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地蔵堂の前に昭和53年に書かれた詳しい案内板があるのですが文字が消えてしまってよく読めず残念。こんな状態です⇩平安末期の治承元年(1177年)天台阿闍梨良尋新田義重公の帰依を得て一宇を建立義重林東谷院と号したのが始まり。地蔵堂が建てられたのは享保二年か?1717年?読めないのではっきりしません。。曹洞宗梅花流地蔵菩薩御詠歌("慈念"というそうです)たらちねのみ親のもとにいる子らはみ名唱うる声ばかりなりとあるのを見つけましたYouTu
この国宝仏について触れる前に、先ずは2点....。一つ目は...お彼岸を一週間間違っておりました(笑)...。何とも格好の悪い話です(笑)。まあ、先日アップした海神念仏堂の記事は...単純ミスっつー事でお許し頂きたい(笑)。私にとっては、良うある事ですわ。ちょい早めの参拝っちゅう事で...阿弥陀さんも、戊辰の戦死者達もお許し頂けると思います...。戒めのため、記事はあのままにしておきます。皆懺悔🙏二つ目は...先日募金させて頂いた、比叡山の【ウクライナ人道危機救援募金
神立地蔵堂から33ヶ所の2組に石仏をに沿って進むと水呑地蔵院に着きます「水呑百姓」という言葉があって水しか飲めないほど貧乏な農民のことですがお地蔵さんの「水呑」は何なのであろうかと潜入調査しました石仏途中の道はイノブタ注意の看板が出るほどですから野生動物には注意してくださいイノブタ注意の看板こんな細い道ですが何故か舗装されています車は通ることはできません石仏がなくなって木彫の仏像が現れると水呑地蔵院はすぐそこです木彫の仏像
潮来市日の出にあります慈母観音潮音寺に行きました。正式名は、奈良薬師寺関東別院水雲山潮音寺という法相宗の寺院です。昭和50年の開山で薬師寺管主高田好胤和上が入仏開眼を行った、比較的新しいお寺で「花の寺」ともいわれています。この地区は、東日本大震災により液状化の被害が大きく、潮音寺でも16棟あった建物が4棟になってしまい、境内では修復工事が行われていました。香呂境内の中央は、芝生の広場?その先に、朱塗りの本堂が見えます。東日本大震災により、大き
おはようございます☆昨日も猛暑の中、御参拝いただき、絵解きをさせていただけることがありがたく、感謝しておりますm(__)m今日は『三途の川』のお話しです。死天山(死出の山・針の山)を越えた先に、この世とあの世の境となる『三途の川』があります。三途の川は、この世での行いによって三通りの渡り方があるので『三途の川』と呼ばれ『三つ瀬川』や『葬頭川』とも表記されます。三途の川の橋渡し熊野観心十界曼荼羅より①有橋渡(うきょうと)善人は地蔵菩薩が橋を架けてくれて橋の上を渡ることができます。
広島県福山市にある「みろくの里」からのレポートです。前回までは、原寸大の恐竜たちに出会える「ダイナソーパーク」からのレポートでしたが、今回からは、昭和三十年代の街並みを忠実に再現した「いつか来た道」のエリアを紹介します。入口を入った正面には、「なかよし地蔵」が安置されています。今でも、色んな場所の道端にお地蔵様が祀られているのを目にします。お地蔵様と呼ばれる事が多い地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教の菩薩の一尊です。日本における民間信仰では道祖神(路傍の神様の意)としての性格
2017年12月9日醒井宿から鳥居本宿への中山道を歩くさわやかウォーキングに参加しています。醒井宿にある醒井延命池地蔵尊縁起です。弘仁8年(西暦817年)百日を越える旱魃が続き、野も山も草木は枯れ、川や湖は干上がりました。ご心配になった嵯峨天皇の命により、伝教大師(最澄)は比叡山の根本中堂に祭壇を設け、降雨をお祈りになりますと、薬師如来が夢の中に現れ、「ここより東へ数十里行ったところに清浄な泉がある。そこへ行って雨を求めよ」とお告げになりました。伝教大師が泉を尋ねてこの
神様ブレスレット一覧です(*´∀`*)ノ※掲載許可済みのもののみこの12年の間のブログを全部さらってリンクを張りました~!もし、私の神様ブレスが載ってない!ってことがありましたらご連絡くださいませ。URLも一緒に付けてもらえると助かります。結構ブログ記事が膨大な量ででででで…_(┐「ε:)_探しはしたもののぬけが無いか心配~~~◆神様ブレスメンテナンス料金改定→★神様ブレス【海のスサノオさん】のリメイク→★【超敏感体質さんブレス・薬師様】→★神様ブレス【
辻子谷水車郷から石切漢方製薬〜生駒縦走3←(承前)色鮮やかな生花がお供えされた石仏。どの石仏も、手厚くお祀りされています。山間の集落。比較的に新しい前掛けをまとった石仏。もう、ほとんどお地蔵さまとして扱われているような…(苦笑)右奥には「かぐやの里」と看板にあります。調べたところ、里山保全活動を行う市民団体のようです。里山保全活動・かぐやの里★主な活動内容★里山整備=竹・雑木の間伐及び除伐庭園整備=花木・草花の手入れ
桜井識子さんのブログ「さくら識日記」よりお地蔵さま(地蔵尊、地蔵菩薩)に関連したブログまとめです。【まとめ】の目次関連本東京でひっそりスピリチュアル2021年11月25日発売西新井大師五智山遍照院總持(塩地蔵や縁起のいい鯉、見どころ満載)しばられ地蔵南蔵院(叶えてもらうコツは細かく伝えること)神様が教えてくれた縁結びのはなし2020年3月3日発売日本のジゾーとは違う、台湾のお地蔵さん(新荘地蔵庵)お地蔵さんに幽霊を成仏させてもらう方法
四国三十六不動霊場第14番札所正光寺(しょうこうじ)【山号】向栄山【宗派】高野山真言宗【御本尊】地蔵菩薩【御本尊御真言】オンカカカビサンマエイソワカ【不動明王名称】華不動【開山】快増上人【創建年】正中元年(1324年)【童子名】獅子光童子(ししこうどうじ)【御真言】おんまりたりたりそわか【童子の教え】つらさに耐えてカンマンボロン【御詠歌】ありがたや華のみ寺を訪ぬれば智剣の光この里にみる【所在地】徳島県那賀郡那
目指すは「石円空」祈りの彫刻家土屋誠一彫刻家-土屋誠一静岡県島田市在住立体的で精神的な作品に憧れ手彫りの彫刻を始める。精神的な世界観を持つ地蔵に惹かれて石地蔵を中心とした制作活動に至る。目指すは石円空!◇手彫り石地蔵制作販売「注文制作OK]◇可愛いお地蔵さん「手元供養」「先祖供養」他寺院や街中のお堂などで良く見かけるかけることが多いお地蔵さん。正式には「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」と呼ばれる。釈迦の入減後、弥勅菩薩(みくろぼさつ)がこの世に現れるまでの間、人々を
奈良街歩きは昼食処を探しながら元興寺に向かいます。小路を進むと、ところどころに趣のある建物が残っています。食事処は見つけたのですが、満席で待ち時間も少々あったので、その斜向かいにある真言律宗のお寺「福智院」を外観から眺めます。福智院は、天平8年(736)聖武天皇の発願により僧・玄昉が創建した平城清水寺を起源とします。その後荒廃し、建長6年(1254)に興福寺塔頭大乗院の慈信僧正が福智院地蔵堂として再興します。本尊の地蔵像は、南都(奈良)の代表的な地蔵像と
●愛宕権現(あたごごんげん)(※画像はwikipediaより)権現とは、菩薩が姿を変えた尊へ送る日本特有の神号で、その一尊である愛宕権現は、敵軍調伏の境地を持つ地蔵菩薩とされた神。故に、別名を「勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)」。発祥は、一説であるが、白山修験の開祖たる泰澄(たいちょう)と役小角が、共に山城国の愛宕山に登った際に、大雷鳴の後に龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)・富楼那尊者(ふるなそんじゃ)・毘沙門天・愛染明王と共に現れた地蔵菩薩が、天下万民の救済を誓った際の姿
日常生活で起源が良くわからないものってありますよね?お地蔵さんもその一つではないでしょうか・・・・以下抜粋しますね。人々を地獄から救済する仏「お地蔵さん」「お地蔵さま」と親しみを込めて呼ばれることも多いが、正式な名前は地蔵菩薩。地蔵の「地」は大地、「蔵」は蓄える。「菩薩」は「悟りを求めて修行する人」という意味。つまり、豊かな大地のようにあらゆる物を生み、人を救う力として蓄え、修行を重ねる存在。地蔵信仰が日本に伝来したのは8世紀頃で、初期の信仰を記録した奈良時代の書物