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城を観る今回は...(撮影2021/07/21)久保山砦(尾張国)〜熊野神社〜熊野神社ッとなッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2021/07/21)久保山砦(尾張国)〜熊野神社拝殿〜熊野神社のッ拝殿ねッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
このタイトルを使うのは3年ぶりです。連休の最終日、前回書いたとおりの作図作業が一段落したので、久しぶりに列車を運転しながら、お気に入りの風景を眺めていました。ベニヤの上に建物を並べただけはありますが、場所によっては良い感じの風景が展開されます。皆さんにとっても既知感のある写真でしょうが、私が飽きることなく眺めている風景です。1.鉄道施設が密集する駅構内大袈裟な見出しですね。ローカル線の駅ですが、眺める方向によっては施設が密集して見え、密度の濃い風景が展開されます。見え
朝6時30分大島キャンプ場を出発15分走ると千里浜に到着車両は一台もいないです途中にこの様なキャンピングカーがスタックしてました砂浜を走れますがどこを走っても良いわけではありません反対側の出入口そしてこの様な道を通り今回も見れましたビンテージ小学校とても美しいそして白川郷にも行ってみました今年から城跡の駐車場(展望台)は一般車両は入れなくなってました道の駅飛騨白山から雨が降ってきたのでカッパを着て高山に向かいます途中R158を走っていたらいきなりエンジンが止まっ
『③祝新幹線開通!福井城巡り旅行』福井城のすぐ隣には、福井神社がありました。福井城の藩主松平春嶽の像。時代的には幕末の人。御朱印をこちらで頂きました。500円。つづくameblo.jp福井神社の後は、歩いて柴田神社(北ノ庄城)へ行きました。こちらは、柴田勝家の城、北ノ庄城跡地が神社になっている一石二鳥な感じのお城です(個人的に)勝家公の妻、お市の方の像とお市の方の娘たち「浅井三姉妹」の像、そして柴田勝家の銅像がありました。資料館は、無料で軽~く柴田
美作・津山城その2二の丸から本丸へ突入します。その前に備中櫓を真下から見上げておきましょう。南(大手)二の丸から本丸へ向かう通路。左手に見えますのが本丸石垣で、往時は石垣上に長局(単層の多聞櫓)があった。「長局」だけに、女房衆の小部屋が長々と並んでいたものかと。現在は藤棚になって城下の南方面を眺めながらくつろげる場所である。通路を進むと右に弓櫓石垣。文字通り「弓」の倉庫であったものかと。モランボンは焼き肉のタレであるかと。切手門跡。二の丸から本丸表鉄門へ至る通路を
『トレッキング日記44、4/27こんなたいへんな石炭山は初めてだ!』今日はおっしーと石炭山探検だ。土砂降り確定で歩くので、ドボンの格好(トレラン仕様)で登る。集合場所に到着して、トランクを開けると…ザックがない(笑)玄関に忘れて来た!!防水カメラを用意してたのだが、まぁいっかと思ってたら、おっしーが取りに帰ったら?と言うのでお言葉に甘えて取りに帰った。すまぬそんなこんなで出発したのが9時過ぎ。まずは丸野神社へご挨拶!次に丸野城跡へ久しぶりに行ってみる。なんか道違うような気が
ひでです。お早うございます。玄蕃尾城は4月12日に行ったお城です。場所:滋賀県城主:柴田氏石高:別称:内中尾山城来歴:この城跡は天下分け目の賤ケ岳の戦いで柴田勝家の本陣となった城です。ことの発端は、本能寺の変で信長が亡くなり、織田家の跡目を決める清須会議でした。そこで主君の仇を売って存在感を高めた秀吉は、信忠の嫡男三法師(信長の長男の長男)を担ぎ出し、正当性を主張しました。当の三法師は3歳でしたが、多数派工作が成功し、三法師が跡目を継ぎ、当面は秀吉が後見することとなりました。その決
高松の屋島に行きました。城跡をみて、展望台にて瓦投げ。抹茶ソフトクリームを食べました。お昼は、旦那が高松で働いていた時にお世話になった女子社員と海鮮丼。ふたりとも、とっくに退社されてますが、昔話に華が咲きました。当時は乳母車にのっていた三男が、今では身長187㎝27歳です。おのれの老を棚にあげて、成長した三男にびっくりしていました。俺もな、もう退社するねん。仕事辞めたら………、釣りと、ゴルフと、旅行とな…あ、ドラム習うねん。四国八十八ヶ所も回るんや。相変わらず、好き
は~い。御城印ブログに戻ったよ。移動すること155キロぐらい。福井県勝山市、村岡山城跡。ロッキーを駐車場に止めて行くよ。村岡神社入り口に説明板。石碑。さあ、行くよ。神社方面へ林道っぽいところを進むよ。神社ちょっと手前で横の石段方向へ進むよ。結構キツイよ。石段無くなりました。ちょっと緩やかになったよ。すぐに、階段出てきた。良かった。超なだらかな道だ。やっぱ上るのね・
川正跨道橋の翼壁が思ったより上手くできたおかげで、だいぶ前に作った川正城の石垣が気になって仕方ありません。並べてみると、その出来栄えの違いは一目瞭然。どうにも我慢ができず、思い切って石垣を改修することにしました。いつもなら、ここでグーグルマップを活用した現地視察に出かけるのですが、城郭なら身近にあります。そう!有馬21万石の居城、久留米城です。早速、久留米城の石垣をお見せしたいところですが、その前に古写真を写真をお目にかけます。地元では、久留米城ではなく”篠山城”と呼ばれる
相馬神社の御朱印相馬神社入口日本百名城🏯?神社では?⛩️参道入口左手は手水舎🚰本殿明治12年、相馬氏の始祖『師常』公を御祭神とし、中村城(馬陵城)本丸跡に創建された⛩️師常公は、保延五年(1139)に、千葉常胤の次子として生まれ、相馬中務太夫師國の家を継ぎました。相馬氏は、平将門公の末裔であり、代々下総の相馬郡一帯を領していましたが、文治五年(1189)源頼朝の将である父常胤に従って平泉攻めに加わり、軍功をあげたので恩賞として八幡大菩薩の旗一旗と相馬地方を賜りまし
京都盆地を取り囲む山々で構成された全長約80キロの、地元民が気軽に利用する山歩きコース『京都一周トレイル』。東南、伏見から比叡山、大原、鞍馬を経て、高雄、嵐山、苔寺に至る、京都市街の眺望を楽しみながらめぐる山歩きコースで、ガイドブックも多数発行されています。地元民にとっては手軽に登山を楽しめる、比較的難易度の低い山歩きコースですが、最近では山歩きだけにとどまらず、トレラン大会も開催され、全国的にその知名度も上がっています。それぞれの山を単発で登る機会はあっても、京都一周を縦走することは今ま