお墓の存在は主人に聞いて知っていた主人は大学生の頃にお参り済日にちは流れようやくお参りへ行ってきた!主人がタオルを取りに車へ戻
【問題】福岡市博多区にある崇福寺には、次のうちどの家の歴代の墓所があるか?【選択肢】細川家加藤家黒田家立花家【正解】黒田家【解説】崇福寺(そうふくじ)には、福岡藩主であった黒田家の歴代の墓所がある。藩祖・黒田如水、初代・長政、4代・綱政、6代・継高、7代・治之、9代・斉隆などが眠る。
朝倉氏といえば、朝倉義景。越前国の戦国大名で越前朝倉氏最後の当主(第11代)。大河ドラマ「麒麟がくる」ではユースケ・サンタマリアさんが朝倉義景を演じていらっしゃったそうですね(知らんかった今年は平安時代に戻って安倍晴明に転生したのね)義景は一族の朝倉景鏡に裏切られ六坊賢松寺(大野市明倫町、現在の曹源寺)で景鏡軍に攻め込まれ、1573年(天正元年)9月16日に自害したと伝えられています。義景の墓所は福井市の墓所の方が歴史的には古いとのことですが、大野市泉町にも江戸時代
【問題】徳島藩主蜂須賀家の墓所は2箇所あるが、興源寺墓所ともう1箇所はどこか?【選択肢】大神子墓所島田島墓所奥祖谷墓所万年山墓所【正解】万年山墓所【解説】万年山墓所は、徳島藩10代藩主が造営した一族の儒葬墓地である。家祖・正勝以降が埋葬された仏式の興源寺墓所を遺髪のみの拝み墓とし、儒式の万年山と併用した。
「越生」の火葬場に行った。車で向かった。埼玉県である。恥ずかしい。読むことができなかった。葬儀社さんに「おごせ」だと教えてもらった。葬儀は鶴ヶ島にて勤めた。「念の為、地図をお渡ししておきます」出棺前、職員さんが案内図を下さった。普通、坊さんは霊柩車の後について火葬場へ行く。道中には必ず信号がある。合流などでは車列の間に車が入る。すると、霊柩車から大きく離れてしまうことがある。距離ができると、少し先で霊柩車は必ず待ってい
京都にある教法院で、戦国武将島左近の墓の発掘調査がありました。島左近の墓は全国に5ヶ所あるようです。武将などは戦死した場所、ゆかりの地、生まれ故郷などにあるから複数あっても不思議じゃないです。関ヶ原で戦死ではなく、落ち延びて32年後に没となっています。島左近安土桃山時代の武将。石田三成の家臣。石田三成から、三顧の礼で仕官を受け入れる。知行の半分の禄という破格の待遇。関ヶ原の戦いでは、前日の杭瀬川の戦いで勝利。本戦では、自ら陣頭に立ち指揮する。黒田長政の別働隊からの銃撃により
戦国武将として人気の高い政宗公の廟所に続いてこちら。仙台藩2代、伊達忠宗公の墓所『感仙伝』です。政宗公の瑞鳳殿と同様に桃山様式の極彩色と精緻な彫刻によって飾られています。62万石の大藩の基盤を確立するために努めた忠宗公の偉業を讃えています。瑞鳳殿と向い合う丘陵にあり、次に紹介する『善応殿』と隣り合っています。写真は不意に横からオジサンが出て来てしまったので、珍しく修正。さて、次なるは仙台藩3代、伊達綱宗公の墓所です。『善応殿』と呼ばれる御廟は、伊達家17世、政宗公の瑞鳳殿、2代忠宗公
柳川藩第3代と第4代の藩主である立花鑑虎と鑑任の墓所で、福岡県みやま市山川町河原内の霊明寺跡にある。苔むした階段を登り、石垣の虎口を抜けると、石灯籠の並ぶ先に2基の墓石が建っている。墓石は6角形の笠塔婆であまり見たことのない形式だった。
手前味噌ですが、前記事に設定したハッシュタグ(FUJIFILM)が2位ランクしていました。(恐らく)ここまで上位なのは初めて。更新頻度低いのにね(笑)さて、本題です。杉木立に包まれた経ヶ峯の丘陵。石段を上り詰めた先にあるのが瑞鳳殿です。独眼竜とあだ名された伊達政宗の御廟所。その手前に建つ涅槃門を避けた脇から進みます。手前には伊達家家紋、竹に雀を大きくあしらった香炉が一対。御廟は訪れる人が息をのむ数々の彫刻の見事さ、桃山様式と呼ばれる極彩色に彩られた江戸期から今も“竜”が眠り続けてい
保険会社へ提出する『通院証明書』を取りに病院へ行った帰りに緒方洪庵のお墓のある高林寺へ寄りました。2009年のドラマ『JIN-仁-』で武田鉄矢さんが演じられましたね。江戸時代末期の蘭学者・医学者で適塾を開き人材を育て、天然痘治療・コレラの治療法確立に大きく貢献したとの事。お墓の写真は撮りませんでしたが、大きな墓石でご夫人と並んでいました。ずっと素通りしてきましたが、これを逃したらもうあまり乳腺外科に通院する事もないだろうし、願わくば再発・転移をしてこの地に二度と戻りたくな
契約完了お墓の契約が無事完了しました。叔父には孫がいないので多分うちの子たちがお墓参りをすることになるでしょう。永代供養のお墓なのでずっと管理をしてもらえるのもありがたいですね。お墓とは思えないような明るい雰囲気がすごく好きです。私もここに入りたいというのが本音…
お墓2つお墓ですが親戚も買いたいということになって話を進めています。確かに良いお墓なのでね。仮押さえしてもらいました。
小さなお墓私の父母が将来入るお墓を見に行ってきました。いいお墓があったので予約しました。うちから近いのと開放感があって広々しているのが良かったです。行くのが大変な場所だったら嫌ですけど道順も簡単だし。何よりもここの自治体のネームバリューがうーん!私もここに入りたい。
凸撃りおちゃんねるをご覧の皆さま。こんにちは!りおたんです(・∀・)ノ☆今回は岩手県盛岡市名須川町『ムカデ姫の墓』へご案内致します(^^)※この辺。えー。盛岡市の寺町をフラフラしていたら『源秀院殿墓所(ムカデ姫の墓)』という看板を発見しました。ムカデ姫、とは?うん。コレは凸案件ですよね←それでは早速凸していきましょう!レッツゴー👊地味に英語表記もあります。『GraveofPrinceCenti
今年の花見は近隣の名所を4箇所回りました。咲き始めの大岡川、満開の富岡、散り始めた鎌倉、最後は称名寺でした。暖かな日射しのなか、西側から山に入って境内に降りるコースをとりました。東京湾を望む見晴らし、、、見えませんねえ。左から八景島、海の公園、夏島、野島、視界が良ければ東京湾の奥に房総も見えるんですが残念でした。山中の北条実時墓所右側にある大木が我が家のイチョウの実生親です。金沢北条氏の説明称名寺境内からトンネルを抜けると実時が起こした金沢文庫があり、金沢北条氏や称
前blog、池上本門寺の続きです。4月6日は「五重塔まつり」年に一度の特別開帳そして、「五重塔平和祈願法要」願うは、世界征服ではなく、世界平和ウクライナとパレスチナの戦争が、一日も早く終わって欲しい勿論、ここに来たからには、必ず行く場所があるじゃあ~りませんか僕は、日本プロレスにいた訳じゃないので、本当は先生付けは正しくないのですが、つい先生と呼んでしまう方の墓所に・・・・本当は、この人に騙し討ちされた木村政彦先生**を尊敬しているのですが・・・・**昔、木村
ベットに入った途端むずむず‥何?と聞くと映像で見せてきた‥昨夜第一弾
この日も1人で早朝ウォーキングに励んだ私。目的地は、大田区にある洗足池公園。※マップは洗足池公園公式HPよりお借りしました。我が家からは少々遠くて坂道も結構あるので、ハードなコースでもあるのですが、洗足池公園とその周辺は見所が多いので、お気に入りのウォーキングコースです。過去に何度もブログに登場しています。今回は、勝海舟ゆかりの地「周辺散策」マップの順に巡ってみましょう。(実際はその通りに巡ってませんがね。)①洗足池図書館今回
この桃の花の小径はどこへ?史跡古河公方足利義氏墓所ですか。その近くの可愛らしい白い花は?スノーフレイクでしたか。ファンタジーの世界の花みたいです。
春彼岸17~23日彼岸中日=春分の日20日現世と黄泉の国の境界を千引石という巨大な石で塞いでしまうのです。伊弉諾尊と伊弉冉尊はこの千引石をはさんで最後の会話をしました。つまり、千引石には、あの世とこの世を分ける境界としての意味があり、これが墓石の始まりといわれるそうです。また、このように石をはさんで話をする光景は、現在のお墓参りにおける故人との対話の原点となったとも言われています昼と夜の長さが同じになる日
徳川家の始祖徳阿弥(松平親氏)が松平家の婿養子となる前に酒井与右衛門の娘を妻に迎え一子酒井広親をもうけている。その酒井氏発祥の地に残る墓所一番右が酒井広親の墓
※2024年1月6日訪問※奥州探題【畠山氏墓所】を参拝させて頂きます✨正面が、初代高国から12代義継までを祀る畠山氏累代の墓碑非常に立派な墓碑で【奥州探題畠山家墓】と刻まれてます初代高国から12代義継までの歴代当主の名前が刻まれています✨こちらには、二本松氏を名乗った13代以降の名前が刻まれていました✨墓碑についての碑文も有りますね墓碑の両脇には、12代義継と共に『粟ノ巣の変』で散った二本松家の家臣達の墓石が整然と並んでおり、今でも畠山氏の側で主君を支えているようにも見えました✨
※2024年1月6日訪問※称念寺さんの本道西側に有る【畠山公墓所】へと向かいます✨【畠山公墓所参道】と彫られた石碑が建てられていますね✨石畳に沿って坂道を登って行きます🚶坂道を登りきった平場には【奥州探題畠山家墓所】の案内板が建てられていました✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼奥州探題畠山家墓所南北朝の頃、(1340)北朝方より奥州探題として入国した畠山高国公を初代城主とする畠山家は、その後11代義継公が伊達政宗と戦い討ち死に、翌年落城するまで約240年続きました。義継