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いわゆる「陰謀論」に興味を持って情報を漁っていると出てくる「黒い貴族」。今Wikipediaで「黒い貴族」を検索すると、ローマ法王を固めた「黒い貴族」が出てきます。しかし、世の中一般で語られている「黒い貴族」は、このバチカンの黒い司祭たちではありません。「黒い貴族」とは、ヴェネツィアを根拠とする闇(黒)に包まれた金融貴族を指すようです。そして、多くの場合「悪」として語られています。しかし、この「黒い貴族」=「悪」というのはフェイクです。彼らを悪者にしたい連中が流したガセネタで
以前のブログで、全てのものは中心から現れて、延長分派を成すと述べましたが、それが宇宙の法則であることは事実であります。国家に於いても中心は天皇であって、国民はその分派延長であるの理です。この宇宙創造の原理が我が日本国國體に表われていたのです。さて、覇道とは何かと云えば、力(武力)=暴力を中心としたもので、マンガ『北斗の拳』のようなものであります。次に、王道とは何かと云えば、人の『徳』を以て治める事を云います。先の覇道に優る教えでありますが、この王道を有史以来続けてきたのが隣国の『支那』
これまでのシリーズ-------------------・【メディアが教えない】日本と世界の裏事情<その1>※その2で情報を再整理・【メディアが教えない】日本と世界の裏事情<その2>※その1の改訂版・【メディアが教えない】日本と世界の裏事情<その3>・【メディアが教えない】日本と世界の裏事情<その4>・【メディアが教えない】日本と世界の裏事情<その5>-----------------------------------その2では三笠宮崇
【拝謁記から】「拝謁記」には、上皇陛下が皇太子時代に、軍人になることなく、11歳で終戦を迎えられた理由も記されていました。戦前、皇太子は原則として満10歳で陸海軍の少尉に任官するとされていて、昭和天皇も明治天皇の崩御に伴って皇太子となられた11歳のときに任官しましたが、昭和天皇は軍から求められても皇太子の任官を許しませんでした。その理由について昭和天皇は、上皇陛下の成年式と立太子礼が行われた翌月昭和27年12月18日の拝謁で、「私は十一位(くらい)で少尉となり立太子後ハ直(す)ぐ東宮武官
これまでのシリーズ-------------------・【メディアが教えない】日本と世界の裏事情<その1>※その2で情報を再整理・【メディアが教えない】日本と世界の裏事情<その2>※その1の改訂版・【メディアが教えない】日本と世界の裏事情<その3>・【メディアが教えない】日本と世界の裏事情<その4>・【メディアが教えない】日本と世界の裏事情<その5>-----------------------------------明治維新は、世界で
その時代時代で新しい風が吹くように、皇室の在り方もその時代時代によって変わってくるものと思います。私も、過去から様々なことを学び、古くからの伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたいと思います。