かつて天下人として天下統一まで迫っていた織田信長…本能寺の変によって織田家の天下はいつしか失われ、子や孫の家もその後の戦国争乱の中で消えていきました。しかし次男・織田信雄の系統だけは僅か数万石の小大名としてですが、生き残りました。彼は元和元年(1615)に大和宇陀3万石と上野国甘楽群2万石を与えられた信雄は甘楽郡の領地には4男の信良に与え、ここに小幡藩が成立しました。この小幡藩は2万石と規模は小大名でしたが、「覇者・織田信長の末裔」という家柄からか「国主格」として扱われ、徳川幕府の体制下でもそれ