ブログ記事1,471件
9月15日は東京・芝増上寺で、今年3回目の黒本尊開扉が行われた。※「東京都の文化財」に白黒写真で掲載される阿弥陀如来立像が黒本尊であるが、現在安国殿で正五九の十五日に開扉される黒本尊は、遠目でみると黒塗りされているように観える。通常、護摩の煙で黒くなる黒さや、お香で着色するような色とは思えない。黒光りしているのである。安国殿内には黒本尊の他に、東京都文化財の四天王が内陣四隅に安置されている(※「東京都の文化財」には本堂と記載があるが大殿ではなく安国殿を指すと思われる。)というが、目に
先日2016年11月11日の鹿児島散策の谷山地区の続き。「地頭館跡」「赤崎海門誕生地」を見学した後は、「伝・豊臣秀頼の墓」に向かいました。地頭館跡・赤崎海門誕生地のレポ。http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12225228161.html豊臣秀頼公は、大坂夏の陣の際に自刃せず落ち延び、島津家に匿われていた、という言い伝えが、ここ鹿児島にはあると聞いたことがありますが、それを裏付けるような史跡があるというので、向かってみると…。鹿児島
こんにちは。石のみやびです。墓所の防草対策のメンテナンスを、ご依頼いただきました。お墓参りの度に、雑草を抜くのが大変でと、ご相談いただきました。ご提案の結果、防草対策に、固まるマサ土を入れて玉砂利を新しく。塚印が不安定なので据え直し。花筒が倒れて割れてしまうので、固定してステンレスの花筒に交換。ビフォーアフター(玉砂利入れる前)石のみやびの、ステンレス花筒は日本製ですアフター(玉砂利入れ後)墓所全体のビフォー
サイトのトップにはお知らせを出しているんですが、こちらにも。先日、戒光寺さんから御陵衛士墓所を立ち入り禁止にしましたとのご連絡がありました。「不心得者の参拝者」が原因で、苦渋の末のご決断だそうです。ただ、彼らのお墓は柵越しに見えますので、これからも(沖田総司のお墓のように)柵越しのお参りをすることは可能です。また、ファンのために、命日は開放してくださるそうです。現在、戒光寺墓地の入り口の柵には、下のような立ち入り禁止の掲示があります。「不心得者の参拝者のために禁裏御陵衛士墓所への立ち入りを
■Wikipediaより拝借して引用させて頂きました。■宣嬪成氏(ウィビンソンシ)が女官として仕えていたのは?■愛しい我が子は?■墓所=西三陵(ソサンヌン)。●宜嬪成氏(ウィビンソンシ)の墓所。側室たちの墓がある場所にソンヨン=宜嬪成氏(ウィビンソンシ)の墓もあるそうです。何か小さくて寂しく、侘しく感じるのは私だけかな。●文孝世子(ムニョセジャ)の墓所。西三陵(ソサンヌン)内に位置しています。かつてはソウル市内の現在は孝昌公園(ヒョチャンコンウォン)内にありま
2018年1月20日JR東海のさわやかウォーキングに参加しました。テーマは、「新春詣、家族皆で豊川歴史散歩」です。距離も4.5kmと短めですね。豊川駅の一つ手前、牛久保駅で降りてウォーキング開始です。改札を出たところで地図を貰いスタートです。車の入れない細い道を進みます。野菜のセルフ販売所には、一袋100円の里芋がありました。安いけど・・・・ウォーキングで持って歩くのは疲れるので止めました。大聖寺にやってきました。
久しぶりにお参りにいってきました。伊東の亡くなったのは旧暦では11月18日ですが、西暦では1867年12月13日。どちらかというと12月にお参りするほうが多いです。今日のように冷える夜、殺され、油小路に放置され・・・。そして、待ち伏せがあると知りつつ油小路に急行した同志たち。彼らに思いをはせると、なんともいえない気持ちになります。http://www4.plala.or.jp/bakumatsu/kyou/12/121367-itoansatu.htm(↑最終更新は2003年と古くて恐縮で