ブログ記事389件
[串良海軍航空基地]地下壕第一電信室鹿児島県鹿屋市串良町有里4963串良基地から飛び立った特攻機の隊員が、突撃前に送る電信を受信していた地下電信室壕。40名の電信員が航空機からの電信を受信していた。出入口部分のコンクリート製爆風避けが重厚。反対側の出入口は土塁が爆風避けになっていた。中に入ります写真右が地下壕の本体(通信室)、左が発電機などが置かれた細長い廊下につながる内部は電信室の1部屋のみ特攻機のうち、単座機は電鍵を押しつづけて
後編では北東側の地下壕を見ていきます。地下壕手前の水源は江戸時代からの灌漑用のため池で、昭和46年(1971年)に丸山ダムとして整備されました。ダム湖を周回する遊歩道が設けられていますが、地下壕はその先にあります。案内板があるとは思っていませんでした(^^;看板からほどなくして「地下壕D」が口を開けています。では入っていきます。入るともれなくコウモリさんたちのお出迎えを受けます。土砂が堆積している所を乗り越えていきます。出口が見えましたが低い位置にあ
硫黄島②の記事はここから。『硫黄島②』硫黄島①はこちらから。『硫黄島①』8月、ご縁をいただき、硫黄島へ行ってまいりました。硫黄島島はご存知の通り、太平洋戦争後期に激戦地となった場所。日…ameblo.jp続いては、日本軍の拠点となった摺鉢山へ移動です。摺鉢山は標高169mの山。山道は島の隆起によって、壊れては舗装の繰り返しだそう。山頂からは南海岸が一望できました。(米兵の上陸した海岸)こちらは、●第
渡喜仁の陣地壕沖縄本島、国頭郡今帰仁村字渡喜仁826周辺海岸(運天港)から西北西に直線で約2キロ、渡喜仁の丘陵(標高10メートル)に海軍の陣地壕がある。海軍第226設営隊(山根部隊)が造営した。一説には特殊潜航艇「蛟龍」か甲標的丙型の秘匿壕?と言われているが、この壕は迷路だし、奥行きは足りているなれど高さが足りず。魚雷なら全長約5.5メートルなので、頭部を取り外して台車に積載すれば、壕内の通路を行き来は出来る(と思う)。昭和19年10月頃から基地は米軍艦載機の標的になって
硫黄島①はこちらから。『硫黄島①』8月、ご縁をいただき、硫黄島へ行ってまいりました。硫黄島島はご存知の通り、太平洋戦争後期に激戦地となった場所。日本兵およそ2万2000人、米兵およ…ameblo.jp史料館の次は、遺骨収集実施現場の見学です。こちらは、前日までの遺骨収集で発見された壕。今回の2週間の作業では17柱のご遺体が発見されました。日本人の骨なのか?アメリカ人の骨なのか?もしくは動物の骨なのか?と見分ける鑑
1945年2月19日9時頃、翁浜・二ッ根浜付近に上陸した敵のうち、第28海兵連隊が摺鉢山へ前進してきます。敵が上陸の際、高波を受け上陸用舟艇や水陸両用車が転覆し、戦う以前から被害を出しています。また硫黄島の海岸は崩れやすい火山灰のためここで埋まってしまい役に立たなくなった車両も数多くありました。波打ち際で転覆した上陸用舟艇ここではLVT(A)-1も、LVT(A)-4も砂に埋まったキャタピラ車ですらこんな状態です
海軍第313設営隊の地下壕群①宮古島市熱帯植物園空古島市平良東仲宗根添1166-286海軍第313設営隊は昭和19年10月に、宮古島内において軍事作戦に係る陣地の構築を開始する。陣地を構築したのは大下海軍技術大尉が統括する第2中隊第1小隊で、陣地壕の専門家集団だった。熱帯植物園の北側、東西方向に連なる独立丘陵の麓に34カ所の壕口が確認できる。また西隣の宮古少年自然の家敷地内にある低丘陵にも6カ所の壕口が確認できる。壕の構造は様々。これらの壕は全て石灰岩を掘削して構築してい
8月、ご縁をいただき、硫黄島へ行ってまいりました。硫黄島島はご存知の通り、太平洋戦争後期に激戦地となった場所。日本兵およそ2万2000人、米兵およそ7000人、島民82名が亡くなったそうです。1泊2日のスケジュールで、初日は靖国神社で参拝し、遊就館へ。遊就館では、硫黄島についての事前研修を受けました。その後、埼玉のホテルへ移動し、結団式と再び研修。翌日は朝早くホテルを出発し、入間基地
[南大東島守備隊]陸軍本部壕(山下洞)沖縄県南大東村新東島の北東部、東は長幕断崖の内側が迫っているが、その山麓(標高約10メートル)に縦穴状のドリーネ(落込穴)があり、大東島守備隊(歩兵第36連隊)の本部はここの自然洞穴(鍾乳洞)を利用している。出典:沖縄の戦争遺跡、P.296より抜粋・加工『大東島戦時日誌』によれば、在所集落の西外れの具志堅洞の自然洞穴(鍾乳洞)を利用していたが、同年4月8日には「軍旗」を島の新東地区の通称・山下洞に移動させ、ここを核に一帯を秋葉
大阪山砲台を後にし、医務科壕へ。たくさんの銃痕が残っています。この壕は入り口が広いので、負傷者を運び易かったのでしょう。壕に入ってすぐ右側には、皆が祈ったであろう観音像がありました。懐中電灯や携帯のライトでここまで鮮明に写っていますが、実際は真っ暗です。唯一の光といえば、天井に空けられた穴のみ。日中は米軍から攻撃を避けるために、壕で生活していたそうです。
松代大本営(舞鶴山地下壕)長野市松代町西条3511松代大本営は大日本帝国陸軍において計画・推進されたもので、太平洋戦争末期、皇居・大本営・政府中枢機能移転のために長野県長野市松代地区などの3山(象山=イ、舞鶴山=ロ、皆神山=ハ)を中心に掘られた地下壕群を指す。3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶ。陸軍は昭和19年4月より本土決戦態勢に入る。特に「東京から大本営および政府機関を地方(松代)に移さなければ、本土決戦は行えない」との立場を貫く中堅将校たちは地方への大本営の建設を推進した。中堅
海上自衛隊の横須賀教育隊の場所は、海軍武山海兵団の跡地ですが、先日同地で太平洋戦争末期に造られた横穴式地下壕が発見され、調査と読売新聞の取材が行われました。私も参加させていただきました。基地内唯一の丘陵「岩崎山」全体が地下壕と言っても過言ではありません。空襲時の退避と陸上施設の地下移転のための地下壕です。他の地下壕と比べて造りこみが丁寧な場所が多かったです。また他にはない構造のエリアもありました。地下壕掘削の人員を豊富に持っていたからでしょうか。読売新聞HPで動画が掲載されています。
午前中で大阪の仕事を終え、奈良への帰路は国道25号を走行しているのですが、午後よりスキマ時間が出来てしまったので、柏原市国分より国道165号を走行し香芝市方面に向かいました。目的地は、奇勝・屯鶴峯(どんつるぼう)景色が優れているところを「景勝」とか「名勝」と副詞修飾しますが、屯鶴峯は”奇勝”と修飾されます。由縁は、真っ白い奇岩群が山肌に広がり、まるで異世界のような景観だから。県道703号香芝太子線で大阪方面左手、どんづる峯専用駐車場、もちろん無料駐車場
昨日の続きです…おっさん2人…奈良の奇岩群どんづる峯で…白い岩の絶景に感動しましたこのあとは…どんづる峯をぐるっとハイキングです⛰️そして…どんづる峯には防空壕もあるらしいのです…それではスタートなかなかの山道を登ったり下ったり…おろち岩鉄塔で休憩…おっさんはこの辺りで疲れがピークに…少し長めの休憩をとって…再スタート鉄塔の真下から📸ここからもアップダウンを繰り返します…おっさんの体力も限界なので…小休憩を取りながら…やってきました…太平洋戦争末期の196
2024年9/8日曜日山頂到着した時にお日様が山からひょっこり地下壕へ向かう急な坂道ロープならぬホースやん(笑)旧日本陸軍地下壕防空壕近付いた時、中から足音が…誰かがいるかなりビビりましたが僕の足音が反響したみたいビビりな僕でした(笑)懐中電灯も持ってますが入る勇気なし(笑)真っ暗で怖すぎ1人で入る勇気ないわ~(笑)大台ヶ原と金剛山にも自生していたササ広場に出ました高圧電圧の鉄塔🔚
松代大本営(象山地下壕)長野市松代町西条3511松代大本営は大日本帝国陸軍において計画・推進されたもので、太平洋戦争末期、皇居・大本営・政府中枢機能移転のために長野県長野市松代地区などの3山(象山=イ、舞鶴山=ロ、皆神山=ハ)を中心に掘られた地下壕群を指す。3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶ。陸軍は昭和19年4月より本土決戦態勢に入る。特に「東京から大本営および政府機関を地方(松代)に移さなければ、本土決戦は行えない」との立場を貫く中堅将校たちは地方への大本営の建設を推進した。中堅将
桜島海軍基地の魚雷格納庫他鹿児島県は桜島。桜島フェリーターミナルの大きな駐車場前に城山台地(袴腰台地)が聳える。台地の麓には桜島海軍基地(第5特攻戦隊)の地下壕群がある。台地の上は、戦国時代には島津氏の三角城(長門城)が築かれ、戦時中は陸軍が高射砲陣地(6門)を置いている。海軍特別攻撃隊実施部隊の佐世保鎮守府所属第5特攻戦隊には、蚊龍・海龍24隻、回天46隻、震洋725隻が所属していたとのこと(諸説あり)。地下壕群から1キロほど海岸沿いに北上すると、県道沿いに魚雷格納
『DerUntergang(英題:Downfall/邦題:ヒトラー〜最期の12日間〜』(2005年)ヒトラーのその最期の日に至る…地下壕での“失意”の12日間をリアルに描いた2005年公開のオリヴァー・ヒルシュビーゲル監督作が『DERUNTERGANG(英題:Downfall)/ヒトラー~最期の12日間~』である。原作はヨアヒム・フェスト著書の『InsideHitler'sBunker:TheLastDaysoftheThirdReich(総統官邸地下壕