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今年の花見は近隣の名所を4箇所回りました。咲き始めの大岡川、満開の富岡、散り始めた鎌倉、最後は称名寺でした。暖かな日射しのなか、西側から山に入って境内に降りるコースをとりました。東京湾を望む見晴らし、、、見えませんねえ。左から八景島、海の公園、夏島、野島、視界が良ければ東京湾の奥に房総も見えるんですが残念でした。山中の北条実時墓所右側にある大木が我が家のイチョウの実生親です。金沢北条氏の説明称名寺境内からトンネルを抜けると実時が起こした金沢文庫があり、金沢北条氏や称
前blog、池上本門寺の続きです。4月6日は「五重塔まつり」年に一度の特別開帳そして、「五重塔平和祈願法要」願うは、世界征服ではなく、世界平和ウクライナとパレスチナの戦争が、一日も早く終わって欲しい勿論、ここに来たからには、必ず行く場所があるじゃあ~りませんか僕は、日本プロレスにいた訳じゃないので、本当は先生付けは正しくないのですが、つい先生と呼んでしまう方の墓所に・・・・本当は、この人に騙し討ちされた木村政彦先生**を尊敬しているのですが・・・・**昔、木村
ベットに入った途端むずむず‥何?と聞くと映像で見せてきた‥昨夜第一弾
この日も1人で早朝ウォーキングに励んだ私。目的地は、大田区にある洗足池公園。※マップは洗足池公園公式HPよりお借りしました。我が家からは少々遠くて坂道も結構あるので、ハードなコースでもあるのですが、洗足池公園とその周辺は見所が多いので、お気に入りのウォーキングコースです。過去に何度もブログに登場しています。今回は、勝海舟ゆかりの地「周辺散策」マップの順に巡ってみましょう。(実際はその通りに巡ってませんがね。)①洗足池図書館今回
この桃の花の小径はどこへ?史跡古河公方足利義氏墓所ですか。その近くの可愛らしい白い花は?スノーフレイクでしたか。ファンタジーの世界の花みたいです。
春彼岸17~23日彼岸中日=春分の日20日現世と黄泉の国の境界を千引石という巨大な石で塞いでしまうのです。伊弉諾尊と伊弉冉尊はこの千引石をはさんで最後の会話をしました。つまり、千引石には、あの世とこの世を分ける境界としての意味があり、これが墓石の始まりといわれるそうです。また、このように石をはさんで話をする光景は、現在のお墓参りにおける故人との対話の原点となったとも言われています昼と夜の長さが同じになる日
徳川家の始祖徳阿弥(松平親氏)が松平家の婿養子となる前に酒井与右衛門の娘を妻に迎え一子酒井広親をもうけている。その酒井氏発祥の地に残る墓所一番右が酒井広親の墓
※2024年1月6日訪問※奥州探題【畠山氏墓所】を参拝させて頂きます✨正面が、初代高国から12代義継までを祀る畠山氏累代の墓碑非常に立派な墓碑で【奥州探題畠山家墓】と刻まれてます初代高国から12代義継までの歴代当主の名前が刻まれています✨こちらには、二本松氏を名乗った13代以降の名前が刻まれていました✨墓碑についての碑文も有りますね墓碑の両脇には、12代義継と共に『粟ノ巣の変』で散った二本松家の家臣達の墓石が整然と並んでおり、今でも畠山氏の側で主君を支えているようにも見えました✨
※2024年1月6日訪問※称念寺さんの本道西側に有る【畠山公墓所】へと向かいます✨【畠山公墓所参道】と彫られた石碑が建てられていますね✨石畳に沿って坂道を登って行きます🚶坂道を登りきった平場には【奥州探題畠山家墓所】の案内板が建てられていました✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼奥州探題畠山家墓所南北朝の頃、(1340)北朝方より奥州探題として入国した畠山高国公を初代城主とする畠山家は、その後11代義継公が伊達政宗と戦い討ち死に、翌年落城するまで約240年続きました。義継
だいぶ前に行ったお寺巡りのつづき浄土宗西山深草派の萩原山海蔵寺(三河國)には佐久間盛政の墓碑があります。佐久間盛政は柴田勝家の家臣で賤ヶ岳の闘いで敗れこの地に埋葬されたと伝承が残っている索麻塚山門門前の石佛本堂前回訪問時の海蔵寺『荻原山海蔵寺[西尾市]』文明2年(1470年)に善明町辺りに創建しその後この地へ移転してきた浄土宗西山深草派荻原山海蔵寺境内手水舎後ろに見えるのは十王・観音堂山門(楼門)境内社地蔵…ameblo.jp
〖石川県能登地方での地震による被害を受けられた皆様へ心よりお見舞い申し上げます。〗義援金受付窓口↑ニセサイトではありません💦石川県のホームページのリンクを貼ってあります。力になりたいと思われたら訪問してみて下さい!みんなで助け合いましょう‼️⚫そろそろまた頑張ってみようかと、復活。⚫愛用です😉店頭よりかなり安く買える魅力🐸【第2類医薬品】フェイタスZαジクサス21枚Amazon(アマゾン)ドラゴンボールZ[お菓子チョコレート]仙豆チョコポット/バレンタインAm
先日(2/4)、関ヶ原の戦いで敗れ、八丈島に流された宇喜多秀家の墓所、住居跡を見学しました。その後、宇喜多秀家と豪姫の像を見に行きました。岡山城内堀の石南原千畳敷にある宇喜多秀家と豪姫の像(=^x^=)
※2024年1月6日訪問※二本松少年隊のお墓に手を合わせ、続いて大隣寺さんの【本堂】へと参拝▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼現在の本堂は文化8(1811)年の大改築によって築かれたもので戊辰戦争直後には、二本松藩庁の仮事務所や藩校などにも使用されました。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲寺号は初代長秀公の法名(総光寺殿大隣宗徳大居士)の大隣に由来しています屋根の瓦などには丹羽家の家紋「違棒(ちがいぼう)」の紋を見る事が出来ます✨▲陸奥国・巨邦山大隣寺(二本松市)二本松
※2024年1月6日訪問※大隣寺さんの境内には、戊辰戦争で犠牲となった【二本松少年隊の墓】が建てられています✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼慶応四年(1868)七月二十六日、三春瀋の突然の降伏により二本松藩の横腹を突く形となった西軍は、潮の如く二本松城下に迫りつつあった。そのため藩は止むなく少年達の出陣を命じることとなり、十二歳から十七歳までの62名が緊急に各隊に配属され、西軍との応戦体制に入った。二十九日朝、隊長木村銃太郎・副隊長二階堂衛守の率いる少年隊士25名が出陣した大壇
戦前は増上寺の徳川家の墓所がありました。立派な二天門が名残で都営三田線芝公園駅の目印です。
※2024年1月6日訪問※本堂へと向かう石段を登った先には、かつてとても立派な【山門】が建てられていたようです✨家臣達からの寄進により、立派な山門が建てられていましたが、廃藩置県後の維持管理の問題から売却され、寺の維持費に当てられたとも言われているそうです山門を支えていた立派な礎石が残されていますね✨山門跡には、大隣寺さんに関する案内板が並んで建てられていますので、こちらで予習される事をオススメします✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼二代丹羽長重公は、初代長秀公の菩提を弔う為、
※2024年1月5日訪問※本庄繁長墓所の裏手には【本庄氏一族の墓】が並んでいました【福島城代本庄繁長一族之碑】と書かれた標柱が建てられていますね✨【四代・本庄政長】【三代・本庄重長】【二代・本庄充長】寛文4年(1664)米沢藩主の上杉綱勝が跡目を決めないまま亡くなり、米沢藩は信達2郡を召上げられ、同年6月に30万石から15万石に半知となりますこれに伴い、寛文5年に福島城代であった本庄政長は鮎貝(山形県白鷹町鮎貝)御役屋将(知行1666石)に転じ、以後幕末までの9代にわたり、鮎貝御役
神奈川県の鶴見にある総持寺に行ってきました😄去年の12月頃に訪れましたが紅葉が綺麗でした。総持寺といえば、有名人の墓所としても有名ですが、やはりこの昭和の大スターのお二人が有名でしょうか。石原裕次郎燃える闘魂アントニオ猪木『総持寺【1】』去年の12月頃に神奈川県の鶴見にある大きなお寺総持寺に行ってきました😄12月頃に訪れましたが、紅葉が綺麗でした😄おかげやこんなスペースがあるんだ…『鶴見駅西…ameblo.jp『【アントニオ猪木展】』新宿の京王百貨店で行われているアントニオ
※2024年1月5日訪問※上杉家の家臣で、福島城代を務めた【本庄繁長の墓所】です▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼本庄繁長は越後国本庄城主で揚北衆として独立勢の高い一族であった。上杉謙信に従属してからも反乱を起こしたりしたが、御館の乱ではいち早く上杉景勝に味方し、同族で長尾景虎方となった鮎川氏と戦った。その後、一時改易となるが上杉家臣として再び登用され会津転封後は守山城代を経て福島城代となり、関ヶ原合戦時にも伊達政宗の軍勢から福島城を守った。慶長18年(西暦では翌1614年)1
※2024年1月5日訪問※長楽寺さんを訪れると、まずは立派な【山門】が出迎えてくれます山門に関する案内板などは設置されていませんが、歴史を感じる建物ですねそしてこちらも立派な【本堂】こちらも案内板などはありませんが、歴史の重みを感じる荘厳な建物ですね✨幕末にはこの場所に仙台藩の軍事局が設置され、仙台藩士や福島藩士達などの奥羽諸藩の藩士達の往来が多数有ったそうです明治に入ると、一時裁判所として利用されていたことがあり、本堂の鴨居の一部には、菊と桐の紋章が刻まれている箇所がありますが、こ
※2024年1月5日訪問※宝積寺さんの境内には、伊達家15代【伊達晴宗の墓所】が建てられています✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼天正五年(1577)十一月十九日、晴宗は杉目城で発病し、その報を得た輝宗が米沢から駆け付け父を見舞いましたが、同年十二月五日、五十九歳で没しました。法名は乾徳院殿保山道祐居士、導師は資福寺の虎哉和尚で、今は本堂真向かいの老梅の根元、杉目城を眺めるように建つ五輪塔の下で静かに眠っています。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲参道から進んで左手に墓所が
※2024年1月5日訪問※福島県福島市舟場町の【琥珀山宝積寺】さんを訪れました▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼福島県北部、中通り低地帯の北部に位置する県庁所在都市、福島市。市の南東部、北流する阿武隈川とその支流荒川の合流点北側に旧信夫郡福島村(現福島市杉妻町・舟場町ほか)があり、福島城下を形成する町場の東端、阿武隈川に面する現舟場町には、伊達氏十五代晴宗の菩提寺である琥珀山宝積寺があります。政宗の祖父にあたる伊達晴宗は、弟実元の上杉家婿入りに反対し、父稙宗を相手に南奥羽の有力者を巻
続きです。円覚寺前では毎年写真を撮っています。今年も体型は変わらず写り、良かった2017年はでぶでぶでやばかったです北条時宗公は鎌倉幕府八代執権。仏日庵にある墓所の開基廟へお線香をあげ、手を合わせてきました仏日庵ではお抹茶をいただくことができ、豊島屋のお干菓子『小鳩豆楽』が添えられます。普通に買えるのですが、こちらで頂く方が美味しく感じます何かの撮影が行われていました。キャストは外国人のお坊さん日本人は着物の女性くらいでした。なんの撮影でしょうかね興味津々いろいろ思
社員旅行で栃木県日光市、日光東照宮。次に向かうのは、徳川家康公の墓所へ。通る奥社の入口の「眠猫」👇🏻眠猫、鼻筋が通ったシュッとしたお顔その裏には、「2羽の雀」ここに来て知ったのだが、猫と雀の一対で、猫が雀を狙わない平和な世を意味してるらしい。知らないと普通に通り過ぎてしまうわね💦(一緒に行った上司が説明してくれた)ここから207段の階段を上り、徳川家康公の墓所へ向かいます。途中、踊り場があり一旦休憩。振り返ると、墓所には行かないと言っていた職場のお姉様たち。
すごい雲がでています。千々石町で橘神社や千々石ミゲルに関する場所に行きました。これが見つかったのは割に最近で伝承はあるもののわからなかったようです。実際にはプロジェクトがあり千々石ミゲルの生涯|千々石ミゲル墓所調査プロジェクト謎多きミゲルの生涯/天正遣欧少年使節の中で唯一棄教したとされるミゲルには多くの謎が残っています。彼の人物像を振り返ります。migel-project.jpミゲルさんのものとわかりました。涙が溢れました。かつて、私のもとにきたミゲルたちわかって
冨士屋観光センターでの昼食後は、日光東照宮へ途中、ムラサキシキブのいう名の植物を発見❗️初めて見た。いや、気が付かなっただけかな。と言うのも、職場にも咲いてるらしいです💦しかし、キレイな紫色だ。先に進むと日光山輪王寺👇🏻更に進みます五重の塔ここからは有料で拝観。東照宮の拝観料1300円有名な三猿「見ざる聞かざる言わざる」日光東照宮。子供の頃来たことあるらしいが、全く記憶に無い。なので、初、日光東照宮の感想は、建物が素晴らしく、もっと、じっ
その相手が、家族ではなく、ヒトでもなく、小さな🐶、🐱って…色々考えさせる😅近所の神社に「犬連れの方、神域立ち入り禁止」と掲示している所がある、アッパレ。又、近所に動物、特には犬と猫の葬儀を執り行う寺院が有る、境内には墓所も有る。ペット一緒の参拝を売りにしている神社も有るらしいが、自分は行きたくないが、怖いもの見たさも有る(笑い)老婦人の中には、配偶者&その親族の墓所に一緒に葬られる事を嫌って、生前に墓所を準備してペットと共に入る方も居るらしい。ご本人取っては真剣
<今日の表紙>現在の場所の岸家先祖代々之墓昨日は、滋賀県高島市安曇川町の来迎寺の境内にあるお墓の移転に伴う抽選会に行って来ました。いつもはレンタカーで行くのですが午後2時からでしたのでJRで行きました。名古屋駅の新幹線側はリニア関係の工事が進んでいます。車窓から望む伊吹山は冠雪が見れました。米原から琵琶湖線で近江塩津まで、それから湖西線で安曇川までのルートです。途中虹が出ていました。安曇川駅に着くとこの地に生まれた近江聖人の中江藤樹像が迎えてくれました。来迎寺に行く途
今月も参拝すべき、神社、仏閣、墓所、すべて周りきること、完全達成したでしゅ。