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昨日は兄と二人で霊園へ行って、墓所の除草をして来ました。幸い春のような陽気で、上着を脱いでいても寒くなかったし、夢中で作業してたら汗ばむくらいでした。面積は小さいから楽勝だと甘くみてたが、実は大変だったのよ。二人がかりで1時間近くもかかってしまいました。というのも、長年放置していたせいで雑草は木質化していて、手で引っこ抜こうとしたらびくともしなかったのです!ものすっごく固い!これはもう「草むしり」じゃなくて、「草ほり」だよ。シャベルで掘らないことには全然抜けない。それも
イーコールの守護により、豊臣秀吉の御墳墓(五輪塔)を紹介する。【チケット購入】【豊国廟立て札】489段ある階段は手摺なんかないゼ。ここが中間地点・“バラン星”。太陽系方面作戦司令長官“宇宙の狼ドメル将軍”は不在だったゼ。この人↓体力を使いきって墓所に到着。高さ10m。“デスラー総統万歳‼️”左奥からしか入れないから注意すべし。帰りの下り階段もアブねぇゼ。やっと階段の終わりが見えて来た。「地球か…何もかも皆懐かしい」フッ…。この世では「なにわのこと
梅が咲き誇っている北野天満宮のせいか梅の木が目に付く真宗大谷派荒木満願寺墓所県道13号線の南の山肌に、かなり上まで墓所が続く広い敷地に、上の方から墓仕舞いされているように感じる確かに年々坂を登るのはキツくなる高所から黒島大島を臨む手前の線路下の辺りまで、塩田が続いていたことになる知識として知らなければ、絶対に分からないこと左方向を見ると、遠くに垣生山昔は島だったようだ昔と云っても、中世よりも昔に遡ると思う新居浜には4つの島が大島黒島垣生山御代島垣生山の北西と南東の2
前回はこちら弘明寺の後、歩いて横浜市営地下鉄ブルーラインの弘明寺駅まで歩いて行き、駅の撮影の後、横浜市営地下鉄ブルーラインで蒔田駅まで乗り、蒔田駅の撮影をしました。その後、横浜市営地下鉄ブルーラインで上大岡駅まで乗り、そこで、京急本線急行に乗り換えて杉田駅まで乗り、杉田駅の撮影の後、京急本線普通で屛風浦駅まで乗り、屛風浦駅の撮影の後、林香寺に行きました。林香寺の入口です。山門です。本堂です。本堂をバックに、自撮りをしました。スマホでも、自撮りをしました。寺務所です。墓所です。そ
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これは私の妄想物語馨爾の死に顔は本当に美しかった。安置室で父明仁はその顔を撫で小さく呟いた。「馨爾、、痛かったな。寒かっただろ?可哀想に……俺が悪かった……許してくれるか?」その時ようやく芳楼は気づいた。父は心から馨爾を愛していた。芳楼はそっと近づいて馨爾の冷たい足に触った。体温を全て奪われるような冷たさだった。父が腕を伸ばし芳楼の肩を抱きそのまま暖かい胸に顔を埋めた。声を上げず押し殺しふたりして泣き暮れた。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈大切な人達を一瞬で失った。
撤去撤は扌+徹(省略形、育(子の逆形+月)+攵)で5本指の手、頭を下に産まれる子と右手の象形。産道を遮る物を取り除くを表す「撤」の意に。(育が鼎の象形で、食後の片付けの説も)昨年6月頃から実家の山茶花の切り枝を墓所の花立に。猛暑にも負けず水やりを続いて花枝の蕾が年末に開花も勝手に撤去?
2025年12月14日日光橋を渡って「世界遺産・日光社寺」日光山内へ。御旅所勝道上人像日光は、奈良時代に勝道上人により開山され、山岳修験の霊場として1200年の歴史を紡ぐ。前日の雪が残っている。表参道から東照宮へ向かう。五重塔慶安3年(1650)酒井忠勝(小浜藩主)により奉納された。現在の塔は江戸後期に再建されたもの。この先に東照宮拝観券売り場があり、すごい行列すかさずYさんがネットで4人分の券を購入してくれた拝観券を渡して階段を上ると、逆立ちの狛犬
『皇室の御寺(みてら)「泉涌寺(せんにゅうじ)」』お読みいただきありがとうございます😊東山の泉涌寺へ行ってきました。泉涌寺について👇️泉涌寺について–【公式】皇室御香華院御寺泉涌寺mitera.or…ameblo.jp続きですこちらは本坊です。皇族方がお参りにいらした時に、お休みになられる御座所があります。庫裏玄関脇小菊はこれから御座所明治15年(1882年)霊明殿炎上とともに、庫裏・書院も焼失し、明治天皇は、霊明殿の再建と並行して京都御所内にある皇后宮の御里御殿をお
小野龍海’s歴史塾このホームページでは歴史研究の成果を資料化して公表しています。ono-no-tatsumi.amebaownd.com上古第一代の続きを見ていまして四世(※上古一代の起こした王家の直系の末裔の四世)が次のように書かれています。↑四世上図にある「鷲羽山」とは岡山県にある「鷲羽山」のことだと思われます。↑鷲羽山鷲羽山の遺跡を調べると「鷲羽山遺跡」というのがありますが、コレは旧石器時代の遺跡だそうで、チョット古すぎます。(笑)↑
《新古今和歌集・巻第十五・恋歌五》1339題知らず左近中将公衡(さこんのちゆうじやうきんひら)恋ひわびて野べの露とは消えぬともたれか草葉(くさば)をあはれとは見ん☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず左近中将公衡恋い悩んで、野辺の露のように儚く死んでしまっても、誰が、私の墓所の草葉を哀れだとは見ようか。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
通勤途上の話。古くからの家が立ち並ぶ一帯には、「プライベートな霊園」とも言うべき先祖代々の墓所がつきものだが、その中に彼岸花の一群を見掛けた。まるで、過ぎ行く季節を惜しむが如く咲く姿は、既に最盛期を過ぎている様子だが、開花し立てのそれよりもむしろそこはかとなしに趣がある。彼岸花、またの名を「曼珠沙華(マンジュシャゲ)」。草の根(球根)には強い毒がある事から、土葬が一般的であった昔は、ネズミやモグラ対策の意味で墓所の周りに植えたのだろう。お彼岸の頃に咲く特徴もまた、植える理由に適って
8月12日の御朱印巡りの続きです。日光二荒山神社に行った後『2025.8.12③日光市日光二荒山神社(下野国一之宮)』8月12日の御朱印巡りの続きです。中禅寺(立木観音)に行った後『2025.8.12②-1日光市日光山中禅寺(坂東18番)』8月12日の御朱印巡りの続…ameblo.jpそのすぐ近くにあります日光山輪王寺の大猷院地区に行ってきました。大猷院(たいゆういん)とは、徳川三代将軍「家光公」の廟所(墓所)のこと祖父である「家康公」(東照宮)を凌いではならない
(過去ブログ)2022年2月11日静岡にある〜久能山東照宮に行ったよ日本平に行った時に行きたかったのだけど、時間がなくて行けなかったよだから、リベンジかな参道入り口にある富久屋さんに車を停めてランチ食事やお土産を買えば、東照宮に行けるよ駿河湾と言ったら桜えび桜エビのかき揚げ丼を食べたよサックサクで海老が香ばしかったわエネルギーチャージしたから、いざ階段三昧へ気合い入れて、登って行くぞ〜みたいなっ久能山東照宮は徳川家康の最初の墓所家康の遺命によって〜ここに造られたよ創建
パリ5区にあるパンテオンは、パリの中心にありながら、巨大なドームが青空にそびえる荘厳なパリの歴史的建造物のひとつでもあります。パリ5区市庁舎のすぐ前で、しかもリュクサンブール公園からも近いので、たまにお散歩がてらに付近を歩くことがあったのですが、今回、初めて中に入ってみました。その独特な建築は、内部は、ドームがあることもあるのか、ちょっとどこかの大聖堂みたいな感じもあり、どこかシンとした雰囲気と涼しさが漂っています。正面入り口から入場すると、地上
大分市からは車で1時間近く行った先にあるのが、日出(ひじ)町という小さな町で平成の合併を唯一お断りして、日出町という名を守った町である。最寄りJRの駅は二つあって、1つは日出駅・・・・その少し手前にあるのが暘谷(ようこく)という、数年前に新しく駅舎が立て替えられた駅である。ここを起点して、国道10号線沿いにあるサンリオピューロランドへ行く人も多い町だ。(ピューロランドとはサンリオの遊園地のこと)サンリオだけに、こんな感じでサンリオキャラクターズがお出迎えしてくれる。これ
こんにちは。ようこそお越しくださいました<(__)>8月8日曇り本格的にお盆のお参りがスタートしました。8月に入るとぼちぼち盆経が始まってきますが、ご家庭のお仏壇前にお伺いしてのお盆のお参りは今からが多くなります。浄土真宗は他宗のようなお盆の捉え方ではありませんが、盆休みの方が多くなる時期にご先祖を敬い、今の自分の足取りを整えるためのお参りとして、ご自宅へお伺いも致しております。本堂でのお参りは、8月12日~8月15日の午前6時より午前11時ま
先日歴史好きの高2次女とぶらりお散歩で増上寺へ。ちょうど宝物展示室で「徳川家康と増上寺三大蔵展」をやっていました。中は撮影不可でしたので画像はありませんが増上寺が所蔵する三種の大蔵経が公開されていました。①中国、南宋時代(12世紀)に開版(版木が作成)された思渓版大蔵経5,342帖②中国、元時代(13世紀)に開版された普寧寺版大蔵経5,228帖③朝鮮、高麗時代(13世紀)に開版された高麗版大蔵経1,357冊古代インドにおける釈尊
さて~安倍晴明の墓・・・↑安倍晴明終焉の地である確たる証拠はない・・・と肩に白狐?(いや小袖か・・・)中々粋な像じゃ~~しっかり五芒星道路挟んで向かい側には東屋があり駐車場も整備されている木曽町、やるじゃん<おまけ>
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」には殿さまやその家族が居住したり政務を執る為の所謂「御殿」や、城主・家族の憩いの場や来客対応の…ameblo.jp「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ
石浜の高台にそびえる巨大な石浜観音石浜の人々の浄財で建立2025/07/01石浜の高台にそびえる石浜観音は、昔は村の外れに有りました。今は外れであった奥の西方もしっかり住宅地に変貌しました。はずれてあった場所が石浜の中心の場所になっています。昔は寺の墓と遺体を埋葬する外墓の墓所と2つ墓を持っていました。その外墓の墓所に石浜観音は建立されました。石浜の人々の浄財で巨大な石浜観音がそびえています。(残念なこと高台であるため通信会社が電波の中継塔を建てて、観音様の視界に電波塔
母の御骨を納めるお墓が完成しました。先祖代々のお墓は父方も母方も遠方にあり、お墓参りに行くのが困難なため新設しました。お墓を新設するにあたり、現代の日本のお墓事情等、色々知ることが出来ました完成までの経緯をお話しさせていただきますね。(少し長くなります🙇♂️)母は生前、樹木葬を希望していました。私の頭の中では、樹木葬って言葉のイメージから、山の中の大きな木の根元に御骨を埋めるor散骨する。というようなお墓を持たない、自然葬というようなイメージを持っていました。そうではなく今の「樹
春彼岸の前に父のお墓とお仏壇に手を合わせようってことにしていたのに私の絶不調で見送り、それっきりになっているのは申し訳ないのでは?という夫からの提案で私の地元へ出向いてファミレスでランチしてきた、のび子ですオムライスにビスクソース。カニクリームコロッケ付き。美味しかったのーぅオムライス久しぶり!ビスクソース新鮮!あとこのお皿かわいい!欲しい!普段はランチしたお店でデザートまで手を出すことはないのだけれど暑かったからか気が向いて頼んだソフトクリーム。しっかり固めなソフ
闘覚院機魂寛道居士この方がいなければ、小生、この世界に入っていなかったのかも・・・・遅れ馳せながら、鶴見の總持寺に墓参に行って参りました同行は、40年来の格闘技の友。この道を行けば、どうなるものか危ぶむなかれ・・・・お馴染みの「道」の碑ヽ(^o^)丿今後、この場所には何回も行く事になるんでしょうねぇ~(笑)考えただけでも、空恐ろしい因みに拙宅近くの池上本門寺の力道山先生の墓所に、これまで何回行った事でしょうか話は変わりますが・・・・この曹洞宗の大本山總持寺の大きさに度
みなさま、おはようございます!対馬の旅シリーズ、その後途絶えていましたが、今日は、「万松院」をご紹介。あの人気ゲーム、ゴースト・オブ・ツシマ。ゲーム序盤に登場する「黄金寺」の石段は、この「万松院」がモデルになったのではないか?と言われています。確かに、この「百雁木(ひゃくがんぎ)」と言われる石段は、登る前はかなり圧倒され、「大丈夫かな?」と心配になるのですが、登ってみると段差も低く、たくさんの高齢の方々もチャレンジされていました。登りきって振り返ると、こんな素
品川区・大井公園の高台の片隅に土佐藩15代藩主にして幕末の四賢侯の一人「山内容堂」の墓がひっそりと佇んでいます。容堂の墓の左手には島津家から山内家に輿入れした山内豊熙(13代藩主)の正室の墓があり右手には、山内豊範(16代藩主)の正室の墓が並んでいます。多くの資料が、容堂の墓が大井公園にある理由を「土佐藩があった場所」と「遺言で指定された」の2点で説明していますが実際には、土佐藩の土地ではなく遺言の存在も口承のみで裏付けがありません。ここは、鯖江藩・間部詮勝
【問題】豊臣家臣・加藤光泰の墓所は、次のうちどこにあるか?【選択肢】今宮戎神社築地本願寺甲斐善光寺鶴岡八幡宮【正解】甲斐善光寺【解説】加藤光泰は2年半という短期間ではあるが甲斐国を治めていた時期があり、文禄2年(1593)に病死した後、甲斐善光寺に葬られた。墓は甲府市の文化財に指定されている。
2025年4月1日祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。有名な「平家物語」の序章である。何でこんな話を始めたかと言うと、今日は4月1日。4/1と言うことでヨイチ、平家物語に出てくる那須与一を思い出したからだ。平家物語はおおよそ平清盛の時代から、平家滅亡までを綴った古典だと言える。そもそも琵琶法師の口伝であった
3月22日きょうはご近所の幼馴染の納骨だった一緒に育った仲良し『仲良し逝く』仲良しが亡くなった物心つくころには仲良しになっていた一緒におままごとやいたずら秘密基地を作ったり学校ごっこをしたり隠れん坊していて隠れているつもりが寝て…ameblo.jp奇しくも我が家と同じ墓所永代供養墓にお骨は収まった本堂での供養の後供養墓の前で合掌お坊さまのお話は亡くなった方が喜ぶ生き方みんな仲良くこの二点だった主人のお葬式の時の思い出深いお説法悲しい…
1月も終りが近づいたとある休日のお昼頃京浜急行鮫洲駅まできたので、鮫洲八幡神社へ半年以上一年未満の再訪となります鮫洲八幡神社につきましては『鮫洲、旧東海道の裏道から八幡神社』しながわ花海道(勝島運河)より旧東海道へ家と家との路地入口に「稲荷大明神」赤い幟が目についた分け入ってみると路地の突き当りは鮫浜小学校その前に小さな社が白玉…ameblo.jp社殿の背後を・・・時折り通り抜ける京浜急行の走行音さえ無ければ、静な境内なんですけど穏やかな日差しを浴びる狛犬さんと