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いつか私が大河ドラマでなくてもいいから、幕末でこの人物を題材で取り上げて欲しいと思う人がいます。桑名藩主・松平定敬私はもう会津藩主松平容保及び桑名藩主松平定敬の高須ブラザーズが大好きで大好きで、慶喜と共に京でユニット組んだ時(一会桑政権)も慶喜に謀られて開陽丸で大坂城から逃亡する時も、慶喜に切捨てられて江戸から追放された時も兄弟一連托生なのもそうはないでしょう。こうしてみると慶喜に良い様に利用されていたように見えなくはないが多分気のせい。いずれにせよ、もし定敬が登場してほしいと言えば、
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)405城目は太閤ヶ平ですよぉ~標高263mの久松山山頂にある鳥取城跡の山上ノ丸跡一帯2017年7月の100名城2022年4月の桜名所100選に続き3度目の訪問となる鳥取城跡今回ようやく山上ノ丸跡へ※このてっぺんまで登るでね↑入城後の序盤戦は3年ぶりの再会を懐かしみ最近マイナー城跡ばっか巡ってるせいか改めて100名城の驚異を痛感が、本日の目的はこの先クソ暑い中登っていくでね登城道には都度●
2013年1月5日に写した黒田官兵衛ゆかりの御着城跡です。お城に見える建物は姫路市の東出張所です。
『令和7.12.29.鎌倉宮(後醍醐天皇皇子大塔宮護良親王)・土牢』『令和7.12.29.源頼朝・北条義時の墓(鎌倉市)』『令和7.12.29.鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−31)』『令和7.12.29.北条…ameblo.jp『令和8.1.3.神武天皇陵と市民農園物語』『令和7.12.29.源頼朝・北条義時の墓(鎌倉市)』『令和7.12.29.鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−31)』『令和7.12.29.北条…ameblo.jp令和8年のNHK大河ド
明けましておめでとうございます。昨年は、毎月第三日曜日の定期保全活動はじめ、月に3~4回の会員有志による保全活動を実施しました。島崎城跡を守る会を創設して9年目を迎えて、当初藪だらけでしたが、城跡の遺構が良く確認できる城跡になりました。広大な城跡の為、まだ整備不足の所がありますが、見学者に喜ばれ中世の歴史を感じていただく城跡を目指して保全活動を今年も進めて参ります。中世の土の城ファンの皆様のご登城をお待ちしております。
9月、宮城県多賀城市で、「マン活🟢(マンホールカード集め)」&「お城巡り🏯(御城印集め)」をしてきました🕵️♂️13時48分多賀城市にある「多賀城跡」に着きました🚙多賀城跡観光案内図多賀城跡ガイダンス施設「100名城スタンプ」を発見🏯日本100名城No.7「多賀城」日本100名城スタンプ🏯ゲット🤗「御城印」もゲット🏯「古代多賀城へようこそ」まずは、ガイダンス施設内を見学します😁南門から政庁まで長い道が続いています🤩多賀城は2024年に「多賀城創建1300年」を迎
あけましておめでとうございます!ワクワク愉快なイエローの月曜日担当のうきうきえいこです今日から仕事始めの方も多いのではないでしょうか。私も今日から新年のお仕事がスタートしました。年始の空気から日常へ戻り、少しずつ気持ちを切り替えていくこの感じ。新しいノートを使い始めたくなるような、そんな“新しく始まる”空気が好きです。■今年のお正月は、とっても元気に過ごせました思い返すと、今年のお正月は本当に元気でした。昨年までは、実家やあちこちに行ってヘトヘト…そんな過ごし方
滋賀・湖東の見所近江八幡市は滋賀県中部琵琶湖東岸(湖東)にあり豊臣秀次が築いた城下町で小京都とも言われ近江商人や安土城で知られています。荷船が行き交った水路八幡堀沿いには白壁土蔵や旧家が立ち並び時代劇などで見たことがある方もいるのでは?まずはロープウェイで八幡山の山頂へ。八幡山は標高271.9mの山で1585年に豊臣秀次が築いた八幡山城の城跡です。ロープウェイを降りれば城跡です。現存ずるのは石垣のみなん
12月7日日曜日です。バイクツーリングに出ようかと思っていましたが、朝はなんか曇っていて気温も低めだったので何となく家でうだうだしていましたら昼前になって結構陽が射してきました。それなら外に出てみようと思いましたが、バイクに乗る気分が無くなってしまってましたので山歩きすることにしました。嫁ちゃん曰く、苫編山山系のうち山崎山だけ未踏なので行ってみたいとのことでしたので、近いし半日登山にはちょうどいいかもということで行ってみました。本徳寺墓所からスタート途中のテラスより京見山を望む
〇陣屋唯一の現存建物は「奥方部屋」兵庫県北部、旧但馬国の山間部。日本海からも離れた山奥の村岡地区にかつてこの但馬の名族が陣屋を構えていました。南北朝時代の動乱でのし上がり、室町時代には山陰地方を中心に大きな影響力を誇った守護大名・山名氏。応仁の乱では一方の陣営の西軍総大将を務めた山名宗全が有名ですね。しかし、応仁の乱後には山名の勢力は衰え、最終的には没落し、大名の地位を失います。江戸期には高家という形で旗本としてかつての本拠である但馬に構えた陣屋。もっともここは地図で見ても、行くのは生
やっと9月に突入とはいえまだまだ猛暑酷暑真っ盛り。グロムのタイヤの皮むきを兼ねて朝陽を拝みながら別府方面。かって知ったる快走路を繋ぎ、一気に緊張感が増す脇道に入り込む。タイヤの皮むきでなんでこの道(笑)一番怖いのは落ち葉や苔ではなく、、、前からやってきた軽トラとの最悪タイミングな急坂ヘアピンもうあたふたやで~~wwそんなこんなで
東京都町田市にある「成瀬城跡」に行ってきました。城跡と言っても城の面影は何もありません。普通の公園です。入り口に公園の看板がありました。「成瀬城跡」とは書いてありませんでした。石碑がありました。説明看板です。井戸跡はコンクリです。城跡としての構造物はこれだけ。本当に普通の公園ですね。お城の雰囲気はありませんでしたが、高台の端っこにあり、恩田川の横にあるので、その辺は城があったっぽい場所ですね。火縄銃の玉とか昔のお金が出て来たそうですが詳細は不明との事です。ここ(写
9月、宮城県多賀城市で、「マン活🟢(マンホールカード集め)」&「お城巡り🏯(御城印集め)」をしてきました🕵️♂️マンホールカード2枚目「多賀城市(C001)」配布場所多賀城跡ガイダンス施設(中央公園内)宮城県多賀城市市川立石313時48分多賀城市にある「多賀城跡ガイダンス施設」に着きました🚙昨年、令和6年に完成した施設です😃マンホールカードいただきました🟢多賀城創建1300年記念マンホールカード台紙🟢欲しい〜😃ガイダンス施設の裏にデザインカラーマンホールがありました🕳
京都府京都市右京区というとなんだか京都市内にある城跡…と想像してしまいますが、実は京都市中心部からは実に約1時間に及ぶ車での旅でようやくたどり着ける場所です。それもそのはず、かつての旧国区分で言うと、この地域はかつては丹波国。京の都は山城国。丹波での周山城から更に奥地にある田園の中にある城跡です。歴史も古く実に平安時代に京の朝廷に仕える武士蔵人大夫正平の末裔九郎国眞が築いたとされる城…というよりは居館に近い感じです。この城の特徴は全国でも余り見られない楕円形の土塁が見られると言う珍し
こんにちは😊今日は茨城県土浦市にある歴史スポット、亀城公園(きじょうこうえん)・土浦城跡の駐車場情報をお届けします🚗🌸亀城公園は、今も美しいお堀や土塁が残る、風情ある城跡公園🏯春には桜が満開になり、お花見スポットとしても大人気です🌸市街地からもアクセスが良く、歴史散策や家族でのお出かけにもぴったりな場所です✨そんな亀城公園に車で行く際に気になるのが「駐車場」事情ですよね🤔今回は、✅無料で利用できる専用駐車場✅相場より安くて便利な周辺の駐車場✅事前予約できて
孔雀が出迎えてくれる雨引観音(茨城県桜川市)の続きです。護摩祈願本堂(観音堂)と、左手7~80m先にある、、、奥の院を結ぶのが、、、長い渡り廊下。ここを、下駄の音も高らかに先進に導かれた僧侶が歩いてきます。(写真は復路)その目的は所願成就を祈願する密教独特の修法「護摩祈願」。願主たちが着座する堂内に朗々たる声が響きます。渡り廊下に沿って歩くと鯉とアヒルが泳ぐ池。鬼子母神は元ワルその池のほとりには鬼子母神堂。色鮮やかな
神田城から移動すること少し。和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見紀伊・周参見中山城(すさみなかやまじょう)この城は「安宅一乱記」のみに登場するが、それによると大永5年(1525)周参見氏一族で内紛があり、周参見太郎が城主であった中山城に一揆衆の旗頭周参見兵衛とそれに同調した大阪少輔らに攻められ、立野城に退去したが、その翌日、その急を聞いた安宅氏の支援を得て一揆衆を鎮圧した。この戦いで大阪少輔は討ち取られた。ちなみに『安宅一乱記」という古文書(旧家で発見された古写本)は軍記物で
11月末というのに、あったかい日が続いています☀️この前の連休に、丹波篠山城跡や城下町を、家族で訪れました🍂黒豆ソフトクリームや、蒸したてのほっかほっか栗🌰美味しくて、買ってすぐに完食!!!篠山城跡の紅葉も美しく、そうそう、長男くんの写真撮ってたら、背後に、V字ラインが!!これは、何かラッキーなことが起きるかな!!と、みんなで期待しながら〜🤭🤭🤭そして、ピース3人組😅長男くんと私、似てるね!!とか、そっくり!!ってよく言われるけど、こうして見ると、似てるかなぁ??🤔🤔性格
400年の歴史を誇る安平古堡は、オランダ人が築いた台南のシンボル的な城跡です。展望台からの眺望や歴史展示を楽しめるだけでなく、周辺エリアには魅力的な観光スポットや人気の飲食店が点在し、台南観光では外せない人気スポットになっています。ここでは、安平古堡の魅力的なスポットや行き方に加え、近隣のグルメ情報までご案内します。安平古堡とは1624年、オランダ統治時代の台湾に築かれた安平古堡は、当時『オレンジ城』や『ゼーランディア城』として知られていました。多くの国々が行き交う台湾の玄関口と
昔、玉野市の日比港から、四国、香川県の多度津に、フェリーが就航していました。日比港から、四国にフェリーが出ていたことがあるということは、昔から、知っていたので、ふと、思い出し、ネット出調べて見ると、それは、岡山県の日比と、香川県の多度津を結ぶ「日比多度津バイパスフェリー」というもので、当時、宇野港が、四国への大動脈として活躍をしていたので、その一部を、日比に回せないかという構想で、始められたことのよう。昭和45年(1970)10月3日、日比港と多度津港を結ぶ航路で、運航を開始。しかし、
昨年達成出来なかった"六甲全山縦走”の続きを、今年は是非とも達成しようと計画してましたが、今回は今年最大級の寒波襲来のため、六甲の標高700m以上の所は全て積雪状態だとの情報を得たため、急遽予定を変更して、1月11日(土)前々から気になってた「おくの細道アルプス」なるところへ行って参りました瀬戸内市邑久町円張にある「釣公園駐車場」に車を停めます(公式にOKのようです)少し歩いた所に「砥石城跡入口」なる看板があるので、ここから登っていきますいきなり本格的な登山道になりますが
2025年2月19日前日、御嶽山神社奥の院に登り、下山後、西桐生に宿泊しました。2日目は足利アルプスの両崖山から天狗山へ反時計回りで縦走です。「足利織姫神社」からスタートです。足利織姫神社織姫神社からの展望わお~。小さいですが富士山です。一番左に富士山の頭が見えました。足利織姫神社ご祭神は、機織(はたおり)をつかさどる『天御鉾命』と織女である『天八千々姫命』の二柱の神様です。縁結びの神様です。色々なご縁が結ばれますように参拝しました。
★2024年12月8~12日に行ったインド🇮🇳の旅の記録です。こちらの記事の続きです。『やっぱり、来てよかったぁ(インドの旅④アグラ)』★2024年12月8~12日に行ったインドの旅の記録です。こちらの記事の続きです。『今、どこ?(インドの旅③アグラ)』新しい年が明けました。本年もどうぞよ…ameblo.jpタージ・マハルを後にし、次に向かったのは大理石店です。インドのツアーで、お土産物屋巡りはあるあるですね。今回のツアーでも、4ヵ所の店を回りました。まあ、トイレ休憩にはちょ
貝吹山城本陣から西へ駆けること約1キロ約数分。奈良県高市郡高取町越智字オヤシキ大和・越智城(おちじょう)越智城は前記事の貝吹山城を詰城とし、貝吹山を最高峰とする東西に細長く連なる丘陵の南側の谷間の平地(越智谷)にあり、ここを越智氏の居城としました。※詳しき越智氏に関しては貝吹山城の説明板をご覧ください。細かいけど越智城は、越智谷の西端(丘陵西端部)に「コの字」状に左右を丘陵に囲まれた地形を利用して築かれておりまして。谷間に居館を築き、周囲の丘陵に曲輪を設けて防御線を築い
凸撃りおちゃんねるをご覧の皆さま。こんにちは!りおたんです(・∀・)ノ☆今回は青森県東津軽郡蓬田村蓬田『蓬田八幡宮』へご案内致します(^^)※この辺。えー。コチラは安東氏統治の蓬田城跡に建立された歴史ある土地に鎮座しています。安東氏の北海道敗走後は南部氏に統治され津軽統一により津軽氏の統治下に置かれたと。ふむ。なかなか濃ゆい物語の舞台ですね。城跡にある神社はその土地の中心ですし。今回【奥津軽の手前編④】ですが今シリーズのメイン企画だと思います!それでは早速
『安土桃山時代』の名で、かつて日本歴史の表舞台にあったのも遠い昔、近江の一角で静かにその歴史を伝える街・滋賀県近江八幡市安土町を今作で取上げます織田信長が束の間の栄華を誇った安土城も今は幻、最寄りの安土駅は各駅停車しか停らない現状ですが、今の安土はどうなっているのか?チラッと訪ねました。早速スタートします最寄駅はJR琵琶湖線・安土駅2017年に橋上駅化されました。駅舎(※北口側)には、安土城の想像図が描かれていますそして、駅前広場から駅を睨む像は・ご存じ、日本の名将・そして
名城100選シリーズです。令和7年4月某日、沖縄旅行の際に訪問した城跡です。今回の沖縄旅行では、日本100名城・続日本100名城に登録されてる5カ所の城跡を回る予定です。那覇に到着後、国頭群まで車で移動、お昼に焼肉を堪能してから、こちらの城跡に向かいました。日本100名城98番『今帰仁城』「今帰仁城」は「なきじんじょう」と読むようです。更にお城のことを「グスク」と呼ぶ様で、標識など多くの表示がグスクと書かれていました。世界遺産にも登録されており、今回訪問する5カ所では最北に位置し
所在地〒519-1424三重県伊賀市川東特徴伊賀衆の氏神だった春日神社の背後が城跡で、本殿脇から入山して登る。信長の侵攻時に急ごしらえで築かれ、川東地区の土豪が籠城したとされる。感想山頂の主郭の周囲に腰郭や堀切が残るが、加工度合いは低く風化も進んでいる。
先日、滋賀県大津市で発見された明智光秀の居城・坂本城の石垣遺構が保存の形で元々土地所有者で開発予定だった不動産会社が持っていく形であることがニュースになりました。この手の史跡遺構が発見された場合は十中八九調査の後に消えゆく運命であったことを考えると本当にこの不動産会社は歴史に残る大英断を下したと賞賛されてしかるべきでしょう。今後、この貴重な史跡が国指定史跡として整備され、後世にきちんと残るものであってほしい。さて、京都府と大阪府の県境にある八幡市には橋本陣屋という陣屋がありました。これは前
こんにちは納沙布岬から道道35号で3kmのところに、日本100名城に登録された「根室半島チャシ跡群」があり、専用駐車場に車を停めました。▼根室半島チャシ跡群周辺マップ(サイトマップを参照)根室半島チャシ跡群を紹介する前に、時間をちょっと戻して、納沙布岬に行く前に根室駅前の根室市観光インフォメーションセンター(根室駅前)に立寄っています。その理由は、日本100名城「根室半島チャシ跡群」のスタンプの獲得と、根室半島チャシ跡群という名城?