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まず皆様に訂正しなければなりません。羽後交通雄勝線のデハ3とデハ5ですが1973年の廃線を前に1971年に運用を離脱していた事を忘れていました。えっ?電車が走らなければどうするの?...実は...羽後交通にはもうひとつ路線がありました。横手駅から東由利町老方駅まで走っていた横荘線。こちらは非電化で雄勝線廃止の2年前1971年に廃止に。廃止後直ちに横荘線で走っていたディーゼルカー、ディーゼル機関車、客車が国鉄奥羽本線を走り湯沢駅へ移動。雄勝線を走る事になりました。架線に流れる電気を止めてディ
う1973年廃止の羽後交通雄勝線。もう一両電車が保存されていました。廃止から20年後、1994年の撮影です。湯沢町役場裏の公園にその電車は有りました。羽後交通デハ5号。現在は都電荒川線の一部になった王子電気軌道。戦後都電に買収されてから日本鉄道自動車と言うメーカーで古い電車の車体を交換する工事をしましたが、日本鉄道自動車は余った古い車体を再利用。古い台車を履かせ、有り合わせの電装品を使い「新車」として販売。同型車が秋田市電に3両、江ノ電に4両売却されました。それまで主力だった単車のデハ1〜3
1985年、羽後交通雄勝線のデハ3が地元有志の手により復元。終点の元西駅に車庫が建てられ収納、保管されたと地元新聞に記事が掲載されました。早速奥羽本線の鈍行列車で湯沢駅へ向かいました。湯沢駅近くのバス営業所で待っていたのは当時でも年代物の日野RD、恐らく1970年式あたり。雄勝線が走っていた頃も現役のクルマです。勿論同型の秋田市営バスはとっくの昔に廃車。羽後交通の物持ちの良さに唖然となりながらも乗車。湯沢駅から西馬音内に向かう途中で見かけた雄勝線の橋脚跡。道中日産180型消防車の廃車直後と思
京阪電鉄16号貴賓車とは対照的な田舎電車です。羽後交通雄勝線デハ7形。羽後交通雄勝線は奥羽本線湯沢駅から鳥海山麓の麓の町まで伸びるローカル線。昭和48年の廃線まで小さな電車がポールを2丁掲げて走っていました。模型は20年程前、その名も「田舎電車製作所」と言うメーカーが手掛けたキット。これは少数販売された完成品か。幸い10年程前にキット代程度の価格で中古購入。ご覧の通り細部まで作り上げた細密品。動力はフクシマ模型FMギアか。引っ張り出したのはポールの構造を確認したかったから。小さなコ
【24年6月8日探索・25年2月16日公開】現在地はこの辺群馬県前橋市三俣町この記事の続きになる。上州電鉄上州三俣駅から中央前橋行が来たので乗車すると・・・動物のぬいぐるみが沢山の車内だった。12月で運行を終えたそうだが、知らないで乗車した私にはけっこうなインパクトがあった。地方私鉄がいろんなアイディアで個性的な車両を走らせているのは素晴らしい事だと思う。東急車両での昭和41年製造、元京王3000系の711号と721号だ。トラとか
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数日前に変な夢というか悪夢にうなされました。悪夢の中で、何故か建築関係の仕事をしていて車で悪徳工事現場に向かうと車を奪われてしまい、奪還してそこから逃げ出した際に途中に踏切があってそこを謎の電車が通過するというものでした。これが元・営団2000形(両運転台化した単行に見えた)なのですが、カラーリングがアメリカのパトカーっぽい色で白と濃紺のツートンでオレンジの帯が入り車番がデカデカと書かれていたり、しかも冷房改造されていて、あろうことかJR貨物でEF66を冷房改造した際に運転台の上に取り付けた
皆さんこんにちは。お知らせです。東洋経済オンラインに、インタビュー取材記事を寄稿しています!ぜひ、ご覧ください。ローカル鉄道に続々登場「復刻カラー」人気の秘密何十年も前の初登場時の塗装が懐かしさを呼ぶローカル鉄道に続々登場「復刻カラー」人気の秘密近年、都会で活躍した後に、地方ローカル線を中心に譲渡されてきた車両を、かつての塗装に戻して運行を行う「リバイバルカラー(復刻塗装)」を行う鉄道事業者が多い。最近では千葉県の銚子電鉄が南海電鉄で運行し…toyokeizai.netイ
渥美線は1984年に貨物輸送が廃止され、大半の電気機関車が解体された中、高師車庫の入換用にデキ211が生き残っていました。こちらはデキ451の廃車体、地方私鉄には似合わない箱型の大型電機で、前面の砂箱がインパクト大でした。(背後の木造倉庫が渋いですね)1年後、再びの訪問でもデキ211は同じ位置に停車中。結局、動く姿を見ることはありませんでしたが、1997年の1500V昇圧まで現役でした。
この時期の日没方向を考えて大胡よりも西側で狙うことにしたのですが沿線の休耕地は随分来ない間に太陽光発電の敷地になっていますね。狙いを定めたこの周辺も御多分に漏れず。以前に撮影したイメージを修正しながらこの場所にたどり着きました。試しにファインダーを覗いたところで踏切鳴動。あわてて露出の調整をして撮影できたのはこれ。構図はもう少し詰めたかったかな。今日もご覧いただきましてありがとうござ
富山地方鉄道本線0.0T01電鉄富山駅1.6T02稲荷町駅2.5T03新庄田中駅3.6T04東新庄駅4.7T05越中荏原駅7.0T06越中三郷駅8.5T07越中舟橋駅9.8T08寺田駅10.5T09【地鉄各駅駅舎】越中泉11.3T10【地鉄各駅駅舎】相ノ木12.1T11新相ノ木駅13.3T12【地鉄各駅駅舎】上市15.1T13【地
オークションサイトで見つけた三輌編成で構成された小型の電車。三輌個別に出品されていて一輌で走らせるのに両運転台車にプチ改造するつもりの自分には中間車だけ入札できるのは好都合。イメージは京成のモハ109切妻デンシャ。妻(連結面)のシル・ヘッダー外して窓の桟をカット、連結面寄りの窓の中桟もカット(乗務員扉を片側だけ両方で迷う)。ここまではサクサクっと。しかしここで、やはりいつもどおり停滞期に・・・そして幾星霜、その間にジャンク車体をいくつか入手してはリセール目的で解体再生
まぁね、地方私鉄も厳しいのですよ。沿線の人口は落ちる、利用者も落ちる。人件費は上がる、維持費は上がる。そもそも交通機関の経営なんて採算のとれるものではないのだから、経営健全の考えは持ちつつも地域や国からの「公正な」保護や支援は(ここ大事。インフラ維持の点で)必要だと思うのですよ。弘南鉄道の大鰐線が休止になるとのこと。その前日のニュースでしたか、千葉の久留里線の末端区間の廃線の報道もあったのだからちょっとした
青森県の私鉄、弘南鉄道大鰐線が2027年をもって休止〜廃止との報道がありました。子供の頃住んでいた大館市とは矢立峠を越えた隣り町。奥羽線のどれも同じようなED75とオハ35のツマラナイ鈍行列車に比べ、生まれも育ちも異なる個性的な旧型電車はその豪快なモーター音もとても魅力的でした。当時鉄道模型趣味誌で掲載された宮下洋一氏の地鉄電車シリーズに影響を受け、子供心にいつかは自分もその弘南鉄道版を作ろうと妄想していました。ここに並ぶのは2000年頃から購入、又はユルく作り始めた弘南鉄道大鰐線風の電車
大量のジャンク品、必要なのはほんの一握り。それ以外のパーツをちまちま売り捌き残った組み立ての荒い車体たち。屋根板や補強材、窓枠などを剥がして側だけにして売りに出すも一向に買い手があらわれない。う〜ん、やっぱある程度カタチになってないとアカンの?てなわけで、まずはテストピースをテキト〜に拵えたゼ。
2001年11月24日、筑豊電鉄3000形3002号車内にて。車内の様子。23年前のきょう。当時の職場へ、筑豊電鉄の電車を使って通勤する車内での様子。当時の筑豊電鉄の電車といえば、車内にテレビモニタがあるというのが当たり前だった。車両によっては次駅案内とCM、車両によってはテレビ放映、という感じだったんだけどもね。電車の中にテレビモニタがある、というのが、あまり例がない時代でもあったので、当時は物珍し気に眺めていたんだけども。個人の携帯端末でテレビを視られる時代になった
昨日ご紹介のフルスクラッチの三陸鉄道36形。同じ製作者の作品が他に3両手元に有ります。いずれも国鉄末期〜JR初期に第3セクターとして民営化された鉄道の気動車です。勿論全てペーパー車体のフルスクラッチ。市販部品は台車と連結器のみ。左から三陸鉄道、いすみ鉄道、長良川鉄道、そして秋田の由利高原鉄道。いすみ鉄道以外はその立体的前面が製作の難関となる車両達です。今日は由利高原鉄道のYR1500形をご紹介。1985年国鉄矢島線から民営化された由利高原鉄道。開業時に新潟鉄工で製造されたYR150
昨日のDB10のオマケに付いて来たクルマですが...何じゃこりゃあ!!見ての通り車輪を履いてますが多分ジープです。えっ?!そんなクルマ有るのかって?大戦中米軍他で使われ日本でも国鉄が試作。自衛隊でも使われ1963年の新潟地震で活躍しました。陸上自衛隊第101建設隊の軌陸ジープ|MCDB陸上自衛隊第101建設隊の軌陸ジープmcdb.sub.jp模型は1980年頃登場した小型モーター「キドマイティ」を車体に納めた...と言うよりも車体を嵌め込んだパワトラと同じ構造のスクラッチビルド品か
お店で物を買うと10%の罰金を取られるようになり大分経ちました。食料品や生活必需品はともかく趣味の物はお店で買う事は無くなり、フリマサイトで買う事が多くなりました。それは現在発売されている商品に魅力が無いことも有りますが。と言う訳でフリマサイトで購入したカワイのCタンク、恐らく1960年代の古い製品です。愛嬌も無い機能一辺倒の戦時中〜戦後にかけて製作された産業用機関車風。実は一応プロトタイプが有りまして尾小屋鉄道の5号機関車らしいです。(ナローかよ!)尾小屋鉄道5号機は公式には1948年立
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撮影日2024.9.1撮影場所熊本電気鉄道菊池線北熊本駅(1枚目は新須屋駅)※立ち入り可能箇所から撮影先日熊本を訪問した際に、2本目が入線した元静鉄1000形と、赤帯になった元都営の6111A編成の撮影の為に熊電を訪問しました。その際に撮影したニューフェイス・1012編成の紹介です。(一枚目)・中々運用に入るのを見掛けない1009編成と違い、1012編成は日曜の日中でも「本線」の運用に入っていました。御代志駅からの折り返しを狙い撮
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流山線は千葉県流山市中心部とJR東日本常磐線馬橋駅を結んでいる総延長5.7km地方の私鉄です。開業は流山軽便鉄道として1916年(大正5年)、軌間762㎜の蒸気機関車による運行でした。のち1924年(大正13年)1067mmに改軌、1949年(昭和24年)に電化、流山電鉄、総武流山電鉄と社名変更を経て2008年社流鉄として現在に至ります。現在は元西武鉄道の車両が中心ですが、訪問時1972年は元国鉄や京急などの払い下げ車両が活躍していました。流山駅のモハ1101(元京急クハ480形)
久しぶりに実車(乗り鉄)の記事を。9月秋分の日をからめた三連休に、まだ乗車した事の無い、流鉄こと総武流山電鉄に乗りに行きました。自宅が武蔵野線沿線にあることから、都心を通らず、武蔵野線でグルっと周り南流山へ。常磐線に出入りする列車向けの中線が、武蔵野線の駅っぽい感じがします。そして、この駅から歩くこと10分くらいでしょうか。流鉄の中間駅である、鰭ケ崎駅に到着。千葉県、それもかなり東京や埼玉寄りにある地域なのに、この地方私鉄路線の雰囲気が、地方私鉄好きな私にとって、たまらないものでした
金刀比羅宮を訪問参拝後高松琴平電気鉄道琴平駅を訪問写真の駅舎は1988年5月に供用開始となりましたその後、琴電に乗車して高松に向かいました
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