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まず皆様に訂正しなければなりません。羽後交通雄勝線のデハ3とデハ5ですが1973年の廃線を前に1971年に運用を離脱していた事を忘れていました。えっ?電車が走らなければどうするの?...実は...羽後交通にはもうひとつ路線がありました。横手駅から東由利町老方駅まで走っていた横荘線。こちらは非電化で雄勝線廃止の2年前1971年に廃止に。廃止後直ちに横荘線で走っていたディーゼルカー、ディーゼル機関車、客車が国鉄奥羽本線を走り湯沢駅へ移動。雄勝線を走る事になりました。架線に流れる電気を止めてディ
時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残しております。現在も現役路線もさることながら、すでに廃止された地方私鉄を優先して取り上げてゆこうと思います。■大井川鐵道大井川本線今回は、静岡県の大井川鐵道を取り上げます。定期運行されるSL列車や大手私鉄の譲渡車両で有名な私鉄ですが、かつては静岡の2大都市から臨時列車が運行されていた時代がありました。大井川鐵道大井川本線の詳細についてはこちらを御覧ください。大井川鐵道大井川本線-Wikipediaja.w
今から38年前、大学生の暇を持て余していたとき、当然鉄道趣味には忙しくしていましたが、地方私鉄巡りをライフワークにしていました。変わった形態の車両に会うのが楽しみで、こんな車両がいたのか?という発見と驚きが、モチベーションとなっていました。近場の上信電鉄には何度か訪問しており、その際に出会った懐かしい車両をお届けします。自社発注車200形デハ204です。上信電鉄といえば、このピンク色のボディに、ブルーのラインですね。元西武451系の授受車100形クモハ102です。こちら
撮影日2022.5.28(8・14・15枚目は2024.5.29)撮影場所長野電鉄長野線長野駅(15枚目は権堂駅)前回に続き一昨年の北陸・中部旅行の際訪れた長野電鉄の主役、8500系の記事の続きです。今回は最大の異端車・T6編成の紹介です。(一枚目)・一見普通の8500系に見えて何か違和感のある面構えのT6編成、デハ8506です。普通信州中野行きです。この編成は湯田中方からデハ8506+サハ8556+デハ8516となっていますが、両端先頭車は中間車から
トミーテック発売の「ノスタルジック鉄道コレクション」シリーズ。2001年に始まったNゲージサイズの食玩的模型シリーズ「鉄道コレクション」。当初は小型地方私鉄電車から始まったシリーズですが回を重ねるに従い大型化、新型化が進み現在では大手私鉄やJRの最新型電車が発売されています。その原点に戻り小型地方私鉄車両を製品化した「ノスタルジック鉄道コレクション」。興味は有りましたがこの分野はHOで作れば良いと思い購入しませんでした。しかし...今回のパッケージは昨年亡くなった小林信夫氏の手によるイラ
栃尾線(とちおせん)は、新潟県長岡市の越後交通が運営していた全長26.5kmの軽便鉄道(軌間762mm)路線です。営業区間は長岡市の悠久山駅から長岡駅、見附市の上見附駅を経由して、栃尾市(現・長岡市)の栃尾駅まで。1915年栃尾鉄道として開業、1924年全線開業、1960年に長岡鉄道・中越自動車との3社合併により田中角栄も社長を務めた越後交通に改名しました。以降越後交通栃尾線として営業してきましたが、バス路線への転換政策により1973年から1975年にかけて廃線となりました。長岡の市内か
う1973年廃止の羽後交通雄勝線。もう一両電車が保存されていました。廃止から20年後、1994年の撮影です。湯沢町役場裏の公園にその電車は有りました。羽後交通デハ5号。現在は都電荒川線の一部になった王子電気軌道。戦後都電に買収されてから日本鉄道自動車と言うメーカーで古い電車の車体を交換する工事をしましたが、日本鉄道自動車は余った古い車体を再利用。古い台車を履かせ、有り合わせの電装品を使い「新車」として販売。同型車が秋田市電に3両、江ノ電に4両売却されました。それまで主力だった単車のデハ1〜3
1985年、羽後交通雄勝線のデハ3が地元有志の手により復元。終点の元西駅に車庫が建てられ収納、保管されたと地元新聞に記事が掲載されました。早速奥羽本線の鈍行列車で湯沢駅へ向かいました。湯沢駅近くのバス営業所で待っていたのは当時でも年代物の日野RD、恐らく1970年式あたり。雄勝線が走っていた頃も現役のクルマです。勿論同型の秋田市営バスはとっくの昔に廃車。羽後交通の物持ちの良さに唖然となりながらも乗車。湯沢駅から西馬音内に向かう途中で見かけた雄勝線の橋脚跡。道中日産180型消防車の廃車直後と思
京阪電鉄16号貴賓車とは対照的な田舎電車です。羽後交通雄勝線デハ7形。羽後交通雄勝線は奥羽本線湯沢駅から鳥海山麓の麓の町まで伸びるローカル線。昭和48年の廃線まで小さな電車がポールを2丁掲げて走っていました。模型は20年程前、その名も「田舎電車製作所」と言うメーカーが手掛けたキット。これは少数販売された完成品か。幸い10年程前にキット代程度の価格で中古購入。ご覧の通り細部まで作り上げた細密品。動力はフクシマ模型FMギアか。引っ張り出したのはポールの構造を確認したかったから。小さなコ
時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残しております。現在も現役路線もさることながら、すでに廃止された地方私鉄への乗り入れを優先して取り上げてゆこうと思います。前回(19)から富山県の富山地方鉄道線を取り上げていますが、今回は2回目、JR化後の特急列車乗り入れを中心に取り上げます。富山地方鉄道本線、立山線富山地方鉄道(以下、地鉄)線については、Wikipediaページが参考になります。富山地方鉄道本線-Wikipediaja.wikip
時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残しております。現在も現役路線もさることながら、すでに廃止された地方私鉄を優先して取り上げてゆこうと思います。■筑波鉄道筑波線今回は、茨城県にかつて存在した筑波鉄道筑波線に乗り入れていた列車について。筑波鉄道筑波線は土浦駅から岩瀬駅までの40kmを結ぶ地方私鉄でした。1987年4月1日に廃止。その廃線跡はサイクリングロードとして整備されています。(私も何度かロードバイクで岩瀬〜筑波とかまわりましたよ)筑波鉄道線
みなさんどうも!ケン坊でございます!今回はですね昨日あるローカル線に乗りに行ったのですがそれがこちら!流鉄流山線でございます!都心からもっとも近いローカル線として知られている流鉄流山線路線距離はわずか5.7km、全6駅、片道はおよそ11分だけではありますが東京近郊とは思えないのどかでレトロな雰囲気を楽しめることができ多くの鉄道ファンから愛されている路線でございますということで今回は、流鉄流山線の乗車記をお送りしたいと思います
時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残しております。現在も現役路線もさることながら、すでに廃止された地方私鉄への乗り入れを優先して取り上げてゆこうと思います。長野電鉄線今回は、長野県の長野電鉄を取り上げます。長野電鉄は現存の長野線のほか、かつて存在した河東線、屋代線があり、いづれの路線にも国鉄からの乗り入れが実施されていました。ButuCC,CCBY-SA4.0<https://creativecommons.org/licenses/b
時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残しております。現在も現役路線もさることながら、すでに廃止された地方私鉄への乗り入れを優先して取り上げてゆこうと思います。■秩父鉄道秩父本線今回は、埼玉県の秩父鉄道秩父本線を取り上げます。秩父鉄道秩父本線-Wikipediaja.wikipedia.org今回取り上げる列車はいづれも国鉄→秩父鉄道のいわゆる「片乗り入れ」です。また西武鉄道、東武鉄道からの乗り入れ実績もあるのですが、手元にそれをご提示できる資料
いつもご覧頂き誠にありがとうございます。前回に引き続き、地方私鉄タイプ電車を2輌ほど一部組み立てました。※前回の内容は、こちらをご参照いただければ幸いです。『【作ろう系】地方私鉄タイプ電車を作ってみる【GREENMAX】』いつもご覧頂き誠にありがとうございます。あっという間に9月になりました。月日が流れるのは早いものです…色んな事に忙殺されながら日々を淡々と生きていますw先…ameblo.jp今回の一部組み立ては、運輸省規格形2輌になります。パターンは、・パンタ側非貫通
時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残しております。現在も現役路線もさることながら、すでに廃止された地方私鉄を優先して取り上げてゆこうと思います。今回は、テーマからややずれつつも、少し特殊な事例として取り上げておきたい案件。先達の皆様にはかなり有名な、名鉄車両の国鉄線、富山地方鉄道線への乗り入れについて。名鉄の公式ホームページに、高山線直通列車のあゆみ、というページが有るのをご存知でしょうか?名鉄の高山線直通列車のあゆみ-未入力|名古屋鉄道w